| 【 映画雑感 】No.175 |
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ストーリー 幼い頃から厳格な父(アーミン・ミューラー=スタール)にピアノの英才教育を施されたデヴィッドは(ノア・テイラー)、天才少年と して評判になる。やがて、イギリス王立音楽学院に留学する話が持ち上がるが、家族は離れ離れになってはいけないという固い信念を 持つ父は、暴力的にこれを拒否する。 デヴィッドは著明な女流作家プリチャードの励ましでようやく留学を果たし、セシル・パーカー(ジョン・ギールグッド)に師事する。 そして、コンクールで父の念願だった難曲中の難曲、ラフマニノフのピアノ・コンチェルト3番を見事に弾きこなすが、その直後、彼は 精神に異常をきたしてしまう。 オーストラリアの実在の天才ピアニスト、デヴィッド・ヘルフゴッド(ジェフリー・ラッシュ)が約10年間の入院生活の後、 ピアニストとして再生するまでの半生を描いたヒューマンドラマ。 ジェフリー・ラッシュがアカデミー主演男優賞を獲得した。 この映画にはしばしば “水” が出てくる。それは激しくデヴィッドを濡らす雨であったり、彼が出し放しにしたために溢れるシャワー や台所の水であったり、彼がまき散らした楽譜が浮かぶプール
の水だったりする。デヴィッドがプールで嬉しそうに奇声を上げているのを見た時、“水” が意味するもの、それは母の胎内の “羊水” ではないか、と 思った。デヴィッドが病から回復する過程で無意識のうちに求めたのは、ゆるやかに彼を包む母性だったのではないか、と。 デヴィッドは「勝たなければならない」「強くなければいけない」と絶えず父から言われ、父の期待に応えることに精神のすべてが 吸収されてしまった少年だ。コンクールで優勝できないことで、いつも父に対して呵責を覚えている。彼が精神のバランスを取るため には、母の包容で赦されることが必要だったのだと思う。 しかし、彼の母は暗く無口で、慢性ウツと言っていいほど、生気のない表情をしている。夫に怯えた視線を向け、家の中での存在感は ひどく薄い。「愛」という名の下に、万力のように家族を締めつける夫の支配性に、母自身、なかば窒息していたのではなかろうか。 私には彼女の仮面のような無表情は、生きることを諦めた顔に見える。 デヴィッドの父は深刻に傷ついた過去を持つ人だ。ユダヤ人として第二次世界大戦中にナチスの強制収容所で両親を亡くしている。 その体験が、弱い者は虫のように潰される。強くなければならない。そして、家族はなにがあっても絶対に離れてはいけない、という 強迫的ともいえる彼の信念を形作ったのだろう。 さらに、彼自身の音楽への愛好を父親に理解されず、無惨に蹴散らされたことも、彼の心に深いダメージを与えた。これらの体験が、 自覚せずとも、もっとも身近な妻と溺愛する息子を直撃し
たのだと思う。デヴィッドは女流作家キャサリン・プリチャード(少年時代の彼にとって、真の意味の “母” なる人は彼女だったと思う)の励ましで、父に 勘当されながらもロンドンの王立音楽院に入学する。 一見父からの自立に思えるが、そうでないことは、彼がラフマニノフを弾きたいと指導教官に申し出ることに現われている。彼は父の期待する息子であり続けようとした。 完璧に弾きこなした直後に彼が失神し、発病したのは、まるで「もうこれで赦してほしい」という悲痛な叫びのほとばしりのようだ。 病が彼の逃避の場になったのだと思う。 レストランでピアノを弾くデヴィッドに、父が会いにくる場面が印象的だ。父は驚くデヴィッドに、「大切に貯めた金で買ったバイオ リンを、私の父はどうしたと思う」と聞く。デヴィッドは父に背を向けて「知らない」と答える。 知らないはずはない、これまで何百回、何千回となく聞かされた話だ。デヴィッドは質問に答えた後で、必ず「僕は幸運な息子だ」と言わなければならなかった。呪文のように繰り返し刻印される、父の過った愛の証明がこのバイオリンの物語なのだ。 しかし、この夜、デヴィッドは初めて父に「ノー」と言う。“良き息子” の役を降りたのだ。父の衝撃、デヴィッドの心の慄きが、痛いほどに伝わってくる。
レストランでデヴィッドが “熊ん蜂の飛行” を弾きだした時の、店内の驚きに満ちたざわめき。それを心地よく全身に感じながら、 自分のために演奏するデヴィッド。 タバコを咥え、舐めるようにピアノに身を乗り出し、指はめまぐるしく鍵盤の上を走る。難解とされるラフマニノフを王立音楽学院で演奏するシーンの神がかった激しさと、なんと対照的なことか。彼が心身ともに解放されて、初めて心ゆくまで音楽を楽しんでいるのが分かる。 このあと、彼は年の離れた星占い師ギリアン(リン・レッドグレイヴ)と出会い、結婚し、彼女の母性に包まれてピアニストとして 再生していくのだ。 息子を愛しながらも赦すことの出来ない父の苦悩を余すことなく演じたアーミン・ミューラー=スタール、自らの奇行に 無邪気なほど無自覚な少年時代のデヴィッドに扮したノア・テイラー、それぞれに素晴らしく、なかでも無垢な魂を感じさせるジェフリー・ラッシュの迫真の演技に深い感動を覚えた。 【◎○△×】9 |