| 【 映画雑感 】No.50 |
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ストーリー 元雑誌記者で今はタクシーの運転手をしているタレク・ファハ(モーリッツ・ブライプトロイ)ドは、ある日、大学心理学部が出した 被験者募集の小さな新聞広告に眼をとめる。彼はこの実験の体験レポートを書いて、記者に復帰しようと考える。 集まった20名ほどの被験者は無作為に「看守役」と「囚人役」に分けられ、学内に設けられた模擬刑務所に収容される。初めは だれもが役を演じるだけの簡単なアルバイトと考えていた。しかし、実験が進むうちに「看守役」はどんどん攻撃的・支配的になり、 それに対して「囚人役」は卑屈に服従するのみで、まったく抵抗できない。 いつしか、模擬刑務所内は単なる実験の枠組みを越え、実験者たち(エドガー・セルゲ、マレン・エッゲルト)すらコントロール できない状態に陥っていった。 1971年、スタンフォード大学心理学部で実際に行われた実験をもとに映画化したサイコ・サスペンスで、モントリオール映画祭 最優秀監腎賞など数々の賞を受賞した。 以前読んだ社会心理学の本には興味深い実験がいつかか紹介されていたが、そのなかで強烈なインパクトをうけた2つの実験報告が あった。1つがこの映画のモデルになったスタンフォード大学の “監獄実験”、もう1つはハーバード大学の “アイヒマン実験” だ。 後者は、実験に参加した被験者が他の参加者に電気ショックを与えるというものだ。実際には通電されておらず、いわゆるサクラが 苦痛の演技をしているのだが、被験者にはそれは知らされていない。 脇に立った実験者が徐々に通電ボルトを上げるように被験者に指示する。 私がこの実験で恐ろしいと思ったのは、実験者の命令する通電レベルが危険領域に達した時ですら、拒否した被験者がほとんど いなかったということだ。被験者にとっては実験者の着ている白衣が権威の象徴になり、それに逆らうことが出来なかったのだ。
“監獄実験” も “権威・権力” に関する人間心理の深奥を抉りだしている。権威・権力を手にした時、人には無意識のうちに、他者を思うがままに支配したい欲望が生まれる。看守のリーダーに成り上がる ベルス(ユストゥス・フォン・ドーナニー)、元はキオスクの気の好い親父だったエッカート(ティモ・ディールケス)がその典型だ。 そして、その支配下に置かれた人間には屈従の心理が生まれる、囚人82号シュッテ(オリヴァー・ストコフスキー)のように。 こうして一旦“支配・被支配の関係”が出来上がると、そこから抜け出すのは容易でない。犯罪者の主犯・従犯にはこの支配・被支配 で結ばれた関係が案外多いんじゃなかろうか、と私はひそかに思っている。 それに加えて、私たちはみな何らかの役割の中で生きている。父親・母親の役割から始まり、教師・警官・医者・サラリーマン・・・、 それ自体は別になんの問題もないが、それがいつしか心の“鎧”になって、その役割が必要でない場になっても脱げなくなってしまう、 つまり役割に適したように人格までも変ってしまうことも案外多い。
“監獄実験”は、看守・囚人という【役割】×【支配・被支配の関係】が人格に及ぼす影響を暴きだし、ごくふつうの市民でも時と
状況によっては残酷なことをする可能性があることを示した。実際の実験は1週間足らずで中止されたと記憶している。映画と同じくあまりに短期間に劇的な変化が被験者に生じ、これ以上 続けるのは危険と判断されたからだろう。 映画は実験そのものを再現したワケではなく、誇張やフィクションが多数織り込まれているけれど、実験がどのように行われたのかを 垣間見ることで出来て、私にはとても興味深かった。 ただ、被験者のなかに軍のスパイ(クリスティアン・ベッケル)がいて、何やらもの思わせぶりな行動を取るのだけれど、彼が映画の 中で果たす役割がはっきりしない。軍関係者を紛れ込ませたりせずに、全員普通の市民にしたほうが、この実験の意味がいっそう クリアになったんじゃなかろうか。 【◎○△×】7 |