| 【 映画雑感 】No.81 |
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ストーリー 19世紀の半ば、アメリカで実際に起った奴隷船反乱事件をもとに、自由を勝ち取るために戦った黒人奴隷たち、彼らを救うべく 奔走した若き弁護士や、解放奴隷、元アメリカ大統領ジョン・クインシー・アダムズらの姿を描いたヒューマン・ドラマ。 1839年、青年シンケ(ジャイモン・フンスゥ)はアフリカで奴隷として拉致され、スペイン人に買われた53人の仲間とともに 奴隷船 “アミスタッド号” に乗せられる。 船員たちによる暴力にさらされた彼らは、自由を求め反乱を起こす。しかし、アメリカの沿岸警備船に取り押さえられたシンケたちは、 海賊行為と殺人の容疑で投獄される。 裁判が始まるが、自国船 “アミスタッド号” の「積み荷」の返還を求めるスペイン女王イザベラ2世、奴隷に対する所有権を主張 する船主、反乱制圧の謝礼として所有権を主張するアメリカ人将校など、さまざまな思惑が入り乱れる。 彼らを救うために立ち上がった解放奴隷ジョードソン(モーガン・フリーマン)、若き弁護士ボールドウィン(マシュー・マコノヒー) らは、元大統領ジョン・クインシー・アダムス(アンソニー・ホプキンス)に助言を求める。 奴隷として拉致されたアフリカ人がどのように大西洋を船で運ばれていったか、その様子を書いたものを本で読んだことがある。 船底にぎっしりと詰め込まれ、寝るにもイワシのように横になって、身動きするスペースもない。食料も水も乏しく、暑さと不衛生 極まりない船倉で、アメリカ大陸にたどり着く前に半数近くが死んでしまったという。 奴隷商人たちには、弱いものは死んでも構わない、という自然淘汰みたいな感覚があったのだろうか。大勢死んでも、生き残ったもの だけでもかなりの収益が上り、商売になったということなのだろうか。こんなことが何百年も続いたのだと思うと、身震いするほど 恐ろしい。
この映画は実話に基づいているのだそうだ。黒人奴隷たちの自由を勝ち取るために奔走した弁護士ボールドウィンや、元大統領の
ジョン・クインシー・アダムズの人道的な思想・行動に感動しつつ、じつは私は “時代の持つ限界” とでもいうようなものを強く
感じてしまった。たとえば、黒人たちがどこから来たのか、が裁判の大きな焦点となる。もし、キューバの農園生まれた(つまり、生まれながらの 奴隷である)なら、彼らは初めから売買の対象であり、その船内叛乱は有罪となる。しかし、アフリカ生まれなら、叛乱は自由人として 当然の権利の行使したことになり、無罪になるというのだ。 これは完全に白人の側の理屈だ。黒人の側からいえば、どのような場所や境遇で生まれようと、本来自由な人間であることには変わり ない。これは “奴隷” の存在を前提とした上での裁判なのだ。
ボールドウィンもアダムズも、“奴隷制” あるいは “奴隷という存在” を認めていたわけではなかっただろうと思うが、時代はまだ
そこまで進んでいない。“奴隷制” そのものが否定されるには、南北戦争を経て奴隷解放宣言がなされるまで待たなければならなかった
のだ。同様に、裁判という一見公平に思える制度すら、当事者のアフリカ人ではなく、白人の論理で進められている。“見せかけの公平” と いったら言い過ぎだろうか。 もし、彼らの母国語を話す黒人がみつかって通訳の役割を果たさなかったら、彼らはいったいどうなっていただろう。僥倖ともいう べき運が、逆にゾッとする思いを運んでくるのも事実だ。 しかし、それでも時代の制約の中で、拉致された黒人の人権を守るために真摯に奔走した人たちがいて、彼らの努力が実ったという 事実に大きな感動を覚える。いつの時代も、必ずそういう勇
気ある人々がいる。そのことに勇気づけられる。シンケを演じたジャイモン・フンスゥはいつもすごいオーラを放つ人だ。オープニングの、船内で指を血だらけにして鎖の釘を抜く 一連のシーンは、彼の目のアップ、立ち上がった時の下からあおった仁王像のような裸体など、圧倒的な迫力を持つ。 主役の弁護士ボールドウィンに扮したマシュー・マコノヒーも、『評決のとき』とは格段の存在感を示した。 そして元大統領アダムズの裁判での最終弁論が印象的だ。黒人たちを釈放すれば、南部から分離・独立の動きが出ることを恐れる 現大統領に対し、彼は「善をなす勇気を。その結果が内戦なら受け入れよう」と毅然として言う。「その戦いでアメリカの独立はやっと 成就するのです」と。出番は少ないが、アンソニー・ホプキンスが映画の重さをしっかりと支えていたと思う。 【◎○△×】8 |