| 【 映画雑感 】No.146 |
|
ストーリー 一つの交通事故をきっかけに4人の男女の人生が交錯し、思いがけない方向へ変転していく様を綴って、デンマーク本国で大ヒットした ラブ・ストーリー。 大学で地理を研究するヨアヒム(ニコライ・リー・カース)と、町のレストランでコックをしているセシリ(ソニア・リクター)は、 結婚を間近にひかえた恋人同士だ。しかし2人の幸せは、ヨアヒムが交通事故に見舞われたことで断ち切られる。一命は取り留めたもの の、ヨアヒムは頚椎を損傷して、首から下が完全に麻痺してしまったのだ。 事故以来、絶望したヨアヒムは心を閉ざし、セシリを拒否するようになる。 車を運転していたのは、ヨアヒムが担ぎ込まれた病院の医師ニルス(マッツ・ミケルセン)の妻マリー(パプリカ・スティーン) だった。ニルスは動転する妻に代わって、打ちひしがれたセシリを励ますのだが・・・。 この映画を交通事故の被害者と加害者の物語とすると、よりによって事故を起したその日に、加害者が娘の誕生パーティを開いたり、一度も被害者を見舞わなかったり、腑に落ちないところがいくつかある。思うに本作のテーマは被害者・加害者の関係そのものではなく、偶然の 出来事から変化していく4人の男女のありようなのだろう。 そう考えると、この映画はなかなかよく出来ている。登場人物たちの心理が丁寧に辿られて、共感するところが大きいのだ。 私にはセシリと不倫の恋に落ちる医師ニルスと、その妻マリーの関係が興味深かった。ニルスはとても素敵な男性だ。ハンサムで、 誠実で、年上の妻(のように見える)と3人の子どもを心から愛している。にもかかわらず、エアポケットに落ち込んだように、若い 女に恋してしまう。 演じているマッツ・ミケルセンの個性もあるのだろうが、彼の恋情には清潔感があり、「人間、生きてる間にはこういうこともある よねぇ」という気持ちになる。妻に白状しなければならなくなった時の、間の悪い表情がなんとも言えない。巧い俳優だなぁと思う。 しばらく夫婦の営みがないことをマリーに指摘されて、初めてニルスが気づく場面がある。結婚して長く穏やかに暮らしてきた夫婦は、 得てして得てしてこんなものじゃなかろうか。まさに “空気のような存在” だ。しかしこうした関係は、同時に小さな危うさを 孕んでいる。さり気ないが夫婦の機微を巧みにすくい取ったシーンだと思う。 家族から離れて1人暮らしを始めたニルスは、長男の誕生日にプレゼントを抱えて家にやって来る。マリーはケーキを作りながら、 夫と子どもたちのやり取りを見つめる。マリーの頬に生クリームが付いている。それに気づいたニルスがつと手を延ばして拭う。夫婦が ともに過ごした年輪がふいに現れる。愛がなくなったわけではないのだ。それだけに、もう以前の2人ではないという切なさがどっと寄せてくる。 妻マリーを演じるパプリカ・スティーンが、美人ではないけれど、落ち着いた色香を漂わせてチャーミングだ。
若いカップルでは、事故で四肢不随になり、絶望からすべてに心を閉ざしてしまうヨアヒムと、担当の中年看護婦の関係に引かれる。 セシリがどれだけ「愛してる」といっても、2人に未来がない以上、何の意味もない。絶望が深まるだけだ。彼女が毎日見舞いにくる ことさえ負担になる。 ヨアヒムは看護婦へ悪態・罵倒の限りを尽くす。それしか気持ちのはけ口がないのだ。看護婦はそんなヨアヒムをそのまま受け入れる。 亡くなった息子の面影を彼に重ねているからだが、同時に、彼に男としての魅力を認めているフシもある。2人の間には性愛的な匂い さえ漂う。慰めや励ましではなく、そうした看護婦のありようがヨアヒムを癒していく。 ニルスとマリーの娘スティーネ(スティーネ・ビェルレガード)が面白い存在だ。マリーは夫の最近の様子にいささか不審を感じても、 「まさか」と思う人の好さがある。しかし、娘のスティーネは敏感だ。父親を異性として見つめ始めるこの年頃は、父親の “男” としての微妙な変化にさとい。 彼女は “トリック・スター” なのだと思う。トリック・スターは混乱や破壊を持ち込むが、同時に変革をももたらす。ニルスたち 4人は、最後はそれぞれ別の人生を歩み出す。しかし、今までとは違う新しい関係が4人を結びつけそうな予感もある。スティーネは 偽りの平和を壊したけれど、大人たちの内面の成長を促したとも言える。 セシリについてとくに触れなかったのは、彼女を演じたソニア・リクターに魅力を感じなかったからだ。綺麗だが表情に奥行きがなく、感情 表現が浅い。ヨアヒムとニルスの間で揺れる重要な役どころだけに残念な気がする。 【◎○△×】7 |