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今月見た新作映画 2008年

1月〜3月



2月

いつか眠りにつく前に

2007年  アメリカ  117分
監督 ラホス・コルタイ
出演
クレア・デインズ、パトリック・ウィルソン、ヒュー・ダンシー
メイミー・ガマー、ヴァネッサ・レッドグレーヴ、トニ・コレット
ナターシャ・リチャードソン、メリル・ストリープ

  ストーリー
 スーザン・マイノットの小説を、本人自身とピュリッツァー賞受賞作家のマイケル・カニンガムの共同脚本によって映画化。
 病に倒れたアン(ヴァネッサ・レッドグレイヴ)は、長女コンスタンス(ナターシャ・リチャードソン)、次女ニナ(トニ・コレット) に見守られながら最期のときを迎えようとしていた。混濁する意識の中で、彼女の思いは40数年前の夏の日の出来事に飛ぶ。
 親友ライラ(イミー・ガマー)の結婚式のためにロードアイランドを訪れたアン(クレア・デインズ)は、ライラの初恋の相手でもある ハリス(パトリック・ウィルソン)と出会い、恋に落ちる。しかしその後に思いがけない悲劇が起こり、2人は別々の人生を生きることを 余儀なくされてしまう。
 アンと長女コンスタンスに、ヴァネッサ・レッドグレイヴとその実娘ナターシャ・リチャードソンが扮し、現在と40年前のライラを、 メリル・ストリープとその実娘メイミー・ガマーが演じている。
 
  一口感想
 あの時ああすればとか、こうしなかったらと、ただの一度も思ったことがない人っているだろうか。それは淡い悔いであったり、なだ らかな悲しみであったり、チクチク胸を刺す小さな棘であったりする。分岐点は常にあり、どちらを選ぶべきか迷い、捨てた選択肢に 思いを残し、そうして人は生きてゆく。“人生は選択の連続” という当たり前のことを、あらためてしみじみ思う映画だった。

 何十年ぶりに再会した親友ライラ(メリル・ストリープ)に、アンは「あの時、私かあなたのどちらががハリスと結婚すべきだった」と いう。そうだろうかと私は思う。もしそうしていれば、2人はそれぞれ、親友から愛する人を奪った、奪い取られた、という傷を抱いて その後を生きたかもしれない。

 ライラは「私たちはなすべきことをしたのよ」と答える。「あなたも私もその時一番いいと思う道を選んだの。完璧だったわけではない けれど、それが自分の選択だった」と。心の中にそっと滑り込んだこの言葉に、私は耳を澄ませた。過去を振り返ることが多くなった 年齢への、なんとやさしいいたわりの言葉だろう・・・。

 アンに「幸せだった?」と聞かれて、ライラはゆっくりと「いつも不幸じゃなかったわ」と答える。そうなのだと思う。人生は幸せ ばかりではなく不幸せばかりでもない。あの時、挙式を目前に迷い混 乱していたライラ。しかし、彼女はその後の人生を平凡ながらも豊かに生きてきたのだ。彼女の穏やかな微笑がそれを示している。

 この映画でもう1つ胸に響いたのは、アンの長女コニーが妹ニナにいう言葉、「母親というのは、何をしても、何もしなくても、子ども を傷つけるものなの」だった。
 親であるのは苦しいことだと思う。ニナは幸せになることにも母親になることにも自信がなく、愛する夫にさえ心を閉ざしている。怯えやすい心をアンにしっかり受け止めてもらえなかった怒りが、ずっとニナの中で燻(くす)ぶっていたように見える。母親は居るだけで子どもを傷つけ、同時に幾つになろうと子どもの世界のすべてでもある。その苦しさと喜びが “母親” であることなのだと思う。
 ニナが意識の混濁したアンに寄り添い和解するラスト、そして自分の妊娠を受け入れ母になる決心をするのが嬉しかった。

 ライラの弟バディ(ヒュー・ダンシー)はちょっと不思議な人物だ。自分に同性愛的傾向があるのを知っていて、といってはっきり 自覚するのも怖くて、あえてアンに求婚する。それによって異性愛者であることを自他に確認しようとするわけだ。それでいて姉ライラに 近親姦的愛情も抱いている。彼の過度な明るさや酒癖の悪さは、こうした葛藤の代償行動なのだろう。

 彼はライラとハリスの結婚に異常なほどに執着するが、それによって自分の2人に対する想いを代理的に叶えようとしたのではない だろうか。彼は作家として1行も書かぬうちに死んでしまったけれど、自分の複雑な内面を凝視したら、すごい小説が書けたんじゃ ないかと思った。
  【◎△×】7

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2月

エリザベス:ゴールデン・エイジ

2007年  イギリス  114分
監督 シェカール・カプール
出演
ケイト・ブランシェット、ジェフリー・ラッシュ
クライヴ・オーウェン、アビー・コーニッシュ、サマンサ・モートン

  ストーリー
 前作『エリザベス』から9年、女王の地位に就いたエリザベスがスペインの無敵艦隊を破ってヨーロッパにイギリスの覇権を確立する までを描いている。
 1580年代後半、プロテスタントの女王として即位したエリザベス一世(ケイト・ブランシェット)は、国内に多数存在するカト リック信者や、虎視眈々とイングランド占領を狙うスペインなど、内憂外患に取り巻かれていた。側近ウォルシンガム(ジェフリー・ ラッシュ)の助けを借りて、独身女王であることを利点に巧みに外交バランスを保つエリザベスの前に、新大陸から帰国したウォルター・ ローリー(クライヴ・オーウェン)が現われる。
 
  一口感想
 人間くさい話題で世界中の耳目を集めるイギリス王室だが、いってみればこれは伝統みたいなもの。その最たるものがヘンリー8世だ。王妃の侍女だったアン・ブーリンに手をつけ、彼女と結婚するためには王妃を離婚しなければならず、離婚を認めないカソリックから離れるためにイギリス国教会を作り、その首長に納まってしまったという好色放縦な王様だ。

 そうまでして結婚しながら、たちまち飽きて、さらにその侍女のジェーン・シーモアに手を出し、アンには不倫や反逆罪の汚名を 着せて、ロンドン塔で処刑してしまう。
 イギリス王室の歴史は、こういってはなんだが、“お話” として抜群の面白さがある。

 エリザベスはこのアン・ブーリンとヘンリー8世の間に生まれた子供だ。父王の死によって彼女も長くロンドン塔に幽閉されたいきさつ は、前作『エリザベス』に描かれている。生れ落ちた時から彼女は宮廷の権謀術数の渦中で成長したのだ。持って生まれたすぐれた資質 が、境遇によってさらに磨かれたのはたしかだ。
 それを私が一番感じたのは、序盤、プロテスタント派の女王として即位したにもかかわらず、「国民の半数をカソリックという 理由で殺すのか。国民を罰するのは行動によってであって、頭の中にあることではない」と廷臣たちにいうところだ。

 スペイン・フェリペ2世と結婚した腹違いの姉メアリーは狂信的カソリックで、“ブラッディ・メアリー”(血塗られたメアリー)と いわれるほど徹底したプロテスタント弾圧をした。メアリー亡き後も、全ヨーロッパのカソリック化を図るフェリペ2世の圧力は大きい。
 従妹のスコットランド女王メアリー・スチュアート(サマンサ・モートン)も、カトリック派に担がれて王位を狙う厄介な存在だ。そう した状況でこういう判断を下せるのは、君主として彼女がいかに冷静で、並外れたバランス感覚を持っていたかの証しだと思う。

 田舎王国にすぎなかったイギリスが大国スペインの無敵艦隊を破ってヨーロッパに覇をとなえた時代だけに、エリザベス一世の政治的な 足跡が描かれるのかと思っていたら、映画はむしろ “人 間・エリザベス” に焦点を当てている。
 絶対権力者であるゆえにだれにも心を開けない孤独、新大陸という未知の世界を体験してきた冒険家ウォルター・ローリーへのひそかな憧れ、 信頼する侍女ベスとウォルターとの秘密結婚に対する嫉妬と怒り、従妹メアリー・スチュアートの処刑を命じなければならない苦悩、など 一人の女としての女王の内面が描かれる。
 「人間くさい」という意味ではイギリス王室ものらしい映画で、君主としてのエリザベスにかえって親近感を覚えた。威厳のなかにも 孤高の悲しみを漂わせたケイト・ブランシェットがさすがだ。

 2度にわたる女王暗殺未遂事件やスペインと対決したアルマダ海戦の波乱に満ちた展開、とくに “焼き打ち船” を敵艦に突っ込ませた り、女王自ら銀色の甲冑をまとい士気を鼓舞したりの海戦場面は歴史スペクタクルとしても楽しめた。
  【◎△×】7

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1月

シルク

2007年  カナダ/フランス/イタリア/イギリス/日本  109分
監督 フランソワ・ジラール
出演
マイケル・ピット、キーラ・ナイトレイ、アルフレッド・モリーナ
役所 広司、芦名 星(セイ)、中谷 美紀

  ストーリー
 アレッサンドロ・バリッコのベストセラー小説「絹」のカナダ・イタリア・日本などによる合作映画化。
 19世紀中頃のフランス。エルヴェ(マイケル・ピット)の住む村はバルダビュー(アルフレッド・モリーナ)の経営する製糸工場で 潤っていたが、蚕の疫病が発生してしまう。エルヴェは新妻エレーヌ(キーラ・ナイトレイ)を残して、質の良い蚕の卵を求めて はるかな日本を目指す。
 たどり着いた日本は幕末。雪深い山村でひそかに闇取引を行う権力者・原十兵衛(役所 広司)の屋敷で、エルヴェは絹のような肌を 持つ謎めいた美女(芦名 星)に出逢い、激しく惹かれる。
 
  一口感想
 日本に対する憧れを ‘女性’ に託して綴った幻想的な物語。原作者のアレッサンドロ・バリッコは実際には一度も日本に来たことは ないそうだ。それだけに、絹の滑らかな手ざわりを通して紡 がれる日本女性のイメージは、霧のようにとらえどころがなく、いっそう美しいものになったのだろう。

 フランス人青年エルヴェは、良質の蚕の卵を求めてヨーロッパからロシアを横断し、海を渡ってはるばる日本にやって来る。そして、 雪に埋もれた山村で幽玄の美を湛えた ‘女’ を知る。
 本作のプロデューサーの1人、酒井園子さんによると、原作では、エルヴェが初めて ‘女’ に出会った時、‘女’ は村の権力者・原十兵衛の膝に頭を乗せて、横たわっていたらしい。これは日本人には抵抗があると思い、映画のように若干の変更をしたそうだ。それでも日本人は人前であんな格好はしない、いかにも想像の中の日本人だ、という感じがする。
 それなのに、微塵もはしたなさのない、森厳とした十兵衛と ‘女’ の佇まいは美しく、一幅の絵を見る思い。これが日本美だ、と納得させられてしまう。

 エルヴェが訪れるたびに眼前に現われる山村の風物は、日本人の私ですら思わず引き込まれる夢幻の色調を帯びる。そしてフランスの 故郷に戻ると、画面は急にリアルになり、現実の暮らしの息吹きが戻ってくる。エルヴェが日本に来るのは商売のためであるけれど、海という境界線を越えると、そこにあるのは「絹」で象徴される ‘幻想’ の 世界なのだ。
 ‘女’ が十兵衛の支配する世界にすっぽり包まれ、たまゆらのように儚い存在なのに対して、エルヴェの妻、エレーヌは小学校教師と いう職業を持ち、しっかりした自我を備えた女性として描かれる。ここでも、‘女’=幻想、エレーヌ=現実、という対置が感じら れる。

 終盤、エルヴェに届いた手紙をめぐる真相をどう受け止めるかで、映画に対する評価もだいぶん変わりそうだ。
 一緒に見た夫は、「‘女’ とエレーヌは全然似てないし、イメージの重なりようがない」という。なるほど、そうかもしれない。それでも私は、エルヴェを現実に引き戻せないと悟ったエレーヌは、代わりに自分が彼の幻想を引き受け、それによって愛する夫と一体化しようとしたのでは ないか、とそんな切なさを感じてしまうのだ。

 初めは地味な役どころのエレーヌを今が旬のキーラ・ナイトレイが演じるのが不思議というかもったいない気がしていたが、見終わる と「なるほど」と納得がいく。この映画の本当の主役はエレーヌだったのだと思う。
 彼女の死後、ゆっくり流れる時間のなかで ‘女’ は淡々しいまぼろしとなり、やがてエルヴェの前にはっきりした形を取るのは エレーヌの面影なのだろう。これはエレーヌの愛の物語なのだと思った。
  【◎△×】7

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1月

ヒトラーの贋札

2007年  ドイツ/オーストリア  96分
監督 ステファン・ルツォヴィツキー
出演
カール・マルコヴィクス、アウグスト・ディール
デーヴィト・シュトリーゾフ、アウグスト・ツィルナー

  ストーリー
 第二次世界大戦中、ナチス・ドイツが大量の贋札製造を行った “ベルンハルト作戦” の実話に基づいた戦争ドラマ。
 第二次世界大戦下のドイツ。ナチスはイギリス経済の混乱を狙って大量のポンド紙幣の偽造をもくろみ、贋作師や印刷技師といった特殊 技能を持つユダヤ人たちが各収容所から集められた。贋札工場で彼らは破格といっていい厚遇を受けるが、死と背中合わせの作業であり、 ナチスの作戦にくみするのは家族や同胞への裏切りでもある。
 ナチ親衛隊ヘルツォーク少佐(デーヴィト・シュトリーゾフ)の指揮の下、贋札造りに従事する世界的贋作師サリー(カール・マルコ ヴィクス)、印刷技師ブルガー(アウグスト・ディール)、美校生コーリャらユダヤ系技術者たちは、極限状況のなかで日々苦悩と葛藤を 深めていく。
 
  一口感想
 ナチス・ドイツが秘密裡に贋札造りをしていたという “ベルンハルト作戦” のことは、この映画ではじめて知った。今でも極東某国 では国ぐるみで贋札造りに励み、あろうことか某超大国の情報部がひそかに支援している、という奇っ怪な話も耳にしたりする。ただ、 “ベルンハルト作戦” で紙幣偽造にかかわったのは、強制収容所のユダヤ人技術者たちだった。
 本作は、実際に贋造に携わった印刷技師ブルガーの手記「ヒトラーの贋札 悪魔の工房」に基づいている。

 集められたユダヤ人技術者たちは清潔なベッド、温かい食事など異例の待遇を受けるが、それはあくまで完璧な贋札を作ることが引き かえなのだ。見破られた時点でガス室に送り込まれる。国際経済の混乱、破綻、という作戦の目的が達せられた時も、用済みとなった彼らを待ち受けるのは死だ。
 さらに、ナチス政権に協力しその力を強めることは、他の一般収容所にいるユダヤ人の苦しみを長引かせることになる。熱心に作業 することにもジレンマがあり、かといってサボタージュが許されるはずもない。

 ユダヤ人技術者たちはこうしたさまざまな矛盾のなかで贋札を造っていくことになる。予告編を見た時、これは相当つらい映画かな、と 見るのをだいぶんためらった。しかし、結論を先に言うと、思ったほど深刻ではなく、その分、シリアスな内容を期待した人には多少 物足りなかったかもしれないが、私は存外面白かった。

 主人公の世界的贋作師サリーを演じたカール・マルコヴィクスは、小柄で一見貧相な男だが、どこかふてぶてしく、ぬるっとしたところ がある。いかにも一匹狼の孤高の贋作師という感じだ。そのくせ海辺で高級娼婦とタンゴを踊る様子なんて、なかなかどうしてあか抜けた 色男ぶりだ。
 モデルとなった実物のサロモン・スモリアノフの写真を見ると、人の好さそうな丸顔なのが意外だった。演じている俳優のほうが本物めいているのが面白い。

 贋札工場内にレクリエーション用に卓球台があったというのは驚きだった。技術者たちは休憩時間にピンポンに興じるが、板壁一枚 隔てた外では、同じユダヤ人が銃殺される音が響く。技術者たちは、いつ自分が同じ運命になってもおかしくない、そう思いながら卓球を していたに違いない。見せかけの平穏と、地獄の現実。その対比が鮮烈だ。

 原作者をモデルとした印刷技師ブルガーが、単純な理想主義者に描かれている点に物足りなさがある。仲間を危機に陥らせる彼の思想・ 行動に対して、彼自身の心理的葛藤や仲間との軋轢がもっと彫り込まれていたら、映画の深みが増したのではないかと惜しまれる。
  【◎△×】7

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3月

迷子の警察音楽隊

2007年  イスラエル/フランス  87分
監督 エラン・コリリン
出演
サッソン・ガーベイ、ロニ・エルカベッツ、サーレフ・バクリ
カリファ・ナトゥール、シュロミ・アヴラハム

  ストーリー
 1990年代のイスラエルが舞台。ユダヤの地にアラブ人が迷い込むという意外な設定のなかで、お互いが人間同士として打ち解けて いく様子を描いたハートフル・コメディ。
 文化交流のためにイスラエルにやって来たエジプトの警察音楽隊。一行はイスラエルの空港に降り立つが、来ているはずの出迎え人が いない。団長トゥフィーク(サッソン・ガーベイ)は自力で目的地に到着しようとするが、よく似た名前の違う町にたどり着いてしまう。
 バスは1日1本、宿もなく、途方に暮れた一行に食堂の女主人ディナ(ロニ・エルカベッツ)が助け舟を出すのだが・・・。
 
  一口感想
 スラエルとアラブ諸国との紛争はイスラエル建国以来今も絶えないけれど、そういったきな臭い空気は本作にはまったくない。どこ までも、のんびりのどかだ。紛争という現実がある一方で、庶民レベルの感覚は案外こうしたものなのかな、と思ったりもする。

 イスラエル映画といっても、主役はアレキサンドリアからやって来たエジプト人たち。
 「のん気で陽気でお人好し」が私の “エジプト人” のイメージだ。大した根拠はない。エジプト旅行のナイル川クルージングで見かけた彼らは、川岸や小さな釣り舟からニコニコして手を振る「人間大好き」といわんばかりの大らかな人たちだった。本作に登場する警察音楽隊の一行がまさにこのイメージだ。

 アレキサンドリアといえばエジプト第二の大都市なのに、そこからやって来た彼らの朴訥で田舎くさいことといったら! そろいの 制服で記念撮影としゃれ込んだのはいいけれど、あっちでモゾモゾこっちでモゾモゾ。やっと形が決まったら、清掃員がやってきて シャッターチャンスをつぶしてしまう。クスリと笑っちゃうしかない。

 音楽隊の団長トゥフィークがいい味だ。私のエジプト人イメージとは正反対の生まじめで融通の利かない中年男。空港に降り立って みれば、来ているはずの出迎え人がいない。目的地のアラブ文化センターの住所を聞こうと大使館に電話するのだが、「エジプト警察の アレキサンドリア警察 音楽隊団長トゥフィークだが〜」。書けばこれだけのことだが、エジプト語ではいやに長い(その長々しさに笑ってしまう)。
 相手が途中で「は?」と聞き返す。彼はまた頭からやり直す。よほど気が短いのか、オペレーターは最後まで聞かずガチャン。でかけ 直す。で、また途中でガチャン。
 まず用件を言い、それから名乗ればいいのに、誇り高い団長としてはそんな気にはなれないらしい。「こういうエジプト人もいるんだ」と変に新鮮な気分になった。

 辺境の町で一晩を過ごすことになった音楽隊。トゥフィークと地元食堂の女店主ディナが仄かな思いを交流させるくだりは大人の味わい がある。美人できっぷのいいディナだが、男運が悪い。女盛りのやるせなさを不倫で埋めるディナの寂しさと、過去に家族を失ったトゥ フィークの心の傷が響きあう。でも、そこは超・朴念仁のトゥフィークのこと、一線は超えない中年男の純情が好もしかったりするのだ。

 トゥフィークとまったく逆なのが若い隊員カーレド(サーレフ・バクリ)だ。背が高くて男ぶりがよくて、女と見れば誰彼かまわず 口説いてしまう。自分のせいで音楽隊が迷子になっても、全然責任なんて感じない。そんな彼が初心(うぶ)な 若者に恋の手ほどきをする。

 まだ一度もデートをしたことがないというパピ(シュロミ・アヴラハム)は、女の子の扱い方がかいもく分からない。ベンチに並んで 座ったカーレドが、目顔で合図しながらパピの膝に手を乗せる。パピ、さらに隣りのガールフレンドの膝に手を乗せる。さてそれから どうする? パピ、カーレドの顔を見る。カーレド、心得顔でパピの膝をなでなでする。あーそうか、とパピが彼女の膝をなでなでする。 見ていてもうおかしくてたまらない。

 トゥフィークとカーレドを中心に展開するストーリーは、ほのぼの心温まるものだった。
  【◎△×】7

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1月

4分間のピアニスト

2006年  ドイツ  115分
監督 クリス・クラウス
出演
モニカ・ブライブトロイ、ハンナー・ヘルツシュプルング
スヴェン・ピッピッヒ、リッキー・ミューラー、ヤスミン・タバタバイ

  ストーリー
 刑務所で受刑者たちにピアノを教える老教師トラウデ(モニカ・ブライブトロイ)は、かつてはヨーロッパ音楽界で脚光を浴びたことも ある名女流ピアニストだった。彼女はある日、天才的なピアノの才能を持ちながら、殺人犯として収監されているジェニー(ハンナー・ ヘルツシュプルング)と出会う。
 反抗的で手のつけられない問題児のジェニーだが、彼女の才能を埋もれさせてはいけないと感じたトラウデは、残り少ない人生の夢を 託し、コンテスト出場を目指して厳しいレッスンを始める。
 ドイツの大ベテラン女優モニカ・ブライブトロイと、1200人の中から選ばれた新人ハンナー・ヘルツシュプルングが、魂の共鳴を 思わせる演技を見せている。
 
  一口感想
 冒頭、画面を被うのはトラックのカーラジオから流れるロックだ。クラシックが主題の映画のはずだが、と訝(いぶか)しく思った私の疑問は、ぷつりとスイッチを切った助手席の老女の横顔で氷解した。見るからにかたくなで狷介(けんかい)な表情。クラシック以外は認めない、という強い意志が 表れている。
 もう1人の主人公、女囚のジェニーは、画面に登場した途端、音楽好きの中年の看守に瀕死の重傷を負わせる。直接その場面を見せない ためにかえって暴力の凄まじさが想像される。
 巧みな導入に唸らされる。この映画が、ピアニストとしての天分をもつ女囚と老教師が心を合わせてコンテスト出場を目指す、という よくある涙の感動物語ではないことを予感させるからだ。

 映画はほぼ全編、トラウデとジェニーが衝突を繰り返しながら、ピアノのレッスンを重ねてゆく描写に費やされる。時にふと心が触れ あい笑いが生じることがあっても、長くは続かない。一筋縄でゆかない自我を持つ2人はたがいに譲らず、束の間の平安も、鋭い刃の上に 築かれた危うい均衡の所産なのだ。
 ここで厳しく突きつけられるのは、人はそう簡単に分かり合えるものではない、ということだ。否、「分かり合おうとする」こと自体、 幻想かもしれないのだ。人は他者に興味はない。関心があるのは自分のことだけ。すべてではないにしても、これは現実の1つの側面では なかろうか。
 ここに救いはあるのか。「ある」と私は思う。なぜなら「分からないけど受け入れる」、それも人間だからだ。

 フラッシュバックのように挿入される美しく詩情溢れる映像。あまりに断片的で、初めのうち私はなにを意味するのかが分からず、その興味にも引かれ続けた。
 やがてこれが、かつてナチ収容所で優秀な看護婦として働いていたトラウデの痛ましい過去であること、荒寥(こうりょう)とした彼女の人生にも瑞々しい青春の日々があり、愛する人がいたことが分かってくる。

 終盤、ジェニーに自分の過去を語り、コンテスト出場を懇願するトラウデは、それまでの彼女からは想像もつかぬほど弱々しい。そこには 心の鎧の脱ぎ、素の自分をさらしたトラウデがいる。彼女はジェニーの才能を開花させることで、すぐれた才能を持ちながらピアニスト として生きられな かった自分を再生させ、過去の愛の痛みの呪縛から解放されることを願ったのではなかろうか。
 しかし、ジェニーはそんなトラウデを罵り、殴り倒しさえする。情に流されまいとする強烈な自我だ。とことん対立の構図を崩さない演出に圧倒される。

 こうして高まり続ける緊張は、ラストのコンテスト・シーンで一気にはじける。ジェニーの演奏は私にはまったく予想のつかぬもの だった。クラシックと現代音楽が見事に融合され、心の叫びがほとばしるような入神の演奏。ここにあるのは、だれにも汚染されない、 ただひたすらジェニー自身の世界。
 初めは絶望に染まったトラウデの表情がやがて賞賛に変わっていく。彼女がジェニーの音楽を理解したとは私には思えない。しかし、 それを受け入れ、未知の世界に曙光を見たのはたしかだと思う。舞台と客席で見つめあう2人に、一筋の温かな流れを感じた私だった。
  【◎△×】8

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2月

ラスト、コーション

2007年  中国/アメリカ  158分
監督 アン・リー
出演
トニー・レオン、タン・ウェイ、ワン・リーホン
ジョアン・チェン、トゥオ・ツォンホァ

  ストーリー
 『ブロークバック・マウンテン』のアン・リー監督が、愛と任務のはざまで揺れる女スパイの苦悩を描いたサスペンス。ヴェネチア国際 映画祭で金獅子賞を受賞した。
 1938年、香港大学演劇部に所属するチアチー(タン・ウェイ)は、抗日に燃えるクァン(ワン・リーホン)に憧れ、 傀儡(かいらい)政権の特務機関に所属するイー(トニー・レオン)の暗殺計画に参加する。しかし、計画は 悲劇的な結末で挫折する。
 数年後、日本軍占領下の上海でクァンと再会したチアチーは、今度こそ本格的にレジスタンスに身を投じることになる。貿易商の若妻を 装ってイーに接近したチアチーは、彼の愛人になることに成功するが・・・。
 
  一口感想
 ヴェネチア国際映画祭グランプリを獲得した映画だが、私自身の評価はあまり高くない。序盤、大学演劇サークルのメンバーが、夏休み 課題の延長のようなノリで重要人物の暗殺計画を立てることころで、まず気分がつまずいた。抗日的な演目が民衆の喝采を浴び、愛国心が 昂揚する辺りはよく分かるが、そこから一気に暗殺に話がいくのは飛躍が過ぎないだろうか。

 リーダーのクァンが確信犯的にこうしたもくろみを持つのはともかくとして、ほかのメンバーがあっさりとこれに乗るのが不思議だ。ことの危険性や重大さが分かってるのかな、そんな思いすら湧いてくる。
 チアチーがイーの接近に成功し、次は男女の関係に入らなければ収まらないだろうと、メンバーの1人とあわててセックスの予行演習をするところでは、正直笑ってしまった。どこまで行っても大学生のお遊びのように思えてしまう。

 イーが貿易商夫人という触れ込みのチアチーに最後まで疑惑を持たなかったことも、いささか不自然。彼は傀儡(かい らい)政権の特務機関という特殊な場所に身を置き、暗殺の危険に日々身をさらしている男だ。スパイ訓練を受けたわけでもないチアチーの演技が見抜けないことがあるだろうか。クァンの同郷の先輩ツァオでさえ、「ちょっとおかしい」と不審を抱いたほどなのに・・・。

 イー夫人(ジョアン・チェン)ら有閑マダムが麻雀卓を囲むシーンが何度も出てくる。優雅な手つきで牌を操りながら丁々発止の会話を 交わす。中年とはいえ洗練された美人ばかりで、中国上流階級の贅がしのばれるように見応えがある。
 ここでチアチーの正体が見抜かれそうになるような場面が何度かあってもよかったのではないかと思う。それほど彼女たちのやり取りは 辛辣(しんらつ)だし、ひそかにチアチーに投げる視線にも油断ならなさがある。虚飾の世界に生きる女たち ならではの鋭さとしたたかさで、ハラハラさせてほしかった。

 本作で一番気になったのは、チアチーが身体を張ってまで危険なスパイに身を投じる動機がよく分からないことだ。彼女が自らの信念と して抗日・愛国の大義を持っていたようには見えないし、クァンへの仄かな慕情があったとしても、それだけでは弱い気がする。スパイ 映画のヒリヒリするような緊迫感を感じることが出来ないのが私には痛かった。
 話題の過激な性愛描写も、タン・ウェイが若いだけに、官能性より演技としての痛々しさのほうが先に立った。
  【◎△×】6

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1月

ONCE ダブリンの街角で

2006年  アイルランド  87分
監督 ジョン・カーニー
出演
グレン・ハンサード、マルケタ・イルグロヴァ
ビル・ホドネット、ダヌシュ・クトレストヴ

  ストーリー
 アイルランドの首都ダブリンを舞台に、ストリート・ミュージシャンとチェコ移民の若い女性が音楽を通して心を交流させる様子を 綴っている。ケルト音楽の匂いを包む素朴な歌が数多く挿入され、主人公の男女がデュエットする “Falling Slowly” は アカデミー歌曲賞を獲得した。
 主演のグレン・ハンサードはアイルランドの人気バンド “ザ・フレイムス” のバンド・リーダー。

 ダブリンの街角でギターをかき鳴らす男(グレン・ハンサード)がいる。彼は最近彼女に振られ、その気持ちを歌に託すプロを目指す ストリート・ミュージシャンだ。足を止める者がない中で、1人の若い女(マルケタ・イルグロヴァ)が「素敵な歌ね」と声をかける。 彼女はチェコ移民で、花を売りながら幼い子どもと母親を養っている。
 意気投合した2人は一緒にデモテープを作ることにするのだが・・・。
 
  一口感想
 いつか行って見たい国の一つにアイルランドがある。アイルランドといえば、これまで『父の祈りを』(93)、『マイケル・コリン ズ』(96)、『麦の穂をゆらす風』(06)など、イギリスからの独立やIRAがらみの政治的な映画が多かったように思う。どれも すぐれた映画ばかりだが、一方で、今のふつうのアイルランドってどんな風なのかな、という思いもあった。
 本作は私が知りたいと思っていた今のダブリンがそのまま描かれていて、親近感を覚えた。

 ストーリーはごくシンプル。ストリート・ミュージシャンが偶然にチェコの移民女性と知り合い、彼女と自作曲のデモテープをこしら え、ロンドンに旅立つまでの話だ。2人の間には仄かな想いも芽 生えるけれど、キス1つ交わさず別れる。今どきの映画には珍しいくらい 初心で微笑ましいラブストーリーだ。
 その代わりに、口に出せない心の思いを表わすのがギター1本で弾き語られる歌だ。全編に絶えず流れる主人公たちの歌が、その場その 場の彼らの心情を雄弁に物語る。こんな時、音楽映画のよさをしみじみ感じさせられる。

 冒頭、だれも足を止めない夜の街角で男が歌う “Say It To Me Now” に引き込まれた。(この歌をもっと聴きたいばかり に、私はCDまで買ってしまった。)
 主人公を演じるグレン・ハンサードは、アイルランドではよく知られたバンドのリーダーだそうだ。美声とも違うが、温かみのある響き のいい声をしている。もともとストリート・ミュージシャン上がりとか、どうりで街角で歌う姿がサマになるはずだ。

 おかしかったのは、ギター・ケースの稼ぎを町のジャンキー少年に盗られて、懸命に追いかけて捕まえるシーン。「金がほしけりゃ いってくれ、走らされるのはかなわん」といったら、即座に「5ユーロくれ」と返される。5ユーロってアイルランドではどの程度の 貨幣価値なんだろう。彼が一瞬ためらうところを見ると、そう安いともいえない額なのかな。いった手前しょうがないって感じで渋々 やるのがいかにも人が好さそうで、クスリとしてしまった。

 女の行きつけの楽器店でピアノとギターで2人で曲にハーモニーを付けていくシーン、他の路上ミュージシャンに声をかけ、スタジオで デモテープ作りをするシーン(初めはまったくやる気のなかったプロのミキサーが、演奏が進むにつれて身を乗り出し、顔が真剣に引き 締まる様子に思わずドキドキした)、テープ完成後、浜辺にドライブしてみんなで開放感に浸る様子など、淡々としながら魅力あるシーン が多い。小粒だけど、心に沁みる愛すべき佳作だ。
  【◎△×】7

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