| 【 映画雑感 】No.142 |
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ストーリー 巨匠ワイラーが『西部の男』(40)以来18年ぶりに手がけた詩情豊かな西部劇。東部からやって来た男と土地の牧童頭らが西部の 大地を舞台に抗争を繰り広げる。 1870年代のテキサス州サンラファエル。有力牧場主テリル少佐(チャールス・ビックフォード)の娘パット(キャロル・ベイカー) と結婚するために、東部からジェームズ・マッケイ(グレゴリー・ペック)がやって来る。出迎えた牧童頭のスティーヴ(チャールトン・ ヘストン)は密かにパットのことを思っており、ジェームズに敵意を示す。 スティーヴを先に帰して、牧場に向かう途中、ジェームズとパットは酒に酔ったヘネシー(バール・アイヴス)一家の息子たちから いたずらを仕掛けられる。テリル少佐は、パットの親友で女性教師ジュリー(ジーン・シモンズ)が持つ水源地を巡り、ヘネシー一家と 対立していたのだ。 西部にやって来る東部男は大抵、いいとこ育ちのおぼっちゃんと相場が決まっているが、グレゴリー・ペックが扮するジェームズは 船乗りだ。西部に劣らず荒くれの世界で生きて来た男なのだ。一見、知的で穏やかだけど、肝は据わっている。グレゴリー・ペックは、 そういう大人の男の幅の広さを自然に出せる俳優だ。 婚約者のパットと、彼女の父親・テリル少佐の牧場に向かう途中でヘネシー兄弟に手荒い悪ふざけをされても、あんまり怒りもしない。西部はこんな所なのかと面白がっているようにも見えるし、冷静に観察しているようにも見える。しかし、パットはそんなジェームズを臆病者と思って しまう。 挑発されたら即座に問答無用でやり返す、力がすべて、それが西部ということなのだろう。ところがジェームズは、わざわざ他人に 出来るところを見せる必要はない、自分が分かっていればいいことだ、という。この辺り、彼の都会風の衒(てら) いといえなくはないが、こうしてのっけから西部と東部の違いが描かれる。
本作は主に、水源地を巡る2つの家の対立が描かれるが、私はむしろ、この西部と東部の違いに興味を引かれた。ジェームズは広大な牧場の視察にコンパスや地図を持って出かける。船乗りの経験が自然に出ている。しかし大佐は、1人では迷うはず、と決め込んで牧童たちに大捜索させる。ジェームズの思考・行動は、大佐たちには理解しがたい。 ジェームズは出発の時、下働きのメキシコ人に言伝てを残す。しかし、西部での彼らの立場を理解していれば、自分で直接少佐や パットに言っただろう。ボタンの掛け違いのように、西部と東部のズレが重なっていく。この騒ぎがジェームズと大佐との確執、さらにパットとの間に溝のできる発端になる。 ジェームズが水源地を所有主のジュリーから購入する時も、同じことが起きる。結婚プレゼントとして買ったといわれれば、パットでなくても 水は父親の少佐の牧場のものになると思う。西部は一族郎党、力を合わせないと大牧場はやっていけない。東部からわざわざやって来た のだからジェームズも当然そのつもりだと、少佐は思っている。入り婿を取った気持ちなのだ。 ところがジェームズは、結婚はあくまで自分たち2人の問題、独立した自分たちの家庭を作るのだと考えている。水も少佐に左右 されず、だれにでも分けるという考え。こんなズレがどんどん重なって結局ジェームズとパットの関係は破綻してしまう。
テリル家のパーティで、参会者が「西部は広大だ」と自慢すると、ジェームズが「海はもっと広い」とやり返して、男がむっとする
場面がある。「大いなる西部」(原題 “Big Country”)というタイトルとは裏腹に、ちょっと皮肉な視線を西部に投げ
かけている感じが面白い。登場人物では、一見粗野でガサツだけれど、紳士のマナーに憧憬を抱き、正々堂々と生きろと息子バックに説くヘネシー一家の長、ルーファスが魅力的だ。 卑怯な振る舞いをしたバックを我が手で撃ち殺し、倒れこんで来た彼の頭を抱きしめる場面は本作で一番の泣かせどころだろう。ルーファスに扮したバール・アイヴスは、主役のペックを食う存在感だ。出来損ないの長男バックを演じたチャック・コナーズも印象に残る。 チャールトン・ヘストンが演じる牧童頭スティーヴは、本来は屈折した複雑な性格の持ち主だと思うのだが、ヘストンの大味な個性では 彼の陰影は出し切れなかった気がする。ヘストンはやはり、心理的なものは余り必要のないスペクタクル史劇が似合う俳優だと思う。女優では、ジュリーを演じるジーン・シモンズの魅力が光っている。 【◎○△×】7 |