| 【 映画雑感 】No.91 |
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ストーリー 15歳の少女と中国人青年の愛人関係を描く、マルグリット・デュラスの自伝的小説の映画化。 1929年、フランス領インドシナ(現在のヴェトナム)のメコン川を渡る船上で、寄宿舎のあるサイゴンに帰る途中の少女(ジェーン・ マーチ)は、32歳の中国人男性(レオン・カーフェイ)と知り合
う。華僑の資本家の息子である青年は、その日から毎日少女を
リムジンで学校まで送り迎えするようになる。ある日少女は誘われるままに、中国人街ショロン地区の仄暗い部屋に行き、青年に抱かれる。こうして2人の愛人関係が始まった。 少女には、田舎町サデックで小さな小学校を経営する母(フレデリック・マイニンガー)、アヘンに溺れる長兄ピエール(アルノー・ ジョヴァニネッティ)、おとなしい次兄ポーロ(メルヴィル・プボー)の3人の家族がいる。植民地での貧しい暮らしに家族の心は 荒んでいた。 激しい欲望に引きずられるように逢瀬を重ねた2人に、やがて別れの時が訪れる。青年は父の命令で中国人富豪の娘と結婚式をあげ、 少女は家族とともにフランスに帰国することになったのだ。 食い入るように心に残るシーンがいくつもある。メコン河を渡る船の手すりに寄りかかる少女の足もとがアップになる。細い足に 突っかけているのは、少女には不似合いな、貝殻が象嵌された派手なサンダル。でも履きつぶれてくたくたになっている。 ナレーションは、男物の帽子が少女が少女であることの証だと語るけれど、この蓮っ葉なサンダルもそうなのではないかと私は思う。 背伸びして、ほかとは違うと主張する青い性。そして、魅せられたように彼女を見つめる青年。
青年は、少女を寄宿舎に送る車の中で、窓外を眺めながら手だけそっと彼女の方に動かして行く。全神経が手に集中し、青年の脈打つような動悸が伝わってくる。そっと少女の手に指先が触れる。少女はじっとしている。やがて2人の手が絡み合う。少女の顔が 徐々に上気する。・・・どんなベッドシーンよりも濃厚なセックスの匂いが立ちのぼる。 青年の招待で少女の家族はレストランで食事する。満腹した母は、椅子に座ったままいぎたなく眠り込む。青年と娘の関係を母は 察知している。支配階級のフランス人として、母親は中国人の青年を蔑視しつつ、娘を通して与えられる金銭の援助にすがっている。 居眠りするその姿には、貧しく荒廃し疲れた母の心がむき出しにされ、ゾッとするほどだ。 長男ピエールは先に1人帰国することになり、家族が港で見送る。彼はアヘンに溺れて母の金をくすね、弟を虐待し、荒み きった生活をしている。彼を溺愛する母にももう手の施しようがない。 出港を待つ船上のピエールが、突然顔を歪め、手を奇妙にくねらせてふざける。降りしきる雨に打たれて、じっとそれを下から 見上げる母。別れるよりほかない母と息子。2人の切実な悲しみが胸に溢れてどうしようもない気持ちになる。
もっとも深い余韻を残すのは、いよいよ帰国することになった少女の乗った船を、青年がリムジンのなかから見送るシーンだ。公開時、
劇場で見た時は、車の中に青年の頭部がシルエットとなって見えたような気がしていた。しかし今回久しぶりに見たその場面は、遠く小さく、港にじっと停まって動かぬリムジンが映っていただけだった。青年のシルエットは、私の心が見たまぼろしだったのだ。 しかし私には、凍ったように身じろぎもせずに岸壁を離れていく船を 見つめる青年が、やはりたしかに見える。彼の心が血の涙を流して号泣しているさまも・・・。 少女は「18歳で私は年老いた」と言う。こんなに凄烈な言葉を私は知らない。たった15歳の少女が、ふつうは一生かかっても知る ことの出来ない性愛を体験した。それをこの言葉は余すことなく示している。青年を愛していない、と言い切った少女が、船の上で 流れてくるショパンのピアノ曲の旋律を聞いた時、初めて彼への愛を悟る。彼女が甲板の上で泣き崩れるシーンが今もありありと脳裏に 甦る。 船が行き来するメコンのセピアがかった映像が美しい。雄大な大河を背景に描かれたあまりに激しい愛の物語。本作に引かれて何度か ヴェトナムを訪れた私にとって、忘れられない映画だ。
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