| 【 映画雑感 】No.80 |
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ストーリー ピュリッツァー賞を受賞したE・アニー・プルーのベストセラー小説を『ギルバート・グレイプ』『サイダーハウス・ルール』の ラッセ・ハルストレム監督が映画化。カナダ東岸のニューファンドランド島を舞台に、心に傷を抱いた男が人の温かさに触れ再生して いくさまを綴っている。 町の新聞社でつましく働くクオイル(ケヴィン・スペイシー)は暴力的な父に育てられ、なにごとにも無気力な男だった。美しい女性 ペタル(ケイト・プランシェット)との結婚で初めての幸せを味わうが、それも束の間、奔放なペタルは一人娘バニーを残して 事故死してしまう。 叔母アグニス(ジュディ・デンチ)に引きずられるようにして父祖の地にもどったクオイルは、地元の新聞社に職を得る。同僚たちや 託児所を営む未亡人ウェイヴィ(ジュリアン・ムーア)との温かな交流がクオイルを包む。しかしある時、彼は島に封印された祖先の 秘密を知ってしまう。 物心ついた頃から父親によってマイナスの自己イメージを植えつけられて成長した男が、どのようにしてその傷から回復し、よりよい 自己像を持つに至るかという物語だ。 それに、極寒の地ニューファウンドランド島に残るクオイル一族の忌まわしい伝説がからむのだから、主人公の悲劇は父との葛藤と いう親子の次元を超えて、体内に流れる一族の呪われた血、という民話的な深まりが出てくる。 しかし、本作はどうもこの2つの要素がうまく噛みあっていないような気がする。クオイルはどのようにして、父と妻から受けた 傷から立ち直っていったのだろう。彼が祖先の秘密を知った時、それとどう向き合い、乗り越えようとしたのだろう。それがよく 見えないのだ。
彼の家族はそれぞれに深い苦悩を抱いている。叔母のアグニスは、少女時代に兄にレイプされた忌まわしい過去を、あえて
島にもどることで乗り越えようとする。こっそり持ち帰った兄の遺灰を便壷に捨てて、その上から用を足す姿には、ぞっとするような凄まじさがある。長年の恨みを彼女は こういう形で振り切ろうとしている。 幼い娘バニーも、母ペタルが家を出ていったのは、自分が “退屈な子” だったからではないか、とひそかに思っている。母が死んだ のは自分のせいではないのか・・・、と。バニーが大事にしている人形を「退屈な子ね」といってバラバラに壊してしまうシーンがある。彼女はペタルになり代わって、自分の 身代わりの人形をこうして罰しているのだ。 おそらくバニーはペタルに母親らしい愛情をかけてもらった体験はないに違いない。親の愛情の薄い子供ほど、親を求める。バニーは 母の死から受けた心の傷を、幼いながらこんな形で必死に乗り越えようとしているのが分かる。 クオイル一族が、町を追放されて、島の岬に家を綱で引いて運んでいくシーンが幾度か挿入される。住民に排斥され、居場所を失った 一族の受難を象徴しているようなシーンだ。
岬の突端に運ばれた家は、嵐に直撃されて倒れそうになり、そのたびに綱で地面にしっかりと固定され、今では四方八方から
架けられた綱で、罠にかかった獣のような異様な姿になっている。苦しみに囚われたようなこの家からクオイルたちは解放されなければ いけない、と強く感じさせられる。 ある嵐の夜、ついに家はばらばらに解体する。しかし、軋み、もがきながら壊れていく家の最後を見届けたのは、バニーだけだった。 クオイルの姿はそこにはない。映画の中で主人公のクオイルの存在感が一番薄いのだ。 それでも私はこの映画がとても好きだ。温かい町の人々との交流や、保育園を経営するウェイヴィとの間に芽生えた新しい愛の中で彼が癒され、再生していく様子は心地よい。 ケイト・ブランシェットのなんとも魅力的な悪妻ぶり、ジュディ・デンチの重厚な存在感、穏やかな新聞社の同僚たち・・・。 脇役陣も素晴らしい。本作が私にとって印象深い映画の1つであることは間違いない。 【◎○△×】7 |