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今月見た新作映画 2009年

7月〜9月



9月

あの日、欲望の大地で

2008年  アメリカ  106分
監督 ギジェルモ・アリアガ
出演
シャーリーズ・セロン、キム・ベイシンガー
ジェニファー・ローレンス、ホセ・マリア・ヤスピク
J・D・パルド、テッサ・イア

  ストーリー
『バベル』『21グラム』の脚本家として知られるギジェルモ・アリアガが、監督としてメガホンを取った長編デビュー作。母から娘 へと3世代にわたる女性の愛と苦悩と再生の物語を綴る。
 ポートランドの海辺にある高級レストランのマネージャー、シルヴィア(シャーリーズ・セロン)は仕事は有能だが、私生活では行き ずりの情事を重ねていた。ある日、彼女の娘マリア(テッサ・イア)と名乗る少女が現われ、別れた夫の危篤を告げる。
 シルヴィアの脳裏に10代を過ごした国境の町ニューメキシコの記憶がよみがえる・・・。
 
  一口感想
 憑かれたように愛人のもとへ通いつめる人妻ジーナ、身も心もボロボロになりながら行きずりの情事を繰り返す高級レストランの マネージャー、シルヴィア。宿命のように破滅に突き進む2人の 女の姿に、見終わってしばらく気持ちが落ち込んだ。
 交互に語られる2人の話の間に、墜落した農薬散布機のパイロットと幼い娘マリアのエピソードが挟み込まれる。

 主演のシャーリーズ・セロンは製作総指揮も携わっているだけに、陰影の深い演技をしているが、私は不倫の人妻を演じたキム・ベイ シンガーに打ちのめされた。この人、最盛期を思うと、ほんとに老けた。やつれた。それなのに、女盛りの艶(つや)やかさがまったく損なわれていない。

善良な夫と4人の子供に囲まれて、なに不足ない暮らしをしながら、ジーナ(キム・ベイシンガー)はなんと生気のない顔をしていることか。長女マリアーナ(ジェニファー・ローレンス)に不倫を気づかれ、一度は関係を絶とうとしながらも、やっぱり愛人の許へ車を走らせてしまう。
 そうでもしないと酸欠で死んでしまう、彼に抱かれている時だけ、やっとわずかに息が通り、呼吸がラクになる、とでもというように。

 不倫の理由を、乳がんで乳房を失ったジーナを女性として受け入れる愛人の優しさに求めることも出来そうだが、魂の抜け殻のような 表情を見せるジーナには、それ以上に、生きること自体の 悲しみが漂っているように見える。
 すべてを破滅に追い込むと分かっていても、向かわずにおれない性(=生)の深淵・・・。一度そこを覗いてしまったら、堕ちてゆくしかない奈落の涯て・・・。
 ベイシンガーが演じることで、ジーナはリアルな存在感を獲得したと思う。

 長女マリアーナを演じた新人、ジェニファー・ローレンスのキラメキにも驚かされる。彼女が母と愛人の密会の場所を突き止め、物陰から逢引きの現場に目を凝らすのは、母への怒りだけではないような気がする。同性として、母の中にひそむ女としての業の深さを自分の中に刻み込もうとしているかのようだ。それは内奥深く自分自身を傷つけることでもあるのに・・・。

 愛人の息子サンティアゴ(J・D・パルド)と互いの腕をライターで焼くとき、サンティアゴは苦痛に顔をしかめるのに、マリアーナは平然としている。それほど深く彼女の心は傷つき、麻痺しているのだ。行き着くところまで行かずにおれないジーナとマリアーナ。母と娘の相似に運命を感じて眼 前が瞑(くら)くなる。

 監督は『アモーレス・ペロス』『21グラム』『バベル』で脚本を担当したギジェルモ・アリアガ。
 「過去」と「現在」の時間軸や、シルヴィアとジーナの相互のつながりが見えないままに進行するストーリーが、やがて絡まった糸がほどけるように、1つの収束に向かう手法は手馴れたものだけに鮮やかだ。
 一見複雑な構成だが、流れに身を委ねて見ていれば混乱することはない。

 これほどの重い過去を背負った時、人は果たして赦しと癒しを得ることが出来るのかと悲観的な思いに囚われるが、パイロットの娘の幼いながらも強い意志を感じさせる瞳に、一筋の光明が見える気がした。
  【◎△×】7

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8月

子供の情景

2007年  イラン/フランス  81分
監督 ハナ・マフマルバフ
出演
ニクバクト・ノルーズ、アッバス・アリジョメ

  ストーリー
 イランの巨匠モフセン・マフマルバフ監督の実娘、ハナ・マフマルバフの弱冠18歳にしての劇場長編デビュー作。幼い少女の冒険を 描きながら、アフガンの現実をえぐり出している。
 アフガニスタンのバーミヤン。6歳の少女バクタイ(ニクバクト・ノルーズ)は、隣の家の男の子アッバス(アッバス・アリジョメ)が 学校で習った面白いお話を朗読するのを聞いて、自分も学校に行きたいと思う。
 それには鉛筆とノートが要ると教えられ、市場で卵を売りやっとの思いで手に入れるが、たどり着いた学校は男子校だった。「女子校に いきなさい」とバクタイは追い返されてしまう。
 
  一口感想
 わずか14歳で、姉サミラが監督する映画『午後の五時』(03)の製作現場に同行し、キャスティングが決るまでを手持ちカメラで ドキュメンタリーにしたハナ。いよいよ長編劇映画にデビューだ。

 シューマンのピアノ曲を思わせる叙情的な邦題だが、原題は “仏陀は恥辱のために崩壊した” と物々しい。ここでの仏陀とは、爆破 されたバーミヤンの巨大石仏のこと。このタイトルには明らかに、大切な文化遺跡をこともなげに破壊するタリバンへの非難・糾弾が 込められている。
 前作でも対象に対するしっかりした視線に驚いたものだが、それから4年を経て、主題に対するアプローチはいっそう骨格のはっきり したものになってきたようだ。

 しかし、私はそうしたテーマ性よりも、主人公バクタイを演じた女の子のあまりの愛らしさに心を奪われ、彼女の冒険に胸をときめか せてしまった。
 ‘クルミが落ちてきて、寝ていた男の頭にコツン’・・・6歳の少女の胸はドキドキする。もっと知りたい。学校に行って字を習おう。 それにはノートと鉛筆がいる。お金がない。うちで飼ってる鶏の卵を売ろう。あとは目的に向かってまっすぐに行動するだけ。
 なんというシンプルさでしょう。かつて私たちも住人だった、迷いや不安のない透明なまったき世界を、今バクタイは生きている。

 冒険には困難が付きものだ。バクタイの前にもさまざまな障害が立ち現れる。町の大人たちはぷっくりした両手が差し出す卵に見向きもせず、そのうちバクタイは卵を落として割ってしまう。残りの卵でやっとノートを手に入れ学校に行くと、女子校に行きなさいと追い返される。

 途中でバクタイは、タリバンごっこの少年たちに捕まって、石打ちの刑や洞窟の奥に監禁されそうになる。大切なノートは破られて紙の 爆撃機にされ、ようやくたどり着いた女子校では座る席がない。どんな困難にもへこたれなかったバクタイが、この時は涙ぐむのがいじらしい。

 石打ちの刑の穴を掘る少年たちのすぐそばで、バクタイが地面に描かれた3つの円を跳んで遊び始めるシーンや、折り紙の小舟を追って 川の浅瀬を渡っていくシーンのリリカルな美しさ。
 しかし、若い監督は詩情溢れる映像の中にも、テーマをきっちり書き込むことを忘れない。それはバクタイが幾度も呟く「戦争ごっこは嫌い」という言葉だ。
 さらにラストに強烈なメッセージが用意される。再びタリバンごっごの少年たちと出会い、必死に逃げるバクタイに、隣家の少年アッバスが叫ぶ。「死ぬ(フリをする)んだ、そうすれば放っといてもらえる」「バクタイ、自由になりたいなら、死ね!」
 倒れるバクタイ、そこに重なる石仏破壊のアーカイブ映像・・・。

 幼女の愛らしさに流されない10代監督の、戦争の暴力と不条理に対する若くまっすぐな眼差しに、思わずたじろいだ私だった。
  【◎△×】7

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9月

幸せはシャンソニア劇場から

2008年  フランス/ドイツ/チェコ  120分
監督 クリストフ・バラティエ
出演
ジェラール・ジュニョ、クロヴィス・コルニアック
カド・メラッド、ノラ・アルネゼデール、マクサンス・ペラン

  ストーリー
 『コーラス』で大ヒットを飛ばした製作者ジャック・ペランとクリストフ・バラティエ監督が再びタッグを組み、人情豊かに描いた 下町の音楽ドラマ。ジャック・ペランの愛息マクサンス・ペランが『コーラス』に引き続き、愛らしい姿を見せている。
 1936年、第2次世界大戦前夜のパリ。下町のミュージックホール、シャンソニア劇場が不況のあおりを受けて閉鎖される。
 30年以上、劇場一筋に生きてきた裏方のピゴワル(ジェラール・ジュニョ)は、失意の日々を送っていたが、芸人ジャッキー(カド・メラッド)、照明係りミルー(クロヴィス・コルニアック)、オーディションにやって来た美しい娘ドゥース(ノラ・アルネゼデール)らと劇場再建のために立ち上がる。
 
  一口感想
 原題は “フォーブル36”。冒頭、殺人容疑で逮捕された主人公のピゴワルが、住所を聞かれて「フォーブル(下町)」と答える。取調べ官が「どこのフォーブル?」と聞くと、彼は誇り高く「フォーブルは1つしかない」。下町はあちこちにある。でもピゴワルにとって、人生を捧げたシャンソニア劇 場のある“そこ”こそが唯一のフォーブルなのだ。
 彼の言葉とともに夜のフォーブルに場面が切り換わり、人の行きかうざわめきと呼び込みの声が聞こえてくる。チェコのプラハに再現されたパリが素晴らしく、上から俯瞰(ふかん)した撮影の美しさに引き込まれる。

 出演者たちが、地味な人ばかりだけど、とてもいい。まずはピゴワル役のジェラール・ジュニョ。小たぬきを連想させる愛すべき風貌の この人、『パティニュールおじさん』(02)が印象的だった。
 ピゴワルは裏方をしていた劇場が閉鎖し、女房にも逃げられ、酒浸りの日々。そんなダメ男も、妻に引き取られた息子(マクサンス・ペラン)会いたさに一念発起、劇場再建に奔走する。ジュニョにピタリのはまり役だ。
 そんなピゴワルがこともあろうに殺人容疑で取り調べられる羽目に。なんで?という疑問が、なだらかなストーリーに一抹のサスペンスを盛り込んでいることも忘れてはいけない。

 下手なくせに大物気取りの物マネ芸人ジャッキー(そこはかとない哀愁がなんともいえない)、下層労働者といった風貌の左翼かぶれの照明係りミルー、長年のひきこもりから復帰した途端、颯爽(さっそう)とした音楽コンダクターぶりを発揮する “ラジオ男”(瀟洒(しょうしゃ)な身ごなしがダンデ ィ)、映画唯一の悪役ながらワルに徹しきれないギャングのギャラピア。
 中でもピカイチは、歌姫ドゥースを演じた新人ノラ・アルネゼアールだ。海千山千のギャングの気を引きながら劇場を再建に持ち込む役どころだけに、清潔感のあるなしが説得力の分かれ目になる。彼女は聡明で可憐、清新な美貌、と申し分がない。とくに目に力があるのがいい。

 劇場ものというと思い浮かぶのが『クレイドル・ウィル・ロック』(99)や『ヘンダーソン夫人の贈り物』(05)だ。どちらも本作と同じ第2次世界大戦前夜の1936〜7年頃が背景で、世界的大不況のあおりを受けて、失業や劇場閉鎖に追い込まれた演劇人たちの生き延びるための悪戦苦闘を描いている。
 不況は演劇もののネタの宝庫。そのなかで、本作は素直というかストレートというか、素材の処理にかくべつ目新しさはないが、その分、安心して見ていられる良さがある。ちょっと気持ちがめげている時、ほんわり幸せな気分に浸りたい時にお勧めの、愛すべき小品だ。
  【◎△×】7

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8月

縞模様のパジャマの少年

2008年  イギリス/アメリカ  95分
監督 マーク・ハーマン
出演
エイサ・バターフィールド、ジャック・スキャンロン
デヴィッド・シューリス、ヴェラ・ファーミガ、ルパート・フレンド

  ストーリー
 ナチス・ドイツによる「ホロコースト」の悲劇を、少年の視点から描いた異色の人間ドラマ。
 第2次世界大戦下のドイツ。ナチス将校の父(デヴィッド・シューリス)の昇進で、近くに人の住まない土地に引っ越してきた8歳の 少年ブルーノ(エイサ・バターフィールド)は、窓から見える農場で働く人たちが昼間から縞模様のパジャマを着ているのを不思議に 思う。
 ある日、裏庭を抜け出し、森の奥の農場にたどり着くと、フェンスの向こう側には同じ年齢の縞模様のパジャマを着た少年シュムエル (ジャック・スキャンロン)がいた。友達がいなくて退屈しきっていたブルーノは彼に会うために毎日のように出かけていく・・・。
 
  一口感想
 少年たちが両手を広げて戦闘機の真似をしながら町を駆け抜けるオープニング。下校途中のブルーノと級友たちだ。屈託のない伸びやかさ。しかし その傍らで、強制収容所に向かう車に詰め込まれるユダヤ人たちの姿が点描され、無邪気な子供の日常も無縁ではないホロコーストの 悲劇がさり気なく示される。

ブルーノはナチス将校の父の昇進で、住み馴れたベルリンから田舎に引っ越してくる。門には監視兵の立つ、立派だけれどどこか陰鬱な 屋敷。片づけをしながらブルーノが目を上げると、父の部下のコトラー中尉(ルパート・フレンド)がつと立ち去る。ハンサムだが 冷たさをまとった男だ。
 ブルーノは思わず声をひそめて「あの人、だれ?」とメイドのマリアに聞く。マリアも声をひそめて「お父様の部下よ」と答える。 「僕たち、どうしてひそひそ話すの?」。マリア、微笑して「さ−、どうしてでしょう」。
 とても印象的な場面だ。屋敷全体に漂うタブーの匂い。少年はそれが何なのか分からない。マリアは知っている。同時に、口にしてはならないことも知っている。

 これまでと変わりない平穏な暮らしが続く。しかし、敷地の外に出ることは禁じられ、ブルーノは退屈で仕方ない。彼は子供部屋の 窓から見える農場に興味を持つ。あそこなら友達がいるかもしれない。でも不思議なのは、働いている人たちが昼間というのにみな縞模 様のパジャマを着ていること。時々、農場からは黒煙が上がり、それと一緒に凄まじい匂いが漂ってくる。

 映画に登場する大人たちは(今では私たちも)農場が強制収容所であり、そこで何が行なわれているかを知っている。ブルーノだけが 知らない。屋敷を抜け出し、農場の同い年の少年シュムエルと友達になった時もブルーノは聞く、「どうしていつもパジャマなの?」と。「服を取り上げられたから」「どうして?」「知らない」。2人の会話の無心な柔らかさに胸が痛くなる。

 初めは子煩悩なよき家庭人だった父親が、徐々に冷徹なナチス将校のイメージを露わにしていく様子や、夫の仕事の内実を知って憔悴を 深める母親、コトラー中尉への恋心からナチスへ傾倒していく姉、と家族の人物像がふくらみをもって描かれ、映画をリアルなものにして いる。
 中でも興味深いのは、プロパガンダ用映画がナチス将校たちを招いて屋敷で上映される場面だ。収容所でユダヤ人たちがいかに健康的で 楽しく暮らしているかを謳った映像に、ブルーノは「やっぱりパパはやさしい人だ」と安堵するのだが、収容所の実態を多少なりとも 知っている今の私たちには、その映像の欺瞞は戦慄以外のなにものでもない。

 少年の好奇心や冒険心が、大人が目をそむけ覆い隠しているものを暴いていく過程は、当のブルーノ本人が最後まで真相を知らない ままであるだけに、ショックが大きい。
 閉ざされた鉄の扉が静かに遠ざかっていくだけのラストシーン。凄惨なシーンなど何1つない。しかしこの扉には、思いもよらない 結末と、その重さが凝縮されている。あまりの痛ましさに、映画が終っても、私はしばらく椅子を立つことができなかった。
 ナチス・ドイツのホロコーストを加害者側の子供の無垢な視点を通して描いた点で、重い後味の残る映画だ。
  【◎△×】7

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7月

人生に乾杯!

2007年  ハンガリー  107分
監督 ガーボル・ロホニ
出演
エミル・ケレシュ、テリ・フェルディ
ユディト・シェル、ゾルターン・シュミエド

  ストーリー
 年金暮らしの老夫婦が暮らしに困窮して、強盗を重ねながら逃避行するサマを、ユーモラスに描いたハンガリー発のハートウォーミング ・ストーリー。
 運命的な出会いで結ばれたエミル(エミル・ケレシュ)とヘディ(テリ・フェルディ)も、今や81歳と70歳の老夫婦。年金だけでは 暮らしていけず、エミルは一念発起、郵便局強盗に成功する。はじめは警察の捜査に協力していたヘディも、ひとり奮闘する夫の姿に かつての情熱を思い出し、2人は手に手を取り合って逃避行に入るのだが・・・。
 
  一口感想
 由緒のありそうな古い邸宅に数台の車が停まり、男たちが降り立つ。物々しい気配。資産階級の摘発に乗り込んだ秘密諜報部員たちだ。 同行していた運転手エミルの目の前に、隠れていた 令嬢ヘディが天井の破れから落ちてきた。
 それから50年、画面に映るのは無味乾燥な集合住宅。ドアのノックに立ち上がったおじいさんは腰痛が起きて声も出ない。いっ時して 買い物から帰ったおばあさんは、連れ合いの姿に驚きもせずそのまま奥へ。「あらら」と思ったら、薬を手に引き返してきておじいさんの 腰に塗り始めた。
 運命の出会いをしたはずのエミルとヘディも、今や味も素っ気もないただの老夫婦となり果てて・・・。「これが人生よね〜」と 微苦笑を噛み殺してしまう。

 2人は年金暮らしだ。共産主義時代はそれなりの水準が保証されていたけれど、体制の崩壊後は市場化の導入、物価上昇やEU加盟で、 年金は実質的に目減りする一方。年金状況が日本と似ていて、身につまされる。
 家賃滞納で追い立てを食い、ついには電気まで止められて、ヘディが伯爵令嬢時代の思い出の詰まったイヤリングを手放した時、 エミルの中に勃然たる思いが湧く、「彼女にこんなことをさせてはならない!」すまなさがかつての情熱となって甦るさまが、物悲しくも ユーモラスだ。

 郵便局強盗を思い立ったエミルの犯行ぶりが笑わせる。窓口に顔を寄せてひそひそと「お嬢さ ん、この袋に金詰めてくれん かね」。気の強い女性局員が「自分詰めたら」と反撃すると、懐 からちょろっと出して見せるのが年代物の拳銃トカレフ。退職時に払い下げられた愛車チャイカにくっ付いてきたもので、弾が出るかさえ定かではない代物だ。
 エミルのセリフがいい。「ごめんなさいよ。私も初めてなんでね」。去り際には紳士的な「良い一日を」の挨拶までする。

 もっと可笑しいのは、ヘディと2人で銀行を襲った時だ。黒メガネに拳銃を構えて押し入ったのはいいけれど、昼休みで誰もいない。 「不用心だな。強盗が来たらどうするんだ」。あげくに「今度はもっと人が多い時を狙おう」って。帰りの車で「ぶっ殺す、なんて 言って下品だったかな」とエミル、「いいえ、あなた、かっこよかったわよ」とヘディ。
 せっぱ詰まっての強盗とはいいながら、春風駘蕩(たいとう)としている。その上、ひどく初々しい。

 日本と同じく急速に高齢化が進むハンガリー。指名手配された2人はすっかり有名人になり、模倣犯が現れる一方で、共感した人々 からは “高齢者にもっと手厚い保護を” と社会運動が巻き 起こる。老人強盗夫婦に果たして明日の希望はあるのか?
 こんな2人に “ボニーとクライド” を重ねる人が多いようだが、私はむしろ “テルマとルイーズ” を思い起した。十分に生きた2人が、亡くした愛息代わりの大きな熊の縫いぐるみを抱えて、人生の仕上げに突っ走る。その哀しい覚悟と明るさが女性の2人組強盗テルマとルイーズに共通している。

 2人の道行の介添え人役を果たすのが、男の浮気で目下冷戦中の刑事カップル、アギとアンドル(ユディト・シェル、ゾルターン・シュミエド)だ。若い彼らの存在が映画をほどよく引き締めていたと思う。
  【◎△×】7

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8月

セントアンナの奇跡

2008年  アメリカ/イタリア  163分
監督 スパイク・リー
出演
デレク・ルーク、マイケル・イーリー、ラズ・アロンソ
オマー・ベンソン・ミラー、マッテオ・スキアボルディ
ヴァレンティナ・チェルヴィ

  ストーリー
 第2次世界大戦中、イタリア・トスカーナで実際に起きたナチス・ドイツによる虐殺事件を基に、実在した黒人だけの米軍部隊に焦点を当てて、兵士の葛藤と人間の尊厳をサスペンスタッチで綴った戦争ドラマ。
 1983年、ニューヨークで定年間近の実直な黒人郵便局員が客を射殺するという事件が起き、容疑者の部屋から行方不明になった イタリアの貴重な彫像 “プリマヴェーラ” の頭部が発見される。事件の謎は、40年前の第2次世界大戦中、イタリアで起きたある 出来事に隠されていた。
 1944年、黒人だけで組織された “バッファロー・ソルジャー” の4人の兵士トレイン(オマー・ベンソン・ミラー)、ヘクター(ラズ・アロンソ)、ビショップ、スタンプスは、トレインが倒れていた少年(マッテオ・スキアボルディ)を助けているうちに部隊からはぐれてしまう。
 4人は近くの村に身を寄せ、ひと時の平安を得るが、ナチスの脅威がすぐ間近に迫っていた・・・。
 
  一口感想
 黒人だけの戦闘部隊があることを私が最初に知ったのは、南北戦争の実話をもとにした映画『グローリー』(89)によってだった。 アメリカ史上初めての黒人部隊、といっても彼らはまだ一人前 の戦闘員とは認められず、もっぱら軍隊内の肉体労働や襲った町や村の 収奪を担う役割だっ た。

 それから一世紀近くが経ち、第2次世界大戦や朝鮮戦争では、彼らはもっとも苛酷な最前線に送り込まれた。黒人差別は形を変えて 連綿と続いていることが分かる。
 イタリア・トスカーナ地方の小さな村に迷い込んだ4人の黒人兵が、差別も偏見もない村人たちとの交流の中で、故国で味わえなかった人としての自由を感じる様子は印象深い。

 しかし、私が本作でもっとも心を動かされたのは、“生き延びた者の罪障感” だった。
 本作では2つの惨劇が描かれる。1つは1944年、トスカーナのサンタンナ(=セントアンナ)で実際に起こった事件だ。教会の前に 集められた村人たちはドイツ軍の銃弾を浴び、500人以上が殺害されたという。そのほとんどが、老人、女性、子供だった。
 この虐殺を生き延びたのが、黒人部隊の一員トレインが出会う不思議な少年、アンジェロだ。

 少年には自分だけに見える “友達” がいて、いつも彼と会話をしている。私はずっと、それはこの年頃の子供が持つ空想上の友達と ばかり思っていた。もっと悲痛な意味があると分かるのは、終盤近くなってから。

 セントアンナの事件の時、アンジェロは大切な友達が殺されるのを目の当たりにしながら、どうすることもできなかった。死に対する 自分の無力を痛烈に刻み込まれた少年の胸に、それ以来、死んだ “友達” が宿り、行動を共にするようになる。

 もう1つの惨劇は、トレインたちが足を休める村に押し寄せたナチス・ドイツ軍によるすさまじい銃撃だ。ここで村人たちをはじめ登場人物の 大半が死んでしまう。アンジェロを最後まで守ろうとしたトレインが息絶える場面では、胸が潰れそうになった。彼には “プリマヴェーラ” という「運」がついている、死ぬはずがない、と思っていた。
 この戦闘で生き延びるのが黒人部隊の一人、無線兵のヘクターだ。

 40年後のニューヨーク、郵便局員となったヘクターがパルチザンの生き残り、ロドルフォを射殺したのは、裏切り者に対する怒り だけではなかったと思う。
 彼を深く捉えて離さなかったのは、死んでいった人たちに対する生き延びた者の罪障感だったのではないでしょうか。しかし、殺人によって赦しを得ることなど出来るはずがない。

 ラストに訪れる奇跡は一見唐突だ。でもそれは、心やさしいトレインが大事に持ち歩いた “プリマヴェーラ” の頭像と十字架が、生き延びた2人、アンジェロとヘクターに与えた赦しの証のように思える。まるで泣いているような頭像のアップに、不覚にも涙がこぼれそうになった。2時間半の長尺にもかかわらず、疲れを感じさせない温かい余韻が残った。
  【◎△×】8

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7月

それでも恋するバルセロナ

2008年  スペイン/アメリカ  96分
監督 ウディ・アレン
出演
ハビエル・バルデム、スカーレット・ヨハンソン
ペネロペ・クルス、レベッカ・ホール、パトリシア・クラークソン

  ストーリー
 ニューヨークからヨーロッパに拠点を移したウディ・アレン監督の、スペイン・バルセロナを舞台にしたロマンチック・コメディ。 ペネロペ・クルスがアカデミー助演女優賞を獲得した。
 親友同士のヴィッキー(レベッカ・ホール)とクリスティーナ(スカーレット・ヨハンソン)は夏のバカンスを楽しむために、バルセ ロナを訪れる。堅実なヴィッキーと奔放なクリスティーナ。対照的な2人は画家のフアン・アントニオ(ハビエル・バルデム)と出会い、 クリスティーナはたちまち恋に落ちる。ヴィッキーもふとしたことで彼と一夜をともに・・・。
 そんな中、ファン・アントニオの元妻マリア・エレーナ(ペネロペ・クルス)が現れ、奇妙な四角関係が始まる。
 
  一口感想
 アメリカからやってきたクリスティーナとヴィッキーは、画廊のパーティで噂の画家ファン・アントニオを見かける。浮気がばれて刃傷沙汰の末に離婚したばかり、一大スキャンダルだったのよ、と いう話に奔放なクリスティーナは興味津々。暴力を振るったのは男と決め込んで、眉をひそめるのは婚約中の慎重なヴィッキー。話の種にされているのを百も承知で、粘っこい視線を送ってくるファン・アントニオ。
 序盤、三人三様の思惑が宙をふわふわ漂う感じが面白い。

 深夜のバーで再会すると、ファン・アントニオは「オビエドで一緒に週末を過ごそう」と2人を誘う。お酒に食事にその後はセックスを、と臆面もない。
 ヴィッキーは憤然と断わり、クリスティーナは大いに乗り気。さんざんやりあって、場面が変わると3人ともオビエドに向かう飛行機に乗ってるのが笑わせる。
 フェロモン男には違いないけど、どこかあっさりさっぱりしているファン・アントニオ。バルデムのキャリアの中ではアクが薄く、珍しい気がする。

 ファン・アントニオと関係を持つのがクリスティーナよりヴィッキーが先なのは意外だったけど、もっと驚いたのは、突然現れる彼の元妻マリア・エレーナだ。
 早口でまくし立てる勢いのよさは、パチパチ弾けるねずみ花火のよう。彼女の前では、大男のファン・アントニオでさえ借りてきた猫みたいに見える。ここに至って、離婚騒ぎで暴力を振るったのは彼女のほうだったのね、と腑に落ちる。
 ゴージャスかつ才能あふれる危うい女をペネロペ・クルスが思い切りよく怪演。

 おさだまりの修羅場の後は、クリスティーナと元夫婦、3人一緒の奇妙な同居生活が始まる。天分を持ちながら、情緒不安定で芸術家と して一本立ちできないマリア・エレーナ、彼女の才能に影響を受け、今も頭が上がらないファン・アントニオ。
 お互いを必要としているのに、磁極のプラスとプラスのようにすぐ激しくぶつかり合う2人は、クリスティーナがいると関係が安定 する。つまりはクリスティーナは2人のための緩衝剤で、利用されているといえないことはない。海辺に座って「私が求めていたのはこ んなこと?」としょんぼり考え 込む姿についクスリとしてしまう。

 ヴィッキーはヴィッキーでオビエドの一夜でファン・アントニオが忘れられなくなり、その上、婚約者はニューヨークからやってくるし、話は入り組むばかりだけど、演出が手際よいせいかぜんぜん混乱はしない。
 ヴィッキーの婚約者の退屈だけど常識的な見解が、ストーリーをほど良く落ち着かせているのにも注目したい。
 異国で羽を伸ばして見たけれど・・・、アメリカ娘のアバンチュールの落としどころがアレン監督らしい。バルセロナが魅力たっぷりに描かれ、どうしても一遍は行ってみたい!という気分にさせられる。
  【◎△×】7

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7月

夏時間の庭

2008年  フランス  102分
監督 オリヴィエ・アサイヤス
出演
ジュリエット・ビノシュ、シャルル・ベルリング
ジェレミー・レニエ
エディット・スコブ、アリス・ド・ランクサン

  ストーリー
 ある夏の日、母エレーヌ(エディット・スコブ)の誕生日を祝うために、3人の兄妹(シャルル・ベルリング、ジュリエット・ビノ シュ、ジェレミー・レニエ)が久々に顔を合わせる。
 大叔父の美術品コレクションを管理してきたエレーヌは、自分の死後は、子供たちの負担にならないよう、それらを処分するようにと 長男フレデリックに告げる。フレデリックは、自分たち兄妹で守る、と反撥するが・・・。
 1年後、画家でもあった大叔父の回顧展を済ませると、エレーヌは急逝する。母の遺言と遺品の相続処理をめぐって3人兄妹の思いは 揺れる。
 フランス・オルセー美術館の協力で製作され、コローやルドンの絵、アール・ヌーヴォーの家具など、本物の美術品がスクリーンを 彩っている。
 
  一口感想
 家族構成もストーリーも、なにより家族が集まる家の光景がまるで違うのに、是枝裕和監督の『歩いても 歩いても』(07)を思い 出した。思い出を共有する家族が子供の成長・独立とともにゆるやかに解体し、親の死と入れ替わるように次の世代の物語がひもとか れる。そこに漂う淡い寂しさと、未来につながる希望が似ているように思えたのだ。

 本作の舞台になるのは、かつて画家だった大叔父がアトリエとして使っていた、パリ郊外の一邸 宅だ。広大な庭を走り回る子供たちの喚声で、映画の幕は開く。老母エレーヌの誕生日を祝うために、3人兄妹が家族を連れて集まっているのだ。
 あふれる緑、つややかに光る風と揺れる木洩れ陽、・・・豊穣な夏の匂いが画面を包み込み、家族の幸せを表わしているようだ。
 しかしパーティが終わり、兄妹それぞれが慌ただしく帰路に着くと、庭に漂うのは寂寥感・・・。

 やがてエレーヌが亡くなり、邸と多くの美術コレクションが遺される。長男フレデリック(シャルル・ベルリング)は当然のように自分たちが順ぐりに管理するものと考えるが、生活の拠点が国外にある妹アドリエンヌ(ジュリエット・ビノシュ)、弟ジェレミー(ジェレミー・レニエ)は違う。
 愛惜の思いはあっても、2人は今この家を必要とはしていないのだ。莫大な相続税の問題もある。話し合いの結果、フレデリックが折れて、邸も美術品も手放すことになる。

 がらんとした家をお手伝いのエロイーズが窓から覗く。人の息遣いが消え、家の生命が終焉(しゅうえん)に 向かっているというリアルな感覚に胸がきゅっとなる。家が明け渡される前に、孫娘シルヴィ(アリス・ド・ランクサン)が開く パーティでいっとき活気が甦るけれど、けたたましいロックが流 れて、もはやかつての典雅な面影はない。
 時の移ろいは喪失の痛みを伴うことを感じさせる。

 それだけに、シルヴィが庭でボーイフレンドに祖母の思い出を語って涙するのが思いがけなかった。
 家族をつなぐ「記憶」という絆は、時が流れ、家族の形は変っても、変わらない。問題行動の多い現代っ子の孫娘だからこそ、そのことが強く胸に迫った。

 本物の美術品が画面のあちこちに登場し、無造作に暮らしの中で使われている様子が興味深かった。その方面にうとい私は本当の価値は 見当もつかないが、ブラックモンの花瓶には花が活けられ、ルイ・マジョレのガラス戸棚は物入れになっている。
 これらがオルセー美術館に寄贈され展示されると、急に取り澄まして、輝きを失ったように見えたのは皮肉なことだった。家も芸術も暮らしの息吹の中ではじめて本来の生命力を発揮するのかもしれない。
  【◎△×】7

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9月

HACHI 約束の犬

2008年  アメリカ  93分
監督 ラッセ・ハルストレム
出演
リチャード・ギア、ジョーン・アレン、ジェイソン・アレクサンダー
サラ・ローマー、ケイリー=ヒロユキ・タガ

  ストーリー
 渋谷の駅前で不帰の人となった主人を待ち続ける、日本人なら誰もが知っている “忠犬ハチ公” の物語をハリウッドがリメイク。 ハートフルな作風で知られるラッセ・ハルストレム監督がメガホンを取っている。
 アメリカ東海岸郊外のベッドリッジ。寒い冬の夜に、大学教授パーカー・ウィルソン(リチャード・ギア)は迷い犬になった秋田犬の 子犬を見つけ、妻ケイト(ジョーン・アレン)の反対を押し切って飼い始める。
 首輪のタグに刻まれていた文字から「ハチ」と名づけられて子犬はすくすくと成長し、やがてパーカーを駅まで送り迎えするように なる。ある日、パーカーは講義中に突然倒れてしまい・・・。
 
  一口感想
 日本人ならだれでも知っている “忠犬ハチ公”。なんで今ハリウッドでリメークなの?と思いつつ、やっぱり見に行ってしまった。 というのも、私の犬体験の原点は子供の頃飼っていた秋田犬とシェパードの雑種、秋田犬にはとくべつの思い入れがあるからだ。
 大きくて悠揚迫らぬ貫禄があった。尻尾を持ち上げたりしても(ほんとはけっこう痛かったんじゃないかと後になって思うけど)、 ちっとも騒がない。ゆっくり振り向いて鼻先を押しつけてくる。そんな犬だった。

 映画の冒頭、山梨の田舎でアメリカに送るために籠に入れられる子犬のハチを見た時は、もう、「わー・・・」といったきり言葉も ない。生まれて2、3ケ月の和犬の子犬ほど愛くるしいものはない。主人公の大学教授パーカーが、駅でよちよち歩きの迷い犬ハチを 見て、一目で心を奪われたのは無理もない話なのだ。

 本作で嬉しいのは、欧米の人にはまだなじみの薄い和犬の特徴をきちんと伝えようとしているところだ。今ウチで飼っているのは柴犬だが、「お手」と「お座り」はしつけられたけど、「(ボールを)取って来い」はダメだった。ハチがまったく同じなのね〜。これには笑ってしまった。

 “しつけの本” は洋犬を基準に書いてあるんだなぁ、とつくづく思う。よく、「餌で釣れ」と書いてあ るけど、ダメ。犬は褒められたり飼い主の喜ぶ顔を見たがる、というのも洋犬の場合なんでしょうね。和犬は自分がしたいことをし、したくないことはしない。マイペースの自分流だ。
 飼い主一筋、ほかの人にはなかなか馴染まない。ハチは町の人みんなに可愛がられるけれど、過度に甘えないのは、和犬の特徴じゃないか思う。

 ハチを見ていて、誰かに似てる、とずっと思っていた。小さくてちょっと上がり気味の目、きゅっと引き結んだ口。あ、寅さんだ。子供の頃、家で飼っていたのはシェパードが交じっていたせいか、ハチより少し鼻が長くて、ちょっとスマートな顔だったけど、そうかぁ、純秋田犬って顔も思い切り日本犬なんだぁ。(^ ^

 時おりモノクロ映像で犬から見た世界が映されるのが新鮮だ。といって、ことさら擬人化するわけではなく、淡々と犬は犬として 描かれる。その距離感が好ましい。
 にやけたところが鼻につく時もあるリチャード・ギアが、女房の尻に敷かれっぱなしの愛犬家、とちょっと意外な役柄を好演。ハチが まるで本当の飼い主のようになついているのに驚いた。私生活でも犬好きというギアを、ハチ(役の犬)はパートナーとして認めたんでしょうね。

 10年後、すっかり老いたハチが首を垂れてとぼとぼ歩く姿を見ただけで、もう胸が一杯。教授の妻ケイトがハチと再会する場面、駅前のいつもの場所でハチが眠るようにあの世に旅立つ場面は、やっぱり涙がこみ上げる。本家 “ハチ公” へのオマージュもきちんと盛り込まれているのが好感が持てる。温かい気持ちで劇場を後にした。
  【◎△×】7

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8月

ハリー・ポッターと謎のプリンス

2008年  イギリス/アメリカ  154分
監督 デヴィッド・イェーツ
出演
ダニエル・ラドクリフ、ルパート・グリント、エマ・ワトソン
マイケル・ガンボン、ジム・ブロードベント
アラン・リックマン、トム・フェルトン

  ストーリー
 世界的ベストセラー「ハリー・ポッター」シリーズの映画化第6作。ハリー・ポッターと仲間たちが、闇の帝王ヴォルデモートとの 最終決戦に向けて、彼の過去と力の秘密を探る。
 闇の帝王ヴォルデモートの支配力が強大になっていく中で、ハリー(ダニエル・ラドクリフ)たちのホグワーツ魔法学校はかつてない 脅威に警戒を強めていた。最終決戦が近づいているのを悟ったダンブルドア校長(マイケル・ガンボン)は、ヴォルデモートについての 重要な情報を持つ元同僚の旧友ホラス・スラグホーン(ジム・ブロードベント)を教授として学校に迎え入れる。
 
  一口感想
 夏は『ハリー・ポッター』シリーズで過ごしてきた私は、今年も新作を見にいそいそと劇場に赴いた。第1作『ハリー・ポッターと賢者の石』が公開されたのが2001年。8年が経ち、ハリーやロン(ルパート・グリント)、ハーマイオニー(エマ・ワトソン)たちもすっかり大人になった。
 顔からはあどけなさが消え、みんな輪郭のはっきりした意志の強そうな表情だ。いよいよ悪との最終決戦に向けて、ストーリーの舵が切られたのを感じる。

 そういえば、これまでは父親の威光を傘にした生意気で嫌みな男の子、というだけの印象だったドラコ・マルフォイ(トム・フェルト ン)も、ホグワーツの制服を抜いでスマートなダークスーツを身にまとい、悪のイメージが鮮明になり、一方で、そうした自分への迷いも 感じられ、キャラクターは複雑になってきた。

 イメージの変化は子供たちだけではない。第1作で「悪い人」と思ったらじつは「いい人」だったスネープ先生(アラン・リックマン)(わー、「いい人」「悪い人」と単純な二分法でコトが足りていた第1作の世界が懐かしい)が、本作では悪に取り込まれて、いよいよ謎めいてきた。
 じつは私はまだ彼が本当に「悪い人」なのか信じかねていて、2部作構成の最終巻で再どんでん 返しがあるんじゃないか、とひそかに期待してるのです。(原作を読んでいる人はもう分かってるんでしょうねぇ〜。)

 マクゴナガル先生は出番が少なくて影が薄くなったのが寂しいが、代わりに、今回はダンブルドア校長が大活躍する。
 ハリーと2人だけで赴いた洞窟の場面では、水盤の水を飲み干した校長の苦しみがあまりに激しくて、ハリーが動揺して判断力を失うのではないかと ハラハラしっ放しだ。これも校長がハリーに与えた試練、ヴェルデモートとの対決が近づいているのを知り、そのための準備をさせようとしているのだ。
 そして最後に老校長を見舞う悲運・・・。あー、これも私は信じたくない・・・。

 のちにヴェルデモートとなるトム・リドルの前身、ホグワーツ在学中に彼はどのようにして悪の力を手に入れたのか、それらが明かさ れるのが本作最大の見どころだ。
 秘密の鍵を握るのはダンブルドアの旧友スラグホーン先生。陽気で見栄っ張りでそのくせ気が弱くて、トム・リドルにかかわる彼の記憶が掘り返されていく過程は本作の中でもっともスリルに富んでいる。

 ロンをめぐるハーマイオニーと同級生ラベンダーの恋の鞘当て、ロンの妹ジニーと急接近するハリー、とお年頃になった彼らの恋模様も 描かれる。本筋とのからみが弱く、少々雑然とした印象になったのが残念だけど、夏のお楽しみの一作は今年も魅力いっぱいだった。
  【◎△×】7

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