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【 映画雑感 】No.45

インドへの道


1984年  イギリス  163分
監督 デヴィッド・リーン
出演
ジュディ・デイヴィス、ヴィクター・バーナジー、ぺギー・アシュクロフト
ジェームズ・フォックス、アレック・ギネス、ナイジェル・ヘイヴァース

  ストーリー
 イギリス植民地時代のインドを舞台に、支配者と被支配者の2つの民族の相克と、異郷の地での女性の心理をきめ細かく描いた大河 ドラマ。リーン監督の遺作で、ムーア夫人を演じたぺギー・アシュクロフトにアカデミー助演女優賞をもたらした。

 1928年、イギリス人女性アデラ(ジュディ・デイヴィス)は、婚約者ロニー(ナイジェル・ヘイヴァース)が治安判事を勤める インド・チャンドラポアの町にやって来る。
 東洋の神秘に胸躍らせてきたアデラだったが、イギリス人の現地人に対する傲慢な態度に失望し、ロニーとの愛が本物でないことに 気づき始める。一方、インド人医師アジズ(ヴィクター・バーナジー)やイギリス人教授フィールディング(ジェームズ・フォックス) らと知り合い共感を覚える。

 ある日、アデラとロニーの母・ムーア夫人(ぺギー・アシュクロフト)は、アジズの誘いで秘境マラバー洞窟へ日帰り旅行に出かける が、ここでアデラが思わぬ事件を引き起こす。1人で下山した彼女の取り乱した様子から、アジズが暴行容疑で逮捕されたのだ。 インド人たちの反英感情が一挙に高まった。

  一口感想
 イギリス植民地下のインドの反英・独立の動きと絡めたストーリーになっているけれど、一口に言うと、“若いイギリス人女性の性の 抑圧”がテーマの映画だと思った。
 アデラはインドに来るまでは性などことさら意識したこともなかったろうし、婚約者のロニーも 上流階級の出らしく礼儀正しい青年で、婚約者にセックスを求めたりしない。イギリスに留まったままなら、自分の “性” がイギリス 文化の固い枠組みに抑え込まれていることなど、アデラは自覚することもなかったのではないかと思う。

 アデラが一人で自転車の遠乗りに出かけ、道に迷って、朽ち果てた遺跡に出会うシーンが印象的だ。遺跡にはヒンズー教の教義にのっとった性の秘儀がレリーフとなって描かれている。絡み合い、性の交歓に恍惚とする男女の神々の姿。 魅入られたように見つめるアデラ。
 その時、突然野猿の群れが現われる。動揺し、逃げるアデラ。追う猿の群れ。もともと“動物”は人間の内部に潜む原始的な欲望を 表わすといわれる。まして猿は “好色” の象徴ともされる。

 アデラは遺跡に彫られたレリーフで初めて生々しいセックスを目にし、怖れと好奇心の両方を抱いたのではなかろうか。猿の出現は アデラに、自らの内部にひそむ性の欲望に突然直面したような驚きを与えたのだろう。そんな自分に狼狽し、不安に駆られてアデラは 逃げたのだと思う。

 アデラがロニーを冷めた眼で見始めるのは、ロニーが性的人間ではないことを、彼女がそうと自覚せぬまま感じたからではない だろうか。理想主義者の彼女が、ロニーの現地人に対する傲慢さに幻滅し、嫌悪を感じたのがそれに輪をかけたことだろう。

 アジズの案内でムーア夫人と出かけたマラバー洞窟への旅行で、アデラは自分の中にうごめき始めた性の欲望が、突然抑え難い未知の 恐怖として襲ってくるのを体験する。
 洞窟内にこだまする反響音が体の芯を揺り動かす。不安に駆られたアデラに追い討ちをかけるように、アジズの姿が逆光を浴びて 洞窟の入り口に浮かび上がる。彼女には、それは自分に近づいてくる遺跡のレリーフの男神に見えたのではないだろうか。アデラの心は この時たしかに “彼に犯された” と感じたのかもしれない。

 リーン監督は『ライアンの娘』ではアイルランド、本作ではインドでの反英感情、独立運動と絡めて、若い女性が性に目覚め、1人の 人間として成長・自立していく姿を、スケールの大きい物語として描いている。
 ただ、本作では現地人医師アジズの存在が私にはいささか消化不良のように思えた。彼は初めは卑屈なほどにイギリス人に愛想がよい。 (その一方、同国人の使用人には傲慢・横柄。)
 しかし、裁判で勝ってからは、それまで抑えていたものが一気に噴出したかのような傲慢さと敵愾心を示す。外国に支配される国の 人の心理はそういったものかなと思う一方、私には彼が妙に情緒不安定に見えて、もう1つすっきりしなかった。

 インド人哲学者ゴドボリを演じているのがアレック・ギネスとは意外だった。ふくろうみたいな大きな真ん丸い眼、きょとんとした 捉えどころのない風貌、現地の俳優が扮しているとばかり思っていたのだ。演ずる役柄でがらりと見かけから印象まで変るので、彼には いつもキレイに騙されてしまう。
  【◎△×】7

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