| 【 映画雑感 】No.47 |
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ストーリー 70年代初頭、ベトナム戦争の戦火は隣国カンボジアにも飛び火し、政府軍と共産党ゲリラ “クメール・ルージュ” による内戦は 激化の一途をたどっていた。 その模様を赤裸々に綴りピューリッツァー賞を受賞したシドニー・シャンバーグの回想録を映画化したもので、アメリカ人ジャーナ リストと現地人助手の絆を描いた人間ドラマ。助手を演じたハイン・S・ニョールがアカデミー助演男優賞を受賞した。 (ニョールはプロの俳優ではなく、実際にポル・ポト政権下で悪夢を体験したカンボジア難民だが、96年ニューヨークで何者かに 射殺され、痛ましい最期を遂げている。) ニューヨーク・タイムズの特派員シドニー・シャンバーグ(サム・ウォーターストン)は現地人通訳兼ガイドのディス・プラン (ハイン・S・ニョール)と共に、動乱のカンボジアで取材を続けていた。 だが、1975年、アメリカが支援するロン・ノル政権が崩壊し、反政府軍ポル・ポト派のクメール・ルージュが首都プノンペンを 制圧すると、シドニーは国外退去を余儀なくされ、プランとの音信は途絶えてしまう。 一方、プランはクメール・ルージュの苛烈な支配を逃れて、決死の逃避行を繰り広げていた。 リアルな映像にショックを受けた。見ているうちに、これは映画なのかドキュメンタリー・フィルムなのか区別がつかなくなるほどだ。 たとえば、シャンバーグたちが病院取材にいった帰り、クメール・ルージュに捕らえられて彼らの司令部に連行されるシーンがある。 ざわざわとした中で、捕らえられたカンボジア人たちが無造作に射殺される。緊迫感で胸が押し潰されそうになる。 しかし、この恐怖の一番の根源は、じつは「言葉が分からない」ことにある。カンボジア人は当然のことながらカンボジア語を しゃべる。「訳」は字幕に出ない。(シャンバーグたちが話す英語の台詞のみが訳されて、字幕に出る。) だから、彼らが何をしゃべり、何を考えているのかが一切分からない。シャンバーグたちの置かれた状況を、そのまま映画を見ている 私たちも体験することなる。 なにがどういう切っ掛けで兵士は銃の引き金を引くのか、どういう弾みで殺されるのか・・・。その恐怖が、これが映画である ことを忘れさせてしまう。ストーリーに頼らないリアルさが、この映画にすぐれたメッセージ性を与えていると思った。 もう1つユニークなのは、映画は大きく2つに分かれ、後半部分はプランが主人公になることだ。ここでは彼がクメール・ルージュの 支配地帯から脱出するプロセスが描かれる。 登場人物はすべてカンボジア人になり、例の通り「訳」の字幕は出ないので、彼らが何をしゃべっているのかまるきり分からない。状況は彼らの行動や表情から 把握するしかない。その心許なさや不安感はたとえようもない。 ただ前半部分と違うのは、観客の私たちには分からなくても、プランは分かっている。そのことで少し気持ちが落ち着く。言葉とは なんと大きなものかと思わせられる。 この後半部分でショッキングなのは、逃亡の途中、道に埋められた地雷で仲間と子供が死ぬ場面だ。何ということのない山道だ。 プランが通り過ぎた後、カチッという音がする。ごく小さな音なのに、妙に耳に響いて「あれ、今のはなに?」と思う。 振り返ったプランの緊張した顔を見て、観客の私たちも、今のが空耳でないことが分かる。子供を抱えたまま身動きならない逃亡仲間。 初めて、彼が地雷を踏み雷管を外してしまったことが分かる。この時の恐怖と緊張・・・。そして爆発音が響く・・・。ついに1人に なったプランが、わずかに形を残した子供の遺体を火葬するシーンでは、涙がこぼれそうになった。こんなことも現実にたくさん 起こったことだろう。 最近(2004.2) 訪れたベトナムは戦後30年を経て、ようやく復興が軌道に乗り始めたようだった。この映画の舞台となったカンボジア はどうなのだろう。ポル・ポト派の残党がまだいるとも聞く。戦争はどんな大義名分があろうと絶対許されないものだ、と改めて思う。 【◎○△×】8 |