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4月 |
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ストーリー 1997年8月、パリでダイアナ元皇太子妃がパパラッチとの激しいカーチェイスの末、事故死する。離婚後も世界中の注目を集め 続けた元妃だけに、英国王室は対応に苦慮する。すでに民間人であるダイアナの死に、エリザベス女王(ヘレン・ミレン)はコメントの 発表をひかえるが、それは国民の目には薄情としか映らず、激しい非難が女王の上に集まる。 苦悩を深める女王と王室から心が離れていく国民に、君主制民主主義の危機を感じた若き首相トニー・ブレア(マイケル・シーン)は 事態収拾に乗り出す。 エリザベス女王を演じたヘレン・ミレンがアカデミー主演女優賞を受賞した。 映画は、ダイアナ元皇太子妃が事故死してから国葬にいたるまでの、イギリス王室の対応の紆余曲折を描いているが、個人的には女王 一家の家庭生活が面白かった。 女王が家族と居室でテレビ・ニュースを見る場面などは、エジンバラ公(ジェームズ・クロムウェル)、皇太后(シルヴィア・シムズ) と称号が物々しいだけに、つい美術館などで見かける家族肖像画みたいなものを連想してしまうが、ガウンか何かを羽織って、ソファに 座って、まったくもう庶民と
変わらない。エジンバラ公がむきになって女王を庇ったり、チャールズ皇太子(アレックス・ジェニングス)がマザコンっぽく頼りなかったり、 降って湧いたトラブルをどう切り抜けようかと一家で智恵を絞っている感じは庶民的感覚に近い。親しみを感じた。 イギリスでは “紳士” たる条件の第一は「いかに感情をコントロールできるか」にある、と何かで読んだことがある。どんな状況でも 冷静に自己抑制するのが上流階級であって、みだりに感情を露わにするのははしたない。イギリス貴族の品位と風格はこうして培われて きたというだが、女王も当然のごとくこの自己抑制を身に付け、“国民はそれを王室の威厳として期待している” と信じていたと思う。 ところがダイアナ元妃の急逝では、国民は女王が感情を吐露し、自分たちと哀悼を共有することを望んだ。「国民を理解できなくなった ら退位の時」と皇太后に語る場面があるが、女王は自分が “時代遅れ” になっていたことに気づいて、ショックだったんじゃない かしら。ダイアナ元妃がこれほど国民的な人気を持っていると認識していなかったのも大きかったと思う。 バルモラル城の広い領地を一人で車を運転する場面はそういう意味で印象的だった。川の浅瀬にはまって身動き取れなくなり、助けを 待つ間、川をぼんやり眺めていた女王が突然嗚咽するのだ。君主であるがゆえの孤独、悲しみ、怒り、やりきれなさ。抑えていた感情を 一気に爆発させる
女王は、ほんとにただの1人の女性だ。偶々現れた一頭の美しい鹿を遠くの銃声から逃した後、威厳ある女王の顔にもどる変化が鮮やかだった。 ヘレン・ミレンは足の先から頭の天辺までエリザベス女王そのもの。じっさいの女王にどれほど近いのか分らないけれど、少なくとも 「そうかもしれない」と思わせる説得力はある。ブレア首相に扮したマイケル・シーンは初めは少し違う感じもしたが、見ているうちに どんどん違和感がなくなった。 本作のブレア首相はまさに儲け役、物怖じせずに率直に女王に国民感情を伝えようとし、時には指図がましい進言で女王の怒りを買う。 就任間もない若き首相の意気込みが感じられて好感を持つ。2人が時に激しく火花を散らしながらも、信頼関係を築いていく様子は本作の 醍醐味の1つだろう。 終盤、ブレアのアドバイスに、女王が「それを言うのは僭越よ。あなたにアドバイスをするのは私」と返すところは、凛とした風格が あり、さすがだった。 【◎○△×】7 |
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5月 |
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ストーリー ロンドンの貧困地区キングス・クロス。この地区の再開発を手がける建築家のウィル(ジュード・ロウ)は、映像作家リヴ(ロビン・ ライト・ペン)とその娘と暮らしてもう10年になる。リヴは心のバランスを崩した娘の世話に追われ、ウィルとの関係は最近ギクシャク している。 そんな時、彼のオフィスが2度も窃盗に遭う。張り込みをするウィルは、犯人の少年を追ううちに、その母のアミラ(ジュリエット・ ビノシュ)と知り合う。ボスニア難民のアミラは、息子の行く末を心配していた。 2組の母子が登場する。1組は、ウィルと同棲している映像作家のリヴと娘のビー。ビーはだれにも心を開かず、夜も眠らず体操の 練習に没頭する13歳の少女だ。娘がそうなったのは離婚した自分のせい、とリヴは思っている。(ビーにはそういった心理的な要因 より、気質的な問題があるように私には思えるけど、それはさておき)リヴは自責の念から、仕事を止めてビーにかかりきりになって いる。 2人の間にウィルの入り込む余地はない。家族として暮らしているけれど、2人から見れば彼は部外者なのだ。ビーの異常行動は、 結果的には、母親をウィルに奪われないための防衛行動に
なっているとも言える。愛し合っているだけではどうしようもない閉塞感が、ウィルとリヴの間にはある。もう1組は、ボスニア難民のアミラと息子のミロだ。内戦で夫を亡くしたアミラは、仕立ての手内職をしながら15歳の息子を育てて いる。ウィルとアミラが知り合うのは、窃盗グループに入っているミロがウィルのオフィスに侵入し、パソコン類を盗んだことがきっかけ だ。 2人は引かれあい、やがて結ばれるが、なんとアミラはその様子を友人に頼んでひそかにカメラに撮る。息子の盗みを知って愕然とした アミラが、ウィルが接近してきた理由を誤解し、息子が告訴された時の “武器” にするつもりだったのだ。 彼女が実際にそれを使うことはなかったけれど、ここでウィルが思い知るのは、息子を守ろうとする母親の意思だ。男への愛よりも、 それは優先する。ここでもウィルは母子の固い絆に分け入ることができない。 映画を見て感じたのは、“男” というものの居場所のなさと心許なさだった。“女” は肉体的な感覚で子どもを知っている。分かち がたく結ばれている。それが一方では “女” の生きる世界を狭
め、窮屈にするけれど、一方では自分の存在意義をたしかなものと保証
してくれる。その揺るぎのなさを前にして、“男” は時として、立ちすくむほかないのではなかろうか。原題は “Breaking and Entering”。家宅侵入を意味する法律用語だそうだ。これは、ミロが起した「家宅侵入」 罪と同時に、“男” と “女” の関係を表しているように私には思える。 心の彷徨をしたウィルが最後にたどり着くのは、やはりリヴのもとだ。しかし、彼はただ戻るのではなく、窒息しかかっている2人の 世界を一旦毀さなければならない。そうしなければ新しい関係には入っていけないのだ。 “女” は存在する。“男” は「破壊」という危険な代償を経て、居場所をつかむ。そんな “男” と “女” の根源的なあり方の 違いを思った。 【◎○△×】7 |
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5月 |
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ストーリー 国税庁の会計検査官ハロルド(ウィル・フェレル)は几帳面で生まじめな男だ。この12年間、判で押したような毎日を送っている。 ある朝、いつも通りのことをしていると、彼の行動を正確に語る女性の声が聞こえてきた。その上、彼女によるとハロルドに死が近づいて いるらしい。 声の主はかつての人気作家カレン・アイフル(エマ・トンプソン)。主人公は最後に死ぬのが特徴で、執筆中の小説の主人公が彼だった のだ。人生のストーリーを書き直すために、文学教授ヒルバート(ダスティン・ホフマン)の助言を受けながら、ハロルドの奮闘が 始まる・・・。 初めは設定が『ソフィーの世界』(99)や『トゥルーマン・ショー』(98)に似てるかな、と思ったのだが、どうもそのどちらとも違う。 主人公ハロルドは、作家カレンが考え出した純然たる小説の中の人物ではなくて、現実に存在している。そこが『ソフィーの世界』と 違う。
カレンは、自分の想念の中の人物とばかり思っていたハロルドが現実にいると分って驚くが、悲劇作家としては主人公を最後に殺して
しまわないといけないし、それは現実のハロルドを死なせることになるし、と悩む。主人公の運命を、神のごとき高みから冷然と支配する『トゥルーマン・ショー』のプロデューサーとは、ここが違っている。さらに、ハロルドにさまざまなアドバイスをする文学教授を登場させたところが、この映画独特の味になっている。 この人、かなり好いい加減。だれだって、ルーチン・ワークをいつも通りほとんど無意識にやってたら、突然「この些細な行為が死を 招こうとは、彼は知るよしもなかった」なんて声が聞こえたら、そりゃぁ、びっくりします。まず思うのは、自分の頭がおかしくなった かということ。次に、だれかに相談したいけど、お医者さんにいけといわれるのが関の山だろうな、ということ。 ところがこの教授、「・・・知るよしもなかった・・・」というフレーズは素人に考えられるものではない、よってハロルドの言うこと は本当である、と結論するのだ。このいい加減さがなかなか好ましい。 人の “予定された運命” は変えられるのか、という大問題を扱っているにしては、この映画がほのぼのしているのは、もっぱら主役の ウィル・フェレルと、気の強いケーキ屋の女主人アナのマギー・ギレンホール、それに教授のダスティン・ホフマン、この3人のアンサン ブルの妙味による。
(作家カレンとお目付け役の編集助手は、せっかくエマ・トンプソンとクイーン・ラティファを持って来たのに、なんか印象が薄い。
もうちょっとうまくハロルドたちに絡ませられなかったかなぁ。)ウィル・フェレルは、『奥さまは魔女』(05)ではあまりのけたたましさに閉口したけど、『プロデューサーズ』(05)でかなり好感度 アップ、本作ではすっかりお気に入りになった。 真面目で内気で孤独な税務署の会計監査官。彼がアナの部屋でギターを弾きながら歌を口ずさむシーンの愛おしさは、最近見た映画の中では出色だ。こんな彼を見たら、アナでなくても、胸がきゅっとならずにはおれない。 終盤、味方のはずの教授は、「ここで君が死なないとこの小説は傑作たる価値を失う」なんて因果を含めるし、ハロルドもそれもそうだ と思ったりする。こういうストーリーは落としどころが難しい。結末はハートウォーミング、少々甘いけど、それでよかったと思う 私だ。 【◎○△×】7 |
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5月 |
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ストーリー スパイダーマンとしては今やすっかり人気者となり、ミュージカル・スターを夢見る恋人MJ(キルステン・ダンスト)との関係も 良好で、ピーター(トビー・マグワイア)の生活は絶好調だ。 ところがある日、宇宙から落下した謎の生命体ヴェノムに取り憑かれ、彼は黒い心に支配されたブラック・スパイダーマンになって しまう。そんな彼の前に、これまで以上に手強い敵、サンドマン(トーマス・ヘイデン・チャーチ)、2代目グリーン・ゴブリン (ジェームズ・フランコ)、ヴェノム(トファー・グレイス)が立ちふさがる。 一方、ブロードウェイ・デビューを果たしたものの、舞台が酷評されたMJは失意に沈むばかりだった。製作費300億円を超える シリーズ最終作。 スーパーマンにしろバットマンにしろ、正義のヒーローたちは、正体を隠して活躍するということに大体相場は決まっている。人々は 彼らの存在を知っているけれど、知らないふりをする。つまり、ヒーローは縁の下の力持ちというわけですね。スパイダーマンも前2作 までは一応そういう立
場だったと思う。ところが本作では、とうとう人々の注目を浴びる人気者になってしまった。気のせいか、前2作にくらべるとピーターがマスクを外して 素顔をさらす回数も多いような・・・。本来、黒子のはずのヒーローが表に出てきたらどうなるの?というのが、いわば本作の眼目だ。 スパイダーマン人気で慢心したピーターは、仕事に挫折したMJの苦しみを察することが出来ず、傲慢で無神経な言動で周囲の人を傷 つけるようになる。 ほかのコミック・ヒーローとくらべて、人間的な葛藤のなかで成長していくところがスパイダーマンの魅力の1つなのだが、そういう 意味では、賞賛を浴びたいとか、そうなればなったで有頂天になる本作のスパイダーマンの人間臭さは、これまでの延長線上にあると いえる。 こうしたピーターの心の隙に取りついて、彼の内面にひそむ “邪悪さ” を引き出すのが正体不明の宇宙生物ヴェノムだ。モゾモゾ蠢く 無数の黒い虫。かなり気色悪い。これに全身覆われて、ピーターはブラック・スパイダーマンに変身する。 前2作の流れから行くと、自分自身の “悪” と彼がどう闘うのかがテーマになるのかと思ったが、これは外れだった。ヴェノムは、ピーターに恨みを持つ新人カメラマンに移動寄生して、彼が
ブラック・スパイダーマンになってしまうからだ。ピーターは “善なるスパイダーマン” に逆戻り。“内なる悪” を自分と無縁の「悪魔」とか「怪物」として外在化し、スケープゴートとして退治して終わり、というのはもともと欧米流思考法の1つ。結局そこでお茶を濁した感じで、ちょっと残念。 それと、MJとの恋やハリー(2代目グリーン・ゴブリン)との友情がもっと掘り下げられてもよかったんじゃないかな。本シリーズの魅力はなんといってもピーターをめぐる人間ドラマにあると思うから。 本作ではこのブラック・スパイダーマン〔ヴェノム〕のほかに、2代目グリーン・ゴブリン、サンドマン、と宿敵が3人も出てくる。彼らとの闘いで アクションは次々目先が変わって飽きないが、前2作の敵役たちに比べると小粒で、ドラマとしての求心力が弱い。 シリーズ最終作ということで、欲張りすぎたんじゃないかな〜。ピーターのダンスまであってサービス満点だが、話にややまとまりを欠いた印象を受けた。 SFXは作を重ねるごとに驚異的にパワーアップ。ビルの谷間を飛翔するスパイダーマンのダイナミックなスピード、サラサラと 盛り上がった砂の中から現われるサンドマンの融通無碍な変形ぶり(『ターミネーター2』(91)の液体金属のサイボーグを思い出した) など、陶酔感を覚えるほど。この点は一見の価値のある出来ばえと思う。 【◎○△×】6 |
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4月 |
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ストーリー 『トータル・リコール』『氷の微笑』のポール・ヴァーホーヴェン監督が、23年ぶりに故国オランダで撮った戦争サスペンス・ ドラマ。 1944年9月、第二次世界大戦中のドイツ軍占領下のオランダ。美貌のユダヤ人歌手ラヘル(カリス・ファン・ハウテン)は南部へ 逃亡する途中、ドイツ・ナチスに家族全員を殺される。 かろうじてレジスタンスに救われ、彼らの活動に身を投じたラヘルは、エリスと名を偽って、スパイとしてドイツ軍将校ムンツェ (セバスチャン・コッホ)に接近するが・・・。 今やハリウッド娯楽大作の巨匠になったヴァーホーベン監督が、『四番目の男』(79)以来23年ぶりに母国オランダに帰ってメガホン を取った作品だ。この映画は死の妄想に取り憑かれた高名な作家の彷徨を描いて奇妙な味わいだったが、監督名がオランダ語読み の “ヴェルフーヴェン” になっていたため、私はずっとヴァーホーベン監督とは気づかずにいた。
そうと分ってみれば、現実か妄想か判然としない不思議さは、ハリウッドに渡ってからの『トータル・リコール』(90)に共通したもの
がある。私のイメージからすると、ナチ占領下のレジスタンスの闘いという題材は意外だったが、そこはさすがに戦争の悲劇を訴えると
いうありふれた形に収まらず、娯楽に徹した作りで楽しませてくれる。俳優陣がいい。まずヒロイン、ラヘル(エリス)に扮するカリス・ファン・ハウテン。『氷の微笑』(92)のミューズ、シャロン・ ストーンにくらべると妖艶さに欠けるが、話が話だからあまりなまめかしくても困る。ほどよい緊張を湛えた正統派の美貌だ。歌は吹き 替えではなく本人なんだろうか、とても上手い。小ぶりだが形のよい胸を惜しげもなく披露する潔さに拍手。 コメディ・リリーフ的な役割のエリスの友人、ロニー役のハリナ・ラインも抜群の存在感だ。ナチ将校の愛人だが、動物的勘で時流を 巧みに読み、生き延びていく。あっけらかんとした陽気さに魅力を感じる。 男優陣ではなんといっても、エリスと愛し合うようになるナチ将校ムンツェのセバスチャン・コッホ。この人、じつは『飛ぶ教室』 (03)から気になっていた。妙に色っぽい。『善き人のためのソナ
タ』(06)でも渋い男ぶりを発揮していた。もっとも、本作ではその色気がマイナスに働いて、凄腕の情報将校らしい鋭さ、冷徹さがあんまり感じられない。エリスに惹かれな がらも、その正体に時おりギラリと疑惑の目を向ける、そういうスリルをもっとを味わいたかったけど・・・。 忘れてはならないのがレジスタンスのリーダー、ハンスに扮したトム・ホフマン。シャープで肝が据わっていて、時々冷酷で、ふっと 投げやりな表情を見せる。本作中、一番複雑な人物だ。何かのはずみに、皮肉な翳りが『L.A.コンフィデンシャル』のケヴィン・ スペイシーを思い出させる。こういう屈折した人物もじつは私は好きなんです。 見かけの割りにピアノが上手いナチ将校フランケン(ワルデマー・コブス)、変に生まじめなカウトナー将軍(クリスチャン・ベル ケル)、みんなとても面白い。 レジスタンス内にナチへの内部通報者がいることがわかり、濡れ衣がエリスにかかる辺りからにわかにサスペンスが強まるが、終盤、 裏切り者が判明するクダリはややはしょり加減。しかし、第二次中東戦争の勃発を暗示するラストが映画を引き締めている。今はイスラ エルのキブツで夫や子どもと暮らすエリスの幸せが、かりそめのものだと強く感じさせるからだ。 戦争はずっと、そして今も、局地的にあちこちで起こっている。娯楽大作の装いの中にそんなメッセージをきちっと盛り込むところに、 ヴァーホーベン監督のしたたかさを見たように思った。 【◎○△×】7 |
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4月 |
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ストーリー 内戦下のアフリカを舞台に、埋蔵された巨大ダイヤにたどり着くために展開される、3人の男女のスリリングな運命を描く。 1990年代のアフリカ、シェラレオネ。元傭兵のダイヤ密売人、ダニー・アーチャー(レオナルド・ディカプリオ)はふとしたこと で、隠された巨大なピンク・ダイヤの噂を耳にする。反政府軍よりダイヤ採掘場で強制労働させられていたソロモン(ジャイモン・フン スー)が、その場所を知っているらしい。ダニーは、ソロモンの家族を探しだすことを条件に、隠し場所に案内するよう迫る。 一方、アメリカ人女性ジャーナリスト、マディー(ジェニファー・コネリー)は、武装組織の資金源に関する情報を追っていた。 舞台となったアフリカ、シェラレオネで武力紛争が始まったのは1990年からだそうだ。豊富なダイヤモンド資源が闇ルートで 流され、武器購入の資金となる。映画の序盤、革命統一戦線の部隊が平和な村を襲い、女性や子どもも含めた村人たちを無差別に虐殺する 場面にショックを受けた。ダイヤモンド採掘に従事する男たちを刈り集めるのが目的だ。身震いするほどの恐ろしさだが、映画はこう したシェラレオネの現実をベースに進んでいく。 ディカプリオが傭兵くずれらしい雰囲気を出している。港の屋台で声をかけたアメリカ人女性マディーがジャーナリストらしいと 察すると、さっと態度を翻すところなど、闇世界で生きてきた海千山
千のしたたかさを感じさせる。ダニーはダイヤ密売という自分の仕事が、どれほど多くの血と犠牲の上に成り立っているかなど考えたこともない。彼の目的は、生まれ 育ったこの地をいつか抜け出すこと、そのための金を得ることだけ。 ディカプリオは不精ヒゲを生やし、少し太めに体作りをして、無頼な 感じをうまく出している。『ディパーテッド』(06)で一皮むけた印象だったが、本作でさらに成長した感を持つ。 ダイヤ採掘場で強制労働させられていたソロモンが、ピンクの巨大ダイヤをどこかに埋めたという噂をダニーが聞きつけたところから、 映画は財宝探検ものの様相を帯びる。ダニーは、行方の分らない家族を探し出すことを条件に、ソロモンに隠し場所へ案内させようとする。 港で知り合ったマディーのジャーナリスト特権を利用して進入禁止区域にジープを走らせ、元上司の傭兵隊大佐(アーノルド・ヴォ スルー)に採掘キャンプの爆撃を要請する。派手な見どころに事欠かない。 アクションでぐいぐい引っ張りながらも、映画は内戦に揺れるアフリカの現状の告発も忘れない。ソロモンの息子ディア(カギソ・ クイパーズ)が一員とさせられる少年兵の存在もその1つだ。年端もいかない子どもたちを、時には麻薬まで使用して恐怖心を麻痺させ、 憎しみを植えつける。殺人兵器として洗脳するのだ。 映画の中に、こうした元少年兵たちを受け入れる篤志家によるリハビリ・キャンプが出てくるが、彼らの心の傷が癒される時は来るの だろうか。暗澹たる思いになる。息子を救おうとするソロモンの無私の愛に感動。演ずるジャイモン・フンスゥの存在感に圧倒される。
ダニーとマディーの間に交流するほのかな想いもさり気なく描かれる。2人が夜、戸外で語り合う好場面がある。 マディーがベトナム帰りだった父のことを話すと、ダニーは「アメリカ人は打ち明け話が好きだな」と皮肉っぽくからかう。過去を切り捨て、情を拒否してきたダニーの生きかたが表われている。しかし一方で、彼は自分の悲惨な過去をふと洩らすのだ。 キスシーン1つないが、本作がダニーとマディーの紛れもないラブストーリーという後味が残るのは、表現が抑制されているからこそ なのだろう。終盤、岩山に残されたダニーと、ヨーロッパにいるマディーが携帯で最後の会話を交わすシーンは、哀切きわまりない。 マディーに扮したジェニファー・コネリーの化粧っけのない清冽な美貌が印象的だ。 重たい映画ではないかと思っていたが、娯楽大作としてのエンターテインメント性と骨格のしっかりしたメッセージ性がバランスよく かみ合い、予想以上に面白かった。 【◎○△×】8 |
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4月 |
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ストーリー ブラジルの国民的スーパースター、“ゼゼ・ジ・カマルゴ&ルシアーノ” と彼らの家族をモデルにした心温まるヒューマン・ドラマ。 ブラジルの田舎町。小作農として働くフランシスコ(アンジェロ・アントニオ)は、貧しいながらも、妻エレーナ(ジラ・パエス)と 7人の子どもたちと平和に暮らしている。 彼の夢は、息子たちをプロのミュージシャンにすることだ。長男ミロズマル(ダブリオ・モレイラ)にアコーディオンを、次男エミ ヴァル(マルコス・エンヒケ)はギターを買い与えたために地代が払えなくなり、一家は都会へ移住する。 この映画は、ブラジルのスーパースター、“ゼゼ・ジ・カマルゴ&ルシアーノ”をモデルにしているそうだ。同じく実話に基づいた ブラジル映画『Oi ビシクレッタ』(03)は、乳児を含めた家族7人がたった4台の自転車で3200kmを走破する話だった。どちら も根底には想像を超える失業と貧困があるのだが、映画にはこうした現実にめげない楽天的なパワーがあふれている。 フランシスコはかなり能天気な性格だ。音楽が大好きで、貧しい暮らしを抜け出すには音楽しかないと、ハナから信じ込んでいる。子 沢山の苦しい家計もなんのその、長男と次男に楽器を与え
てむりやり歌と演奏を独学させる。そのうち地代が払えなくなり、一家は土間がむき出しで雨漏りだらけの都会のボロ家に引っ越さざるを
得ない。息子たちに才能があったからよかったものの、そうでなければどうするつもりだったんだろう、なんて思うのは、私が心配症の日本人 だからなのだろう。夫を受け入れ、文句1つ言わない妻エレナの肝っ玉母さんぶりが見事だ。 息子2人が家計を助けるために、駅で路上ライブをするシーンが印象的だ。初めはあちこち追い立てられて意気消沈していたのが、人が 集まり出すにつれて声に張りが出てくる。次男エミヴァルが歌いながら足でお布施箱をズズッと押し出す様子に思わず微笑。 それにしても2人の歌の上手さにはびっくりした。吹き替えではなく、当人たちが実際に歌っているらしい。何度か流れる「僕が家を 出た日」という歌などは、聞くたびにふっと目頭が熱くなる。自分たちの歌がお金になることを知った誇りと喜び。この日が彼らの 実質的な音楽活動の始まりになる。 この後も一家にはさまざまな出来事が起こるが、なかでもショックなのは、巡業中にエミヴァルが事故死することだ。これが実話の 重み、受け入れざるを得ない。後年、長男ミロズマルと組んでデ
ュオを復活させるのが、当時まだ幼児だった末弟ウェルソン。巡り合わせの不思議さを感じる。それからも、現在の地位にたどり着くまでの道のりは平坦でない。ケッサクなのは、ミロズマルの作ったデモテープをフランシスコが 地元のラジオ局に持ち込み、給料全部を小銭に替えて、仕事仲間にリクエストの電話をかけさせるところ。 公衆電話の前に行列した男たちが、次々に神妙な顔でリクエスト曲を告げる。これがきっかけで、2人の曲「エ・オ・アモール」は 100万枚の大ヒットとなり、“ゼゼ・ジ・カマルゴ&ルシアーノ” のキャリアが始まるのだ。 フランシスコは “夢追い人” だ。しかし家族は呆れも見放しもせずに付き合い、最後はとうとうその夢を叶えてしまう。ラストの 熱狂的なコンサートの実写フィルムに登場するフランシスコと妻エレナ、そして “ゼゼ・ジ・カマルゴ&ルシアーノ” の2人を 見ながら、家族の絆とか、夢とか希望とか、言葉にすると少々気恥ずかしいそうしたことの素朴な力強さを考えた。 【◎○△×】7 |
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4月 |
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ストーリー アレックス(ヒュー・グラント)は80年代に一世を風靡した “POP!” のボーカリストだったが、グループ解散後は鳴かず 飛ばず。今はかつての人気にすがって各地のイベントで営業活動に励んでいる。 そんな彼の元に、若者に絶大な人気のカリスマ歌手コーラ(ヘイリー・ベネット)の作曲依頼が舞い込む。またとない復活のチャンス だが、アレックスは作詞にはまったく自信がない。そんな時、観葉植物の手入れにやってきたソフィー(ドリュー・バリモア)が何気なく 口ずさんだフレーズが彼の耳に止まる。しぶる彼女を説得して、二人三脚の曲作りが始まるが・・・。 ヒュー・グラントが扮するアレックスはかつて爆発的人気を誇ったポップアイドル・グループのボーカリスト。冒頭流れる当時の ステージを紹介するミュージック・クリップ風の映像がもうなんとも言
えない。前髪を垂らしたヒューが、白いジャンプスーツに長い
黒スカーフを揺らしながら、キーボードを叩き、歌い踊る。今振り返るとかっこいいんだかダサいんだか分からない。80年代のポップ・グループってこうだったなぁ〜。これだけで映画の世界に 一気に引き込まれる。 アレックスはかつての栄光によりかかって、遊園地や同窓会のイベントで歌ってお茶を濁す日々。「昔の名前で出ています」と いう歌謡曲があったなぁ、なんて妙な連想が湧いてくる。 デュオを組んでいたもう1人のボーカリストはその後 “ナイト” の称号手にいれるほどの活躍ぶりだが、気にする風もなくぬるま湯みたいな暮らしに安住している。 今を時めくカリスマ歌手コーラに新曲提供の話がある、とマネージャー(ブラッド・ギャレット)から聞かされた時の台詞がふるって いる。開口一番「面倒くさい」。10年も作ってないから、というのがその理由。自信喪失もないではない。それでもねぇ、はたのほうが ずっこけますよ、これじゃ。 ヒュー・グラントって、こういう脱力系の二枚目半がホントによく似合う。アイドル時代そのままの腰ふりダンスで笑わせておいて、 腰を痛めて舞台裏に引っ込んだり、ダメ男ぶりを遺憾なく発揮。 ピアノも歌も初めてなんだそうだけどなかなかどうして、ノリのよい楽曲の演奏はかなりのものだったと思う。
こんなアレックスとオトボケ・コンビを組むのがドリュー・バリモア。体型はひと頃に比べてずいぶんほっそりしたけれど、ふっくらした
雰囲気はやっぱりドリューならではのもの。ラブコメにぴったりの持ち味は本作でも最高の魅力を見せている。ソフィーはアレックスに作詞の才能を見出されても、失恋がもとですっかり自信をなくしている。言ってみれば2人は似たもの同士 なのだ。そんな2人が迷走しながら素敵なバラードを作り上げる。 コーラのコンサートでゲスト出演したアレックスは、ピアノの弾き語りでソフィーへの愛を歌い上げる。いろいろの行き違いから会場を 去ろうとしていたソフィーは、脚を停めて聞き入る。最後は舞台の裾でしっかり抱き合う2人。ステージでは、コーラが2人の作った歌を 熱唱する。 華やかでロマンチックで、それでいてしんみりしみじみ、・・・たっぷり幸せな気分。ラブコメの王道をゆく楽しさだった。 【◎○△×】7 |