| 【 映画雑感 】No.83 |
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ストーリー ラティフ(ホセイン・アベディニ)は、テヘランの建設現場でお茶くみや買出しなどの下働きをしている17歳のイラン人少年だ。ある日、現場で転落事故が起こり、アフガン難民のナジャフ(ゴラムアリ・バクシ)が骨折してしまう。彼の友人ソルタン (アッバス・ラヒミ)が、代わりに彼の息子のラーマト(ザーラ・バーラミ)を連れてくる。 ひ弱そうなラーマトに力仕事は勤まらず、親方(モハマド・アルミ・ナジ)はラティフの仕事と交替させるが、楽な仕事を奪われた ラティフは面白くない。いろいろ意地悪をするが、ある時偶然に、ラーマトが少女であることを知ってしまう。 『運動靴と赤い金魚』のマジッド・マジディ監督が、アフガン難民の問題を背景に、アフガンの少女に寄せるイラン人少年の想いを 詩情豊かに描いている。モントリオール映画祭でグランプリを受賞した。 初恋の瑞々しさを感じさせられる映画だ。ラティフは見かけは17歳とも思えぬいかつさだけれど、ラーマトを「少年」と思っている 間はまるで子どものような意地悪を繰り返す。自分の楽な仕事を彼女に取られてしまったからという理由で。相手は自分より年下で、 しかも非力な「少年」なんだから、年長らしいいたわりを持ってもよいのに、と思いたくなるような調子だ。 ところが、控え室のカーテンの隙間から、長い髪を梳かしているラーマトを垣間見て、じつは少女と分ってからは、もうおかしい くらいにボーっとなってしまう。
それからというもの、埃まみれになるのは分っているのに、仕事場に赤い一張羅のシャツは着てくるは、なにかといえば彼女を
庇い立てるは、あんまり見え透いて滑稽なほど。だけど本人は大真面目、ひたすらなのだ。こういう純情さって、失くし物を不意に見つけたような、遠い懐かしい気持ちにさせられる。 アフガン難民だと役所にばれて、ラーマトは工事現場に姿を現わさなくなる。ラティフは彼女の次の仕事場にこっそり様子を見に行く。 それは川底から大きな石を抱え上げ、岸に運ぶ仕事だった。 大勢の女たちが冷たい水に腰までつかり、流れに足を取られながら重い石を抱え、何度も岸の間を往復する。胸を衝かれたように、 ラティフが俯いて涙を流すシーンで、私も、また胸が衝かれる思いになった。こんな苛酷な労働に女性たちが黙々と従事している。 これでも仕事がないよりマシなのだろうか。これがイランの現実なのだろうか。 それからは、ラティフは嘘をついて給料を前借したり、大切な身分証明書を売ったりしてお金を作っては、ラーマトの家に届ける。でも、 自分からだなんてことは一言も言わない。もちろん、ラー
マトと直接言葉も交わさない。そして、ラーマトの一家がアフガンに帰ることを知ると、ショックを隠して早朝から荷物の運び出しを手伝いに来る。泥でぬかるんだ 道を、一家を乗せたトラックが遠のいていく。じっと立ち尽くすラティフ。 トラックの荷台からじっとラティフを見つめていたラーマトは、急にベールで顔を隠してしまう。お礼の一言も口に出さなかった けれど、彼女はラティフの気持ちを知っていたのだと思う。回教の国アフガンの少女ラーマトは、感謝の気持ちすらベールで隠さない ではいられなかったのだろう。 ラーマトの本名バランは、ペルシャ語で “雨” を意味するのだそうだ。別れの朝、ラティフに降り注いだ雨のように、なんて切なく、そして優しい響きの名前だろう。ユーモラスな色合いで始まった物語が、いつか無償の愛を綴ったナイーブなラブ・ストーリーに純化しているのを感じる。 建設現場の親方メマルがとても印象に残る。お金のやり繰りに頭を痛め、雇い人たちを口うるさくガーガー怒鳴ってばかりいるけれど、 本当はとても情の濃い人だ。 難民のアフガン人を役所に内緒で雇用し、国を離れて大変な思いをしているのだから、と給料もまずアフガン人から支払う。イランは 私にとってはまが遠い国だけれど、こういう人を見ていると、どの国も人情は変わらない、と思う。 【◎○△×】7 |