| 【 映画雑感 】No.37 |
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ストーリー パリに住むジャーナリストのウィル(ビリー・クラダップ)は、母(ジェシカ・ラング)から父エドワード(アルバート・フィニー) の病状が悪化したという知らせを受けて、妻(マリオン・コティヤール)とともに帰省する。エドワードは自分の人生を不思議なおとぎ 話のように語る名人で、聞く人はみなその話に魅了され楽しい気分になるのだった。しかし、子供の頃は父の話が大好きだったウィルも、 今は父親の本心が見えないことに不満を抱き、3年前の自分の結婚式以来不和が続いていた。久しぶりに父に再会したウィルは、ほら話 に隠された父の人生を辿り始める。 私はほら話が大好きだ。大魚を格闘のすえ捕まえたら、口からポンと失くした結婚指輪が飛び出した、なんていう話は思わずぷっと 吹き出してしまう。洞窟に住む5メートルもある大男(マシュー・マグローリー)、怪しい森を抜けたら突然現われる夢のように美しい “まぼろし”という名の町、10何年もかかってたった3行しか書かない詩人(スティーヴ・ブシェミ)、ほんとは狼男のサーカス団の 団長(ダニー・デヴィート。彼が狼から人間に戻った直後、足で耳の裏を掻く仕草が大好き)、下半身は1つで上半身は2人のチャイナ 美人の歌手、一目ぼれの少女(アリソン・ローマン)に求婚するために大学のキャンパスを埋め尽くした1万本の水仙・・・、エド ワードの話はどれも楽しさに溢れている。
しかし、この映画はそれだけではない。息子が同一化のモデルとしての父親を発見し、自分自身のアイデンティティをつかむ物語でも
ある。旅回りのセールスマンだったエドワード(ユアン・マクレガー)は家にいる時間が少なく、帰ってくれば荒唐無稽な話ばかりする。エドワードの話は面白い、わくわくする。ウィルも小さい頃は胸を躍らせて父の冒険談を聞いたことだろう。しかし、思春期となって、自分の男性性を確立しなければならない年頃にかかった時、ウィルは父の本当の姿がどこにあるのかさっぱり分からなかったんじゃなかろうか。本気でぶつかっても、いつもほら話ではぐらかされる。彼が事実を追求するジャーナリストになったのは、父に対する失望 を反面教師にした選択だったような気がする。 ウィルが病床の父に、少年のエドワードが魔女(ヘレナ・ボナム=カーター)の目の中に見たという “死に方”を話してきかせなけ ればならなくなるシーンが興味深い。あんなに嫌っていた作り話を、父の願いとはいえ自分がする羽目になったウィルの心情を思うと、ふっとおかしみが湧く。 その一方で、ほら話の中の人々をすべて登場させ、彼らの温かい出迎えを受けて川に入り、大魚となって去っていくエドワードの最期を 創りだすウィルに、父への温かい愛情を感じたりもする。 彼は幸せそうにその話を聞く父の顔を見て、ほら話を語っている自分自身が幸せであることに驚いたのではないだろうか。話の中にどれだけの“事実”があるかが大切なのではなく、そこに含まれる“真実”が大切なのだと彼は悟ったことだろう。それは、人生を 愛すること、人を愛すること、そしてほらにはその愛のエッセンスがいっぱい詰まっていたことを・・・。 エドワードの葬式が素敵だ。ほら話に登場する人々がみんなやって来て参列し、現実とファンタジーが渾然一体となる。ティム・ バートンものにしては毒のないのが意外だったけど、快い後味が私を幸せな気持ちしてくれた。 【◎○△×】8 |