| 【 映画雑感 】No.65 |
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ストーリー ユダヤ人をホロコースト(大虐殺)から救った実在の人物オスカー・シンドラーの波瀾の半生を、トーマス・キニーリーの原作を もとに映画化。アカデミー作品、監督賞など7部門でオスカーを獲得した。 1939年、ナチス占領下のポーランド・クラクフに金儲けのためにやって来た実業家オスカー・シンドラー(リーアム・ニーソン) は、ドイツ軍幹部たちを買収し、ユダヤ人が所有していた工場の払い下げを受ける。 彼は、ユダヤ人会計士シュテルン(ベン・キングスレー)をパートナーに選び、収容所のユダヤ人たちを無償の労働力として軍需 産業に着手し、事業はたちまち軌道に乗る。 しかし、新しく収容所長となったアーモン・ゲート少尉(レイフ・ファインズ)が無差別に囚人を射殺するのを見かね、シュテルンと ともに、一人でも多くのユダヤ人を自分の工場に迎え入れる決心をする。 収容所から解放されたユダヤ人たちが横一列に並んで丘を登る。画面が変わり、彼らが丘の向こうから姿を表わす。するとスーッと モノクロがカラーに変わって、彼らがシンドラーに救われ、現在生存している人たちであることが示される。 ラスト近くのこのシーンの驚きと感動が忘れられない。これが実話であることをあらためて思い、深い感慨を覚えた。 シンドラーを演じたリーアム・ニーソンは、その後の出演作を見ると、生真面目で真摯、というイメージの強い俳優だが、本作の冒頭、 パーティ・シーンに登場するシンドラーは、社交家のはったり屋で、かなり胡散臭い人物だ。 シンドラーがユダヤ人を工場に雇い入れたのは、人道的見地からではなく、初めは単に安く労働力を入手できたからなのだ、という ことが、冒頭の彼のイメージでちゃんと説明される。 そんなシンドラー像を巧みに演じていて、リーアム・ニーソンの俳優としての幅の広さを感じさせられる。
シンドラーは金儲けが大好きな人間なのだ。しかし同時に、従業員たちに家族的な愛情も抱いている。それが矛盾なく彼の中で
共存している。彼はただ自分の工場の従業員たちを救いたかっただけなのだが、それがたまたま大工場だったために、1000人を
超える人数になってしまったのだ。こんな言い方をするとケチをつけているように聞こえるかもしれないが、もちろんそうではない。シンドラーは大層なことをしようと 思ったわけではないのだが、結果的に “偉業” に近いことを成し遂げてしまったのだ。 “奇跡” って本当はこういうことをいうんじゃないのだろうか。彼が絵に描いたような理想的な人物ではないことに共感を覚える。 もちろん、もし真意がナチにばれればシンドラー自身ただでは済まない。考えるだけでも恐ろしい。いつでも引き返せただろうに、 彼が “救済” の道を突き進んだのはなぜか。 その点は映画を見ていてもあまり明瞭ではないが、彼自身、本当のところは分からなかったんじゃないかと思う。人間の中には 自分でも自覚しない “悪” や、正反対の “博愛” の衝動が潜んでいて、思いがけない時に思いがけない形でそれらに突き動か される・・・、そういうものではないかと思ったりする。
一方、リスト作りに協力した会計士シュテルンは自覚(意図)的に行動していた気がする。ユダヤ人の彼は、ドイツ人のシンドラーに気を許していない。彼の気まぐれ一つで、自分たちの運命はどうにでも変わる。 だから、油断せず、本心を悟られないように、しかしシンドラーの動きが同胞救済から外れていかないように、かっちり彼を支える。蔭の功労者はまさしくシュテルンだ。 ベン・キングズレーの実直なイメージがぴったりとはまって、見事にシュテルンの人物像を描きだしていた。 ただ、解放されたユダヤ人たちと “戦犯” として連行されるシンドラーの別れの場面は、シンドラーが涙ながらに熱弁を振るい、 私としてはちょっと辟易した。 黙って互いに握手を交わし、列車に乗るシンドラーと見送るユダヤ人たち、それだけで十分両者に通うものは表現できたと思う。「一つの命を救う者が、世界を救う」という台詞が少し安っぽくなったのが残念だった。 【◎○△×】8 |