| 【 映画雑感 】No.99 |
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ストーリー 1919年、テサロニキの湖岸にたどり着いた一群の人々がいる。スピロス(ヴァシリス・コロヴォス)に率いられたギリシャ難民で、 彼らはロシア革命の勃発で、オデッサから逃れて来たのだった。その中には革命で両親を失い、孤児となったエレニもいた。 10年後、少女エレニはスピロスの息子アレクシスとの間に双子を生むが、スピロスの妻ダナエの配慮で、内緒で里子に出される。 やがてダナエが亡くなると、スピロスは美しく成長したエレニ(アレクサンドラ・アイディニ)を強引に後妻に迎えようとする。 結婚式の日、エレニとアレクシス(ニコス・プルサニディス)は村を出奔し、バイオリン弾きのニコス(ヨルゴス・アルメニス)を 頼ってテサロニキにいく。アコーディオンの名手のアレクシスは、ニコスとともに楽士として働き出すが、2人の暮らしは絶えず スピロスの影におびやかされ、落ち着かなかった。 『旅芸人の記録』『永遠と一日』のギリシャの巨匠テオ・アンゲロプロス監督が20世紀を描く3部作の第1部。20世紀初頭から 第二次世界大戦の終わりまで、ギリシャの激動の歴史を、運命に翻弄される女性、エレニの姿を通して描いている。 『旅芸人の記録』(75)では編年的にギリシャのその時々の様相があるていど具体的な映像で描かれていたし、『シテール島への 船出』(83)では亡命していた革命の闘士が帰郷した今の時点に話が絞られていたので、ギリシャの政治・社会状況をよく知らなくても ストーリーにはついていけたが、本作はその点では少々分かりづらい。 たとえばギリシャ人なら、「22年の難民騒ぎ」とか「ゼネスト万歳」「組合幹部が根こそぎ逮捕された」というようなセリフ1つで、 「あ、あの時のことだ」と、ピンと来るのだろうけれど。 しかし、それでも私はこの映画にとても惹かれた。それは圧倒的な映像の美しさによる。 冒頭、テサロニキ湖岸の荒れた野原に現れる黒づくめの一群の人々。ロシア革命の勃発により、オデッサから逃げてきたギリシャ難民たちだ。彼らを俯瞰したショットの荘厳とも 言える静けさにまず心を奪われる。
村の指導者だったスピロスの棺を筏で運ぶ葬送の場面、湖底に水没していく集落の様子、絶えず白い洗濯物がはためく “白布の丘” (ここで革命派だったニコスが撃たれて死ぬのだ。楽士たちが干したシーツの陰から次々に現われるさまも、不思議な印象だった)、 エレニたちが住んでいた家の横の木に吊り下げられた羊たち・・・。映像の1つ1つに力が漲り、圧倒されずにおれない。 『シテール島への船出』でも “水”(海)が効果的な使われかたをしていたが、本作でも、湖、河、海、と主人公エレニの かたわらにはいつも “水” がある。あてどない放浪を続けるエレニを象徴するかのように、水はいつも動き、漂い、浮遊する。 3歳の時、難民に拾われた孤児のエレニは今、第二次世界大戦で夫を、戦後の内戦で2人の息子を失い、再び天涯孤独の “孤児” に もどった。河辺で泣いていた幼女のエレニが、今は息子たちの遺骸を、1人は河のほとりで、もう1人は湖水に沈んだ村の浮き小屋で 発見する。エレニはいつも “水” とともにあった。
中高生の頃、世界史を習っていて、なぜギリシャ文明を “ヘレニズム文化” というのだろうと思ったことがある。今になって 知ったが、 “ヘレン” とはギリシャの別称なのだそうだ。 うち続く動乱のなかで難民として放浪せざるを得ない哀しみ、自分の居場所はどこなのか、ギリシャ民族としての自己はどこにある のかーーエレニ(=ヘレン)に投影されたギリシャの悲劇が、彼女の慟哭のような呟きからほとばしる。ギリシャの歴史的な背景はよく 分からないが、それでもエレニの哀しみに胸を打たれないではいられない。 私が30数年前に訪れたギリシャは輝く陽光、家々の白い壁、狭い路地に射す濃い影が鮮烈だった。しかし曇天が好きだという アンゲロプロス監督の描くギリシャの空は、いつも沈んだように暗い。きっとこれがアンゲロプロス監督にとってのギリシャなのだろう と思った。 【◎○△×】8 |