| 【 映画雑感 】No.3 |
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ストーリー 不況時代のアメリカ30年代に実在した男女二人組の強盗 “ボニーとクライド”は、『暗黒街の弾痕』や『夜の人々』『拳銃魔』など のモデルになり、実名の映画も2本出来、本作は3回目の映画化ということになる。ケチな自動車泥棒だったクライド(ウォーレン・ ベイティ)と、平凡な生活に飽きていたウェイトレスのボニー(フェイ・ダナウェイ)が知り合い、ふとした弾みで強盗を始める。その 後、少年院出の自動車整備工のモス(マイケル・J・ポラード)と、クライドの兄バック(ジーン・ハックマン)、その妻ブランチ (エステル・パーソンズ)が加わり、一味は銀行強盗を繰り返す。初めは遊び気分で犯していた犯罪だったが、警察の追及の手は徐々に 狭まり、二人をのっぴきならない状況に追い込んでいくのだった。 二人が全身に銃弾を浴びて死んでいくラストシーンは、公開当時アメリカでは残酷すぎると批判されたが、“死のバレエ”と呼ばれて 映画史に残る名シーンとなった。また、この映画で初めて“ニュー・シネマ”という言葉が使われ、アメリカン・ニューシネマの先駆 けとなった。 初めは遊び気分のように犯していた犯罪が、だんだんのっぴきならない事態に二人を追い込んでいくさまが、痛々しい。とくにボニー の心情の変化が哀れで切ないものに映った。それまで打ち捨てて顧みることもなかったであろう母親が急に恋しくなり、会いにいく。 せっかく会っても、そそくさと別れを告げて歩み去る母。その後姿を見送り、立ち尽くすボニー。そこには、クライドとともに銀行を 襲い、銃をぶっ放すボニーからは予想も出来ぬほどの、触れればすぐにも壊れてしまいそうな繊細な脆さが表われている。この時 初めて、ボニーは自分たちの置かれている現実の状況を、恐ろしい程に理解したのではなかろうか。 それからのボニーはいつも「行き着くところは死」という思いを胸に抱いているように見える。二人を詠んだ詩をクライドに聞かせる シーンがあるが、詩は二人の死で締めくくられていた。クライドは無邪気に「俺の人生を詠っている。新聞社に送ろう」と喜ぶけれど、 ボニーの脳裏にあるのは墓に眠る自分たちの姿だ。ある時ボニーが「もし朝になって昨日までのことがすべて消えてしまっていたら、 どういう人生を送る?」とクライドに聞く。過去が消えるはずがない。泡のように儚い夢を見るボニーだ。そして、自分は(以前は あんなに忌んでいた)平凡な生活をしたいと言う。クライドは、その時は生活する州と仕事をする州を別にするという。「仕事って なに?」「銀行強盗」。がっかりしたように背を背けるボニー。 死の予感を胸に抱くボニーも、あくまで能天気なクライドも、若さゆえの生命力とその裏腹の愚かさが哀れだ。ボニー役のフェイ・ ダナウェイは、当初、プロデューサも兼ねるウォーレン・ベイティには気に入らないキャスティングだったとか。しかし、彼女以外に 考えられないほど、ダナウェイはボニーの強さ・脆さ・愚かさ・悲しさをそのままに体現しいる。まさに適役だ。ラストの、銃弾を打ち 込まれて何度も大きく身体が跳ね上がる“死のバレエ”のシーン。なんという無惨な青春の結末か・・。痛ましさが胸に迫ってくる。 全編に溢れるリリシズムが青春のきらめきと儚さを映して、何度見ても忘れ難い思いを胸に残す映画だ。 【◎○△×】7 |