| 【 映画雑感 】No.213 |
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ストーリー アメリカの作家アプトン・シンクレアの原作「石油!」の映画化。石油採掘によって富と権力を手
に入れた男の破滅的な人生の中に、
アメリカン・ドリームにひそむ欲望と復讐の物語を描き出している。主演のダニエル・デイ=ルイスがオスカーの栄冠に輝いた。20世紀初頭のカリフォルニア。孤児を育てて自分の息子H.W.(ディロン・フレイジャー)として連れ歩く山師のダニエル(ダニ エル・デイ=ルイス)は、「小さな町の牧場に石油が眠っている」と聞きつけて、すぐにその土地の買占めに乗り出す。 住民の信望を一身に集める若き牧師イーライ(ポール・ダノ)が彼への警戒を強める中、ダニエルは見事に油井を掘り当てるが、火災 事故が発生し、幼い息子H.W.は聴力を失ってしまう。 冒頭15分ほどの圧倒的禍々しさをどう表現したらいいのだろう。金塊掘りの山師ダニエルが石油を掘り当てるまでを、ほとんど科白 なしで一気に描きあげる。バックに響く音楽はジョニー・グリーンウッドというミュージシャンが手がけているそうだが、これでもかと 続く不協和音の連続。だんだん頭が痛くなる。科白があればこれほど気にならないかもしれない。それだけに印象は強烈で、欲望に取り 憑かれた男の執念が骨の髄まで刻印されるようだ。
肉親にいささかの情愛もないダニエルが、孤児のH.W.を育てる気になったのはどういうことだったのだろう。後年、土地買収を進めていく際、H.W.の存在は土地の人の信頼を得るのに大いに役立つが、嬰児の世話は(とくに男性には)想像以上に大変なことだ。初めからそれが目当てでやれることではない。 ダニエルが発散する黒い情熱のカリスマ性があれば、H.W.の存在がなくても、村人の中に食い込むのは難しくなかったとも思う。 自分の欲望のみを恃みとし、人も神すらも信じず生きてきたダニエル。しかし、赤子の無垢ゆえに、彼はその体温の温もりや笑みを信じられたのではないかと思う。私はそこに、彼の中にかけらを止める人間らしさの残滓を見てしまうのだが・・・。 油井から噴きだした石油でH.W.が吹き飛ばされた時も、発生した火災で彼の聴力が失われた時も、ダニエルは必死に息子を救けようとする。それだけに、列車に彼を捨てる場面は、私にはほんとに思いがけなくて、ショックが大きかった。 「すぐ戻るからな」と何度も聞こえない息子に大声で話しかけ、H.W.が頷くとそのまま無表情に列車を降り、線路脇に停めた車に 乗り込む。スルスルと列車が動き出す。「パパ、パパ」と泣き叫ぶH.W.。捨てられた絶望が鋭い棘となって突き刺さってくる。 H.W.の聴覚を治す手立てがないと分かった時、ダニエルのなかにわずかに残っていた人間性が解体し、役に立たないと見切りを つけたH.W.を遠くの学校に追いやってしまったのだ。 もう1つ興味深いのは、腹違いの弟の出現だ。彼は兄の存在を知っていたが、ダニエルは弟の存在を知らなかった。彼の話は本当だ ろうか。自分の欲望のみを信じるダニエルは、それだけ強烈に虚偽、欺瞞を憎悪する。弟と称する男を疑いながらも信じ、信じながらも 猜疑を向け、裏切りと分かれば「立ち去るから見逃してほしい」という哀願に耳を貸さず、苛烈な形で報復する。 彼の人生を彩るのは真っ黒に塗りつぶされた野心と孤独しかないことが、あらためて禍々しい音楽とともに迫ってくる。
狂信的な牧師イーライの存在も忘れがたい。彼のいかがわしさは、序盤、実の父親を家族の面前で罵る場面に早くも表れている。
彼が “信仰” の名のもとに地域住民を支配する欲望に憑かれている点では、ダニエルと表裏一体かもしれない。パイプラインを通す土地を手に入れるために、ダニエルが教会で洗礼を受け、イーライの前に偽りの屈従をする場面は凍りつくような 恐ろしさだ。人々の見守る中で、イーライはダニエルの犯した罪と虚偽を糾弾し、ついには彼をひざまづかせさえする。 数年後、説教の旅から帰ったイーライには、華美な服装とは裏腹に、かすかに世俗の腐臭が漂う。明らかに彼は堕落した。それを見 逃すはずもないダニエル。ラスト数分のあまりにも異常な展開は、緊迫感で金縛りになったようだった。 アメリカの成功者のなかには、時として『市民ケーン』のモデルといわれる新聞王ハーストなど、ダニエルのように周囲を破滅に追い 込む怪物的な人物が現れる。これがアメリカの抱える闇の深さだろうか。背筋がぞくりとする。 ダニエル・デイ=ルイスの鬼気迫る演技、そしてイーライ役のポール・ダノも名優相手に健闘したと思う。拾いものはH.W.を演じた ディロン・フレイジャー。本作が映画初出演だそうだが、存在感あふれる演技に驚いた。 【◎○△×】8 |