| 【 映画雑感 】No.1 |
| イン・アメリカ |
| /三つの小さな願いごと |
|
ストーリー アイルランドからニューヨークへとやって来た一家が、厳しい現実の中で再生の道のりを辿る姿を、10歳の少女の目を通して描く。 監督は『マイ・レフトフット』『父の祈りを』のジム・シェリダンで、彼の実の2人の娘が脚本化に参加している。 ジョニー(パディ・コンシダイン)とサラ(サマンサ・モートン)の若い夫婦は、希望を抱いて2人の娘とともにアイルランドから 移住してくるが、幼い息子フランキーを亡くした悲しみからまだ立ち直れずにいた。ニューヨークに落ち着いた一家は、社会の最下層者 が住むぼろぼろのアパートで新生活をスタートさせる。俳優を目指すジョニーにチャンスはなかなかやって来ず、サラもウェイトレスと して働くが、生活は少しもラクにならない。それでも、娘のクリスティ(サラ・ボルジャー)とアリエル(エマ・ボルジャー)は新天地 ならではの楽しみを見出し、元気に暮らしていた。ある日、2人は同じアパートに住む黒人の画家マテオ(ジャイモン・フンスー)と 知り合う。エイズに冒され死を凝視(みつ)めるマテオは、預言者のような不思議な男だった。彼との出会い が、やがて一家に大きな変化をもたらしていく。 監督自身、かつてアメリカに移住して来た時の体験がもとになっている物語だそうだ。アイルランドからカナダを経てアメリカに 入国する時、検査官に「子供は?」と聞かれジョニーが「2人」と答えると、幼いアリエルが屈託なく「3人」と言う。怪訝な顔の 検査官に、フランキーという息子がいたが死んだ、と説明するジョニー。こんなシーンでさり気なく始まる映画なので、このフランキー の死がどれほど若い夫婦に深い悲しみと傷を与え、それがまだ癒されていないのか、初めは予想もつかなかった。フランキーはシェリ ダン監督の亡くなった弟がモデルとなっているそうだが、画面に一度も登場しない彼がこの映画の要をなしている。この映画は、家族が フランキーの死の傷手を乗り越え、再生の道を歩み出すまでの物語だ。 ニューヨークで彼らが腰を落ち着けたのは、麻薬常習者や社会の底辺者が住む、一目見てぎょっとするほど汚く惨めなアパートだ。 売れない俳優の父、アイスクリーム屋で働く母、食べていくのがやっとの貧しい暮らし。それなのに、映画はじめじめしているどころ か、ファンタジーのような不思議な明るさがある。この映画が少女クリスティの視点で語られ、妹アリエルの無垢な行動が映画に 生き生きした躍動を与えているせいだろう。そして、同じアパートに住む黒人マテオの存在。初めはジョニーもサラも彼に警戒の目を 向ける。しかし、彼と娘たちとの純真な心の通い合いと、死の病を持つマテオの静かな眼差しに、ジョニーとサラも彼を受け 入れ親しく交わるようになる。
マテオが超能力者のように描かれるのは、彼が実際にそうだというより、クリスティやアリエルにはそのように見えた、ということ
なのだろう。私もかつて5、6歳の頃、町内のぼろ小屋に住む男が不思議な“まれびと”のように思えて、時々覗きに行って母に叱られ
たりした。今思えば男はただの浮浪者だったのだろう。戦後すぐの頃は、まだそういう人が普通に町内にいたものだった。幼い心は時として、大人の常識とは違う世界を見ることがある。そして、アリエルはフランキーが3つの願いを叶えてくれると信じ、 それは1つずつほんとうのことになった。それから最後に、マテオが奇跡を起こす。マテオが死に際に呪文のように故郷の言葉を呟き、 サラがフランキーの代わりにと思い切って出産した未熟児の赤ちゃんが、無事産声をあげたのだ。それは偶然の出来事だったかも しれない。けれど少女たちには、マテオが自分の死と引き換えに、赤ちゃんに生の息吹を与えたように思えた。少女の目に映ったこの奇跡 を、私は素直に信じたい。 クリスティとアリエルには、脚本に参加したシェリダン監督の2人の娘が当時感じたことが投影されているのだという。少女2人の目 を通したことで、悲しみの中から立ち上がろうともがく家族への愛おしさが全編をおおい、単なる移民の苦労話で終らない不思議な後味 の映画となった。 【◎○△×】7 |