| 【 映画雑感 】No.168 |
ストーリー
アニー・プルーの同名短編をもとに、2人のカウボーイの20年にわたる秘められた愛を、雄大なワイオミングのブロークバック・
マウンテンを背景に綴っている。ヴェネチア国際映画祭で金獅子賞、アカデミー監督賞を受賞。1963年、ワイオミング州ブロークバック・マウンテン。ともに20歳の青年、イニス(ヒース・レジャー)とジャック(ジェイク ・ギレンホール)は羊の放牧管理をする季節労働者として雇われる。 山でキャンプをしながら一夏を過ごすうちに、2人は友情を超えた感情を抱くようなり、心身ともに強い絆で結ばれる。 山を下りた2人はそれぞれに結婚し、子どもも生まれるが、4年後、ジャックがイニスに会いに来たことで2人の関係は復活する。 “男同士の愛” といえば同性愛の物語と思われがちだが、映画を見て、それは違っていると思った。同性であるとか異性であるとかは 関係ない。人が人に惹かれる想いを描いた、これはきわめて普遍的な愛の物語だった。 それほど際立った事件が起きるわけでもなく、物語はワイオミングの平原のようにゆったりとなだらかに進む。しかし、映画館を出て 時間が経つほどにじわじわとボディブロウが効いて来る。深く心を揺さぶられている自分に気づく。 冒頭30分ほどの繊細なストーリーテリングに引かれる。
牧場主ジョー・アギーレ(ランディ・クエイド)の事務所で初めて顔を合わせた2人。ちょっと気弱そうにうつむくイニス、そんな 彼を横目でちらちら見ながら、サイドミラーでもみ上げを剃るジャック。これだけで2人が運命的な出会いをしたことが感覚的に 分かる。 何百頭という羊を狼から守るために雇われた2人は、一夏をブロークバックの山で過ごす。夜になるとジャックは2時間かけて放牧地 から降りてくる。キャンプではイニスが食事を作って待っている。朝になると、ジャックはまた放牧地に向かい、イニスは食糧補給に山 を下る。 ワイオミングの自然は雄大で、渡る風は美しい。けれど、日中、2人がそれぞれの場で過ごす時間を支配しているのは、恐ろしいほど の “孤独” だ。夜だけが、1人ではない時間。キャンプの炎を見つめながら語り合う2人が、次第に心を溶け合わせていくのは、自然 なことに思える。 季節が終わり、山を下りた2人は、何事もなかったように別れるのだが、ジャックが立ち去ると、イニスはよろめくように物陰にしゃがみ込み、 激しく嗚咽する。彼の想いの深さに、胸が衝かれる思いがする。 日本が母性原理の社会と云われるのに対し、欧米は伝統的に父性原理が強い。男は、父親は、強く、逞しく、威厳ある存在でなければ ならない。新大陸に移住し、西部を開拓して国土を広げてきたアメリカでは、この “男性のパワー信仰” がことのほか強い。男同士の 愛についても、日本で想像する以上に不寛容だ。 それはイニスが体験した幼い頃のエピソードにも表われている。イニスの父は、同性愛者をなぶり殺しにし、その死体を息子たちに 見せつける。こうして、同性愛者への憎悪、軽蔑、そして “男ら
しくない” ことが受ける刑罰がどんなものかを教え込もうとする。4年後に再会してからのイニスは、「いつもだれかに見られている気がする」「だれかに非難されている気がする」という。それは 多分、亡くなった父の目だろう。彼がどれほどその目に怯えたか想像にかたくない。彼は妻と離婚したあとも、一緒に暮らそうという ジャックの誘いを受け入れることが出来ないのだ。 ジャックの死は突然やって来る。 イニスが彼の実家を訪れ、部屋を見せてもらう場面の痛切さは、なんと言い表したらいいだろう。クローゼットにあったのは、20年前、ブロークバックで出会った時にイニスが着ていたシャツだった。 彼自身とうに忘れてしまっていたそのシャツを、そっと包むように上から重ねられていたジャックの青いデニムのシャツ。 両親の許可を得て持って帰ったこれらの品を、イニスはブロークバックの写真の前にぶら下げる、今度は自分のシャツでジャックの 青いシャツを包んで。2人はもう離れることはない。静かな慰めが最後にそっと訪れる。 【◎○△×】8 |