| 【 映画雑感 】No.92 |
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ストーリー カトリーヌ(ファニー・アルダン)は信頼していた夫ベルナール(ジェラール・ドパルデュー)の浮気を知りショックを受ける。 セックスレスであることをなんとも思わなくなっていたカトリーヌだが、自分の知らなかった夫の性的な側面を知るために、会員制 バーの娼婦マルレーヌ(エマニュエル・ベアール)に夫を誘惑し、事の一部始終を報告するよう依頼する。 ナタリーという偽名でベルナールに接近したマルレーヌは、ベルナールとの情事を赤裸々に語り、その報告は日々エスカレートして いく。嫉妬と情欲がないまぜとなり、カトリーヌは激しく動揺する・・・。 夫婦は長い間に徐々に互いに空気のような存在になり、それをとくべつ不思議にも思わない。夫婦ってそんなものだ、とむしろたがい の絆の深さのようにすら感じている。けれど夫が浮気をし
ていたとしたらどうだろう。妻を愛していない分けではないが、今更セックスの対象として情熱を掻き立てる存在でもない、と思っているとしたら・・・。その上、 「(僕たち夫婦は)セックスレスだから、仕方ない」と開き直りとも取れるせりふを淡々と口にしたら・・・。妻の衝撃、やり切れなさ、その喪失感は だれにでも理解できる。 私がこの映画を面白いと思ったのは、その時主人公のカトリーヌが思い至るのが「夫はどんなセックスをするのか、どんなセックスが 好きなのか、自分が何も知らない」というところだ。これは立場を変えても同じことだろう。夫は長年連れ添った妻のセックスを多分 知らないし、今更知ろうと思っていないだろう。夫婦は大方そんなものだと互いに思っている。 ところがカトリーヌはなんと、娼婦に夫を誘惑させてその一部始終を報告させ、夫のセックスを知ろうとする。知ってどうするというんだ ろう、苦痛のほうが大きいんじゃないか、と私なんかは思ってしまう。実際、カトリーヌはマルレーヌの赤裸々な報告にたびたび 取り乱す。それでも、計画を止めようとしない。 監督のアンヌ・フォンテーヌは『ドライ・クリーニング』(97)で、美青年の出現で揺れる夫婦の関係を描き、その大胆なタッチに 驚いた記憶がある。
この映画では、夫が自分でも自覚していなかった同性愛的傾向に気づく印象的なプロセスがあったが、本作でもカトリーヌと
マルレーヌの間には、共犯的な関係のなかに同性愛的親密感が漂う。フォンテーヌ監督の演出には、男性監督とは趣きの異なる繊細さと
奔放さがあり、魅了される。夫ベルナールとの情事はすべてマルレーヌの言葉で語られ、映像では一切表現されない。それがかえって艶(なま)めかしく濃厚な空気をかもし出す。生々しい言葉を使いながらシラーッとした表情のマルレーヌ。カトリーヌの感情を計算しつくしたような開き直りがいっそ小気味よく、かつ怖い。 マルレーヌに扮したエマニュエル・ベアールが妖艶で美しい。彼女は唇が尖っていて本来はけっして美人といえる顔立ちではないが、 山猫のようなコケットを全身から発散させる人だ。その魅力が本作では濃厚に出ていて、さしものファニー・アルダンもちょっと旗色が 悪い。 ベルナールの日常が並行して描かれる。何事もないかのようなその顔、その仕草、その行
動・・・。じつに奇妙な感覚に襲われる。おそらくカトリーヌに感情移入し、彼女の気持ちになり切ってベルナールを見ているせいかもしれない。フォンテーヌ監督の罠に 嵌まりかかっているかも・・・、と頭の片隅で警鐘が鳴りつつも、彼の人間性すら疑わしく思えてくる。 最後のオチは人によっては物足りなさを感じるかもしれないが、そんな分けで私はとりあえずほっとした。 カトリーヌは夫のセックスを知ろうとした結果、これまで無関心だった自分のセックスを意識し始める。しかし、これでベルナール との関係が急に変わることはないだろう。年季の入った夫婦の関係ってよくも悪しくもそういうものだと思う。 一方、マルレーヌはこれまでの暮らしから足を洗い、美容師としての第一歩を踏み出すことが暗示される。カトリーヌの企みで一番 変化し、影響を受けたのは、小悪魔的なマルレーヌだった。これもまた人生の一側面、そんな気がした。 【◎○△×】7 |