| 【 映画雑感 】No.33 |
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ストーリー 『アモーレス・ペロス』のメキシコ人監督アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥが、一つの交通事故によって交錯する3人の男女 の悲劇的な運命を描いた人間ドラマ。 ドラッグ依存から立ち直り、優しい夫と2人の娘とともに平穏な暮らしを送る主婦クリスティーナ(ナオミ・ワッツ)は、突然の交通 事故で夫を失う。加害者は、かつてのヤクザな暮らしから足を洗い、妻と2人の子供との暮らしを守りながら信仰に生きるジャック (ベニチオ・デル・トロ)。彼はくじで当て神の授かりものと信じたトラックで、クリスティーナの夫マイケルを轢き殺してしまったのだ。 一方、余命一ヶ月と宣告され、心臓移植を待つ大学教授のポール(ショーン・ペン)は、別居中の妻メアリー(シャルロット・ゲンズ ブール)から人工授精で彼の子を妊娠したいと告げられる。そして彼は、妻がかつて宿していた彼の子を中絶していたことを知る。 まったく関わりのなかった3人の運命が、ジャックの引き起こした事故で、否応なく1本の糸に縒り合わされていく。 人が死んだ時21gだけ軽くなるという。それが魂の重さだとしても、その魂は肉体のどこに宿っているのだろう。心臓だろうか、 脳なのだろうか。それとも、肉体ではないどこかなのだろうか。内臓移植がふつうに行われるようになった今も、心臓に対してはなにか ほかの臓器とは違う感覚を私は抱いてしまう。脳死と判定されても、心臓が動いている以上は死んでいない、と感じてしまいそうだ。 心臓という「臓器」がそのまま魂の器とは思わないけれど、なにか特別のものという感覚は拭いがたくある。 被害者の妻クリスティーナは、夫の心臓の提供を受けた相手がポールと知った時、激しく動揺する。それは、ポールの中に夫マイケル の存在を感じてしまったからだろう。目の前にいるポールは夫とはまったく別人の赤の他人だ。にも関わらずその中で動き、彼を 生かしているのは夫の心臓だ。ポールに惹かれ初めていたクリスティーナは、自分が2つに引き裂かれるように感じたのでは なかろうか。
事故の加害者ジャックは前科者だ。かつての荒んだ生活の心の救済を神に求め、真摯に信仰に生きてきた。しかし、神からの贈り物で
あるはずの念願のトラックで彼は事故を起こしてしまう。本当の救済は一体どこからもたらされるのか。宗教は彼の心からの問いに答を
与えてくれない。ジャックは心臓から血がしたたり落ちるように苦悩する。ジャックに扮したデル・トロの演技は入魂の域に達し、声に
ならない叫びが聞こえてくるようだ。ポールはマイケルの心臓を移植されて自らは延命したが、一方で、妻の中絶という形で別の命を失っている。しかも、彼には再度の 手術が必要なのだ。3人の中で、彼は「命」についてもっとも矛盾した状況に追い込まれている人物だ。事故の当事者に加えて、ポール という第三の存在を加えたことが、本作を新鮮なものにしていると思った。 しかし、同時にそれが映画の視点をやや曖昧なものにしてしまったとも思う。なぜポールは、ドナー(内臓提供者)について知ろうと してはいけない、というルールを冒してまで情報を得、残された妻に接触を図ったのだろうか。そこが十分に描かれているといえないからだ。 クリスティーナに接近しないではいられなかった彼の内面がもっと彫り込まれたなら、映画はぐんと深さを増しただろうと思う。 それでもこの映画は胸を打つ。ストーリーはエピソードがばらばらの断片に切り刻まれ、過去と現在を自由に行き来して進んでいく。 しかし、編集の妙なのかストーリーそのものの持つ力なのか、私は見ていてぜんぜん混乱しなかった。不思議な緊迫感に押されて、映画 を見終わった時にはすっきりと映画の流れが分かっていた。魂、罪、救済。そして命の重さ。ショーン・ペン、ナオミ・ワッツ、ベニ チオ・デル・トロ、3人の俳優の名演がずっしりした手応えで残った。 【◎○△×】8 |