| 【 映画雑感 】No.62
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ストーリー 梁石日(ヤン・ソギル)が実父をモデルとした同名ベストセラー小説の映画化。大正・昭和の激動の時代を 欲望のおもむくままに生きた1人の朝鮮人移民と、その家族の姿を描いた壮烈な人間ドラマ。 1923年。日本で一旗揚げようと済州島から来た金俊平(ビート たけし)は、大阪の朝鮮人部落に住みつく。並外れて強靭な体力と 凶暴な感情を持つ俊平は、飲み屋を営む李英姫(鈴木 京香)を力づくで犯し、結婚する。しかし、大酒を飲んでは荒れ狂い、暴力を 振るう俊平に、家族は怯えるばかりだった。 やがて俊平は蒲鉾工場を起こして成功する。ある日、息子と名乗る青年・朴武(オダギリ ジョー)が女を連れて転がり込んでくる。 しかし、俊平は大乱闘の末、彼追い出してしまう。 1年後、俊平は自宅のすぐ目の前の家に若い戦争未亡人・清子(中村 優子)を囲い、白昼から情事にふけるのだった。 主人公の金俊平は一切の共感・感情移入を拒否する存在だ。彼を見ていて、私は古代の神話に出てくる “鬼神” を連想した。突然 襲来し、荒れ狂い、すべてを破壊しつくすまでは止まない。 理由などない。あるかもしれないが、余人には測り知りようもない。あるのは嵐のような怒りの感情のみ。行動原理は暴力と欲望、 それだけだ。古代の人々がそうしたように、俊平の周囲の人々も身をすくめ息を潜めて、嵐が収まるのを待つしかない。 俊平がもとからそういう人間なのか、なにか理由があってそうなったのか、映画は一切説明しない。それだけに彼の怪物性が際立って くる。
こんな彼が息子を持つことに固執し、愛人・清子に子を産めと執拗に迫るのが、私には興味深く思えた。己の遺伝子を残したいという動物的欲求のようにも見える。しかし、『血と骨』というタイトルは、「血は母より、骨は父より 受け継ぐ」という朝鮮の巫女の歌に由来するのだそうだ。そして、「血は骨により創られる」。つまり、これは家父長制度を象徴する 言葉なのだという。 彼もまたほかの人々と同じように跡継ぎとしての息子を、そして血のつながりを求めていたというのだろうか。(それでいて、 すでに存在する息子たちを彼は少しも大切にしないのだが・・・。)
脳腫瘍に冒され、寝たきりになった清子を、俊平が金盥で湯浴みさせてやるシーンは、この映画でゆいいつ不思議な優しさに満ちて
いる。じつは映画に圧倒され、その後原作を読み始めた私だが、原作はもっと猛々しく荒廃している。清子のくだりはまだ未読だが、あるいは これは映画にだけ漂う情感かもしれない。 ビートたけしに内在する凶暴さと繊細さがみごとに融合し、すぐれた場面を作り出していると感じた。 彼が息子・正雄(新井 浩文)の覗き見ている前で清子を殺してしまう場面すら、彼女の苦しみを救うにはこれしかないという、暴力 しか表現方法を持たぬ男の愛情のように感じられたのだ。
俊平の妻・英姫にとって、彼との結婚は出会い頭の重度の衝突事故みたいなものだったろう。避けようも逃れようもない。暴力で
ねじ伏せられ、従うしかないのだ。英姫が祭壇にろうそくを灯し、「助けてください」と祈るシーンがたびたび出てくる。そのたびに、胸が鷲づかみ されるような気持だった。 鈴木京香は、原作の英姫そのままといってよいほどイメージがぴったりだと思った。その割りにやや印象が薄いのは、清子のような 彫り込んだエピソードがないせいかもしれない。それだけが少し残念な気がする。 身体が利かぬようになっても息子・正雄の助力を求めず、最後は末子・龍一を連れて故国に帰還した金俊平。家族を不幸のどん底に 叩き落し、自らも鬼畜のように生きた男の壮絶な一生。最後まで圧倒され続けた2時間半だった。 【◎○△×】8 |