| 【 映画雑感 】No.61 |
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ストーリー 『たそがれ清兵衛』に続き、山田洋次監督が再び藤沢周平の小説をもとに映画化。「隠し剣鬼ノ爪」と「雪明かり」の2編を 組み合わせている。 時は幕末。東北の小藩、海坂藩の下級武士・片桐宗蔵(永瀬正敏)は、母と妹・志乃(田畑 智子)、下働きのきえ(松たか子)と ともに、貧しくも穏やかな日々を送っていた。やがて母が亡くなり、志乃ときえはそれぞれに嫁いでいく。 3年が経ち、ある日、宗蔵はきえが嫁ぎ先の商家でひどい仕打ちを受けていると知り、強引に連れ帰る。病み衰えたきえが日に日に 快復していくのは、宗蔵の喜びだった。 そ んな時、藩を揺るがす大事件が起きる。江戸屋敷で謀反が発覚し、宗蔵とは剣の同門の狭間弥市郎(小沢征悦)が首謀者として 捕らえられたのだ。村に幽閉された弥市郎は隙を見て脱走し、人質を取って立てこもる。 宗蔵は家老・堀将監(緒形 拳)から弥市郎を斬るように命じられるのだが・・・。 下級武士の恋と意に添わぬ上意打ち、という大筋の設定は前作『たそがれ清兵衛』によく似ているが、映画全体から受ける印象は かなり違う。 主人公・宗蔵が独身で、年齢も清兵衛より一回りほど若いせいか、清兵衛に比べて行動力があり、感情表現も率直で、映画全体の トーンは明るい。 たとえば、妹の婚約者でもある親友・島田左門(吉岡 秀隆)を迎えて、ささやかな膳を囲むシーンは、清兵衛一家の夕餉が持つ 静かな落ち着きとは趣きが違うが、同じほのぼのした温かさがあり、なによりユーモラスだ。 きえが嫁ぎ先でひどい扱いを受けていることを知ると、左門の制止もものかわ、宗蔵は乗り込んでいって、病み衰えたきえを背負って 連れ帰ってしまう。 清兵衛ならばそういうきえの境遇に胸を痛めても、宗蔵のような直情的な行動は取らないだろう。一方が清兵衛の深さの魅力ならば、 他方が宗蔵の若さの魅力となっている。
『たそがれ清兵衛』では、時代がどのように変わろうが、変わらぬものがあることを、描いていたと思う。幕末の変動にも揺るぐことなく、清兵衛は家族を愛し守ることに人の幸せはあると信じ、ささやかながらも見事な一生を全うする。 一方、本作の宗蔵は時代の波を真っ向からかぶる。剣術は新しい砲術の前には無力であり、藩命とあれば友人を殺さなければ ならない。 武士とはなにか。この問いに宗蔵は直面する。そして武士であることに意味が見い出せない、武士は空しい感じた時、彼は禄を離れて 蝦夷に渡る決心をする。こうして、清兵衛と宗蔵は、この時代を生きた下級武士の姿を合わせ鏡のように見せてくれる。 山田監督は『たそがれ清兵衛』製作直後に本作のイメージを持ち、すぐに撮影に入ったそうだが、この2作はそれぞれに高い 完成度を持ちつつも、2つで1つの世界を表現しているような気がする。
本作は『たそがれ清兵衛』に比べて、全編に軽妙な明るさがあるのが好もしい。たとえば、江戸からやって来た砲術指南に指導されて、藩士が「イチニ、イチニ」と西洋式の歩行練習をするさまは、明治に移ろうと する時代の変化を表わすだけでなく、コメディー・リリーフとしても笑いも誘う。 宗蔵が実家に帰ったきえのもとを訪れてプロポーズするシーンも、ほのぼのした笑いに満ちている。 宗蔵が「夫婦(めおと)は好きあった者同士がなるのがいい。わしはお前が好きだ。おまえはどうだ」と聞く。きえが恥ずかしそうに「そんなことは考えたこともありましね」と答える。宗蔵は「それなら、今考えて見ろ」「・・・・・」 「どうだ、考えたか?」と聞く。 素朴で初々しいやり取りに、なんともいえぬおかしみが湧いてくる。 “隣のとっぽいあんちゃん” なら抜群の存在感を示す永瀬正敏、時代劇はどんなものかと思っていたが、びっくりするほどいい。 松たか子も好演。清々しい後味のラブストーリーとしても心に残る映画だ。 【◎○△×】8 |