| 【 映画雑感 】No.39 |
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ストーリー 『ロリータ』の原作者ウラジミール・ナボコフの小説「ディフェンス」を映画化した切ない愛の物語。 1929年の北イタリア・コモ湖畔。ここで開催されるチェスの世界選手権大会に出場するために、天才チェスプレーヤー、ルージン (ジョン・タトゥーロ)がやって来る。チェスしか念頭にない彼は、身なりは構わず、ろくに人とも交わらず、ぶつぶつひとり言をいい ながら、思いついた手を一心不乱に手帳に書き込むような男だった。そんな彼が、たまたま両親とこの地を訪れていたロシア亡命貴族の 娘ナターリア(エミリー・ワトソン)に出会い、一目で彼女に恋をする。婚約者のいるナターリアは、ルージンの唐突な求愛に戸惑うが、 無垢な心を持つ彼にいつしか惹かれるようになる。 ナターリアの深い愛情に支えられて、ルーチンは厳しいトーナメントを勝ち進む。しかし、少年の頃彼にチェスの手ほどきをした ヴァレンチノフ(スチュアート・ウィルソン)は、策をめぐらせて彼を追い詰めていく。そしてついに悲劇は起こった・・・。 終始、ヴァレンチノフという男の存在が気にかかった。少年だったルージンの天才に目を付け、チェスの手ほどきをした彼が、なぜ 今、そのルージンを破滅させようとするのか。世知に長けた彼の前では、チェスに出会った頃の少年で成長を止めてしまったような ルージンなど、赤子の手を捻るようなものだ。チェス以外は一切目に入らず、ちょっと一押しすれば他愛もなく壊れてしまいそうな脆い ルージンの神経を知っているのに、冷酷に策略を巡らし、追い詰めていく。彼の行動の動機はなんなのだろう、と思い続けた。 試合をしながら各地を巡っていた頃、少年のルージンが不注意から初めて試合に負けた日、ヴァレンチノフは見知らぬ町にルージンを 置き去りにする。「ここはどこ?」と呆然と立ち尽くすルージンの姿が痛ましかった。負けたルージンはもう商売にならないから、彼は 見捨てたのだろうか。彼の冷酷はすでにこの時表われていたと思う。 ヴァレンチノフのルージンに対する憎悪はどこから来るのだろう。一旦見捨てたルージンが天才チェス・プレーヤーとなって いたことが許せなかったのか。かつて少年のルージンが試合で彼を負かしたことが、密かな憎悪となって燃え続けていたのか・・・。 ルージンと対戦するもう一方の優勝候補トゥラチ(ファビオ・サルトル)は、ルージンとは対照的に世間知もわきまえた常識人だ。 薄いガラス細工のようなルージンと違って、彼には社会生活に根を下した安定感がある。ルージンに感情移入して映画を見ている私には、 彼の落ち着きぶりはしばしば大きな圧迫感になった。 しかし、ルージンの死後、彼の書き残した手を再現して試合をしたいというナターリアの申し入れを受けて、トゥラチは彼女を 相手に試合をし、潔く負けを認める。彼はヴァレンチノフの策略に乗らず、自分の判断で試合の“正義”を貫いたのだ。 ルージンは「死」で自らの人生に幕を引くけれど、ほかに選択肢はなかったのだろうか。彼は一度はチェスを止めるとナターリアに 約束する。しかし、そうしてたとえ肉体は生き延びても、精神は死んだままルージンは残りの人生を過ごすような気もする。どちらが彼に とって幸せなのか、分からない。エミリー・ワトソンが天才チェリストを演じた『ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ』でも思った ことだけれど、“天才”とは、とてつもない重荷を背負わされた人たちのことかも知れない。 ジョン・タトゥーロは、ルージンのチェスへの情熱や、変人といってもよい奇矯な行動に垣間見える脆さや孤独さを演じ切り、さすが と思った。彼を支えるナターリア役のエミリー・ワトソンも、母性的な芯の強い女性を演じて、素晴らしかった。 【◎○△×】8 |