|
|
10月 |
| エディット・ピアフ |
| 〜愛の讃歌〜 |
|
ストーリー フランスの国民的シャンソン歌手、エディット・ピアフの47年の生涯を描いている。主演コティアールの歌も若干使用されているが、 ほとんどはピアフ当人の歌唱が劇的に再現されている。 1915年、第一次世界大戦の真っ只中、エディット(マリオン・コティヤール)は大道芸人の父と路上歌手の母のもとに生まれた。 その後、祖母の営む娼館に預けられ、一時は失明の悲運に見舞われるが、奇跡的に回復する。 16歳で自立したエディットは、母と同じく路上で歌うようになる。そんな彼女の才能に目を留めたのが、名門クラブのオーナー、 ルプレ(ジェラール・ドパルデュー)だった。“ピアフ”(すずめ)という名を与えられ、エディットの前に歌手としての道が開かれる が・・・。 私がまだ若かった頃、シャンソンは今より頻繁にラジオやテレビから流れていて、「ばら色の人生」や「愛の讃歌」「枯葉」などは もちろん、本作に出てくる「パダンパダン」や「ミロール」「フルフル」も、聞けばすぐ分かるヒット曲だった。 エディット・ピアフのことも、すごく小柄で、そこから “ピアフ”(すずめ)という芸名が付いたこと、イヴ・モンタンを世に出した (つまり一時期彼を愛人にしていた)ことなど、なんとなく知っていた。
とくにシャンソン・ファンという訳でもない私でさえこうだから、当のフランスでピアフがどれほどの存在だったか想像がつく。本作を
見た長男が「美空ひばりみたいな感じだね」と言ったのがなるほどと思う。彼女の人生が “喪失”(=愛するものとの別れ)の連続であることに衝撃を受けた。 母に捨てられ、父とも別れ、その後も我が子のように愛してくれ娼婦ティティーヌ(エマニュエル・セニエ)、路上で歌っていた頃の 相棒モモーヌ(シルヴィ・テステュー)、才能を見出し世に出るきっかけを作ってくれたキャバレー・オーナーのパパ・ルプレ、と その時々にピアフの心の支えとなった人たちとの別れが、つねに彼女を待ち構えている。生木を裂くよう、という表現がぴったりの 悲痛さで。 その最たるものが、生涯ただ1人の恋人といっていいボクシングの世界チャンピオン、マルセル・セルダン(ジャン=ピエール・マル タンス)の事故死だろう。そして映画の終盤、ピアフがまだ十代の頃に味わったもう1つの大きな “喪失” も明かされる。 これらはみな、彼女の力ではどうしようもないところでばかり起こっている。そんな時、その人の心に刻み込まれる絶望と無力感は どれほどのものだろう。想像するだけで私の胸は痛みで震えそうになる。
実像のピアフは、我がままで傲慢で、そのくせ繊細で傷つき易かったという。それは彼女の内奥に息をひそめる不安の表れだった
のだろう。愛する人を求めれば求めるほど寂寞は深く、癒せぬ孤独に苦しんだピアフ。マルセルが亡くなった頃からモルヒネ中毒に陥り、晩年の彼女はまだ40代というのに70代の老女のようだ。成功とは裏腹の、彼女の人生の悲劇性が凝縮されている。 “なにも後悔しない”(私は “水に流して” という訳題よりも、この原題のほうが好き)の絶唱で暗転するエンディングが深い余韻を 残す。 私の人生に起こったことは、いいことも悪いことも、なにも後悔しない♪ 過去は清算して、私はまたゼロから出発する♪ ピアフはまだまだ歌い続けたかったに違いないと思う。 マリオン・コティヤールの渾身の演技がこの映画を印象深いものにしている。とくに病床で、目と口を小さく開けて息絶えるラストは、 鬼気迫るものがあった。 【◎○△×】8 |
|
|
10月 |
|
ストーリー 『ニュー・シネマ・パラダイス』『マレーナ』のジュゼッペ・トルナトーレ監督最新作。哀しみの過去を背負いながら、過酷な運命を 生き抜いていく女性の姿を、ミステリータッチで描いてる。 イタリア北部トリエステ。ウクライナ出身のイレーナ(クセニア・ラパポルト)は金細工の工房を営むアダケル家のメイドに雇われる。 一人娘テア(クララ・ドッセーナ)を溺愛する夫婦だが、2人の関係は冷え切っていた。 完璧な仕事ぶりで次第に一家の信頼をえていくイレーナ。しかし彼女には秘められた目的があった。さら彼女の背後には、捨てたはずの過去の黒い影が音もなく忍び寄っていた・・・。 トルナトーレ監督といえば、映画への愛を臆面もなく(とあえて言いたい。それくらい大好きな映画)を綴った『ニュー・シネマ・ パラダイス』、そして『海の上のピアニスト』『マレーナ』とノスタルジッ
クな叙情性と温かい後味の残る映画ばかりが思い浮かぶ。彼がミステリアスでサスペンスタッチの映画を作ったと聞いても、「え、どんな?」とすぐには想像がつかない。そして見た本作の 予想外の重さ深さ、ガンと頭をどやされたような衝撃だった。 仮面をつけた女たちが全裸に近い姿で登場し、どこか隠し部屋から品定めされる冒頭からして、ショッキングだ。冷え冷えと荒廃した 空気。なにか恐ろしいことが起こっている、という予感に胸が鷲づかみされる。 一転して、トリエステの町に現われたイレーナの悲しみを秘めた瞳、人を決して受け入れない頑なな態度。これらが連動して、彼女が 過去に負ったとてつもなく深い傷がうかがえるのだ。 栄養失調で倒れそうに見えたイレーナがじつは大金を隠し持っており、あるマンションの家政婦
に雇われると、もっと条件のよい仕事も断わって、そのマンションのある一家にターゲットを絞り、その家庭に入りこむことに成功すると、今度はひそかに家探しをする。一家は金属商を営む夫(ピエルフランチェスコ・ファヴィーノ)と、アクセサリーのデザインをする妻(クラウディア・ジェリー ニ)、それに幼い娘の堅実な中流階級の家庭だ。イレーナの過去とはどう線を引いてもつながらない。 妻、あるいは夫の過去になにか秘密が隠されているのだろうか? 夫婦仲はすっかり冷え切っている。それとイレーナは関係がある のだろうか? 彼女が探しているものは一体なんなのだろう? 次々に疑問が湧く。 こうした流れのなかにフラッシュバックのように挿入されるのが、売春組織の元締め(ミケーレ・プラチド)と娼婦として働いていた イレーナのおぞましい関係だ。短いカットの繰り返しだが、ドロドロした世界の恐ろしさは十分伝わってくる。そしてイレーナのただ 一度の恋と悲惨な結末も。若く輝くばかりのイレーナと、現在のやつれた姿の対比が印象的だ。 演じているクセニア・ラパポルトはロシア出身の女優だそうだが、透明感のなかに憂愁を秘め
て、とても美しい。やがてイレーナの目的が、この一家の一人娘テアであることが分かってくる。2人の関係にはどんな秘密が? それが明かされる終盤は、女としていたたまれないほど辛くて悲しい。とくに監房のベッドで真実を知らされたイレーナが、黙って毛布のなかにもぐりこむシーンは、涙が滲んで困ってしまった。 ラストは人によって賛否が分かれそうだが、私はこれでずいぶん救われた。苦しい過去から生き延びようとするイレーナの人生に、 小さな灯りが見えた気がするから。 【◎○△×】8 |
|
|
11月 |
|
ストーリー ロンドンの友人宅に滞在中のアメリカ人女子大生サンドラ(スカーレット・ヨハンソン)は、敏腕記者(イアン・マクシェーン)の幽霊 から、頻発している切り裂きジャックを思わせる連続殺人事件の真相を聞かされる。ジャーナリスト志望のサンドラはスクープをものに しようと、強引に三流奇術師シドニー(ウディ・アレン)の協力を取りつけ、犯人らしき青年貴族ピーターに(ヒュー・ジャックマン)に 接近する。 ニューヨークから拠点をロンドンに移したウディ・アレンが、前作『マッチポイント』に続いてスカーレット・ヨハンソンと組んだ コメディ。アレン自身が三流奇術師に扮し、ヨハンソンと珍妙な凸凹コンビぶりを披露する。 のっけに死者が乗った船が出てきて、自分が死んだってこと忘れてるんじゃないかと思うくらいおしゃべりするのが笑わせる。あの世に 行くのに三途の川を渡るのは、日本だけじゃなかったんですね。 それでもって新聞記者のストロンベルは途中で川に落っこちて、ノコノコこの世に戻ってくる。大スクープをものしたい記者魂のなせる ワザ。それにしては彼が小耳に挟んだ話ってなんかアヤフ
ヤだなぁ。生前、敏腕だったなんてほんとかしら。始まりがこんな具合だから、全編とぼけた味わいだ。 サンドラとシドニーが急ごしらえの親子になりすまして、イギリスの上流階級にもぐりこむ。シドニーはアメリカの大実業家という触れ込みだけど、なにせ三流マジシャンだから、つい地が出てマジックを披露したり、ぺらぺら余計なおしゃべりをする。そのたびにサンドラは大慌て。「お父さん、ちょっと」と物陰に引っ張り、「みっともない」なんてたしなめる。 現役で恋を演じるのは難しい歳になったアレンだが、今回は思い切り若いヨハンソンを相手に、嬉々として “暴走パパ” を演じて いる。 可笑しかったのは、シドニーのずっこけぶりをイギリス貴族たちが自分流に “翻訳” して、「なるほど」と感心するところ。ボロが 出そうで出ないチグハグな会話で笑わせながら、イギリス流スノッブをからかい、伝統の浅いアメリカを卑下してみせる。ユーモアと 皮肉さが交じり合って、アレンの真骨頂だ。
ヨハンソンは丸メガネにダサい服、その分、素肌がピチピチしていかにも健康そう。飛び切り美人じゃないところがかえって魅力的だ。アレンと丁々発止とやりあって、キュートなコメディエンヌぶりを披露する。上品でハンサムなヒュー・ジャックマンはイギリス貴族に ぴったり。鋭さと愛嬌を兼ね備えていてはまっていた。 ピーターと恋に落ちたサンドラは探偵ごっこからイチ抜けたの気配。そうなると不承不承付き合っていたシドニーがかえって躍起になる ところが面白い。ピーターは果たして真犯人か? 終盤、クルクル変わる展開も中々のものだが、これはやはり謎解きよりも軽やかなタッチの会話を楽しむ映画でしょう。ラスト、なぜかシドニーまでも三途の川の船に乗っている。そのワケはいかにもアレンらしいオチ。ここでも饒舌をやめない彼に笑ってしまった。 【◎○△×】7 |
|
|
11月 |
|
ストーリー 中国の一大国家事業である長江・三峡ダム建設によりやがて水没する運命にある古都・奉節(フォンジェ)。 ここに16年前に別れた妻子を探しに1人の男がやって来る。彼の名はハン・サンミン(ハン・サンミン)、山西省の炭鉱夫だ。彼は ダム建設に伴うビルの解体作業員として働きながら、
妻子の行方を捜す。その頃、同じ峡谷を眺める女がいた。彼女の名はシェン・ホン(チャオ・タオ)。同じく山西省から、出稼ぎに出たまま2年間音信 不通の夫(リー・チュウビン)を探しにやって来たのだ。彼女は消息を求めて夫の友人ワン・トンミン(ワン・ホンウェイ)を 訪ねる。 ヴェネチア国際映画祭でグランプリ受賞。 治水ダムの建設は近代化の過程では避けられないのかもしれないが、一方で、そのために故郷や住む家が奪われる人たちがおり、 暮らしや文化が失われたりもする。もう40年以上も昔になるが、熊本県の下筌(しもうけ)ダム建設をめぐる、 いわゆる “蜂の巣城” の攻防が世間の耳目を集めたことを思い出す。 最近訪れたエジプト・アブシンベル遺跡も、アスワン・ハイダム建設のために湖底に沈むところだった。(国際的募金キャンペーンで 移転され、からくも助かったけど。) 本作でも、妻を探しに古都・奉節(フォンジェ)にやって来た男が、「この住所はあの草の浮いてる辺り」と バイク・タクシーの若者に指差されて、呆然とするシーンがある。この町では、中国が国家の命運をかけた長江・三峡ダムの建設が 進んでいるのだ。
「知ってて連れて来たのか」と怒る男に、若者は「聞かなかったじゃないか」といいつつ、「俺の家があったのはあの船の辺り」と
川中央に浮かぶ観光船を指す。若者も男の妻も同じ境遇であることが、そこはかとない共感と悲しみを誘う。この映画には、それぞれ配偶者を探す2人の中年男女が登場するが、私は、この山西省から出てきたという炭鉱夫ハン・サンミンと、 彼の妻の物語に惹かれた。 サンミンは16年前、金で買った妻に逃げられてしまう。中国にはまだ売買婚が残っているのかと驚いてしまうが、それはともかく、 サンミンは彼なりに彼女を愛し、大切にしていたのだ。探し当てた妻は、兄の借金のために初老の男の囲い者になっていた。 16年ぶりに顔をあわせた夫婦の会話が、どこかとぼけているのに滋味がある。 「どうして逃げたんだ」「私も若かったのよ」「その後どうだった」「いいことなかったわ」、黙しがちにぽつりぽつりと言葉を 交わす2人。子どもを連れて出奔した妻のその後の人生が、一気にリア
ルな色彩を帯びる。今度は妻が聞く、「どうして今頃会いに来たの」。それはそう、私も聞きたいところだ。「・・・・・」。この16年、サンミンにも いろいろ複雑な思いがあったのだ。一口に言えるものではない。彼の気持ちもよく分かる。 廃墟のビルの床にしゃがんで見つめあったまま、2人がなにをするのかと思ったら、たがいの口に飴を入れたのには笑ってしまった。 飴の甘さが2人の心を優しく包んだことだろう。サンミンは借金を返すために故郷に帰って、危険だけど実入りの多い炭鉱夫の仕事に 戻る。何年かかるか分からないけど、この夫婦はもう大丈夫、そんな気持ちになった。 発展の陰に置き去りにされつつも、なおも庶民は生きていく。彼らに向けたまなざしの温かさが、詩情豊かな長江の光景と重なって、 印象的だった。 【◎○△×】7 |
|
|
10月 |
|
ストーリー 1944年のスペイン。内戦で父を亡くした少女オフェリア(イバナ・バケロ)は、身重の母(アリアドナ・ヒル)と共にゲリラが 潜む山奥の村にやって来る。母が再婚したフランコ軍のビダル大尉(セルジ・ロペス)が駐屯していたのだ。冷酷な義父になじめない オフィリアを、小間使いのメルセデス(マリベル・ベルドゥ)が何くれと面倒を見てくれる。 ある夜、オフィリアの前に森で見かけた妖精が現われ、彼女を迷宮へと導く。そこには牧神パン(ダグ・ジョーンズ)が待っていて、 彼女は地下にある魔法の王国のプリンセス、モアナの生まれ変わりだと告げ、王国に戻るための3つの試練を与える。 第79回アカデミー賞で撮影・美術・メイクアップの3部門でオスカーを獲得した。 私は子どものころから「怪奇幻想小説」の類が好きだった。単なるファンタジーでなく、「怪奇」がつくところがミソだ。そこには おぞましくもグロテスクなものたちが、息を潜め、獲物がやってくるの
を待ち構えている。それはオフェリアが出会う古い巨木の洞の
大蛙や、壁の向こうの大宴会場にいる目のない痩せ男と同じ世界に棲むものたちだ。オフェリアが窮地に陥りながらも、結局は無事にこの世界にもどってこれたように、私は子どもの頃からこうした異形の者たちが あまり怖くなかった。彼らが本当はこの世界から疎外された哀れなものたちだということを、何となく分かっていたからという気が する。 本当に怖いのは(大人になるにつれてだんだんに知ったことだが)人間の心に潜む悪意であり、突如噴出する残虐性だ。オフェリアの 義父・ビダル大尉(私は何度も字幕に出る彼の名前を “デビル大尉” と読み違えてしまった)が映画冒頭で猟師惨殺に見せる冷酷さは、 鳥肌が立つほど恐
ろしい。彼の存在が映画全体を黒雲のようにおおって、オフェリアが経なければならない3つの試練が、思春期の少女の単なる “通過 儀礼” でないことを示すのだ。 スペイン内戦前夜を描いた映画に『蝶の舌』(99)がある。フランコ将軍が率いる軍部クーデターが成功し、それを契機にスペインは 内戦(1936〜39年)に突入するのだ。 そして本作では、内戦終結後の軍事政権下でゲリラ闘争を繰り広げる人々と、彼らを鎮圧しようとするフランコ陣営の闘いが描かれている。 『蝶の舌』といい本作といい、子どもの視点で描かれていることが、一層、この内戦がスペインに残した傷痕の深さを思わせる。 オフェリアの実父は内戦で亡くなり、ビダル大尉と再婚した身重の母は夫に押し潰されるように生命の火を弱らせていく。優しく面倒を みてくれる小間使いのメルセデスがゲリラの一派であることにも、オフェリアはすぐに気づく。こうした苛酷な現実がオフェリアの内面 世界を侵食する様子は、彼女が体験する幻想が悪夢のように不気味な色調を帯びるところに現われている。 ![]() オフェリアがきらびやかな宮殿にたどり着いた時、私は子ども時代ファンタジーから味わった幸福感と同時に、そこはかとない悲しみが 呼び起こされるのも感じたのだ。 オフェリアの幻想と現実のゲリラの闘いを交錯させた構成が見事。黒を基調とした美しく深みのある映像、牧神パンをはじめ魔法の 国の住人たちの造形などなど、ファンタジーの醍醐味を堪能させてくれた。 【◎○△×】8 |
|
|
11月 |
|
ストーリー ニューヨークでラジオ番組のパーソナリティを務めるエリカ(ジョディ・フォスター)は、愛犬を連れて婚約者のデイヴィッド (ナヴィーン・アンドリュース)と公園を散歩中、暴漢に襲われる。デイヴィッドは殺され、エリカも重傷を負う。 警察の捜査は遅々として進まず、事件の後遺症に悩むエリカは一挺の拳銃を手に入れる。そして偶然立ち寄ったコンビニで、強盗に 引き金を最初に引く。その瞬間から彼女の人生は劇的に変わっていく。初めは自分を守るために、やがては犯罪者を裁くために・・・。 犯罪被害者から自身が犯罪者へと、法の外に踏み出してゆく女性をジョディ・フォスターが演じる異色のクライム・アクション。 ニューヨークのさり気ない光景が点描され、女性のナレーションが静かに流れる。エリカがパーソナリティを務めるラジオ番組の放送 だ。詩的に綴られるニューヨークの風物は、エリカの柔らかな湿り気をおびた声と青みがかった映像の美しさがあいまって、とても 魅力的だ。彼女がいかにこの町を愛し、その暮らしに満足しているかが伝わってくる。 その後の彼女の行動がどれほど常軌を逸したものになっていこうとも、もともとは愛する人との結婚を心待ちにする一人の平凡な女性 であることが、ストンと腑に落ちる導入部だ。
婚約者と公園を散歩中に、エリカは数人の暴漢に襲われる。婚約者は殺され、彼女自身も瀕死の重傷を負う。日本でも似たような事件
がそう珍しくはなくなり、アメリカだから、映画だからといえないリアリティがある。エリカは不安から銃を購入し、いつも携帯するようになる。そして不幸な偶然から最初の殺人を犯す。これは正当防衛に近く、彼女も 警察に出頭するのだけれど、きちんと話を聞いてもらえずウヤムヤになってしまう。 2回目は直接火の粉が振りかかったわけではないが、エリカは地下鉄内で暴漢を射殺する。彼女の中でなにかが弾け、化学変化を起こ したのだ。違う自分の存在を知ったと言ってもいいかもしれない。 悪人を法の埒外で成敗する、というのは、日本でも「必殺シリーズ」など痛快娯楽モノとして人気があったけれど、本作がそうした ヒーロー・アクションものと一線を画しているのは、知らず知らずに善悪の境界を踏み越えていくヒロイン像を、ジョディ・フォスター が深い苦悩を込めて繊細に造形しているからだろう。 エリカは愛する人を失った悲しみだけでなく、事件のフラッシュバックに苦しみ、後ろから来る足
音に怯え、もはや安心して町を歩くことさえ出来なくなる。ここで提示されるのは、犯罪被害者が自らの心の傷からどのようにして立ち直るのか、という問題だ。エリカにとってそれは銃だった。しかしいくら銃社会のアメリカとはいえ、果たしてそれは許されることなのだろうか。その思いは拭いきれない。 法を守る立場としてエリカに相対するのが、事件の捜査を担当するマーサー刑事だ。彼は被害者であるはずのエリカに対する疑惑と、 彼女の人間性への信頼、芽生えつつある友情のはざ間で煩悶する。 演じるテレンス・ハワードは知的な風貌、静かな佇まい、抑制された演技で作品を側面から支え、フォスターに劣らぬ存在感を示して いたと思う。 ところでラストの持っていき方だが、私は、エリカはあのような決着の仕方で本当に救済されるのかなぁ、と疑問に思った。結末に甘さを 残したことが残念。 【◎○△×】7 |
|
|
11月 |
|
ストーリー 60年代のボルチモア。トレーシー(ニッキー・ブロンスキー)はティーンに大人気のTV番組「コーニー・コリンズ・ショー」に 出演することを夢見る女子高生。ダンスも歌も申し分ないけど、ただ1つの問題は超ビッグなサイズだけ。でもそんなことは一向に気に しないトレーシーは、母エドナ(ジョン・トラヴォルタ)の心配をよそに番組のオーディションに参加し、なんとレギュラーの座を 射止めてしまう。 美人プロデューサー、ベルマ(ミシェル・ファイファー)の嫌がらせにもめげず、彼女はたちまち人気者に。ところがある時、ついに 事件が起きる・・・。 トニー賞受賞のブロードウェイ・ヒット・ミュージカルの映画化。1000人以上の中から抜擢されたニッキー・ブロンスキーが ヒロインを演じ、久々にミュージカル出演のジョン・トラヴォルタが特殊メイクで母親に扮している。 トレーシーが朝、目覚めた途端に歌い出す「グッドモーニング、ボルチモア」でぐっと心臓鷲づかみ。演じているニッキー・ブロンスキーは文句なしのおでぶちゃんだけど、はちきれんばかりのパワーと明るさに魅了された。それにすっごくキュート!
櫛で髪の毛を逆立てて、頭の上に小山を乗っけたみたいなヘア・スタイル。今見るとダサくて笑ってしまうけど、たしかにみんな
やってましたねぇ。トレーシーが憧れるリンク(ザック・エフロン)は、当時の人気歌手、リッキー・ネルソンに顔や髪形、歌う時の
雰囲気がそっくり。舞台は60年代、ちょうど私の青春時代に重なるせいか、どれもこれもレトロチックで懐かしい。 でも、トレーシーが夢中になるテレビ番組「コーニー・コリンズ・ショー」のはじけぶりは、まさに “今” そのものだ。歌と踊りの スピード感、キレのよさ、流れの展開の早さ、・・・あの当時、アメリカ輸入のテレビ番組はすごく多かったけど、こんな洒落たのは なかったような気がする。コーニーを演じているジェームズ・マースデンの無駄のない動きのスマートさには、目が点になった。 この映画の面白さは、トレーシーの両親の登場で頂点に達する。母親はなんと、特殊メイクで超おでぶに変身したジョン・トラヴォルタ なのだ。初めはさすがにびっくりるけど、すごくさまになっている。ちょっと内気で娘思い、肥っているのがコンプレックス。でも、 トレーシーのパワーと夫の励まし
でだんだん溌剌としてくる。お洒落をして、トレーシーと2人で歌い踊るシーンの楽しさといったら・・・!父親はクリストファー・ウォーケン。平凡だけど、意外に反骨のお父さんだ。娘のいい理解者。ミシェル・ファイファーの猛烈フェロ モンに鈍感力を発揮するのには笑ってしまった。パパとママがラブラブで歌うシーンが楽しい。 歌唱で圧倒的な存在感を示すのが、番組で週に一度の “ブラック・デー” のホステスを務めるクイーン・ラティファ。彼女が扮する メイベルはトレーシーの黒人同級生の母親でもあるのだが、黒人差別撤廃のデモ行進の先頭に立って歌う “Come So Far” は 圧巻だった。 背景には60年代の公民権運動がテーマとして流れているが、私には「やりたいことはどんどんチャレンジしよう」という前向きの パワーをたっぷりもらえた映画だった。 【◎○△×】7 |
|
|
10月 |
|
ストーリー 絵本シリーズ “ピーター・ラビット” の作者、ビアトリクス・ポターの半生を描いている。 20世紀初頭のロンドン。裕福な上流階級の家庭に育った32歳の独身女性ビアトリクス(レニー・ゼルウィガー)は、青いチョッキを 着たうさぎが主人公の絵本を出版しようとしていた。絵が好きな彼女の子ども時代からの念願だ。 新人編集者、ノーマン(ユアン・マクレガー)との二人三脚で制作された絵本は評判を呼び、次々続編が出版されるようになる。 2人はいつしか愛し合うようになるが、ビアトリクスの両親は身分違いの結婚を許そうとしなかった・・・。 私は絵が好き。でも絵心はまったくない。絵が描けたらどんなに楽しいだろう。絵が描ける人は私の憧れだ。油絵もいいけど、本音を 言えば、いわさきちひろのような水彩画のほうが安らぐ。筆 がえのぐを水に溶かし、描線の中に色を落としこんでいくオープニング、見ているだけで心が開放されていく気がする。
ビアトリクスが生きた20世紀初頭は、まだビクトリア王朝時代の名残りで、厳格で封建的な風潮だった。上流階級の女性が仕事を持つ
なんてとんでもない。結婚し、主婦として夫を支えるのが当然と思われていた。ベアトリクスの母親がその典型だ。可笑しかった のは、娘が絵本作家として成功し、経済的に自立しても、そのことがちっとも分かっていないところ。でもまー、そんな時代だったのだ。 そんな中で、ビアトリクスが結婚もせずに、絵本の出版という幼い頃からの夢を叶えようとしたのは、驚くべきことだったと思う。 生活に心配のない環境だからこそ出来たともいえるが、それ以上に彼女から感じるのは、因習に囚われない伸びやかさだ。100年以上も愛され続けてきた彼女の絵本の魅力はここに源があったんですねぇ。 世の中がすべて男性中心で回っているのだから、“女子ども” の発想は(男が認めない限りは)そうそう世間に出回らない。映画では比較的 あっさり描かれているけれど、出版社を見つけるまでに、ビアトリクスはずいぶん苦労したと思う。しかし、レニー・ゼルウィガーの ふっくらした個性もあってか、大上段に振りかぶったところがない。心地よくストーリーに浸れる。
出版担当者ノーマンとの出会いが面白い。相手が新人と分かって、初めはビアトリクスはすっかり落胆する。意見の食い違いで丁々発止とやりあう2人。そして絵の数を3分の1に減らして、浮いたコストで絵をカラーにするというアイデアで、ビアトリクスはやっと彼の本気を知るのだ。ノーマンの純真で誠実な人柄をユアン・マクレガーが意外なほど地味な演技で好演。 ビアトリクスの画室で、ノーマンが口ずさむ歌に合わせて2人がダンスをする場面、駅頭での初めてのキス、結婚を約束した後 でも、たがいに「ミス」「ミスター」と呼び合う慎ましさなど、中年男女とも思えぬ2人の恋の初々しさが印象的だ。 ビアトリクスが湖水地方の自然保護のために私財を投げ打った人物とは知らなかった。湖のほとりで創作に励む姿には、自然を愛する 彼女の心が表れている。湖水地方の美しい映像を見ながら、時代を先駆けて生きた人だったのだ、とあたらめて感銘を覚えた。 ピーター・ラビットなどのアニメーションが映画に楽しさと温かさを添えている。 【◎○△×】7 |
|
|
11月 |
|
ストーリー その夜、デヴィッド(ルーク・ウィルソン)が高速道路から降り、すれ違う車すらない田舎道を選んだのは、渋滞を避けて少しでも 早く帰宅したい一心からだった。助手席の妻エイミー(ケイト・ベッキンセール)が眠りから覚めると、すぐ口論が始まる。 偶然に訪れたモーテルで、離婚寸前の夫婦に襲い掛かる最悪の夜を描いたサイコ・スリラー エンジンが故障し、2人は仕方なく通りがかりのモーテルに泊まることにする。支配人のメイソン(フランク・ホエーリー)から鍵を もらい部屋はいると、突然、激しいノック音が響き、部屋には無言電話がかかってくる。さらにデヴッドが退屈しのぎに部屋のビデオを 再生すると・・・。 久々に怖かった! といってもべつに残酷なシーンがあるわけじゃないし、盛大に血が流れるわけでもない。何の変哲もないものが ちょっとずつ「・・・?」と違和感を生じ始める怖さ、そして恐怖の正体がはっきりしてからは、いかにしてそこから脱出するかの スリル。これぞスリラーの王道! 国道を外れた田舎道にある寂れたモーテル、という設定は『サイコ』や、やはり私のお気に入りの映画『“アイデンティティ”』に そっくりだ。『ロッキー・ホラー・ショー』では、道に迷った若いカップ
ルがたどり着くのは郊外の奇妙な城だった。これもその変形と
考えていい。アメリカみたいに国土が広大なところならではの現実感がある。高速が渋滞し、デヴィッドとエイミーは遠回りになるけれどあえて高速を降りる。夜も更け、やがて車の調子がおかしくなる。やっと 見つけたガソリン・スタンドで応急処置をしてもらう。隣は寂れたモーテルだ。2kmほど走った辺りで、またおかしくなる。 この「2km」というのがじつにうまい。歩いてもどろうと思えばもどれる距離だからだ。そういう細工をしたのはもちろんガソリン ・スタンドの従業員だ。初めはすべてさり気ない。こうして巧みに張られた蜘蛛の巣に、2人は引っかかってしまうのだ。 本物の殺人現場を記録したものを “スナッフ・フィルム” ということは、私は映画『8mm』で初めて知った。といっても、実際に 存在するかどうかは定かでなく、いわゆる「都市伝説」的なものらしい。本作はこの “スナッフ・フィルム” をモチーフにしている。 モーテルのフロントに支配人が現われる辺りから徐々に空気がおかしくなる。デヴィッドとエイミーは気になりつつも「思い過ごし かも」と無理にも思おうとする。そして部屋に置いてあるビデオテ
ープを再生して、違和感の正体を悟る。テープには、この部屋で宿泊客が殺される様子が撮影されていたからだ。夫婦喧嘩のありふれた光景が自然な流れで描写されるだけに、曖昧な感覚がはっきり輪郭を見せ始める前半のプロセスが、ぞく ぞくするほど怖い。 後半はガラリとテンポが変わり、2人がいかにしてここから脱出するかがアクション風に展開していく。 車は故障し、電話も通じず、そして夜。完全な “密室” 状況だ。正体を現した3人の殺人者。これが4人にも5人にも思える。私がビビッてる証拠でしょう。 初めはマイナス思考で夫の足を引っ張ってばかりいたエイミーが、終盤、健気な頑張りを見せ、夫婦関係の破綻の原因もさらりと 明かされて、2人が愛を取りもどすさまは無理がない。1時間半弱のほどよい長さで、話はシンプル。楽しめた。 【◎○△×】7 |