| 【 映画雑感 】No.174 |
|
ストーリー 50年代のアメリカを席捲した “マッカーシズム”(赤狩り)に真っ向から対決した人気ニュース番組のキャスター、エド・マローと スタッフたちの6ヶ月間にわたる闘いを描いている。ハリウッドの人気スター、ジョージ・クルーニーの監督第2作。 1953年、米ソ冷戦下、共産主義の脅威から国を守るという名目で、マッカーシー上院議員が主導する共産主義者の追放、いわ ゆる “赤狩り” 旋風が全国を吹き荒れていた。 三大ネットワークの1つ、CBSの人気キャスター、エド・マロー(デヴィッド・ストラザーン)は、ある日、地方新聞の小さな記事 に目を留める。マイロ・ラドゥヴィッチという空軍兵士が、父親と姉が共産党員かもしれないという嫌疑のために、除隊処分されようと しているというのだ。 マローは、ラジオ時代からコンビを組むプロデューサー、フレッド・フレンドリー(ジョージ・クルーニー)らと、この問題がはらむ 権力の横暴を取り上げようと決意する。 マッカーシーへの対決姿勢を打ち出すことに決めた時、スタッフが集まって会議を開く場面がある。その席で「問題のある過去が持つ 者は名乗り出てほしい」というフレンドリーの言葉に、1人のスタッフが手を上げる。別れた妻が結婚前、共産党の集会に参加した ことがある、というのだ。
「まだ冷戦は始まっていなかったが、敵は必ずそこを突いてくる」、迷惑をかけてはいけないから自分は降りるという。だれも
引き止めない。その危険性を十分承知しているからだ。“赤狩り旋風” がいかに激しく恐ろしいものだったがよく分かる。名匠エリア・カザンすら、自らにかけられた共産主義者の嫌疑をはらすために、非米活動委員会の公聴会で10人近い映画・演劇人の 名を容共者として上げたのだ。 これは彼の生涯の汚点となり、1998年にアカデミー名誉賞を受賞した時は会場から拍手と同時にブーイングが起きた。 ハンフリー・ボガード、ローレン・バコール夫妻は敢然として証言を拒否したが、共産主義者の烙印を押されてハリウッドを追われた 映画人は多い。アーサー・ミラーの戯曲「坩堝(るつぼ)」は、17世紀アメリカのセーレムでじっさいに起きた魔女狩りを題材に、この “赤狩り” を激烈に批判したものだ。(ダニエル・デイ=ルイス主演『クルーシブル』(96)として映画化されている。) 当初マッカーシー議員の支持率は50%を超えたという。一旦集団ヒステリーが起きてしまえば、本心では「おかしい」と思っても、 表立ってはだれも口にしない。自らが抹殺される恐怖に圧され
て、言論は封殺される。本作は、そんな風潮のなかで、1人の勇気あるジャーナリストと彼を支える人々が、いかにして民衆の中に息を潜めていた反マッカー シズムを引き出し、メジャーな流れとしたかをリアルに再現してみせる。 モノクロの映像が、抑制の効いた演出とあいまってドキュメンタリーのような効果を生み、黒人歌手が歌うジャズは50年代の空気を横溢させる。 さらに、本物のフィルムを使っているというマッカーシー本人、マローが目を留めた新聞記事の当事者、マイロ・ラドゥ ヴィッチ、共産主義のスパイと疑われ、公聴会に喚問された国防省勤務の黒人女性の映像は、映画に迫真の凄みを加える。 印象的なのは、マローらのジャーナリストとしての沈着な戦略だ。ラドゥヴィッチの事件を取り上げ、「国家の安全と同時に個人の 権利も守られるべきだ」という正論を述べるだけでなく、冷静にマッカーシーの反論を待つ。マッカーシーは感情的にマローをコミュニ ストだと非難し、自己弁護する。こうして徐々に彼の本体が暴露されていく。 画面に映る彼の粗野な下品さは一驚に値する。俳優の演技でなくて、当の本人なのだ。人間の品性がこれほどあからさまに表れるのを 見たことがない。マローは「マッカーシー本人に語らせよ
う」と言う。映像が持つ力を熟知したマローらしい言葉だ。6ヶ月にわたる闘いの後、マッカッシーは失脚し、対決はマローの勝利に終わるが、彼も無傷ではいられない。彼を支持したキャス ターは自殺に追い込まれ、マロー自身も局を追われるのだ。 しかし、ジャーナリストとしての正義と良心を示した彼の姿は、マスメディアに権力批判の目が失われつつある今の時代、大きな警鐘 となっているのを実感する。 マローに扮したデヴィッド・ストラザーンのシャープな魅力に痺れた。切れの良い早口、知性的な面差し、落ち着いた物腰。揺るぎ ない信念を感じさせる風貌は、まさにはまり役。父がニュース・キャスターだったというクルーニーの演出は力強く、マローへの尊敬が 全編にみなぎる見応え十分の映画となった。 【◎○△×】7 |