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3月 |
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ストーリー 20歳のブリュノ(ジェレミー・レニエ)は定職に就かず、少年たちを使って盗みを働きいて、その日暮らしをしている。2つ年下の 恋人ソニア(デボラ・フランソワ)が子どもを産むが、ブリュノにはまったく実感がない。 乳母車を押して散歩の途中、ふと思いついて闇組織に赤ん坊を売ってしまう。ソニアはショックで倒れ、それを見て、ブリュノは あわてて子どもを取りもどしにいくのだが・・・。 ベルギーのジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌの兄弟監督が、2度目のカンヌ国際映画祭パルムドールに輝いた作品。 本作の主人公ブリュノは20歳になる若者だが、精神的にはまったく大人になりきれていない。少年たちを使って盗みや引ったくりを し、盗品を売った小銭で日を暮らす。金になるなら小銭たかりでもなんでもする。 あきれるのは、恋人のソニアが出産のために入院すると、彼女のアパートを友人にまた貸ししてしまうこと。赤ん坊を抱えたソニアは、 退院した日にもう泊まるところに困るのだが、木賃宿に泊まればいい、とブリュノは気楽に考える。
ソニアに「私たちの子よ」と赤ん坊を見せられても、まるで関心がない。18歳のソニアが出産と同時に自然に母親になるのと対照的
に、仔犬のようにソニアとじゃれあうブリュノは “子供” のままだ。彼が赤ん坊を闇の組織に売り飛ばすのも、ちょっとした弾みの延長だ。ソニアに言われるままに役所に認知の届けをし、まともな仕事に つくために職安にもいき、順番が来るまで赤ん坊を乳母車に乗せて公園に散歩にいく。そのうちに、ふと思いついて知り合いの女に連絡 を取る。 無人のビルで、携帯で指示するだけで姿を見せない相手に赤ん坊を受け渡すシーンは、とても不気味だ。彼はいいとこに養子に出す くらいのつもりなのだが、けっしてそんな生易しいものではないことが分かる。ブリュノはこの時に、本当は、ことの恐ろしさに気づか なければいけないのだが、ソニアがショックで卒倒してもまだ自分のしたことの意味が分かっていない。 ソニアの激しい怒りと拒絶に驚いて、ブリュノはあわてて赤ん坊を取りもどしにいく。こんなところにも、目先のことしか考えられ ない彼の幼さが表われている。このあと彼は、儲け損なった分の金を払え、と組織に脅迫されるのだ。一方、赤ん坊の前に立ちはだかっ て、「出て行って!」と怒鳴るソニアは、我が子を守ろうと牙をむく獣の母親そのものの迫力だ。 金に困ったブリュノが手下の少年スティーヴ(ジェレミー・スガール)とバイクで引ったくりをし、警察に追われて橋げたの下に 隠れるシーンがとても印象的だ。スティーヴは恐怖と冬の水の冷たさに怯えきって、パニックを起す。ブリュノもどうしていいか分から ない。どぶ鼠のように身を潜め、
上の様子を覗う。警察が去ったあと、ブリュノは溺れかかったスティーヴを必死に助けあげると、川岸の小屋で冷え切った足を懸命にさすってやる。 さっさと逃げ出すとばかり思っていた私には、これはとても意外だった。“父性” とまでは言わないが、彼の中に弱い者へのいたわりが 小さく芽生えたのだ。 このあとブリュノは、初めて、自分のやったことに責任を取る行動をする。最後に見せる涙に胸を打たれるのは、彼が少しは大人に なったことが分かるからだ。ソニアの母性がブリュノを包むことにも、救われる思いがする。感情移入を排したドキュメンタリー風の タッチが、リアリティーを強めている。 タルデンヌ兄弟の扱うテーマは決して明るくない。しかし、映画はいつも未来に対してほのかな希望を残して終わる。眼差しの温かさ、 それがこの兄弟監督の魅力だと思う。 【◎○△×】7 |
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2月 |
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ストーリー これまで映画、テレビ、舞台などで何度も取り上げられてきたイギリスの文豪チャールズ・ディケンズの同名小説を、『戦場のピアニ スト』のポランスキー監督が映画化。 19世紀のイギリス。孤児オリバー・ツイスト(バーニー・クラーク)は、薄いお粥にお腹をすかせた子どもたちを代表して、 お代わりをお願いしたばかりに、救貧院を追放される。一旦は葬儀屋の主人に引き取られるが、むごい仕打ちに耐え切れず、逃げ出して ロンドンに向かう。 7日間歩き通してたどり着いたロンドンは大都会だった。そこでオリバーは少年スリ団のリーダー、“早業” ドジャー(ハリー・ イーデン)に出会い、彼らを束ねるフェイギン(ベン・キングズレ)に引き合わされる。 文豪チャールズ・ディケンズの小説を、ポランスキー監督が奇を衒(てら)わずに真正面から描いている。 孤児たちが身を置く貧窮院の凄まじいほどに劣悪な環境や、子どもたちを働かせてピンはねをするスリの親方、十分な聞き取りもせず 権威だけを振り回す簡易裁判所の判事など、19
世紀イギリスの下層社会が活写される。チェコ・プラハの撮影所に作られたというロンドンの街角のオープン・セットが重厚にしてリアル、当時の様子をまざまざと再現し、 その中でディケンズの世界が丁寧にたどられて見応えがある。 登場人物の1人1人が魅力的だが、私が惹かれたのは “早業” ドジャー。粋にコートを羽織って通りを流し、いっぱしの悪党を気取る 少年スリだ。演じているハリー・イーデンがいい。油断なくカモを探す目にちょっと険のあるのが、不敵な面構えになっている。それで いて少年らしい純粋さも残している。 彼が本物の悪党、ビル・サイクス(ジェイミー・フォアマン)を、勇気を持って「殺人者」と罵る場面には感動した。彼は正道を歩ん でもそこそこの人物になりそうな気がするけど、この時代のこと、
一旦下層に落ちたらもう這い上がれないんだろうな。彼の人生、行き
着く先はやっぱり絞首刑台かと思うと哀しくなる。オリバーを救おうとしてビルに殺されるナンシー(リアン・ロウ)の人生も哀しさでは負けない。彼女がスリなのか娼婦なのか、単に ビルの情婦なのか分からないが、惨めな境遇でなお失われない優しさが胸を打つ。オリバーにとっては姉のような存在じゃなかったかと 思う。 ブラウンロウ氏(エドワード・ハードウィック)にフェイギンの名は告げてもビルのことは口をつぐんだのは、ひどい男だけれど、 やはり彼女なりの愛情があったんじゃないのかな。恐怖からだけじゃない気がする。 圧巻なのはフェイギンを演じたベン・キングスレー。少年たちに悪事を教え、その上前で暮らしている。彼らが捕まって自分の身が 危うくなると、嘘の証言をして牢獄や絞首刑台に送り込むことすらする。危険に対するセンサーは敏感、ドジャーにナンシーを尾行 させたのも彼だ。
ひどい悪党だ。それなのになぜか憎めない。子どもたちはフェイギンの隠れ家で生き生きしている。楽しそうだ。フェイギンが親切
なのは彼らを利用するためなのだが、凍死か飢え死にするしかなかった子どもたちがそれで救われたのも確かなのだ。そんな複雑な人物
をキングスレーが見事に演じていた。面白いのはビルの飼い犬。殺されると直感するとさっさと飼い主を裏切って、警官や町の人を隠れ家に先導するのだ。ワンワン という吠え声にびっくりして、ビルは屋上から下げたロープに首吊り状態になってしまう。人の死をおかしがってはいけないけど、この 場面のブラック・ユーモアには笑ってしまった。 一番存在感が薄いのは、皮肉なことに主人公オリバーだ。しかし、運命に翻弄されるばかりに見えるオリバーも、生きるためには ロンドンまで1人で歩き通したのだ。演じるバーニー・クラークの無垢で悲しげな目はやはり印象に残る。 【◎○△×】7 |
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1月 |
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ストーリー タイの伝統楽器ラナートの奏者、ソーン・シラパバンレーンの人生を描いた人間ドラマ。 1930年代、戦時下のタイで国民的尊敬を集めるラナート奏者・ソーン師(アドゥン・ドゥンヤラット)が息を引き取ろうとして いた。彼の脳裏にこれまでの人生がまざまざと甦る・・・。 19世紀末、音楽一家の末っ子として生まれたソーン(アヌチット・サパンポン)は、兄がライバル奏者に殺されると、父にラナートの 演奏を封印される。それでもソーンは父の目を盗んでは演奏の腕を上げ、地元で一番のラナート奏者になる。 自信に溢れたソーンだったが、バンコクで伝説的ラナート奏者・クンイン(ナロンリット・トーサガー)の圧倒的な演奏を前にして、 強い敗北感を味わう。 舟型の台座にハンモックのように吊るした木琴、それがタイの伝統楽器ラナートだ。澄んだ音色はタイの農村を流れる風を連想させる。 タイトルに“風の”と付けたのは、まさに言い得て“妙”。 圧巻なのは、バンコクでソーンが初めて伝説のラナート奏者クンインの演奏を耳にする場面。得意満面で聴衆に腕前を披露するソーンの 演奏を、舞台裏の奥の部屋で聞いていたクンインが、「腕はいい。しかし音に驕りが出ている」と呟く。
その直後、演奏するソーンの耳に、すーっと空気を裂くように、繊細で澄明なラナートの音が響く。ハッとして目を上げるソーン。
視線の先に、舞台に座って演奏するクンインの姿。私はこの場面でぞくっと鳥肌が立つような気がした。まるで天楽が降ってきたような気がしたからだ。クンインを演じているナロン リット・トーサガーは実際の音楽家で、ラナートの第一人者なのだそうだ。本物の演奏の持つ凄みだ。 クンインの演奏が高まるにつれて、風が吹き、激しい雨が降り始める。これは、彼の演奏にショックを受けたソーンの心象風景を 現わしているのだろうが、大袈裟でなく、実際そんな気分になってくる。 ソーンはこれで天狗の鼻をへし折られ、後に宮廷楽士に迎えられても、クンインと対決しなければならなくなると、故郷に逃げ帰ったり する。 2人の2度目の直接対決は、まるで格闘技さながらの迫力だ。定番通り、ソーンがクンインを打ち負かすのだが、ナロンリットの眼光の 鋭さ、泰然とした風格はやはり凄い。 タイではこうして演奏家同士がパトロンの面目にかけて腕を競い合ったものらしい。その結果、ソーンの兄のように妬みを買って 殺されることもある。楽器の演奏も命がけなのだ。 ソーンに扮したアヌチット・サパンポンは、今や堂々たるメジャーリーガー、元ソフトバンク・ホークスの井口選手にそっくりで、 ホークス・ファンの私としてはとても親近感を覚える。俳優として大き
く飛躍してほしい。ストーリーはソーンの青年時代と、第二次世界大戦下、近代化を急ぐ国家政策のために押し潰されようとする、伝統芸術を守る晩年の ソーンが並行して描かれるが、青年時代が圧倒的に面白い。クンインという高い壁を前にしたソーンの苦悩と、やがてそれを乗り越え、 成長する姿が、分かりやすく、かつ力強いからだろう。 奇を衒(てら)ったところのないオーソドックスな作りも安心して見ていられる。椰子の林、揺るやかな水の流れ、低い木の橋、さやさやと 風の流れるようなタイの農村風景が美しい。 【◎○△×】7 |
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1月 |
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ストーリー 大晦日の夜、都内の高級ホテル【ホテル・アバンティ】は、カウントダウン・パーティーと “マン・オブ・ザ・イヤー” 授賞式の 準備で大忙しだ。次々と起こるトラブルを、副支配人・新堂(役所 広司)
は手際よくさばいていく。ベルボーイ、只野(香取 慎吾)は歌手の夢をあきらめて故郷に帰ることにし、客室係のハナ(松 たか子)は、宿泊客に汚職国会議員 の武藤田(佐藤 浩市)を見かけてあわてる。彼女は武藤田の愛人だったからだ。 ほかにも、大物演歌歌手の徳川(西田 敏行)、ホテルに出没する娼婦ヨーコ(篠原 涼子)、受賞者の堀田(角野 卓造)、売れない 歌手チェリー(YOU)、あわて者の総支配人(伊東 四朗)、従業員さえその存在を知らない筆耕係・右近(オダギリ ジョー)、 大会社の老社長(津川 雅彦)と若き愛人(麻生 久美子)などが、それぞれ過去や現在の物語を紡いでいく。 大晦日のホテルで繰り広げられる様々な出来事が、カウントダウンまで2時間ほどの同時進行で描かれる。瞠目すべきはホテルに 出入りするコールガールに扮した篠原涼子。ブロンドの髪をひょいひょいと持ち上げる仕草がなんともキュート。 何度追い出されても、懲りずにホテルにもぐりこむ逞しさ(というか図々しさ)、自殺をもくろむ汚職国会議員を懸命に励ます健気さ (まさに“聖娼婦”の趣き)、そしてあっけらかんとしていながらも人生の悲しみを漂わせ、抜群の存在感を示す。ほんとうにいい女優に なったものだと思う。 大物演歌歌手に扮した西田敏行の芸達者ぶりにも感心する。「自信がない」とマネージャーに縋りついておいおい泣く。マネージャー はピンピンっとピンタを張る。これは本番を前にした毎度の儀式みたいなもの。ひとしきりの騒ぎが済むと、憑き物が落ちたように けろりとして、尊大な大物歌手にもどる。鮮やかな変身(!)ぶりにあ然とさせられる。 国会議員の開いた記者会見場に乗り込んで、「トクガワ・ゼンブでございます」と名乗る声音といったら! 演歌歌手のクサミ全開だ。 ベルボーイ自作の歌をコブシを効かせて歌いだした時は思わず吹いてしまった。
従業員、宿泊客、イベントに出演する芸人など登場人物は多いが、人物の出し入れに乱れのない演出は見事。それぞれにエピソードが 用意され、それらが羅列的ではなく、互いに関わりあって進行していくので、1人1人の個性が粒だって見える。 舞台演出風にワンシーン・ワンカットの長回しなのだそうがだ、人物の移動に合わせてカメラも動いていくせいか、私はほとんど 気づかなかった。カメラワークはむしろダイナミック。 欲をいえば、カウントダウンのシーンにもっと華やかさがほしかった。顔に髪がかかったYOUは幽霊みたいで、彼女の歌だけ ではいかにも物寂しい。徳川膳武、芸人たち、総動員で賑やかに盛り上げてほしかったと思う。 【◎○△×】7 |
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2月 |
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ストーリー カンヌ国際映画祭グランプリを受賞した『オールド・ボーイ』に続く、パク・チャヌク監督の “復讐3部作” 完結編。 少年誘拐殺人の罪で服役していたクムジャ(イ・ヨンエ)が13年間の刑を終えて出所した。服役中は誰に対しても天使のような 優しさで「親切なクムジャさん」と呼ばれた彼女は、自分を陥れた男・ペク先生(チェ・ミンシク)への復讐を開始する。 すでに出所している女囚仲間を訪ねて協力を取りつけ、オーストラリアに養子に出されていた娘ジェニー(クォン・イェヨン)との 再会を果たし、周到な準備を進めていく。ついにペクを捕らえたクムジャは、他にも犠牲になった少年少女がいたことを知ると、その 親たちを呼び集める。 被害者の家族が集まって、全員でペクに復讐する場面は、クリスティ原作の『オリエント急行殺人事件』(74)を思い出させる。 しかし、『オリエント〜』が死体に復讐するのに比べて、本作は生きている犯人に制裁を加える。さすがに現場そのものは画面に出て こないが、想像するだけでもそ
の残酷さは相当なもの。女たちが集団でクムジャの復讐に協力するところは『OUT』(02)に似ているが、これも刑務所内の女囚同士の関係はかなり際どい。 強いアクを振りまきながらぐいぐい引っ張っていくパク監督の手腕は、相変わらず健在だ。 見終わった時、心に残ったのは「クムジャの罪は赦されたか?」という問いだった。そういう印象を持ったのは、ラスト10分か20 分ほどの流れだ。 すべての復讐が済んだ後、クムジャはレストランの隅に、最初に誘拐され殺された少年ウォンモがうずくまっているのを見る。近づき、 しゃがんで彼に手を延ばしかけた時、ウォンモは、生きていればなっていただろう青年の姿になって立ち上がり、クムジャを拒否する ように去っていく。「赦してはいない」という強烈なメッセージ。 雪の降る街路で、再びオーストラリアの養父母の元に帰る娘ジェニーを抱きしめて泣くクムジャの姿は、とても悲しい。それは、娘と 別れる悲しみだけでなく、一生、罪を背負って生きていく苦し
みの深さを感じさせるからだ。彼女に思いを寄せる菓子職人クンシク
(キム・シフ)も、ただ立ち尽くすしかない。復讐と贖罪は両立しない。そんな苦い思いが残る。しかし、じつはこの映画は、クムジャがなぜ贖罪の意識を持たなければならないのかを明瞭に描いていない。 彼女はジェニーに「なぜ私を捨てたのか」と問い詰められた時、「ペクの犯罪に手を貸した」ということを言う。しかし、彼の犯罪の どこにどう具体的に加担したのかが分からないために、彼女が出所後、ウォンモの両親の前で指を切断して詫びる行為がとても唐突に 思える。 すべての罪を着せられたこと、娘を手放さなければならなかったことへの “復讐” だけでは、映画の印象は浅くなる。ラストシーン の余韻を考えても、“贖罪” のテーマがもっと丁寧に描かれたらと惜しまれる。 【◎○△×】6 |
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3月 |
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ストーリー 南米エクアドルの新鋭セバスチャン・コルデロ監督が、マスメディアが孕む危うさに鋭く切りこんだ社会派心理サスペンス。 マイアミのテレビ局の花形リポーター、マノロ(ジョン・レグイザモ)は、エクアドルで続発する子供ばかりを狙った連続殺人事件を 取材するため、ディレクター(レオノール・ワトリング)やカメラマン(ホセ・マリア・ヤスピク)らクルーとともに現地入りする。 取材中、急に駆け出した子どもが車にはねられ、運転していた聖書販売員のビニシオ(ダミアン・アルカザール)が人々のリンチに 遭う現場に居合わせる。 翌日、追跡取材で留置所を訪れたマノロに、拘置されていたビニシオはある申し出をする。それは、連続殺人犯についての情報を提供 する代わりに、番組の力で自分を留置所から出してほしい、というものだった・・・。 さえない中年男が水浴びをし、身体を丁寧に洗う冒頭シーンから、彼が自分の車にぶつかった子どもを助けようと車を動かしたのを、 轢き逃げしようとしていると勘違いした町の人々にリンチされるまでの導入部が、ドキュメンタリー調の乾いたタッチとあいまって、 異様な迫力だ。
男は妻と幼い息子とささやかな暮らしを営む聖書販売人だ。事故の過失を問われて留置されたこの男が、人気テレビ番組のレポーター に、連続幼児殺害事件の犯人に関する情報を提供するから、ここから出してくれと持ちかける。まだ発見されていない被害者の遺体の 場所を知っている、というのだ。 レポーターとしては、警察に通報し、遺体発掘現場に立ち会ってその様子を取材する道が1つある。情報はすべてのメディアに公開 されるが、ジャーナリストしてはこれが本道だろう。もう1つは、男の取り引きに応じ、これが確かな情報と分かれば、特ダネとして スクープする道だ。 レポーターのマノロは取材クルーの反対にもかかわらず、後者を選ぶ。ジャーナリストに特有の特ダネへの野心や功名心が、彼に 越えてはならぬ一線を越えさせてしまうのだ。深夜、降りしきる雨のなかで、カメラマンと2人、スコップを振るって穴を掘る姿は鬼気 迫るものがある。 穴の中にあった少女の遺体を埋めもどしたマノロは、警察には通報せずに、聖書販売人ビニシオにインタビューを開始する。マノロ には当然、なぜ彼がそんな情報を握っているのか、という疑問がある。ビニシオはセールスの旅で出会った男から聞いたというが、 容貌・外見については口
を濁してはっきりしたことを言わない。膨らむ疑惑の中でマノロは次第に窮地に陥っていくのだが、本作を見ていて、私は『ニュースの天才』(03)を思い起した。これは、 スター記者が次々にスクープした政財界のゴシップ記事が、じつは捏造されたものだった、というじっさいの事件をもとにした映画だ。 どちらも、特ダネへの欲望という、ジャーナリズムが抱える危うさを扱っている点で共通している。 日本でも、新聞やテレビ番組での捏造やヤラセ事件は枚挙にいとまがない。 “情報” の影響力が天文学的といっていいほどに大きい 現代では、マスメディアにかかわる人たちは、それを自由に我が物にし、意のままに操りたい誘惑にいつもさらされている。だれもが マノロと同じ罠に落ち込む危険性を孕んでいる。 すっきりした解決を示さない結末に割り切れない思いが残るが、一方で、現実はこんなものだろうとも思う。そういう意味でも、ノン フィクションのようなリアルさに貫かれた映画だと思う。 【◎○△×】7 |
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3月 |
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ストーリー イギリス外務省一等書記官のジャスティン(レイフ・ファインズ)は、講演会で出会った医療救援活動家のテッサ(レイチェル・ ワイズ)と恋に落ち、結婚する。赴任地のナイロビで、テッサは初めての子どもを死産した悲しみを振り払うように、黒人医師 アーノルド(ユベール・クンデ)とともに前にも増して活動にのめりこんでいく。 そんなある日、ジャスティンは、活動のために旅行するテッサを空港に見送る。2日ほどでもどるはずだったが、友人の高等弁務官 サンディ(ダニー・ヒューストン)が彼にもたらしたのは、テッサの死体が発見されたという知らせだった。 警察はよくある殺人事件として処理しようとするが、ジャスティンは独自にテッサの死の真相を追究しようと決意する。レイチェル・ ワイズがアカデミー助演女優賞を受賞。 初めて招待試写で映画を見た。直前にレイチェル・ワイズがオスカーを獲得したというニュースも入っていたので期待したのだが、 思ったほどのインパクトはなかった。 ワイズが演じたテッサに感情移入できなかったことが大きい。彼女はジャスティンが講師を勤める講演会で、詰問調の激しい口調で 質問をする。他の出席者からはブーイングが出て、みながぞろぞろ退席し始めてもまだ止めない。ジャスティンと結婚したあとも、 パーティの場で同じ調子で夫
の上司や同僚たちに議論を吹きかける。きっとテッサは正義感の強い行動力のある女性なのだと思うが、映画で見る限り、たんに時と場所を考えないエキセントリックな 女性にしか見えないのだ。 ジャスティンとテッサの夫婦仲も一見情熱的だが、私にはそれぞれが違う方向を見ていて、ほんとうにしっくりと心が通いあっている ようには思えなかった。 パーティでは、テッサの態度を見かねた友人のサンディがジャスティンに注意するのだが、ジャスティンは当たらず触らずにして いる。夫婦にしては少々よそいきの感じだ。 テッサも、大手製薬会社の危険な副作用のある新薬実験にイギリス官僚が加担しているらしいと気づいて、その陰謀を暴こうとするが、 夫にはなにも話さない。 命に関わるほどの危険を予感していたのなら、それをあえて夫に伏せたまま行動するのは、かえって不自然な気がするが。むしろ、 救援活動の仲間で、危険を共有し、無惨な死を遂げたアーノルド医師の方が、テッサとは強い絆で結ばれていたように思える。
「あなたを守るため」というのがその理由だが、官僚の夫に国家がかかわる陰謀は知らさないほうがいいと思ったのだろうか。
それならそれで、夫婦としては寂しい気がするのだが・・・。ジャスティンがテッサの死後、命を狙われる危険を冒して妻の足跡を辿り、徐々に陰謀の核心に近づいていくプロセスは、原作が 『寒い国から帰ったスパイ』のル・カレだけあって、さすがにスリルがある。 しかし、これほどの国家的陰謀に、女性がたった1人で(アーノルドの助力はあるにしても)立ち向かうというのは、荒唐無稽に過ぎ ないだろうか。 テッサには実在の女性活動家のモデルがいるそうだし、原作は一時ケニアでは発禁本だったそうだから、アフリカの貧困を利用した 人体実験的な新薬治療は現実にあったのかもしれない。それを真正面から描かずに、夫婦愛をからめたサスペンス仕立てにしたために、 私には話の焦点がボケてしまったように思える。 【◎○△×】6 |
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3月 |
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ストーリー インディアナ州の田舎町でダイナーを営むトム(ヴィゴ・モーテンセン)は、妻のエディ(マリア・ベロ)や2人の子どもとともに、 平穏な暮らしを送っている。 ある日、店が2人組の強盗に襲われ、トムは正当防衛のために彼らを射殺する。一躍ヒーローとなり、全米に報道されトムの前に、 黒ずくめの男(エド・ハリス)が現われ、「あんたの旦那は相変わらず人殺しがうまいな」と妻のエディに不気味な言葉を吐く。こう して、徐々にトムの秘められた過去が明らかになり、幸せな暮らしが揺らぎはじめる。 グラフィック・ノベルと呼ばれるコミックを原作に、カナダの鬼才、クローネンバーグ監督が暴力の負の連鎖に真正面から取り組んだ 意欲作。 これまでの生きかたに悔いがあり、仕切り直しの人生を歩んでいる時、突然、過去が襲いかかってきたら・・・。人は過去と絶縁する ことが出来るのか、どんなに忌むべき過去でも、その延長の中で生きるしかないのか・・・。そんなことをまず思った。 トムは町でダイナーを営む平凡な中年男だ。妻と高校生の息子(シュトン・ホームズ)と幼い娘(ハイディ・ヘイズ)。家族4人の 暮らしは慎ましく、幸せに満ちている。トムが朝ダイナーに向かう
道々、町の人たちと挨拶を交わす様子は、どこにでもあるありふれた
光景だが、同時に平穏な彼の日々を表わしてもいる。ここへ、ある日、なんの前ぶれもなく暴力が割り込んでくる。これは冒頭のシーンで、端的にかつ衝撃的に示される。早朝のモーテル。2人の男が車で出発しようとする。1人がふと思いついた ように事務所のドアに入り、しばらくして出てくる。待っていた男が「遅かったな」というと、男は「ちょっともめてね」と答える。 待っていた男が中に入ると、そこには血だらけになった男の死体。別のドアに少女が姿を現わす。男は平然と銃を向け発砲する。 “日常” を突如切り裂く異様な “非日常”。長回しカメラがかもし出す緊迫感がすごい。 店が強盗に襲われ、客が危険にさらされた時、トムは鮮やかな身ごなしで彼らを殺す。町の人は日ごろ物静かなトムの働きに驚き、 ヒーロー視するのだが、一番驚きショックを受けたのはトム自身ではなかったか。身体の髄に沁み込んだ殺しの本能に突き動かされた ことに。忘れたつもりの過去が、がっちりと自分を縛っていたことに。 このあと映画はまるで歯止めが取れたように、過去を背負って現われた男たちを、トムが次々に殺すさまを映しだす。“家族” という 「今」を守るために、“暴力” という「過去」を清算するため
に、さらに “暴力” を重ねる不条理。「暴力ではなにも解決しない」と長男に教える彼の言葉に偽りはなかったと思う。しかし、殺されそうになった彼を助けたのも、長男 の発砲した銃だった。 暴力に許されるものとそうでないものがあるのか。人が生きるうえで、暴力は避けられないものなのか。そんな問いが頭を駆けめぐる。 脅迫者たちを殺して、帰宅したトムを迎える家族の光景が印象的だ。これまでとは違う顔を見せたトムを、彼らはそれまで通りに、 夫として、父として受け入れることが出来るのだろうか。妻、息子、娘、それぞれが示す異なる表情を見ながら、そんな疑問が湧いて くる。安易な結末に納めなかったクローネンバーグ監督、さすがだ。 【◎○△×】7 |
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2月 |
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ストーリー 1957年、人気絶頂のボードビリアン・デュオ、ラニー(ケヴィン・ベーコン)とヴィンス(コリン・ファース)は、ポリオの 子どもたちを救おうというチャリティ・テレソン番組でホストを任される。ところが、ある夜、宿泊予定のホテルの部屋で、ブロンドの メイド、モーリーン(レイチェル・ブランチャード)の全裸死体が発見される。アリバイのあった2人に容疑がかかることはなかったが、 このスキャンダルがきっかけでコンビは解消に追い込まれる。 それから15年、才能あふれる若手ジャーナリスト、カレン・オコーナー(アリソン・ローマン)はこの事件の真相を突き止めること で、飛躍のチャンスをものにしようとする。彼女は2人にインタビューを求めるのだが・・・。 原作は作曲家・演劇プロデューサーとして知られるルパート・ホルムズのベストセラー。『スウィート ヒアアフター』『アララトの 聖母』のアトム・エゴヤン監督が映画化している。 出演者はケヴィン・ベーコンとコリン・ファース、“ショウビズ界の裏側に潜むスキャンダルの真相は?” の謳い文句、監督は アトム・エゴヤンと来れば、いやでも期待は高まる。ずいぶん前から公開を楽しみにしていたのだが、見事にこけた。
理由はいろいろあるが、まず陽気で女ったらしのラニーと、紳士然とした顔の裏側に暴力性を秘めたヴィンス、という主人公2人の
人物像が類型的であまり魅力がない。2人がクラブやテレビで披露する喋りや芸が国民的人気を博するほど面白いものに思えなかった
のも、私にはイタイ。ジャーナリスト志望の大学生モーリーンが、アルバイトでメイドをしていたホテルで殺されたことが事件の発端だが、彼女はそこで 思いがけないことを目撃する。ヴィンスがじつはバイ・セクシャルで、ラニーとモーリーンがベッドインしているところに闖入し、3人 でプレイしようとしたのだ。ストレートのヴィンスは激怒する。 まずここが引っかかる。相手がゲイかどうかも確かめないでいきなりこんな行為に及ぶヴィンスって、どんな男なんだ。事件の引き金に なる出来事だけに、ヴィンスの軽率さ(→ ストーリーの不自然さ)が腑に落ちない。
次は、モーリーンがこれをネタにお金を要求し、ラニーを脅迫することだ。このために彼女は殺害されてしまうのだが、ジャーナリスト
を目指す大学生がそんな娼婦まがいの行為をするものだろうか。なにか納得いかない。真犯人はラニーでもヴィンスでもなく、たしかに意外な人物なのだが、「ふんふん、そうくるか」という程度の感慨で、思ったほどの 衝撃はない。カレンが本人を前に推理を披露する形で解明してしまうからだろう。もう少し周到な伏線が張られていれば、「やられた、 そうだったのか!」という驚きがあったかもしれないが。 素材は面白いと思う。脚本をもっと緻密なものに練りこまないといけなかったんじゃなかろうか。 【◎○△×】6 |
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1月 |
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ストーリー イギリスの代表的女流作家ジェーン・オースティンの代表作「高慢と偏見」の映画化。 18世紀末のイギリスの田舎町。5人姉妹がいるベネット家のそばに、独身の資産家ビングリー(サイモン・ウッズ)が越してくる。 早速ダンスパーティが催され、美しく慎み深い長女ジェーン(ロザムンド・パイク)とビングリーは互いに惹かれ合う。 一方、勝気で才気あふれる次女エリザベス(キーラ・ナイトレイ)は、ビングリーの親友ダーシー(マシュー・マクファディン)の 気位の高さに強く反発する。彼のプロポーズをすげなく断わったエリザベスだったが、ベネット家にとんでもない出来事が持ち上がり、 ダーシーがひそかに一家の窮地を救っていた。彼がじつは思いやりのある誠実な男性と知ったエリザベスは・・・。 キーラ・ナイトレイが溌剌としている。自分の意見(持っていればの話だが)を包み隠すのが淑女のたしなみとされていた18世紀、 はっきり口にするエリザベスはずいぶん変わった女性と見られたのではないかと思う。 ダーシーが親友ビングリーとジェーンの結婚に反対する理由に、家格の違いのほかに、「家族に品がない」というのを上げている。 トーンの高い声でのべつ喋る母親がその筆頭ではあるのだが、エリザベスのはっきりした物言いも、「はしたない」という見方をされて いたかもしれない。
エリザベスは気が強く、信念を曲げない。ダーシーとは違う意味で “高慢” に見えかねないが、キーラ・ナイトレイの生き生きと
豊かな表情は、そんなものを微塵も感じさせない魅力に溢れている。それにしても、この時代の女性は相続権がなく、家長が死んでしまうと財産は近い身内の男性にいってしまう、とは驚きだ。同じオー スティンの小説「分別と多感」(『いつか晴れた日に』(95)のタイトルで映画化されている)でも、当主が亡くなったあと、財産は 先妻の息子にいってしまい、残された妻と娘たちは小さな家に移って心細い生活を余儀なくされる。 中・上流階級の女性が仕事をするなんて飛んでもない時代のこと、生きるためにはいい結婚相手を掴むしかない。ベネット夫人が 「結婚」「結婚」と騒ぐのは無理もないのだ。はしたないと眉をひそめられたって、娘が5人もいるんじゃ構っていられない。『秘密と 嘘』(96)で名演をみせたブレンダ・ブレッシンが、愛らしくも無分別な母親を好演している。 父親ベネット氏を演じるドナルド・サザーランドもいい。妻のけたたましさに辟易して書斎に逃避しがちだが、妻の気持ちを理解し、 受け入れている。そういう余裕が感じられる演技ぶりだ。
ただ妻と違い、ベネット氏は結婚さえできればそれでいいとは思っていない。愛と信頼が基盤、それでも幸も不幸も巡ってくる、それも
結局は自分の選択なのだという、覚めた目を持っている。エリザベスの近代感覚は父親譲りなのだろう。全体に人物造形がしっかりしていて、通俗的な恋愛ものに陥らない品格を保っている。惜しむらくは、ダーシーやビングリーを演じた 男性俳優陣の印象が薄いこと。マシュー・マクファディンは、ダーシーの気難しさと少年っぽい繊細さが混ざり合ったな複雑な個性がもう 少し出ていたら思う。姉のジェーンを演じたロザムンド・パイクはふっくらしたたおやかさが魅力的。徐々に存在感を増すところは さすがだ。 前半のダンスパーティ・シーンが素晴らしい。若い男女が生き生きと踊りに興じ、恋の芽生えを予感させる活気にあふれている。その間 を縫って、カメラは次々と会場全体の様子から、集まった人々の人間関係までも写し取っていく。長廻しのシーンが少しももたれない。 長編初監督というジョー・ライト、撮影時はわずか33歳だったそう。なかなかの力量と見た。 【◎○△×】7 |