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今月見た新作映画 2006年

10月〜12月



10月

アガサ・クリスティーの
奥さまは名探偵


2005年  フランス  105分
監督 パスカル・トマ
出演
カトリーヌ・フロ、アンドレ・デュソリエ、ジュヌヴィエーヴ・ビジョルド
ローラン・テルジェフ、ヴァレリー・カプリスキ、フランソワーズ・セニエ

  ストーリー
 原作はミステリーの女王、アガサ・クリスティー。おしどり探偵 “トミーとタペンス” が活躍する「親指のうずき」を、舞台を ロンドンから現代フランスに移して映画化。
 高級老人ホームにいる叔母(フランソワーズ・セニエ)を訪ねたベリゼール(アンドレ・デュソリエ)とプリュダンス(カトリーヌ・ フロ)の夫婦は、その後しばらくして、叔母が亡くなった知らせを受ける。
 遺品を整理しているうちに、プリュダンスはある風景画に胸騒ぎを覚える。そこに描かれている家に見覚えがあったのだ。その上、 この絵の持ち主の老女ローズ(ジュヌヴィエーヴ・ビジョルド)はホームを退所し、行方が知れなかった。事件の予感の “親指のうず き” を感じたプリュダンスは、夫ゼリベールの心配もものかは、絵に描かれた家とローズを探す旅に出る。

  一口感想
 アガサ・クリスティはひと頃ー40代の頃だからずいぶん前になるがー夢中になって読んだものだった。もっとも、あんまり読みすぎて 今では筋がごっちゃになり、どれがどれやら混沌としているが。しかし、今頃になって気づいたが、9割近くがポワロもの、残りはミス・ マープルもので、この映画の原作の“トミーとタペンス”シリーズは1冊も読んでいない。
 映画から受ける印象は、じっくり推理を重ねるポワロやミス・マープルとはかなり趣きが違う。どちらかという行動的な主人公の冒険 譚という感じだ。どうやらそれは原作の持ち味でもあるらしい。

 ストーリーの謎解きそのものは、正直言ったあんまりよく分らなかった。過去の連続少女殺人事件やダイアモンド強奪事件が現在と どう関わっているのか(いまさら事件を掘り起こさなくても、ことは納まっているように見える)、なぜ高級老人ホームの老女ローズが 急に姿を隠さなければならかったのか、そもそも老人ホームで起こった殺人事件はなんだったのか、などなど考え出すとつじつまが合わ ないことだらけだ。

 しかし、不思議とそういうことがあんまり気にならないのは、主人公プリュダンス(原作ではタペンス)の魅力の大きさだろう。 タペンスはクリスティがもっとも愛した作中人物だそうだ。好奇心旺盛な生き生きした奥様ぶりは、クリスティの自己イメージがたっぷり 投影されていそう。演じるカトリーヌ・フロは、クリスティが予め知っていて、彼女のために書いたみたいにピッタリはまっている。

 夫ベリゼール(原作ではトミー)は「君と結婚したのは絶対退屈しないと思ったから」という。まさにその通り。もっともそれも少々 度を越し気味。しょっちゅう仕事を邪魔されて困惑顔だが、「まー、いいか」と気持ち切りかえて、昼から妻とワインを飲んだりする 素敵な夫だ。温厚洒脱。これまたデュソリエそのままだ。
 はねっかえりの妻と、ハラハラしながらしっかりサポートする夫。2人のコンビぶりを見ているだけで楽しい。

 舞台となるスイス国境に近いフランス・サヴォワ地方の田園の美しさが特筆ものだ。明るい陽光の下では、どんな陰惨な事件も陽気な おとぎ話に転じてしまう。午後のコーヒーのようにちょっと心弾む映画だった。
  【◎△×】7

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10月

イルマーレ

2006年  アメリカ  98分
監督 アレハンドロ・アグレスティ
出演
キアヌ・リーヴス、サンドラ・ブロック、クリストファー・プラマー
ディラン・ウォルシュ、エボン・モス=バクラック、リン・コリンズ

  ストーリー
 韓国映画『イルマーレ』(01)のハリウッド版リメーク。『スピード』(94)のキアヌ・リーブスとサンドラ・ブロックが12年ぶり に共演を果たしている。
 シカゴの病院に勤務することが決まった研修医のケイト(サンドラ・ブロック)は、湖畔のガラス張りの家から引っ越すことになり、 次の住人に宛てた手紙をポストに残す。それを受け取った新しい住人の建築家アレックス(キアヌ・リーヴス)は首を捻る。なぜなら この家は長い間空き家になっていたはずだからだ。
 ポストを通して不思議な手紙のやり取りをするうちに、ケイトは2006年、アレックスは2004年に生きていることが分ってくる。 やがて2人はたがいに思いを寄せ合うようになるが・・・。
 
  一口感想
 ハリウッド・リメークは、手馴れたエンターテインメント作品になっても、底が浅く、大味になってしまうことが多い。オリジナルの 韓国版は私のお気に入り映画だけに、どんな風になっているんだろ うと心配半分で見に行ったが、上々の仕上がりだった。

 といっても、オリジナル版と雰囲気はそうとうに違っている。韓国版では、主人公2人の間に横たわる “2年” というタイムラグは、 越えられそうでどうしても越えられない時空を形成していた。その 切なさが映画をロマンティックなものにしていた。一方、本作では “2年” の隔たりはわずかなタイムラグであり、現実に主人公たち は最後にはそれを乗り越え、結ばれる。
 オリジナル版には、現状をそのまま受け入れる東洋風の思想が底に流れているような気がするが、リメーク版は “力 業”(ちからわざ)というか、運命すら自分の手元に引き寄せようという西洋風の思想が表われているように 感じる。

 視覚的にも “時” の要因をあまり感じさせない作りになっている。例えば公園やレストランで、2人が並んで、あるいは向き合って 会話をする場面。もちろん、会話というのは手紙の内容のことで あり、じっさいは2年を隔てて2人は同じ場所にいるわけで、それが分る工夫もされている。
 しかし、オリジナル版の2人がどうしても逢えないもどかしさに比べると、本作はどちらかというと、遠距離恋愛のそれに近い感じだ。

 “時” の要因を薄めた代わりに、リメーク版ではイギリスの女流作家ジェーン・オースティンの小説「説得」をモチーフに取り込んで いる。これで、本作のテーマは “待つ” ことであるのがはっきりとし、話としては分りやすくなった。この辺がアメリカ映画らしい 明快さといえる。
 面白いのは、従来は待つのは女性と相場が決まっていたが、本作は男性のアレックスであるところだ。2年を辛抱強く待ち、映画の ラストではついに「現在」のケイトに追いつく。

 オリジナルにあったファンタジックな色合いは弱まったが、主人公2人の年齢を引き上げたこと、それぞれの暮らしぶり(人間関係や 仕事の悩みなど)が丁寧に織り込まれ、しっとりした味わいの 大人のラブストーリーになった。
 とくにアレックスと著名な建築家だが家庭を顧みなかった父(クリストファー・プラマー)との葛藤が丹念に彫りこまれて、ストー リーの厚みはオリジナルより増したと思う。

 ケイトの誕生パーティで、2人が中庭で抱き合って踊るシーンがとても素敵だ。アレックスはもうケイトが「あの人」だと分っている。 でもケイトはまだ彼のことを知らない。それでもなぜか心が惹かれる。
 そんなひめやかな気分の高まりをサンドラ・ブロックが繊細に演じ、それを受け止めるキアヌ・リーヴスもうっとりするほど官能的。 2人の息の合ったコンビぶりは、『スピード』から12年経っても健在だった。
  【◎△×】7

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11月

Oi ビシクレッタ

2003年  ブラジル  85分
監督 ヴィセンテ・アモリン
出演
ヴァグネル・モーラ、クラウジア・アブレウ、ラヴィ・ラモス・ラセルダ
マヌエル・セバスティアン・アルヴェス・フィリョ、クラウジオ・ジャポラジ

  ストーリー
 ブラジルの北東部に住む失業中のトラック運転手ロマン(ヴァグネル・モーラ)は、妻子に人間らしい暮らしをさせようと、月 1000レアル(約400ドル)の仕事を求めて、リオデジャネイロに向かう決意をする。
 家族は妻ローゼ(クラウジア・アブレウ)とローティーンの長男アントニオ(ラヴィ・ラモス・ラセルダ)をはじめ赤ん坊を含む5人 の子ども、移動手段は4台の自転車。ある日、一家7人は、はるか3200km離れたリオデジャネイロを目指して旅立つ・・・。
 実話に基づき、貧しさのなかにも夢を捨てない一家の姿を描くロード・ムービー。
 
  一口感想
 ブラジル映画を見るのはこれが3本目だが、共通して感じるのは、画面からあふれる素朴な力強さだ。本作では、乳児からローティー ンまで5人の子どもを含む一家7人が4台の自転車に分乗し、なんと3200kmの道のりを走破する。実際にあった話で、モデルに なった一家の子どもは6人だったというからなおのこと驚いてしまう。
 といっても、別に酔狂でそんな旅に出たわけではない。ロマンはトラック運転手だったが失業し、字が読めないためにロクな仕事が なく、家族を養うために月1000レアル(約400ドル)稼げるというリオデジャネイロへ行く決意をする。彼の信条は、「家族は 離れ離れになってはいけない」ということ。そこでブラジル北東部からリオデジャネイロまで、一家そろっての自転車旅行になった のだ。

 この映画の魅力は、ロマンの “一家のあるじ” としての気概とプライドだ。荷物らしい荷物はなく、赤土がむき出しの石ころ道を 終日走り続ける。有り金がなくなれば、車のタイア洗いや、次男のギターと妻のローゼの歌でわずかな布施を得る。時には物乞いもする が、盗みだけは絶対にしない。
 土地のチンピラに襲われることもあれば、町の有力者の知遇を得ることもある。ハンモック作りの職を得たローゼは町に留まることを 望むが、一家を養うのはあるじの責任だと考えるロマンは、そうした暮らしを潔しとしない。あくまでも目的地、リオデジャネイロに 向かって突き進む。
 頑固オヤジといえばいえるが、一本芯の通った逞しさは「男らしさ」の象徴だ。

 興味深いのは、反抗期にかかった長男アントニオに対するロマンの態度だ。アントニオは町の女から投げられる誘惑的な視線が眩しく てならない。埃まみれで自転車を漕ぐのはもうイヤだ、ここに残ると言い出す。
 初めは勝手は行動を許さず力づくで連れてゆくが、2度目の時はローゼの心配をよそに置き去りにする。まだアントニオが1人では なにも出来ず、すぐ後を追ってくるのが分っているのだ。
 しかしその後、ロマンはちゃんとした木材伐採の仕事をアントニオに見つけてやる。この時のアントニオが印象的だ。ちょっと誇らし げに、父にタバコをくれと言う。ロマンは最後の1本を与えると、「次は自分の金で買え」という。言外に「お前はもう一人前の男だ」 と告げているのだ。
 ローゼは「社会に出たら2度と会えない」といって、息子を強く抱きしめて別れを惜しむ。父と母、それぞれの愛情に裏打ちされた 親離れ・子離れがじつに見事だ。

 強いだけでなく、時には妻に弱音をもらすロマンの人間臭さと、幼い子どもたちを抱えてひたすら夫を支えるローゼの健気さが、映画 を爽やかなものにしている。ここには家族の原形とも言うべき姿があると思った。主演のヴァグネル・モーラはジョニー・デップ似の なかなかの美男、ローゼ役のクラウジア・アブレウもスリムな美人で、それも映画を楽しいものにしていた。
  【◎△×】7

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10月

記憶の棘

2004年  アメリカ  100分
監督 ジョナサン・グレイザー
出演
ニコール・キッドマン、キャメロン・ブライト、ダニー・ヒューストン
ローレン・バコール、アリソン・エリオット、アン・ヘッシュ
ピーター・ストーメア

  ストーリー
 輪廻転生譚の形を取りつつ、成熟した女性と10歳の少年のミステリアスな愛が綴られる。
 ニューヨークで家族と暮らすアナ(ニコール・キッドマン)は、10年前に愛する夫ショーンを心臓発作で失くし、悲しみにくれる 日々を送っていた。しかし、3年越しのプロポーズを続けていたジョセフ(ダニー・ヒューストン)の誠実な愛に打たれ、結婚を決意 する。
 婚約披露パーティの夜、一人の少年(キャメロン・ブライト)がアナのもとを訪ねてくる。彼は「僕はショーン、君の夫だ」と告げて、 再婚しないでくれと激しく訴える。初めは相手にしなかったアナだったが、次第に「もしや、彼は本当に亡夫の生まれ変わりでは・・・」 という思いが芽生え、動揺し始める。
 
  一口感想
 「少年は果たしてほんとうにアナの夫・ショーンの生まれ変わりだったんだろうか」。映画館を後にして帰路に着きながら、ずっとこの ことを考えていた。
 少年はアナと亡夫ショーンしか知らないことをいくつも知っていた。それは人から聞いたり、偶然手に入れた亡きショーンの手紙から は知ることのできない知識ばかりだ。個人的には私は輪廻転 生どころか死後の世界も信じていないいたって不信心な人間だが、本作について言えば、少年ショーンはアナの亡夫の生まれ変わりだと ずっと思って映画を見ていた。

 それだけに、終盤、にわかに友人の妻クララ(アン・ヘッシュ)に焦点が絞られる展開はまったく意外だった。彼女がショーンに 明かす秘密は、もし彼が本当に亡夫ショーンの生まれ変わりであるなら、当然知っていなければならないことだ。なぜ彼はこのことを 知らなかったのだろう。
 まず思ったのは、亡夫ショーンの意識が2つに分れ、少年ショーンにはアナへの愛の部分だけが転生した、ということだ。もちろん、 少年は生まれ変わりでもなんでもなかった、という可能性もある。

 思いがけない秘密を知った少年はどうしたか。彼は、自分は亡きショーンの生まれ変わりではない、という結論を自ら出す。アナを心 から愛する少年には、秘密の内容は耐えられないものだったのか、あるいはそういう夫が自分であることが許せなかったのか。秘密を 知らなかったことも含めて、自分を亡夫の生まれ変わりと信じる少年は自己矛盾に陥ってしまったことになる。
 彼はアナのために秘密を守り通すことを決意する。彼を亡き夫の生まれ変わりと信じ始めたアナに「嘘をついていた」と告げるのだ。
 ここには少年らしい純粋な愛と同時に、大人の苦悩と分別が読み取れる。10歳の少年の魂に宿っているのは、やはり亡きショーン その人ではないのだろうか・・・。しかしこの結論は見る人に よって変わりそうだ。

 ニコール・キッドマンがアカデミー賞受賞以後、めきめきと演技の腕を上げている。コンサートでアップになる彼女の表情はその最たる 例。亡夫だと名乗る少年の出現に動揺するアナの心情が長回しの中で余すところなく表わされる。10歳の少年の表情、仕草の中に亡夫 の面影を見て、次第に彼に心を開いていくアナ。迫真の演技だ。

 ショーンを演じたキャメロン・ブライトは不思議な少年だと思う。体つきはぽっちゃりした垢ぬけないが、顔の骨格がはっきしており、 大人の情感がある。物怖じせず堂々と振る舞う様子は、見かけは子どもだけど本当は大人なんじゃないか、と思いたくなる雰囲気がある のだ。アナの婚約者のジョセフが徐々に彼に嫉妬心を抱き始めるのが無理なく納得できた。
 クララに扮したアン・ヘッシュが終盤わずかな出番で、ギラリとした女の情念を見せたのはさすがだった。
  【◎△×】7

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10月

キンキーブーツ

2005年  イギリス  107分
監督 ジュリアン・ジャロルド
出演
ジョエル・エドガートン、キウェテル・イジョフォー
サラ=ジェーン・ポッツ、ジェミマ・ルーパー、リンダ・バセット
ニック・フロスト

  ストーリー
 保守的なイギリスの田舎町を襲ったカルチャーギャップが笑いと感動を呼ぶ、実話に基づいたハートフル・コメディ。
 イギリス、ノーサンプトンの町。老舗の靴工場を父親から受け継いだチャーリー(ジョエル・エドガートン)は、工場がじつは倒産 寸前であることを知り驚く。優しいけれど優柔不断な彼はしぶしぶ従業員のクビ切りを開始するが、そんなある日、ロンドンで偶然 クラブを経営するドラッグクイーン(女装した男性)のローラ(キウェテル・イジョフォー)と知り合い、キンキーブーツの製作を思い つく。(なお、“キンキー”とは「変態の、性的に倒錯した」、「奇妙な、変わり者の」を意味する言葉。)
 
  一口感想
 パンフによると、実話に基づくのは老舗の靴工場が女装の男性向けブーツの開発で倒産を免れた部分のみで、ドラッグクイーン、ローラ は映画としてのフィクションなのだそうだ。現実がこんな に面白いはずはない、と納得しながらもちょっと残念。それほど炸裂するローラの魅力がすごい。
 キウェテル・イジョフォーは『アミスタッド』(97)や『g:mt』(99)でチラッと見た程度だが、こんなに存在感のある俳優に なっているとは思わなかった。経営するクラブの客席に鋭い視線を飛ばしながら、野太い声で歌う歌がド迫力。フリも逞しい身体をフル に使ってエネルギッシュ。
 いわゆるゲイのイメージとはかけ離れているが、そうかと言って、男性という感じでもない。第3の性とでもいうべき不思議さを振り まく。この映画のパワーは、ローラという人物の創造によるところ大と思う。

 父の急死で会社を継いだチャーリーは、偶然知り合ったローラがブーツに苦労しているのを見てピンと閃く。女性用のブーツでは本来 男性であるドラッグクイーンたちの体重を支えきれず、す ぐダメになる。履くのだって大変だ。ドラッグクイーン市場は、表面に出にくいが結構広いんじゃないか、と。
 この発想が、元来保守的な風土のイギリスの、さらに片田舎の町から出てきたというのが面白い。崖っぷちの窮余の一策とはいえ、 チャーリーはそうとうに柔軟な人だと思う。

 発想は新しかったが、従来の堅実な手法で作るものだから、出来上がったブーツはまったくローラのお気に召さない。そこで彼女は靴 デザイナー兼アドバイザーとして工場に乗り込み、いろいろ注文をつける。突然のゲイの出現に保守的な町の人たちは目をシロクロ。
 ローラが工場のマッチョな男たちの偏見を取り除いたり、ちょっと頼りなかったチャーリーが一人 前の経営者に成長していく過程は、予想通りの展開とはいえやはり面白い。
 堂々たるドラッグクイーンぶりを見せるローラが、本来の男性の服装になると途端に気弱な自信のない人間になってしまうところが ユニーク。彼女(彼)も、チャーリーや工員たちとの関わりの中で、父の期待通りでなかった自分、男としての自分を受け入れられない 自分、を乗り越えていく。

 ラストには、ミラノで開かれる靴の国際見本市の素晴らしいショーが待っている。ローラがドラッククイーンたちを引き連れて繰り 広げるショーのパワフルで華やかなこと! 目が点になりながらも引き込まれてしまう。工場内の靴が作られていく過程もワクワクする 楽しさ。靴と人間に対する愛情が溢れた1本だ。
  【◎△×】7

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11月

16ブロック

2006年  アメリカ  101分
監督 リチャード・ドナー
出演
ブルース・ウィリス、モス・デフ、デヴィッド・モース
ジェナ・スターン、ケイシー・サンダー

  ストーリー
 ニューヨーク市警のベテラン刑事ジャック・モーズリー(ブルース・ウィリス)は、夜勤明けの日、16ブロック先の裁判所まで証人 のエディ(モス・デフ)を護送するよう命じられる。15分もあれば終わるといわれ渋々引き受けるが、渋滞で車は遅々として進まない。 切れ目のないエディのおしゃべりにもうんざりし、車を離れて酒を買いに出た隙に、エディは何者かに襲われる。
 間一髪で助けたものの、応援要請で現れた同僚刑事フランク(デヴィッド・モース)は、モーズリーに思いがけない要求をする。 エディを引き渡せというのだ。こうしてモーズリーの悪夢のような時間が始まった・・・。
 
  一口感想
 最近、アクション映画はほとんど見ない。大掛かりな爆発や炎上、CGを多用した作りが、年のせいか見ていて疲れるからだ。それ なのに本作を見る気になったのは、わずか16ブロック、距離にして1キロ半を移動するだけの間に起こる攻防、という設定に興味を 覚えたからだ。これが期待以上の面白さだった。

 主人公モーズリーを演じるブルース・ウィリスがいい具合に渋さを増し、くたびれきった中年刑事のヨレヨレぶりを好演している。彼は 夜勤明けで帰るところを呼び止められて、証人の護送を命じられる。たった16ブロック先の裁判所まで送るだけ。新米でもできる簡単 な仕事を年下の上司から押しつけられるモーズリーが、署内でどんな位置づけかがうかがえる。

 証人のエディはのべつしゃべりまくるお喋り男だ。二日酔いで頭痛のするモーズリーには、彼のキンキン声が響く。無愛想なモーズリ ー、お構いなしのエディ。車中の2人が漫才のように面白 い。
 酒の切れないモーズリーは車を止めて買い出る。その隙にエディを殺そうとする男が現れる。あわやの瞬間に、モーズリーが拳銃を 構えて男を仕留める手際の良さが見事。隙のない構えは、彼がかつては有能な刑事だったことを示している。その彼がなぜ今のように 零落したのか。

 さらにエディは、10時に裁判所で証言する、12時までには約束の場所に行く、と今日の予定をエンドレステープのようにしゃべる。 命を狙われてモーズリーと逃げ回っていることなど、どこ吹く風のノー天気ぶりだ。ノートを後生大事に抱えて、修羅場のさなかに 「ノートが!」なんて叫ぶ。
 これらのことが終盤に入ると、謎解きとして一気に結びついてくる。カタルシスがきちんと味わえるのが、ハリウッド映画の良さだ。

 エディを狙っていたのはじつはモーズリーの同僚刑事たちであり、エディを守ろうとして反射的に撃ったことからモーズリー自身が 仲間から狙われる羽目になる。ヘリコプターまで出動しての追跡に、モーズリーは中華街の雑踏する路上や建物の中、見知らぬ人の アパートまで利用して逃げ回る。小気味よくたたみかけるテンポに、いっときも目が離せない。
 クライマックスは、ハイジャックしたバスから人質の乗客たちに紛れ込ませてエディを解放し、モーズリー1人が警官隊に囲まれて 覚悟を決めるところだろう。この場面のウィリスは思わず唸ってしまうほどかっこいい。

 エンターテインメントとしてラストは定番通りのハッピーエンドだが、「人は変われる」というサブテーマに説教臭さがなく、エディ から届いたバースデイケーキと写真が爽やかな後味を残す。切れのよいアクションと人情がほどよくミックスした楽しめる映画だった。
  【◎△×】7

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11月

父親たちの星条旗

2006年  アメリカ  132分
監督 クリント・イーストウッド
出演
ライアン・フィリップ、ジェシー・ブラッドフォード、アダム・ビーチ
バリー・ペッパー、ジョン・ベンジャミン・ヒッキー、ジョン・スラッテリー

  ストーリー
 第二次世界大戦の激戦地、硫黄島の戦いをアメリカ側、日本側それぞれの視点から描く2部作の第1弾。ともにクリント・イースト ウッド監督作品。
 原作は、ジョン・“ドク”・ブラッドリーの息子、ジェイムズ・ブラッドリーが書いたノンフィクション「硫黄島の星条旗」。戦場 での凄絶な戦いと、英雄に祭り上げられた3人の苦悩を交錯させながら、ピュリッツァー賞を獲得した1枚の写真に秘められた真実を 描く。
 太平洋戦争末期の1945年2月。激戦地、硫黄島の擂鉢山(すりばちやま)頂上に星条旗を掲げる写真が 全米の新聞に掲載される。写っていたのは6人の兵士。彼らは一躍英雄視され、3人は戦死したものの、生還したドク(ライアン・ フィリップ)、アイラ(アダム・ビーチ)、レイニー(ジェシー・ブラッドフォード)の3人は国民の熱狂的な歓迎を受ける。
 彼らは戦費調達のための国債販売キャンペーンに駆り出され、全米を回ることになるのだが・・・。
 
  一口感想
 6人のアメリカ兵が硫黄島の摺鉢山頂上に星条旗を掲げている写真は、素晴らしい、の一語しか頭に浮かばないすごい写真だと思う。 厭戦気分が広がり、戦費調達に苦心していたアメリカ財務省が、かっこうの宣伝材料として飛びついたのは当然だと思う。
 映画はこの時の兵士たち6人のうち、生還した3人が “英雄” として戦意高揚と国債購入を国民に呼びかけるキャンペーンに協力・ 利用される様子を描く。同時に、写真が撮られた経緯につい ても解き明かしていく。

 意外だったのは、写真から受けるようなドラマティックなものは何も存在せず、さしたる緊張感もない中で旗が立てられたことだ。 初めは日本軍の反攻がないことで、「全滅したのか?」と比較的安気(あんき)な気分で旗が立てられる。
 そのうち中尉の1人が、この旗が国のお偉方の執務室を飾るのは業腹だ、と別の旗に取り替えさせる。その時に撮影されたのが冒頭の 写真だ。「(旗は)いつの間にか立っていた」という兵士の台詞にもあるように、いわば成りゆきだったのだ。

 イーストウッド監督はこの場面をごくあっさりと描くことで、このことを強調する。しかし発表されると、写真は大反響を呼び、1人 歩きし始める。

 3人の兵士は、衛生下士官のジョン・“ドク”・ブラッドリー、伝令係りだった海軍兵士のレイニー・ギャグノン、ネイティヴ・アメ リカンのアイラ・ヘイズ。
 ブラッドリーは英雄扱いされることに違和感を覚えるが、これも任務の1つと黙々とキャンペーンをこなす。3人の中では1番バラン スの取れた人物だ。彼は戦後も堅実に生き延びて人生を全うするが、家族には死ぬまでこれらの体験を語ることはなかった。
 「タイロン・パワー気取り」と陰口を叩かれる二枚目のギャグノンは、政府の方針に積極的に協力し、偶然手に入れた名声を利用しよ うとするが、熱気が冷めるにつれて相手にされなくなる。

 中でもイーストウッド監督がもっとも丁寧に描くのがネイティヴ・アメリカンのヘイズの人生だ。彼は「その場にいなかった」と6人 に名を連ねることに最後まで抵抗するが、“英雄” として帰国させ られる。
 激しい戦闘がフラッシュバックとしてたびたび彼を苦しめる。無惨に散っていった戦友たちの死をよそに、英雄としてもてはやされる のが耐えられず、酒浸りになる。人種差別の重荷も付きまとう。
 戦争がもたらす心の傷がもっとも深かったのはヘイズではなかったかと思う。彼は良心の呵責に耐えられず一旦は戦場に戻るが、戦後 もついに立ち直れずに、行き倒れで生涯を閉じる。

 戦争は本質的に “英雄” を必要とするものだと思う。洋の東西を問わず、さまざまな英雄が生まれ、戦意高揚に利用されてきた。 しかし本作は、英雄は果たして存在するのか、という問いを投げかける。もし存在するのなら、国や家族のために戦い、血を流し、死ん でいった名もない多くの兵士たちこそがそうだろう。
 しかし、英雄と称えられたとしても、愛する家族との暮らしと己れの人生を奪われる悲痛と苦しみを思えば、それは虚しい栄誉といえ ないだろうか。英雄に祭り上げられた兵士たちの苦悩や挫折を描きながら、イーストウッド監督はそうした戦争の虚しさそのものを 訴えているような気がした。
  【◎△×】7

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11月

トンマッコルへようこそ

2005年  韓国  132分
監督 パク・クァンヒョン
出演
シン・ハギュン、チョン・ジェヨン、カン・ヘジョン、イム・ハリョン
ソ・ジェギョン、スティーヴ・テシュラー、リュ・ドックァン

  ストーリー
 1950年代、朝鮮戦争の只中。トンマッコルという山奥の小さな村に、アメリカ人パイロット(スティーヴ・テシュラー)、リ中隊 長(チョン・ジェヨン)ら3人の北朝鮮人民軍兵士、ピョ少尉(シン・ハギュン)ら2人の韓国軍兵士が迷い込む。
 鉢合わせして銃を向け合う兵士たちをよそに、戦争が起きていることも知らず、武器も知らない村人たちは、至極のんびりといつも 通りの暮らしを続ける。兵士たちもいつしかたがいの警戒心を解き、村の暮らしに溶け込んでいくが、そんな平和も長くは続かなかった ・・・。
 
  一口感想
 ファンタジーととびっきり上質の笑いの中で、反戦メッセージがストンと心に入ってくる。韓国映画はここまで来たか、と思わず 脱帽の1本だ。
 舞台は1950年代、朝鮮戦争まっ最中の江原道(カンウォンド)のどこかの山奥。人口数十人の小さな村で、 飛行機が墜落した連合軍のアメリカ人パイロット、道に迷った北朝鮮人民軍兵士3人、韓国軍の脱走兵2人が鉢合わせする。

 村は自給自足で、外との接触はまったくない。村人は国が真っ二つに分かれて戦争していることも知らないし、銃を見たこともない。 「洗面器かぶって棒を持った人が来た」と子どもが報告に来るのにまず笑わせられる。南北両軍の兵士たちはたがいに銃を突き付けあい、 身動きが取れなくても、間にはさまった村人たちは緊張感ゼロ。

 「手を上げろ」といわれると「何でだ?」「どっちの手?」「両方上げとこう」という具合。もっとおかしいのは、何も知らずに畑 からもどってきた村人がイノシシが出たと報告すると、途端にみんなざ わざわソワソワし始めるところ。村にとって1番のトラブルは大イノシシに畑を荒らされることだ。のんびり手なんか上げていられない。
 面喰うのは神経ピリピリさせた兵士たち。村人たちの脱力ぶりと敵愾心むき出しで向かい合う兵士たちの対比が、戦争のバカバカしさ を鮮やかに浮き上がらせる。

 ここが桃源郷であることは、ひらひらと舞う蝶と無垢な少女ヨイル(カン・ヘジョン)によって兵士たちが村へ導かれるところや、村 の広場には常盤樹あり、その回りを子どもたちが笑い声を上げて駆け巡る絵画のような風景に示される。兵士が過って投げた手榴弾で 1年分のトウモロコシが吹き飛ばされた時でさえ、降り注ぐコーンの雪のような美しさを村人は笑顔で愛でるのだ。

死者の霊を弔うために山道に置かれた素焼き人形は、夜になると明りが灯されて、旅人を迎える道標になる。広場では村人たちが焚き火 を囲んで夜更けまで歌い踊る。ほっかりと温かく、しかも幻想的で美しいシーンがあちこちに散りばめられている。
 イノシシを退治する場面の思い切り漫画チックな超スローモーション映像も、遊び心いっぱいで楽しい。

 やがて両軍の兵士たちは軍服を捨て、村人と同じ衣服で農作業を手伝い始める。しかし、墜落機の行方を捜す連合軍の捜索の手が延びて きて・・・。村が敵陣地と同定されたことを知った兵士たちは、攻撃を村から逸らすための策を練る。
 韓国軍兵士の「自分たちは連合軍なんでしょうか」という問いに、上官が「俺たちは南北連合軍だ」と答える場面がある。同胞が戦う ことの無意味さや南北統一の願いが率直に表れていて、ズシンと響く言葉だと思った。
  【◎△×】7

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11月

ブラック・ダリア

2006年  アメリカ  121分
監督 ブライアン・デ・パルマ
出演
ジョシュ・ハートネット、アーロン・エッカート、スカーレット・ヨハンソン
ヒラリー・スワンク、ミア・カーシュナー、マイク・スター、フィオナ・ショウ

  ストーリー
 戦後間もないロサンゼルスを震撼させた迷宮入り事件を題材に、『L.A.コンフィデンシャル』の原作者ジェームズ・エルロイが 書き上げた同名ベストセラーの映画化。
 1947年、市内の空き地で若い女の惨殺死体が発見された。被害者は女優志願の女、エリザベス・ショート(ミア・カーシュナー)。 世界一有名な死体となった彼女を人はこう呼んだーー“ブラック・ダリア”。
 かつてはボクサーとして鳴らしたバッキー(ジョシュ・ハートネット)とリー(アーロン・エッカート)は、市警の名物コンビとして 行動をともにしていたが、リーは異様な熱心さでこの事件にのめりこむ。一方、バッキーはリーの同棲相手ケイ(スカーレット・ヨハン ソン)に友情を超えた感情を抱き始める。その頃、 “ブラック・ダリア” に瓜二つの富豪令嬢、マデリン(ヒラリー・スワンク)が捜査 線上に浮上する。
 
  一口感想
 1947年というと終戦からわずか2年、日本は復興を目指してやっと動き始めたばかり。貧しくても生きいきしていた時代だが、 戦勝国のアメリカではかえってこんな頽廃的な事件が起きていたのか、とまずそんなことが頭を過ぎった。名前だけは聞いたことのあ る “ブラック・ダリア事件”。迷宮入りになったそうだから、エルロイの原作はこの事件に想を得たフィクションということになる。

 ストーリー上、いくつか気になるところがある。バッキーとリーの2人の刑事がコンビを組んである事件を捜査しているのだが、その途中で、女性の全裸惨殺事件に遭遇する。(それが“ブラック・ダリア事件”だ。)バッキーは本来の事件を優先するべきだと主張する。私が考えても当然そうだと思うが、なぜかリーはこの事件に異様な興味を示し、のめりこんでいく。
 その理由が、経過がバッキーの視点で語られるせいか、どうもも1つはっきりしない。リーの妹が過去に遭遇した出来事が関係しているようでもあるが、ナルホド、というところまでは行かない。

 リーと彼の同棲相手ケイとの関係。周囲は当然2人を恋人同士と思っている。バッキーもケイに惹かれているが、リーへの義理立てで一歩踏み込めない。ところがケイは、リーとはそういう関係ではない、という。
 ケイとリーは兄妹のような関係にも見え、かといって、ケイを間に挟んだバッキーとリーは恋敵の危うさを孕んでいるようにも見える。3人 が形作る正三角形は映画を通す芯になっているため、宙ぶらりんのままなのは見ているこちらの気持ちの収まりがよくない。

 もっと気になったのは、ヒラリー・スワンクが扮する富豪令嬢マデリンだ。後半、意外などんでん返しが待っている重要な役どころだ。 殺されたブラック・ダリアに瓜二つ、という設定なのだが、演じているミア・カーシュナーと全然似ていない。せめてどちらかの二役で やれなかっただろうか。いくら似てるといわれても、似てないものはどうしようもない。

 女優陣評をもう少し。カーシュナーは意外と清潔な容貌をしていて、娼婦にまで身を落とした女には見えない。もう少し崩れた雰囲気 がほしかった。スワンクは時々綺麗だけど、時々いかつくて、役柄としてはかなり微妙。ケイ役のスカーレット・ヨハンソンは、登場時 はかなり妖艶だが、ストーリーが進むほどどんどん普通になってしまう。役者としてはまだ背伸びしてるかな、という感じ。
 で、一番映画のムードに合った頽廃を漂わせたのは、マデリンの母に扮したフィオナ・ショウ。これも演技者としての年輪だろうか。

 ストーリーにはそれほど深さがないけれど、登場人物たちが複雑に交錯しながら、意外な秘密が暴露されていく手際は、ハリウッド 映画らしくこなれていて楽しめる。ラストの謎解きがやや性急なのが惜しい。しかし、猟奇的なおどろおどろしさや、夜の闇に息を 潜めるような40年代ロサンゼルスの妖しい雰囲気がよく出ている映画だと思った。
  【◎△×】6

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11月

地下鉄(メトロ)に乗って

2006年  日本  121分
監督 篠原 哲雄
出演
堤 真一、岡本 綾、大沢 たかお、常盤 貴子、田中 泯
笹野 高史、北条 隆博、吉行和子

  ストーリー
 浅田次郎の同名原作の映画化。地下鉄の通路を通って過去へタイムスリップした主人公が、若き日の父に出会うことで、長い間の確執 を解き、和解するまでを描く。
 小さな会社で営業の仕事をしている長谷部真次(堤 真一)は、ある日、弟から父が倒れたという連絡を受ける。横暴な父(大沢 たか お)に反撥して家を出て、そのまま絶縁状態だった真次は、病院に駆けつける気にもなれずに地下鉄の構内を歩いていた。ふと見ると、 若くして亡くなった兄(北条 隆博)とそっくりの少年が前方を行く。思わず後を追い、そのまま地下鉄を出ると、目の前に広がっている のは昭和39年の東京だった・・・。
 
  一口感想
 小さな会社で営業マンとして働く長谷部真次は、地下鉄の通路を歩いているうちに、亡き兄にそっくりの少年が先を行くのを見る。 思わず後を追うと、地下鉄の階段の先には昭和39年の東京が広がっていた。
 このオープニングには唸らされた。方向音痴の私は時々似たような体験をする。地上に出た時、一瞬、自分のいる場所が分らない 感覚に襲われるのだ。もしも、そこが何十年か前の東京だったとしても、珍しいところに出てしまった、くらいにしか思わないかもしれ ない。迷路のような地下鉄(構内)にはそういう不思議な感覚を引き起こす力がある、と私は体験的に思うのだ。

 ここが昭和39年の東京だと気づいた真次が弟のところに電話をすると、そっちは「現代」のまま、というのもよく考えられている。 地下鉄がタイムマシンの働きをし、電話が「過去」と「現代」をつなぐ役割をするのだ。タイムトラベルものが好きな私としてはかなり 期待度が高まったのだが、あとが続かなかった。
 まどろんでいる間にタイムスリップしたり、会社の事務員で愛人・みち子まで一緒に過去に来ていたりする。タイムトラベルの枠組み が杜撰(ずさん)すぎやしないだろうか。
 時間の整合性を厳密に守るのは難しいとは思うけれど、最低限、過去に移動する時は必ず地下鉄に乗る(あるいは地下鉄構内を歩く)、 というルールは守ってほしかった。それにこれだったら、愛人が一緒にタイムトリップしてもさほど違和感はない。

 若き日の父と出会うことで、確執の深かった父を理解し、あらためて親子の絆を確かめる、という映画の狙いは伝わってくるが、人物 造形が類型的なのも気になる。
 もっと気になるのは、終盤、明かされるみち子の出生の秘密だ。ここまで来ると、2人の愛人関係は許されるのか、そもそもみち子は 存在していたのか、ということまで考え出す。男女の愛まで話を広げずに、若き日の父に絞ったほうが、話は混乱しなかったのではなか ろうか。

 堤真一は演じている役にリアリティを感じさせるいい俳優だなぁと思う。映画を見るごとにその感を深くする。地下鉄ホームでスッと 後ろを振り向く田中泯が、相変わらずこの世ならぬ空気をかもし出す、過去と現在のはざ間を司る魔性の存在とでもいうような。堤真一 とのからみをもっとうまく使えなかったかなぁと少々残念。
  【◎△×】6

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