| 【 映画雑感 】No.131 |
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ストーリー ネパールの山岳地帯では、人々はヤク(牛に似た動物)に荷物を乗せた隊商(キャラバン)を組み、遠く離れた農村地帯まで交易の 旅に出る。ある日、キャラバンが取引を終えて村に帰ってきた。しかし、長老ティンレ(ツェリン・ロンドゥップ)の息子は事故で命を 落とし、遺体となっての帰還だった。 次のキャラバンの隊長は衆目の一致するところ、有能な若者カルマ(グルゴン・キャップ)だが、息子の事故はカルマが仕組んだ と決めつけるティンレは、孫のツェリン(カルマ・ワンギャル)こそ後継者だと主張する。 しかし10歳のツェリンはリーダーには幼すぎる。ティンレは次男で出家しているノルブ(カルマ・デンジン・ニマ・ラマ)を還俗 させようとするが、山の知識のないノルブは首を縦に振らない。結局、カルマとティンレは対立したまま、別々のキャラバンを率いて 出発する。そして一行の前に猛烈な嵐が襲いかかる・・・。 監督・脚本は『セブン・イヤーズ・チベット』のユニット・ディレクターを務めたエリック・ヴェリ、惜しくも受賞は逸したが、 アカデミー外国語映画賞にノミネートされた。 ネパールの山岳地帯のドルポ村は、畑が狭くて、そこで収穫する麦だけでは冬が越せない。彼らは秋の刈り入れを前にキャラバンを 仕立てて北方のチベットから岩塩を仕入れ、それを低地の農村まで運んで麦と交換する。こうした暮らしを先祖代々ずっと続けてきた。 映画の冒頭で、遥かな土埃の中からヤクの大群が姿を現わし、丘陵を降りてくるシーンの雄大さに、まず目を奪われる。岩塩を仕入れた キャラバンがもどってきたのだ。 しかし、リーダーのラクパの姿はない。サブ・リーダーのカルマの話では、ラクパは近道を取ろうとして遭難してしまったという。 長老のティンレは、息子がそんな失敗をするはずがない、カルマが仕組んだ事故に違いない、と言い張る。 カルマがそういう人間でないことは映画を見ているとすぐ分かるので、これだけで、ティンレがいかに頑固で強情っぱりかが分かる ようになっている。 岩塩はすぐに低地に運ばなければならず、キャラバンの指揮を取るのは人望の厚いカルマしかいないのだけれど、ティンレは納得 しない。孫のツェリンに跡を継がせる、幼すぎてダメだというなら自分が後見人としてキャラバンを率いると言う。 ティンレはキャラバンの出発日をしきたり通り占いで決めるが、カルマは嵐の季節が近づいている、1日でも早いほうがよいといって、 彼に賛同する若者グループを率いてすぐ出発してしまう。 ティンレは一度言い出したら絶対あとに引かない。長年村を仕切って来ただけあって、雄弁で、村人が束になっても敵わない迫力が ある。老人グループは、合理的なカルマの言い分をなるほどと思いながらも、結局ティンレに従うのは、彼のリーダーとしての強さに 理屈を超えた信頼を持っているからなのだろう。彼の頑固さは通り一遍でないが、とても魅力がある。 占いとおり4日遅れて出発した老人グループは、先に出発した若者グループに追いつこうとする。どう考えたって無理だ。日にち の遅れがある上に、老人と若者の体力差がある。
そこでティンレは湖畔の “地獄道” を通ることにする。このシーンがすごい迫力だ。切り立った崖につけられ細い桟道を、重い
岩塩を背負ったヤクを連れて、一列になって進んでいく。眼下に広がる青い湖水。石がバラバラと崩れ落ち、即席の渡し板がみしみし
音を立てる。ヤク一頭の損失で一行は無事通過するのだが、ここが映画の一番のハイライト・シーンだろう。 この近道で、老人グループは先行する若者グループに追いつき合流する。再会を喜ぶ間もなく、ティンレは「嵐が近づいている」と すぐの出発を主張する。空は晴れて、そんな気配は見えない。カルマは「みんな疲れている、もう1日休ませたい」という。今度はティンレが先に出発する。 峠にかかってすぐ天候が急変、老人の長年の経験が的中する。ここに至って、老人グループと若者グループは、経験と合理性のどちらも大切であることを、それぞれに認め合い和解する。そしてティンレはようやくカルマをリーダーと認め、長老の権限を委譲する。 疲労のあまり倒れたティンレは、息を引き取る間際に、「自分がいつも占い通りにやってきたと思うのか」という。まったく喰えない 爺さんだが、これがリーダーの哲学なのだ。若いカルマには見事な遺訓となったのではなかろうか。 父に説得され、僧院からもどってキャラバンに加わったティンレの次男ノルブと、甥のツェリンの交流や、ラクパの妻ペマ(ラプカ・ ツァムチョエ)とカルマとの控えめ恋も加わったロード・ムービー。 話はシンプルだが、厳しい大自然を背景としているだけに、ここで描かれる新旧の対立と和解、家族の絆は、くっきりと印象深い。 【◎○△×】8 |