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12月 |
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ストーリー 『幸せな孤独』のスザンネ・ビア監督最新作。戦争の不条理をひりひりする痛みをともなって描いた人間ドラマ。 エリート軍人のミカエル(ウルリッヒ・トムセン)は美しい妻サラ(コニー・ニールセン)、可愛い2人の娘とともに幸せな家庭を 営んでいたが、アフガニスタンへの派遣を命じられる。まもなく一家のもとにミカエルの訃報がもたらされる。悲嘆にくれる家族を支えた のは、刑務所から出所したばかりの弟ヤニック(ニコライ・リー・コス)だった。 ある日、戦死したはずのミカエルが帰還する。アルカイダの捕虜となっていた彼は、別人のように人柄が変わっていた・・・。 ミカエルがアフガンで体験する事柄にショックを受けた。彼は消息不明になった無線技師の救出に向かい、逆にアルカイダの捕虜に なってしまうのだが、幽閉された部屋には救出するはずだっ
た技師がいた。物音の1つ1つに怯え、やつれきった彼から軟禁生活の苛酷さが推し量られて、胸苦しくなる。ミカエルはそんな彼を「必ず生きて帰れる」「信じるんだ」と励まし続ける。善良な家庭人であり、優秀なエリート兵士でもある ミカエルの面目が十分に感じられ、私は彼はなんとしてでも年若い技師を支えて生き延びるだろう、と淡い期待を持ち続けて映画を見て いた。 しかし、アルカイダは機銃操作の出来ない技師は役に立たないと判断し、ミカエルに彼の殺戮を命じる。彼に渡されたのは棍棒だった。 平和ボケといわれそうだが、「殴り殺す」という生々しさは私には耐え難い。拒否してほしい、彼ならするだろう、・・・そんな願いも 言ってみれば平和ボケ。背けば自分が殺される。これはそんな甘い話ではな
かった。生死の極限に置かれた時、人がどのような選択をするのか、それはだれにも分からない。おそらくミカエルだって、デンマークで家族と ともに平和な日々を過ごしている時は、まさか自分がこのような行動を取るとは夢にも思わなかっただろう。 彼の選択は果たして赦されるものなのか。他者は「仕方なかった」と言ってくれるかもしれない。しかし、ミカエル自身はどうなのか。他者の言葉は免罪符になるのだろうか。彼は逃れようのないあまりに深く重い罪を背負ってしまった、と私には思えて仕方ない。 帰国した彼が目にしたのは、出征前と同じ穏やかな家族の暮らしだ。しかし、彼にはもうそれを受け入れることは出来なくなっていたと 思う。以前と同じであればあるほど、それは鋭い針となって彼の心の奥底に突き刺さってくる。妻と弟の関係に疑心を抱いて荒れ狂ったり するけれど、彼にとって理由はなんでもよかったのだという気がする。
外れ者の弟がいつの間にか自分に代わって家族の柱になっていることも、ミカエルの居場所のなさを強めたかもしれない。ミカエルが妻にアフガンの体験を語り始めるところで映画は終るけれど、これで彼の心が救いに向かうとは私にはとうてい思えない。 残酷なようだけれど、彼は一生苦しみ続けるほかないような気がする。 一見、美しい妻をめぐる夫と義弟のメロドラマ風な装いの映画だが、突きつけるテーマは重い。 サラを演じるコニー・ニールセンの北欧的な透明感のある美貌がせめてもの安らぎか。いっとき心を寄せ合ったサラと義弟ヤニックが、 安易な不倫に陥らないのが救いになっていた。 【◎○△×】7 |
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12月 |
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ストーリー 『まぼろし』『8人の女たち』など、日本でも人気の高いフランスの鬼才フランソワ・オゾン監督の最新作。若くして作家として成功 した1人の女性の数奇な人生を描く。 20世紀代初頭のイギリス。エンジェル(ロモーラ・ガライ)は小さな食料品店を営む母親と2人暮らし。上流階級への強烈な憧れを 持つ彼女は、恵まれた文才を武器に小説家として成功すると、幼い頃からの夢だった豪邸 “パラダイス・ハウス” を買い取る。 熱烈な信奉者ノラ(ルーシー・ラッセル)を秘書として雇い、売れない画家エスメ(マイケル・ファスベンダー)に恋すると逆プロ ポーズして結婚、すべてを手に入れたかに見えたエンジェルだが・・・。 中盤辺りまでは「なんとまー、小生意気で嫌な女だろう」と呆れてエンジェルを見ていたのだが、気がつくと、そんな彼女に親身な 感情を抱き始めているのに気づいた。 高下駄を履いて急階段を上るような生きかたに、「あー危ない・・・。いつかこける・・・」とはらはらし始めたせいだ。もう1つは、ほしいものに向かって突き進む無防備なひたむきさが、いじらしく見えてきたこともある。人気アイドルになるのが人生のすべて、それ以外は目に入らない、とでもいう
ような近所の少女を見ているオバサンの心境に近いかもしれない。エンジェルの書いた小説は、想像するに、上流社会を舞台にした砂糖菓子のように甘く空虚なロマンスだったのかと思う。ベスト セラーになったのは、華麗な文体と、迸(ほとばし)るように溢れるセレブ社会のへの憧れが、若い女性の胸を 揺さぶったからだろう。 虚言癖があって妄想的な誇大感を持ち、虚栄心の塊だったエンジェル。でも上昇願望だけは本物だった。これを武器にスター作家に のし上がり、恋も、憧れの “パラダイス・ハウス” も、望んだものはすべて手に入れる。「強く願えば夢はかならず叶う」という エンジェルの生きかたは、それはそれで大したことだと思う。 編集者セオ(サム・ニール)の妻(シャーロット・ランプリング)の「想像力だけで書いた未熟な内容は認めないけれど、女としては 見事」というエンジェル評は、(全部とはいわないけれど)ある意味で的を射ているかもしれない。 私がエンジェルに哀しさを覚えるようになったのは、後半、エスメに恋するようになってからだ。それまでの彼女のやり方が “恋” に は通用しない。画室を与え、エスメを飼いならそうとどれほど
頑張っても、彼には彼の生きかたがあり、信条がある。エスメは虚無的な男だ。前衛的な画風が世に受け入れられず、自棄(やけ)になっているが、真実を見通す目は持っていたように思える。 エンジェルの虚ろな内面を描いたような肖像画がショッキングだ。“夢” に逃避し続けた彼女だけれど、生涯エスメを愛したことに、自分にないもの(=現実)への願望が表れていたような気がする。「私は生き方を間違ったの?」と死の床で呟くエンジェルに悲しい愛おしさが湧いた。 エンジェルの16歳から35歳までを演じたロモーラ・ガライは、傲慢さとそれゆえの脆さを感じさせて好演。セオの妻ハーマイオ ニーに扮したシャーロット・ランプリングの怜悧な知性が印象的だった。 【◎○△×】7 |
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ストーリー 借金を抱えた文哉(オダギリ ジョー)は家族もなく天涯孤独の大学8年生。取り立て屋の福原(三浦 友和)から奇妙な申し出を 受ける。吉祥寺から霞が関までの散歩に付き合えば、借金を帳消しにしたうえに現金100万円をくれるというのだ。 ウマすぎる話に首をひねりながらも、ほかに選択の余地もなく、文哉は待ち合わせした井の頭公園の橋から福原と一緒に歩き出す。 やがて福原は妻を殺したことを告白するのだが・・・。 直木賞作家・藤田宣永の同名小説を原作に、冴えない男2人の変てこな東京散歩を、ナンセンスギャグを散りばめて悲喜こもごもに 綴っている。 ほんとに楽しかった。でもその楽しさを説明するのはむずかしい。なにせむさい男2人が東京をただ歩くだけだから。しかも2人が 歩くのは観光スポットのようなところではない。生垣の並ぶ住宅
街の裏道や、商店街のがやがやした通り、神社のある小さな空き地や、作りかけの駐車場だったりする。全国のどこにでもある見慣れた景色。だから、だれもこの映画に自分の知ってる場所の懐かしさを覚えてしまう。 何分に1回というほど、しょっちゅう「グフッ・・・」と笑う場面や台詞が出てくる。たとえば、福原が知り合いの画家の卵に出会い、 無理やり部屋で絵を見せられる。彼女はコチコチに固まったインスタント・コーヒーを包丁で切り、カップに入れて湯を注ぐ。ジャーの お湯が底をついて「グジュプハァ〜」と妙な音を立てる。 文哉が子どもの頃住んでた場所に行ってみると、すでに更地になっていて、工事のおじさんたちが焚き火をしている。文哉がボそりと いう、「なんで焚き火する時って○ン○ン掻くんですかね・・・」。見ればみんなばたしかに股間に手をやっている。 こうした1つ1つがなんだかおかしい。つい「プフ・・・」と笑ってしまうのだ。 霞ヶ関まで一緒に歩くだけで借金チャラ、おまけに100万円くれるなんて、そんなうまい話があるものか。初めはうさん臭く思っていた文哉なのに、いつの間にか福原のペースに巻き込まれて、“東京散歩” が快い旅になっている。そのマカ不思議な気分の変化。 三浦友和の気合いの入った熱い演技と、さらりと受け流すオダギリジョーの脱力演技、2つの噛み合わせがこたえられない。気がつけば2人は “擬似親子” のような親密感に包まれて、バーのマダム・麻紀子(小泉 今日子)の家に漂いつく。
福原と麻紀子は結婚式用に擬似夫婦のバイトをしたことがあり、文哉の前でもなかなか堂に入った夫婦ぶりだ。(福原の図々しさがこれ
また笑わせる。サラリと自然体の麻紀子がいい。)2人の子供ということになっている文哉(間が悪いくせに妙に嬉しげなのね、これが)、そのまま真に受けている麻紀子の姪のふふみ(吉高 由里子)。 4人が食卓を囲み、遊園地に出かけ、家族ごっこを繰り広げるくだりは、ほのぼのおかしく、やがてじんわり涙腺がゆるんでくる。 文哉が初めて味わった家庭の味。しかし束の間の幸せもいつか終わりが来る。去っていく福原を見送る文哉の姿に、胸がきゅんとした。 福原の妻が勤めているスーパー3人組(岩松 了、ふせ えり、松重 豊)の軽妙なやり取り、岸部一徳が本人役で顔を出すとぼけた 味わいが緩急とアクセントを添えて、クセになりそうな映画だった。 【◎○△×】7 |
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12月 |
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ストーリー ビートルズのリーダーとして死後も多くの影響を世界に与えているジョン・レノンの、ベトナム反戦など平和運動家としての活動の 軌跡を描くドキュメンタリー。 1980年12月、ニューヨークの自宅前で、ジョン・レノンは熱狂的なファンであった男に射殺された。40歳だった。その彼が、 1960年代後半から70年代にかけて、泥沼化するベトナム戦争に反対するさまざまな活動をしていたことはあまり知られていない。 その影響力の大きさから、次第にアメリカ・ニクソン政権に危険分子と見なされ、彼はFBIの監視を受けるようになる。 ジョン・レノンといえばイギリス・リヴァプールの労働者階級の出身で、ビートルズのリーダーで、日本人のオノ・ヨーコと再婚して、 その時にゾロッとした長髪でベッドにいる姿を披露して世界中の顰蹙(ひんしゅく)を買って、そして狂信的な ファンに暗殺された、・・・私の彼に関する知識はおおよそこんなところだ。 頭の回転が早く、上流知識階級への小気味いい批判をし、権威に媚びない、という印象もある。彼が平和活動家の側面を持ち、妻 ヨーコとともにニクソン政権下のアメリカで数々のベトナム戦争反対のパフォーマンスをしていたことは、ちっとも知らなかった。 上に書いた “ベッド・イン” の長髪も、GIカットの短髪に対する批判の意味があり、ジョンらしいジ
ョークを込めて 「Hair Peace」 と言っていたらしい。ビートルズ解散時、“東洋の魔女オノ・ヨーコ” が彼らの結束を壊した、みたいな言われ方をするのを聞いて、東洋女性に対する 偏見があるんじゃないかな、なんて思ったりしたが、本作を見て思ったのは、(偏見とかではなくて)やはり彼女の存在が大きかった んだな、ということだった。 ジョンはもともと社会的・政治的意識の強い人だったのだろうか。それがヨーコと出会うことではっきりした形を取り、同志的絆で 結ばれていった。しかし、他のメンバーはあくまでミュージシャンであり、思想的な傾向を強めたレノンは次第にグループから遊離して いった・・・。解散の事情についてそんな想像をめぐらせた。 意外だったのは、アメリカ政府やFBIがレノン夫妻に数々の脅迫や嫌がらせをしていることだ。アメリカに住む以上、アメリカの やり方に反対するな。それが嫌ならアメリカを去れ、ということらしい。それほどジョン・レノンの名は大きく、アメリカ政府は彼の 影響を恐れたのだと言えるが、反面、盲従を強いる権力の怖さを感じる。 レノン夫妻が監視・盗聴される恐怖を生々しく語っているのが印象的だった。それにもかかわらず、アメリカという超巨大国家に立ち 向かう勇気に感銘を受けた。 “Imagine” やクリスマス・シーズンには必ず耳にする “Happy Xmas(War Is Over)”、よく聞く けれどジョンの曲とは知らなかった “Give Peace A Chance”(平和を我らに)など、バックには絶えずジョンの 平和を願う歌が流れる。 音楽に世界を変える力があるのかどうか私には分からないけれど、本作でジョンに対するイメージが大きく変わったのはたしかだ。 【◎○△×】7 |
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12月 |
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ストーリー 中東エルサレム。マリア(ケイシャ・キャッスル=ヒューズ)は父に命じられ、不承不承、村の青年ヨセフ(オスカー・アイザック)と婚約する。ある日、マリアの前に天使ガブリエルが現われ、「聖なる子を身籠る」と告げられる。未婚のまま妊娠したマリアは村人たちの冷たい視線にさらされるが、ヨセフはマリアの告白を信じるのだった。 その頃、救い主誕生の預言に怯えるヘロデ大王(キアラン・ハインズ)は、人口調査を口実に救い主を見つけ出し、抹殺しようと 企てる。マリアは身重の身体でヨセフの故郷ベツレヘムへと向かう。 キリストの生母マリアは処女のまま懐胎し、イエスを出産したことになっている。信仰の問題とはいえ途方もない話だが、もし仮に 物語上としてもそういうことが起こったなら、結婚前の娘の純潔にはことさら厳しかった時代のこと、マリアはどんな思いだったのだろう、 婚約者のヨセフは・・・、と
さまざまに想像をめぐらせてしまう。この問題を真正面から取り上げた映画は、寡聞にして私は知らない。それだけに “処女懐胎” をめぐる人間ドラマがついに公開される のか、と期待してしまったが、少々早とちりだったよう。平凡な村娘のマリアが抱く「なぜ私が神の子を・・・」という素朴な疑問に は共感を覚えたのだけれど、やはりまだタブーなのかな、と思ったりする。 映画はむしろ遥かなベツレヘムへと向かうマリアとヨセフの夫婦愛の物語になっている。当時の旅が歴史的事実を交えながらリアルに 再現され、2000年を一気にタイムスリップしたような気持ちになった。 ロバの背に揺られて昼は乾いた砂漠を行き、夜は焚き火で暖を取りながら荒野で野宿する旅は、身重のマリアにとってどれほど過酷 だったかと思う。ヨセフは足を血だらけにしてロバを引き、食料が乏しくなると、マリアが眠った後でそっと自分の分をロバと分け合う。 ヨセフの人間的な深さと温かさが印象的だ。 初めは父の命令とはいえ、よく知らない男との婚約に気が進まないマリアだったが、次第に彼に対する感謝が生まれ、それが愛へと変化 していくのが自然に納得できた。日に日に強まる我が子
の胎動が、母として妻として、マリアのこうした感情をいっそう強く育んだことだろう。流れの激しい川を渡り切って、疲れて眠るヨセフの足をマリアがそっと布で拭うシーンは崇高な美しさに満ちている。イエスの両親は こういう人たちだったのか・・・。この映画で彼らのイメージが、初めて私の中で具体的なものになったような気がする。 マリアがベツレヘムの家畜小屋でイエスを出産するシーンの神秘と荘厳に満ちた映像が素晴らしい。穏やかに満ち足りて嬰児 (みどりご)を抱くマリア、2人を静かに見つめるヨセフ、天上からの白い光・・・。村人たちが集まり、ひざ まずく。東方から来た3人の博士が黄金、乳香、没薬(もつやく)を捧げる。子どもの頃、絵本で見た絵がそのままが眼前に現われて、年甲斐もなく感動してしまった。 ニュージーランド・マオリ族の血が混じったケイシャ・キャッスル=ヒューズのエキゾチックな容貌はマリアによく合っていたと思う。 イエスを見つめる母性的な表情には驚かされた。オスカー・アイザックの思索的な瞳もヨセフにぴったりだった。 【◎○△×】7 |