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今月見た新作映画 2008年

4月〜6月



6月

幻影師アイゼンハイム

2006年  アメリカ/チェコ  109分
監督 ニール・バーガー
出演
エドワード・ノートン、ポール・ジアマッティ
ジェシカ・ビール、ルーファス・シーウェル

  ストーリー
 幻想文学の書き手として世界的人気を博するピューリッツァー賞作家スティーヴン・ミルハウザーの短編集から同名の1編を映画化。
 19世紀末、ハプスブルク帝国末期のウィーン。町中の人気をさらう天才奇術師アイゼンハイム(エドワード・ノートン)は、ある 日、初恋の女性ソフィ(ジェシカ・ビール)と再会する。幼なじみの2人は、かつて愛し合いながらも、身分の差から引き裂かれたのだ。 ソフィは今や皇太子レオポルト(ルーファス・シーウェル)の婚約者となっていた。
 宮廷のパーティで、アイゼンハイムはレオポルトに恥をかかせる挑発的な奇術を演じ、激怒したレオポルトは警部ウール(ポール・ ジアマッティ)に「彼を潰せ」と命じる。その後ほどなくしてソフィは謎の死を遂げ、町には皇太子謀殺の噂が流れる。やがてアイゼン ハイムは、死者の魂を甦らせる奇術を演じると発表するが・・・。
 
  一口感想
 仄かな明るみの中に浮かび上がる19世紀末のウィーンの街並み。黄昏を思わせる蜂蜜色の色調は、隆盛を極めたハプスブルグ帝国の 落日を示すかのようだ。アメリカ映画とは思えないク ラシカルなムードに魅了される。

 “幻影師”、・・・魔術でも奇術でも手品でもない。アイゼンハイムが次々に舞台に呼び出すのは、まさに不可思議な幻影だ。
 台上の鉢の中からオレンジの芽が伸び、木になり、枝を延ばし、やがて実がなる。本物である証拠として、彼はそれをナイフで切って みせる。気がつけば、箱に入れて観客がしっかり膝に抱えていたはずのハンカチーフが宙に浮き、二羽の蝶が運んでくる。
 あるいはアイゼンハイムが思考を凝らし、手を延ばす。その先の空気が揺らめき、白い影が現れ、やがてはっきりと人の形を取る。 観客と2つ3つ不確かな会話を交わすと、再び空気は揺れ、影は霧となって消えていく。
 当時のロウソクだけの仄暗い舞台で演じられるマジックに、観客はどれほど驚き、魅せられたことかと思う。

 アイゼンハイムに扮したエドワード・ノートンがはまり役。端正な二枚目なのに、ラブストーリーの主役を張るのはこれが初めてとか、意外だった。たしかに、どこか油断のならない曲者を演じることの多い彼、眩しそうに眇(すが)めた目がその印象を強める。
 本作でも、王宮のパーティで、みなが皇太子レオポルトに花を持たせるのかと思っていると、逆に恥をかかせる奇術を演じるところに、その面目が発揮されていた。
 一方、川面に浮かんだ恋人ソフィの遺体を抱きしめ、声にならぬ叫びを上げる彼のセクシーなこと。予告編でこの場面を見て「この 映画、ぜったい見るゾ」と決めたほど素敵だった。ノートンにはもっともっともっとラブストーリーに出てほしい。

 ところでラストのキメかただが、ウール警部が駅頭でアイゼンハイムの姿を見失うところで終わりにしたほうがいい、あれじゃいくら 冷酷な皇太子とはいえ可哀想すぎじゃないですか、・・・と初めは思ったのだが、帰る道々、だんだん疑問が湧いてきた。いかにも取って つけたような結末だ、私たちはアイゼンハイムの作り出した幻影に、舞台だけでなく、ストーリー上でも欺かれているんじゃないか、と思い始めたのだ。

 皇太子の命令で、ウール警部がアイゼンハイムを詐欺罪で逮捕しに来る場面に思いが至った時、「あ・・・」と思った。アイゼンハイム はテラスの下に集まった人々に「君たちが見たものはすべて幻影だ。トリックなのだ」と告げる。そして「真実を告げたのだから、 詐欺ではない」とウール警部にいうのだが、あれ(太文字)はじつはこの映画そのものをいった言葉だったんじゃないかしら・・・。

 この物語はウール警部の目を通して語られている。だから、彼がアイゼンハイムに幻惑されれば、私たちも幻惑される。物語自体が 大きなトリックだとすれば、その鍵はウール警部が握っている・・・。そんな風に思えてきたのだ。そうなるとあのラストに、“ウール警部の夢想” という仮説を立ててもあながち奇異ではなくなる。
 彼の幻想に共鳴してハッピーエンドにしてもよし、「騙されないゾ」と悲恋の結末を取ってもよし、奇妙な味わいの映画に出会って しまった。
  【◎△×】7

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6月

恋の罠

2006年  韓国  139分
監督 キム・デウ
出演
ハン・ソッキュ、キム・ミンジョン、イ・ボムス
オ・ダルス、アン・ネサン、キム・ルェハ

  ストーリー
 韓国・李朝時代。名文家として知られる堅物のお役人ユンソ(ハン・ソッキ)は、ふとしたことで官能小説に出合い、虜になる。 自らもひそかに筆を取って書いた淫乱小説は大人気となり、さらに挿絵画家として義禁府の役人イ・グァンホン(イ・ボムス)も引き 入れ、版元ファンガ(オ・ダルス)らとともに、官能描写に磨きをかける。
 そんな時、美貌の寵妃チョンビン(キム・ミンジョン)に誘惑されたユンソは、小説のネタになるという目論みもあって危険な恋に 踏み込んでいく。やがてそれは王(アン・ネサン)の知るところとなり・・・。
 
  一口感想
 ヨーロッパや中国の時代劇(コスチューム史劇)は私の好きなジャンルだが、最近はこれに韓国ものが加わり、楽しみが増えた。衣装や 小物、調度など、どこか見知っているようで、そのくせ珍しくもある。その狭間の感覚が新鮮だ。

 本作はハン・ソッキュがこともあろうにエロ本作家になるという。どんな顔して書くんだろう。にやけたイヤらしい顔は見たくない けど、ちょっぴり(かなり?)興味があるのも事実。彼が演じるのは、ユンソという司憲府(文書を扱う役所)の役人で、名文家を自負 している。これまでのイメージ通り、まじめで律儀な堅物だ。
 そんな彼が偶然目にした猥褻(わいせつ)本の過激な言葉使いや表現にうろたえ、目を逸らしつつも気になり、 さらには版元ファンガの「エロ本とは “男女の真髄” だ」という言葉に、「真髄? それは何だ」と聞き返して、「そんなことも知らずに 文を書いていたのか」と言われてしまい・・・。
 軽妙かつユーモラス、こんなハン・ソッキュはこれまで見たことない。

 淫乱小説に目覚めたユンソが挿絵を入れることを思いつき、絵の巧い義禁府(警察のようなものか?)の役人グァンホンに話を持ち かける。演じるイ・ボムスは私は初めて見る俳優だが、淫靡(いんび)な世界に首を突っ込むことになって、 具合が良いよう な悪いような、みょうちきりんな気分の出し方がじつに巧い。
 こうして作家ユンソ、挿絵画家グァンホン、版元ファンガの3人は、ベストセラーを出すべくさまざまに性の奥義を探求することに なるのだが、息のあった掛け合いに加えて、黒子の小人が彼らの妄想を実演して見せたりと、腹の皮はよじれるばかりだ。

 こんな調子で進むのかと思いきや、ただの艶笑譚で終わらせないのが韓国映画。中盤過ぎから王の寵姫チョンビンをめぐって意外な成り行きになっていく。
 拷問場面の凄惨さは、さっきまでクスクス笑っててごめんなさい、と言いたくなるような迫力だ。軟弱と思われていたユンソの剛直さ、 グァンホンとの友情、さらに王にさえ「男を愛したことがない」と言わしめるチョンビンに報われぬ愛を捧げるチョ内侍(=宦官)、 彼女の愛が得られぬことに苦悩する王自身、などがストーリーの陰影を深くする。

 とくにチョ内侍を演じたキム・ルェハは、地はすごい悪人面なのだが、チョンビンの散策に慇懃 (いんぎん)に従いながら浮かべる柔和な微笑や、彼女の秘密を守り抜こうとする時の鋭くも切ない目など、千変万化の表情に感嘆した。
 惜しむらくは、男たちの愛の核心となるチョンビン役の女優の演技が若いこと。奔放な傲慢さ、子供っぽいキュートさ、真の愛を求める 切なさなど、万華鏡のようなキラメキと深みがほしかったが、精一杯がんばっていたと思う。

 ハードな場面が続いた後で、また軽快でコミカルなタッチに転調する手際が見事だ。官能と書く喜びの両方を体得したユンソが、 グァンホン、ファンガと更なる性の新境地に挑む。懲りない男たちの友情と笑いで収めたラストが鮮やかだ。
  【◎△×】7

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6月

譜めくりの女

2006年  フランス  85分
監督 ドゥニ・デルクール
出演
カトリーヌ・フロ、デボラ・フランソワ、パスカル・グレゴリー
アントワーヌ・マルティンシウ、ジュリー・リシャレ

  ストーリー
 ピアニストになる夢を絶たれた少女が成長し、恨みを抱くピアニストに接近して復讐を図る心理ミステリー。
 少女メラニー(ジュリー・リシャレ)は音楽学校の入試に失敗する。審査員の人気ピアニスト、アリアーヌ(カトリーヌ・フロ)に 集中力を乱され、実技でミスを犯したからだ。音楽の道を絶たれたメラニー(デボラ・フランソワ)は、十数年後、アリアーヌの息子の 世話係として彼女の家庭に入り込む。
 数年前の交通事故以来、演奏に自信を失い、情緒不安定になっていたアリアーヌは、メラニーに演奏中の楽譜をめくる役割を頼み、 やがて絶大な信頼を寄せるようになるのだが・・・。
 
  一口感想
 ピアニストの映画は多いけれど、譜めくりを主人公に据えた話は初めてのような気がする。たしかに演奏会などで、ピアニストの横に ひっそり座り、時おり立ち上がってページをめくる女性がいるけれど、ほとんど気に留めたことはない。いるのにいない透明人間みたいな 存在だ。そんな題材の目新しさに惹かれた。

 しかし、ヒロインのメラニーが人気ピアニストのアリアーヌに恨みを抱くきっかけになった出来事が、私には感情移入しにくかった。
 音楽学校の入試で、メラニーが実技演奏をしている時、若い女性が入ってきて審査員のアリアーヌにノートを差し出す。サインを ねだったものらしい。アリアーヌが応じると女性はそっと出ていく。
 張りつめた神経で演奏している受験生にとっては、たしかに緊張の糸が切れる出来事だったと思うけど、無言で応じたアリアーヌの 行動はそれはそれで私は納得できるなぁ。「あなた、ダメよ」とかはっきり咎めだてしたら、かえって空気を大きく乱しちゃうと思う。 メラニーが恨みを向ける相手は、むしろ試験中だというのに室内に入ってきた若い女性(の無神経さ)のほうだと思うんですけねぇ。

 メラニーがアリアーヌに接近し、彼女の譜めくりになるまでの手順が回りくどいのも気になった。偶然が積み重なった感じ。本当はメラニーが綿密に計算し、仕組んだすえのことと思うけど(そうでないと話が成り立たない)、そういう緊迫感が伝わってこないのです。

 復讐の内容も私にはもう1つピンとこなかった。たとえば、メラニーは演奏会が始まる直前に姿をくらまし、ここ数年演奏に自信を失っているアリアーヌを不安に陥れる。まー、たしかに結果として演奏に乱れが出て、アリアーヌは大きな契約を逃してしまうのだけど、私は、違うページをめく って立ち往生させちゃうとか、もっと心臓がキリキリするような ものを予想していた。

 息子のトリスタンをダシにするのでも、プールに頭突っ込んだり猛練習で指に腱鞘炎(けんしょうえん)を起させたり、うーん、何なんでしょうね、これ・・・。
 終盤、メラニーがアリアーヌに仕掛ける罠も、私はかなり不自然さを感じてしまった。

 しかし、女優陣はいいです。デボラ・フランソワは頬骨が高くあか抜けない容貌だけど、何を考えているのか分からない冷ややかさが、だんだん魅力的に見えてくる。『ある子供』(05)から一皮むけた感。カトリーヌ・フロは、冒頭の自信にあふれた尊大さが、後半はメラニーに依存した情緒不安定さへと、ベテランらしい安定感のある演技だ。

 出色は、少女時代のメラニーを演じたジュリー・リシャレ。凝り固まったような頑なな表情が印象的。メラニーがどれほどピアニストに なることに執着していたかを、彼女のねちっこい演技でもう少し詳しく描いたら、後半の復讐ミステリーがもっと説得力を持ったのでは ないかと思ったほどだ。
  【◎△×】6

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6月

Mr.ブルックス 完璧なる殺人鬼

2007年  アメリカ  120分
監督 ブルース・A・エヴァンス
出演
ケヴィン・コスナー、デミ・ムーア、デイン・クック
ウィリアム・ハート、マージ・ヘルゲンバーガー

  ストーリー
 ケヴィン・コスナーが連続殺人鬼を演じて新境地を拓いたサスペンス・ミステリー。
 オレゴン州ポートランド。美しい妻(マージ・ヘルゲンバーガー)と大学生の娘を持つ良き家庭人のアール・ブルックス(ケヴィン・ コスナー)は、地元でも名士として知られる実業家だ。しかし彼には暗い秘密があった。それは殺人依存症。ある晩、衝動を抑えきれず、 セックス中の若いカップルを殺してしまう。しかしその一部始終を、向かいのアパートに住む盗撮趣味の青年(デイン・クック)が 隠し撮りしていた。
 一方、残された指紋から、2年の沈黙を破って連続殺人犯が再び動き始めたことを知った女性刑事アトウッド(デミ・ムーア)は、 追跡捜査を開始する・・・。
 
  一口感想
 久々のケヴィン・コスナー主演映画だ。かくべつ大ファンというのではないが、『さよならゲーム』(88)、『フィールド・オブ・ ドリームス』(89)、『ダンス・ウィズ・ウルブズ』(90)、『JFK』(91)、この頃 の彼は好きだった。のちに女性スキャンダルが発覚して、ミスター・クリーンの名も失墜したけれど、独特の清潔感がある。
 しばらく見ないと思ったら、なんとシリアル・キラーとして登場するという。一体どんな?という興味で見にいった。

   連続殺人鬼というと自分の衝動に無自覚に殺人を繰り返すパターンの映画が多いが、彼が演じるブルックスは自分を “殺人依存症” とはっきり自覚しているところが変わっている。
 断酒会に出席して、殺人欲求を抑えようと努力する。彼はアルコール依存ではないが、まさか殺人依存症の会なんてないから、この辺で手を打ってるところが可笑しいやら、涙ぐましいやら。
 この2年、どうやらそれが功を奏している。円満な家庭と成功した事業を持つブルックスは、この幸せを守るためにも、もう殺人を犯し たくないのだ。良き社会人の顔は世間を欺くための仮面ではなくて、彼としてはこっちが自分の真の姿だと思いたい。殺人への欲望に苦悩する殺人鬼。そこ がユニークだ。

 ブルックスの内面を2つに分けて、殺人衝動はウィリアム・ハートが演じるマーシャルという人格にしたことで、内的な葛藤がどろどろ せずにユーモアさえたたえて表現された。
 マーシャルはいつも傍らにいて、時々ヌッと顔を出してはブルックスを殺人に誘う、「これが最後だから」と。必死に抗(あらが)う耳元に囁く様子はホモセクシュアル的な匂いすら漂い、妙な気分にさせられる。
 マーシャルは誘惑者としてだけでなく、ブルックスが窮地に陥った時には頼もしい相談相手にもなる。こんな “男” が心中深く棲み 着いているのでは、ブルックスの依存症は治りそうもないなぁ・・・。コスナーが共演を熱望したというだけあって、ハートの鵺(ぬえ)のような存在感が見事だ。

 女刑事アトウッドに扮したデミ・ムーアも、プライベートなトラブルをバネに、執拗にブルックスを追うタフネスぶりがぴたりとはまった。
 年下の夫との離婚調停は難航し、その上、かつて彼女が逮捕した殺人犯が脱獄して復讐の機会をうかがっている。これら彼女を 取り巻く状況が、最後はブルックスとの関係の中に納まっていく脚本のうまさに感心した。

 渋みを増したコスナーが思っていた以上にかっこいい。“殺人依存症” 予備軍ともいうべき向かいのアパートの若い男、“ミスター・ スミス” を連れて、獲物を探して車を走らせるシーンでは、熟練の殺人者の余裕さえ感じさせる。
 大学を中退して帰省した娘に、家庭人と殺人者としての二面性を直撃されるシーンで見せる苦悩。ダーティさにも適度な甘さと苦味が あるところがコスナーらしい。この娘がブルックスに殺人者としての業の深さを思い知らせるラスト、鮮やかな幕切れだった。
  【◎△×】7

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6月
山桜

2008年  日本  99分
監督 篠原 哲雄
出演
田中 麗奈、東山 紀之、檀 ふみ、篠田 三郎
高橋 長英、永島 暎子、富司 純子、村井 国夫

  ストーリー
 藤沢周平の同名短編小説の映画化。舞台は藤沢作品でおなじみの北の小藩、海坂(うなさか)藩。
 最初の夫に先立たれた野江(田中 麗奈)は、金に執着する2度目の嫁ぎ先の磯村家で、出戻りと蔑まれる暮らしに耐えていた。ある 春の日、叔母の墓参の帰りに美しい山桜に目を止めた野江に、一枝を手折(たお)ってくれた男がいる。かつて彼女を嫁にしたいと申し込んだ手塚弥一郎(東山 紀之)だった。
 不作続きで農民は貧窮にあえいでいたが、重臣の諏訪(村井 国夫)は新田開発を名目に私腹を肥やすことをもくろみ、藩には彼に取り 入ろうとする者ばかりが目立っていた。そんな中で、野江は実家の父(篠田 三郎)と弟の話から、手塚が諏訪を斬ったことを知る。
 
  一口感想
 清冽な川の流れをしばし眺めたような後味に、帰宅してすぐ書棚から原作を取り出して読み返した。短編集「時雨みち」に収められた ごく短い一遍だ。
 小説というのは行間に込められた情景を思い浮かべ、想像を膨らませることで、味わいが深くな ることが多い。藤沢周平の無駄のない選び抜かれた言葉で綴られた文章は、とくにその感が強い。映画は映像で具体的に見せてしまう分、研ぎ澄まされた端正な藤沢ワールドの再現は、かえって難しいことに思える。
 本作は原作にないさり気ないエピソードや映像を付け加えることで、もともとの味わいを失わずにそれを果たしているのに驚嘆した。

 たとえば、原作では姿を見せない野江の父親や弟を画面に登場させることで、実家の堅実で温かな空気を示し、さらに藩内の情勢を 語らせる。凝然と端座する弥一郎の姿を時おり挿入することで、ある決意が彼の中で静かに高まっていくのを映し、重臣・諏訪との切り裂くような対決につなげていく。

 野江の婚家の下男・源吉が原作にはない人物だったのも意外だったが、野江と彼がたがいを思い遣りながら心を通わす様子が清々しい。 そしてタイトルにもなっている満開の山桜や雪に覆われた冬の光景など、折々に映しだされる東北の四季の美しさ。
 もともとが短編だけにストーリーに大きな広がりや起伏があるワケではないが、それだけに、かえって滋味が深くなるような気がする。

 主演の田中麗奈は面立ちが稚ないのが気になった。80年生れというから28歳になっているわけだが、17、8歳くらいにしか見え ない。せめて24、5歳に見えたらもう少し落ち着いたかなと思う。しかし、富司純子、壇ふみ、永島暎子らベテラン女優陣に囲まれて よくがんばった。楚々とした風情の中に醸し出される強さとけな気さは、現代劇から時代劇へと演技の幅が広がったのを感じさせた。

 弥一郎に扮した東山紀之には正直、驚いた。凛とした風格と端然とした佇まい、冒頭の野江と会話を交わす場面以外は科白もないが、表情だけで必要なすべてを語る。これほど奥行きのある演技をする人とは思わなかった。
 桜の枝に手を延ばす野江に、背後から「手折って進ぜよう」と声をかけ、去り際に振り返って「今は、お幸せでござろうな」と尋ねる場面は、日本語の美しさとともに、抑えた情感が気品を感じさせて印象深かった。
 殺陣(たて)の鋭く剛毅な動きにも目を奪われた。

 野江が、一度も嫁がずに亡くなった叔母を、「深く想う人を胸に秘めていた叔母は不しあわせとはいえないかもしれない」と思い返す のが、女としての深まりを感じさせる。
 遠回りしたけれど、やっと自分の道をみつけた野江、獄舎で窓からのぞく空を仰ぐ弥一郎、そして春の青々した田の光景とお国入りした藩主の行列・・・、一条の希望を感じさせるラストが爽やかだ。
  【◎△×】7

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