HOME雑感LISTシネマTOP




【 映画雑感 】No.110

風と共に去りぬ


1939年  アメリカ  231分
監督 ヴィクター・フレミング
出演
ヴィヴィアン・リー、クラーク・ゲーブル、オリヴィア・デ・ハヴィランド
レスリー・ハワード、トーマス・ミッチェル、ハティー・マクダニエル

  ストーリー
 南北戦争前後のアトランタを舞台に、情熱の女性スカーレット・オハラの半生を描いた大河ドラマ。アカデミー作品賞を初め、主演 女優・助演女優・監督・脚色・撮影など8部門で受賞。
 日本では、第二次世界大戦の勃発で公開が見送られ、戦後7年たった52年に初めて劇場公開 された。
 原作者マーガレット・ミッチェルは生涯にこの1作だけしか発表していないが、映画の大ヒットで世界50カ国以上で翻訳され、大 ベストセラー小説となっている。
 1861年、南北戦争勃発前夜のジョージア州タラ。大地主の長女スカーレット(ヴィヴィアン・リー)は、幼なじみのアシュレー (レスリー・ハワード)がいとこのメラニー(オリヴィア・デ・ハヴィランド)と婚約したことで失恋の悲しみを味わっていた。そんな 彼女の前に、野性的で素行の評判のよくない男レット・バトラー(クラーク・ゲーブル)が現れる。
 スカーレットは失恋の面当てから、メラニーの兄チャールズの求婚を受け入れ結婚する。やがて戦争が始まり、アシュレーも チャールズも従軍するが、チャールズは戦死する。スカーレットは喪に服する暮らしがつまらなくて、アトランタの陸軍病院で奉仕 活動をするメラニーの元へ行き、レットと再会する。

  一口感想
 昔リバイバル上映を見た時に一番印象に残ったのは、「第一部」のラスト、大きな建物が爆発大炎上するシーンだった。大画面 いっぱいに赤と黄色の炎がメラメラと燃え上がり、熱さがじかに伝わってくるようだ。その前を、スカーレットやメラニーを乗せた 馬車とそれを曳くバトラーの姿がシルエットとなって横切っていく。
 その迫力に、アメリカ映画の底力をドスンと感じさせられたものだった。今回ほぼ40年ぶりに見て、このシーンの迫力は今見ても 少しも変わらないと思った。

 リバイバル上映当時、私は高校生だった。それから40数年が過ぎ、時の隔たりが出演者たち に対してもずいぶん違う印象となっている。そのことが 我ながら面白いと思った。
 ヴィヴィアン・リーは、オープニングのパーティ・シーンで10代の少女に扮しているのはちょっと苦しいな、というのが今回の率直な 感想。もっとキュートで愛らしい気がしていたが・・・。実年齢がこの当時20代後半だから、仕方ないかもしれない。
 アシュレーはいかにもおじさんぽくて、どうしてスカーレットがそんなに夢中になるのかぜんぜん理解出来なかった。今回こちらが 年を取ったせいか、扮するレスリー・ハワードは意外にノーブルで端正な顔立ちをしている。知的だけど線が細くて、アシュレーの イメージにはぴったりだ。
 メラニーは奥ゆかしいほんもの優しさを感じさせる女性だ。屋敷に侵入してきた北軍兵士をスカーレットが銃で撃った時、彼女は 部屋から棒を持って飛び出して来る。自分も加勢するつもりだったのか。地味で慎ましく、いざとなれば果敢で大胆。デ・ハヴィランド は昔はずいぶんおばさんっぽく見えたものだけど、今回はとても魅力的な女性に感じた。
 40年前も今回も印象が変わらなかったのは、クラーク・ゲーブルのレット・バトラーだ。男前でユーモアがあって、包容力、世間知、 スカーレットへの純愛、時と場合によっては突き放す強さ、おま けにセクシー、と申し分ない。こんないい男を取り逃がして、スカーレットはなんて勿体ないことをしたんだろう。

 スカーレットは “真紅” を示すその名のごとく激しい気性、ということになっているが、私の見方はちょっと違う。単に、自分 中心でわがままな女性。でも憎めない愛らしさを持っている。
 ちょうど5,6歳からせいぜい10歳くらいの子ども、と思うとぴったり なのではなかろうか。この年頃の子どもの自己愛や万能感がスカーレットそのままなのだ。
 欲しいものはどんなことをしても手に入れずにはいられない。彼女がアシュレーに執着したのは、彼だけはどんなにせがんでも、ごり 押ししても、手に入らなかったからだと思う。
 アシュレーの婉曲な拒絶は、スカーレットを傷つけない配慮からなのだが、彼女にはそれが分らない。自分に都合のいいように解釈 して、相手の気持ちにまで思いが至らないところにも、スカーレットの幼児性が表われている。

 アシュレーは自分の弱さを知っているから、成熟した女性のメラニーを求めたのだろう。スカーレットの天真爛漫さを眩しく思い、 心が揺れることがあっても、結局彼女への愛は妹に近い感情だったのではなかろうか。伴侶として見たことはなかったんじゃないかと 思う。
 一方、バトラーはそういうスカーレットの幼児性そのものを面白がり、愛している。彼女が自分の 手のひらでコロコロ遊んでいる限りは、笑って受け入れる。
 その彼ですら、スカーレットに大人の愛を求め始めた時、彼女の自己中心に耐えられなくなって去っていく。バトラーを失って、やっとスカーレットは大人の女性への道を歩み始めるのだなぁ、と思う。

 しかし、彼女の自己愛や万能感は、生き生きした生命力の源でもある。ほんとに呆れるほどに、めげない。タラの大地と一体化し、 そこに根を張った強さだ。辟易させられつつも、それがスカーレットの魅力なのだと、あらためて思う。
 なお、「明日は明日の風が吹く」という有名なセリフは、今回のテレビ放映では「明日のことは明日考えよう」になっていた。私はこっちのほうが スカーレットの健気さが感じられて好き。
  【◎△×】8

▲「上に戻る」