| 【 映画雑感 】No.14 |
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ストーリー 実在のピアニスト、ウワディスワフ・シュピルマンの自伝を、自身もゲットー体験があるというロマン・ポランスキー監督が 映画化した渾身の一作。 1939年9月のポーランド。シュピルマン(エイドリアン・ブロディ)が放送局でピアノ演奏の仕事をしていたこの日、 ワルシャワはナチス・ドイツの前に陥落した。街はドイツ軍に占拠され、ユダヤ人はゲットー(ユダヤ人居住区)へ強制 移住させられる。 シュピルマンはゲットー内のカフェでピアノ弾きの職を得て、家族の安全も確保され、不自由で屈辱的な生活ながらも平穏な日を 過ごしていた。しかし、42年夏からは一家を含む大量のユダヤ人が貨車で収容所に移送され始める。 偶然のことから移送を免れシュピルマンの、レジスタンスの協力者を頼りにした逃亡生活が始まる。 主人公のシュピルマンが徹底して無力な人間として描かれていることに、まず胸を打たれる。 ゲットーのユダヤ人反乱も、市民のワルシャワ蜂起も、シュピルマンはただ身を潜めた部屋の窓から覗き見るだけだ。迫害が始まった 頃、レジスタンスの友人に「ともに戦いたい」と言った自分
が、その戦いに加わるのでもなく、こうしてどぶ鼠のように逃げ回るだけ。そんな絶望と無力感が、エイドリアン・ブロディの演ずるシュピルマンの終始哀し気な表情から伝わってくる。 ピアノという才能を別にすれば、同じ状況に置かれたら私だってきっとそうだ、勇敢に闘う気概もなくひたすら逃げ回るだろう、 とそんな彼に等身大の自分を重ね合わせてしまう。 彼を匿ったためにたくさんの人が死んだ筈だ。彼らの勇気ある命を代償として生き延びた自分。その後ろめたさもシュピルマンには 重くのしかかっていたに違いないと思う。 再現されたワルシャワの市街やゲットーのセットが素晴らしい。その中を髪も髭も伸び放題、埃まみれの服に痛めた脚を ひきずり、開けられるかどうかも分らない缶詰めを後生大事に抱えてよろめきながら逃げるシュピルマン。 食べることだけに執着したみっともなさ、惨めさ。「生きる」ではなく、「生き延びる」こと・・・。その
意味を深く考えさせられる。彼の人間としての尊厳を回復させたのがドイツ将校だったとは、なんと皮肉なことだろう。ここでも、善と悪に単純に分け 切れない、人間という存在の深さを思わせられる。 シュピルマンは初めはおずおずと、そしてやがてピアニストとしての本能に導かれるように演奏に耽溺していく。それがさらに将校の 中に感動を呼び起こす。これらの様子は映画の中で最も心揺さぶられるシーンだ。 戦争の悲惨さと不条理。人間の生き延びようとする力。人間の尊厳。ポランスキー監督はそれらを淡々と透徹した眼で表現し切ったと 思う。 戦後に行われる演奏会シーンは、エンドロールが始まっているにも関わらず席を立つ人がなく、演奏が終わった時には館内で 思わず拍手が起こった。すぐ気づいて、恥ずかしそうに鳴り止んだけれど。シュピルマンの演奏できる喜びとカタルシスをあたかも 観客も共有したかのような、そして映画の感動をも共有しあったような、私にとって珍しい体験だった。 【◎○△×】9 |