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10月 |
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ストーリー 藩内の権力争いに翻弄される下級武士の宿命と悲恋を描いた藤沢周平の代表作。15年来構想を温めてきた黒土監督が念願の映画化。 東北の小藩・海坂(うなさか)藩。下級武士の子、牧 文四郎(石田 卓也)は道場仲間との交流や幼なじみ・ ふく(佐津川 愛美)と幼い恋を育みながら平穏な日々を過ごしていた。しかし、尊敬する父・助左衛門(緒形 拳)が藩の跡継ぎを めぐる権力争いに巻き込まれ、切腹させられる。 文四郎は反逆者の子という烙印のもと、貧窮のどん底に落とされる。一方ふくは、江戸屋敷に奉公に出ることになり、故郷を旅立つ。 数年後、文四郎(市川 染五郎)は父親を切腹に追い込んだ筆頭家老の里村(加藤 武)から、牧家の名誉回を告げられる。その頃、 江戸に出たふく(木村 佳乃)は殿のお手が付き側妾となっていた。ある時文四郎は、身籠ったふくの子をめぐってお家騒動が起こり、 ふくは警護の武士に守られてとひっそりと帰郷していることを知る。 ![]() 本作はふつうの時代劇としてみればべつに悪くない。ただ、山田洋次監督の見事な前例があるだけに、藤沢周平を愛するものとしては、 どうしても周平世界の再現を期待してしまう。 藤沢文学の魅力は、正直に律儀に生きようとする者が出会う理不尽さと、それにじっと耐えて、なお筋を通して己の生をまっとう しようとする、凛とした佇まいにある。藤沢自身、過去を描いているつもりはないと語っているが、彼の描く下級武士社会のやるせなさ は、そのまま現代サラリーマンに通じるものがある。 そうした藤沢文学の特徴が本作にはあまり出ていないような気がする。たとえば、父が反逆者の汚名を着せられて死んだ後、 文四郎に浴びせられる世間の冷たい眼差しと、それに耐えて、なお背筋を伸ばして生きる彼の姿をもっと強調してもよかったのでは ないか。そうでなければ、「父を恥じてはならん」という助左衛門の言葉の重さが生きてこない。
![]() 市川染五郎は挙措が端正としてかつ隙がなく、木村佳乃も清楚な品格があり、好演。となると、これは脚本か演出の問題なのだろう。 原作に惚れ込みすぎて、距離を失ってしまった感じだ。 それが端的に表れているのが、2人が赤子を抱いて、元主席家老の屋敷に駆け込む場面。この切迫した状況で抱擁している場合では なかろうに。 数年後、髪をおろす決意をしたふくと文四郎が再会する場面も同様だ。文四郎が「ふく」と呼びかけるのだが、ここは原作通り 「おふくどの」でないといけないと思う。抑制するからこそ想いはいっそう深くなる。情に流れた演出では品がなくなるだけだ。 市川染五郎と木村佳乃は凛としてこの場面を演じ切り、見事だった。演出の甘さが演技者に救われた感じだ。 少年少女時代の2人を演じた石田卓也と佐津川愛美がいい。稚拙な演技ぶりだが、それがかえって少年少女の初恋のぎこちなさを 感じさせて瑞々しい。文四郎が父の遺体を荷車に乗せて帰ってくるのを、ふくが駆け寄って、後ろから押していくシーンは、胸に迫って 本作でゆいいつ涙腺がゆるんだ場面だった。 藤沢文学の大きな魅力の1つに、全編をおおう抑制された静謐さがある。“蝉しぐれ” というタイトルにはまさにその特徴が象徴的に 表われている。 犬の散歩に出た時、近くの林で降るような蝉しぐれに包まれると、私はいつも、真夏のじっとりした暑さと、風一つ動かぬ静寂を 満身に感じる。目をつぶり、じっと立ち尽くすこともよくある。 蝉は長い年月を暗く湿った土中で過ごし、やっと地表に出ると、懸命に鳴いてひと夏の短い命を燃やし尽くす。切ない「生」だ。 それは藤沢文学に描かれる下級武士の生きかたに重なるように私には思える。この映画はもっと要所要所で蝉しぐれを降らせて ほしかったと思う。日本の四季を写し取った映像が美しく、印象に残る。 ![]() |
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12月 |
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ストーリー ジョシュア・マーストン監督がコロンビア移民の女性から聞いた実話にインスピレーションを得て脚本を書き上げた問題作。南米の 社会問題に鋭く切り込みながら、一人の若い女性の成長を描
いている。主人公マリアを演じたカタリーナ・サンディノ・モレノは、コロンビア人として初めてアカデミー主演女優賞にノミネートされ、受賞は 『モンスター』のシャーリーズ・セロンにさらわれたものの、大きな話題となった。 コロンビアの小さな田舎町。花工場で単調な仕事をする17歳のマリア(カタリーナ・サンディノ・モレノ)は、家族と衝突が 絶えない。愛してもいないボーイフレンドの子を妊娠し、些細なトラブルから工場を辞めたマリアは、偶然出会った知り合いの男 フランクリン(ジョン・アレックス・トロ)から、運び屋の仕事を勧められる。 危険だと知りながらも5000ドルという報酬に引かれ、マリアは引き受けるのだが・・・。 貧困と麻薬というただならぬ社会状況を背景にしているけれど、映画自体は1人の少女の成長を描いた青春映画だ。 コロンビアの田舎町に住む17歳のマリアは、花工場でバラのトゲ抜きの仕事をしている。単調で退屈な仕事だけど、小さな町には ほかに収入の道はない。彼女の稼ぎを当てにしている母と赤子を抱えた未婚の姉とはしょっちゅう諍いばかりだ。おまけに、セックスの ことしか頭にないボーイ
フレンドの子を妊娠してしまったらしい。冒頭で、閉塞感に満ち、イライラを募らせるマリアの暮らしが描かれる。 工場長と衝突して仕事を辞めてしまったマリアは、ディスコで知り合った男から、いい仕事の口があると誘われる。ニューヨークに行く だけでいい、うまくやれば1回5000ドルになる、と聞かされて “運び屋” だとピンと来るマリア。 この映画が真実味があるのは、彼も、連れて行かれた先のボスも、けっして無理強いしないことだ。ためらうマリアに考える時間を 与える。一方で、「気が乗らなければ止めてもいい」といいつつ、支度金を与える。マリアが自分の意志で決めたように誘導していく 様子は、まさにプロだ。ボスがいかにも悪人づらでなく、穏やかな普通の中年男なのも、リアリティを感じさせる。 結局マリアは5000ドルという途方もない額の報酬に引かれて、仕事を引き受けてしまう。口うるさい家族への意地もあっただ ろうし、「結婚してやってもいい」というボーイフレンドとの将来に、希望が見えなかったこともあるだろう。危険の大きさよりも、 冒険の可能性に賭けたのだ。若さは得てして、こういう無防備な大胆さを持つものだと思う。 運び屋は、ヘロインを詰め込んだ親指大ほどのゴム袋の粒を60〜70ほど飲み込んで、ニューヨークへ行く。税関に怪しまれない よう、服装や振る舞いに気をつけなければならない。ヘロインの粒を飲む時、胃の活動を抑える薬も飲まされるが、もし袋が破れれば 死ぬことだってある。命
がけの仕事だ。飛行機にはマリアも含めて4人の運び屋の女たちが乗る。誰かが税関で見つかっても、そのどさくさで、他のものは目こぼしされる 確率が高いからだ。こうしたプロセスがまるでドキュメンタリーのようにリアルに再現されていく。 飛行機の中で、マリアに運び屋の知識を教えたルーシー(ギリード・ロペス)の具合がおかしくなる。粒が破れたのだ。ニューヨークに 着くと、彼女は出迎えた麻薬の受取人たちに腹を裂かれ、粒を取り出されて、遺体は捨てられる。仕事の危険さが骨身に沁みたマリアは、 ニューヨークにいるルーシーの姉(パトリシア・ラエ)を頼って、翻然と監禁されたホテルを脱走する。 映画を見ながらずっと気になっていたことがある。マリアはお腹の子をどうするつもりだろうということだ。彼女は偶然通り がかった産婦人科クリニックを受診し、超音波検査のモニターで、赤ちゃんがすくすくと成長しているのを確認する。マリアの晴れ晴れ した笑顔が素晴らしい。 一旦はコロンビアへ帰ろうとしたマリアが、空港でクリニックの受診票の次回予約に目を落とし、踵を返すシーンで映画は終る。身寄り のないニューヨークで、生まれてくる子どもとともに生きていく決心をしたのだ。マリアの新しい歩みに清々しい感動を覚えた。 【◎○△×】7 |
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11月 |
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ストーリー ドミノ・ハーヴェイ(キーラ・ナイトレイ)はイギリスの名優ローレンス・ハーヴェイの娘としてロンドンに生まれた。父は幼い頃に 亡くなるが、母(ジャクリーン・ビセット)はすぐに再婚し、何不自由なく育つ。思春期に入ると、その美貌から母と同じトップモデル として活躍するようになるが、いつも
満たされぬ思いを持っていた。ロサンゼルスに移り住んだドミノは、新聞で偶然目にした「バウンティ・ハンター(賞金稼ぎ)養成講座」をきっかけに、半ば強引に バウンティ・ハンターの仲間入りを果たす。 パートナーはベトナム帰りのエド(ミッキー・ローク)とベネズエラ出身のチョコ(エドガー・ラミレス)、アフガニスタン人の運転手 アルフ(リズワン・アバシ)。 カジノのオーナー、ビショップの1000万ドルの現金が強奪される事件が起きる。有名な保釈金保証人のクレアモント(デルロイ・ リンドー)は30万ドルの謝礼金と引き換えに犯人の身柄拘束を約束し、ドミノたちを出動させるのだが・・・。 本作のモデルとなったドミノ・ハーヴェイは、映画の完成を待たずに今年(2005年)6月、35歳で不慮の死を遂げ、関係者に 大きな衝撃を与えた。 この映画に興味を持った理由は2つある。1つは主人公のモデルとなったドミノ・ハーヴェイがかのローレンス・ハーヴェイの娘だと いうこと。もう1つは、彼女が“女賞金稼ぎ”だったということ。“賞金稼ぎ”といえば、西部劇のお尋ね者と対決するガンマンしか思い 浮かばない私としては、「え、今どき賞金稼ぎ?!」とびっくりせざるを得ない。 しかし、現在アメリカには3万人ほどのバウンティ・ハンターが活動しており、ドミノのような女性ハンターも少数ながらいるのだ そうだ。犯罪大国のアメリカでは、彼らは必要不可欠な存在なのだという。 で、現代の賞金稼ぎ(バウンティ・ハンターだが、もちろん賞金のかかった逃亡犯を捕まえるという西部劇と同じパターンもあるが、 保釈保証人制度を利用して逃走してしまった犯罪者を見つけ、連れ戻すというのもある。この場合の依頼者は保釈金保証人だ。本作の クレアモントがそれに当たり、彼はいわばバウンティ・ハンターの元締めということになる。
クレアモントはほかに現金輸送業も営んでおり、彼の愛人、ラティーシャ(モニーク)は偽造免許証を発行している。賞金稼ぎそのもの
は合法的な行為だが、裏の世界につながりやすい危ない仕事であることは変わりない。映画は逮捕されたドミノの尋問シーンから始まる。彼女は何をしたためにここにいるのか。その興味が映画を牽引する。スローモー ション、早回し、オーバーラップなどが頻繁に組み込まれ、リズム主体の音楽がかぶさる。めまぐるしく変わる映像は、まるでミュー ジック・ビデオクリップを見ているみたいだ。 ストーリーをゆっくり考える暇はない。とりあえず目の前で繰り広げられている場面だけを追っていく。いくつかのエピソードが時間軸 を無視して描かれるので、この手の映画に馴れていない人には、初めのうちは眩暈が起きるかもしれない。 しかし、後半に入った辺りから、これらが1つのまとまりをなしてくる。それと同時に、母の愛に恵まれなかったドミノの孤独、エドと チョコが彼女のたどり着いた家族だったこと、粗暴なチョコのドミノへの初心な純愛、などが油紙に滲んだ隠し絵のように浮かび上がって くる。
ラスト10分の1000万ドルの現金受け渡し場面の思いがけない成りゆき。100階を超えるタワーのてっぺんから超高速で降りて
いくエレベーターの迫力。劇場を出る時、私は段差に気づかず、危うくこけそうになった。この時の興奮が抜けていなかったから
だろう。ドミノを演じたキーラ・ナイトレイがすごくいい。美人女優とは思っていたけれど、こんなに綺麗だったのかと驚いた。孤独な少女の 面影を残しつつ、タフな賞金稼ぎの雰囲気を全身から発する。 ボスのエドに扮したミッキー・ロークもヤワな二枚目は完全脱皮、不精ヒゲをはやし、渋い中年になって戻ってきた。 モデルとなったドミノ本人は、映画完直前の今年6月、自宅の浴室で死んでいるのが発見されたそうだ。オープニングで、「おおよそ」 事実に基づいている、という字幕が出るから、フィクションもかなり混ざっているのだろうが、壮絶な半生であったことは間違いない。 万人向けではないが、私にはとても面白い映画だった。 【◎○△×】7 |
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11月 |
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ストーリー 実在のグリム兄弟をペテン師に仕立てて、奇想天外なファンタジーを繰り広げる、テリー・ギリアム監督7年ぶりの新作。 ドイツがフランスに支配されていた19世紀。ウィル(マット・デイモン)とジェイコブ(ヒース・レジャーJ)のグリム兄弟は、地方 の村々を巡り民間説話を蒐集するかたわら、いかさまの魔物退治で村人から多額の報酬を得ていた。ところがペテンがばれて、フランス 将軍ドゥラトンブ(ジョナサン・プライス)に捕まってしまう。 その頃、ある村で10人の少女が次々に森で行方不明になる事件が起き、村人は魔女(モニカ・ベルッチ)の仕業と慄いていた。調査 を命じられた2人は、漁師の娘アンジェリカ(レナ・ヘディ)をガイドに森の奥深く分け入る。 グリム兄弟を詐欺師にしたのはアイデアとしては面白いが、ストーリーにきちんと収まっていない感じだ。 19世紀、古い因習に閉ざされたドイツの農村では、人々にとってまだ魔物や怪物はリアルな存在だった。そこで2人はチームを組んで 魔物騒ぎを起し、それを退治したと見せかけては礼金をせしめていた、というところから話は始まるのだが、これだけなら2人がグリム 兄弟である必然性はないし、ジェイコブが地方の説話を蒐集する真面目な学者だという設定もおかしくなる。
いっそ、実在のグリム兄弟とは関係のない、ただのいかさま師兄弟のほうがよかったんじゃなかろうか。彼らが逮捕されたあと、冷酷な
フランス軍の将軍をペテンにかける大芝居でも打ったら、面白かっただろうと思う。詐欺師であることが、少女の行方不明事件を調査するきっかけになっているだけなのがもったいない。いろいろ使いでのありそうな 設定だと思うのだが。 兄弟の性格を、1人は(実在のグリム兄弟にとらわれた結果だろうけど)民間説話研究者で、もう1人はほんとうは魔女や怪物の存在 など信じていない超現実主義者に色分けしたのも、あまり生かされていな感じだ。2人とも単純にペテン師の冒険者のほうが、話が 柔軟に広がったような気がする。 (色分けするなら、片方は冷静沈着、もう片方は大胆でおっちょこちょい、というシンプルなものでよかった思う。)
この映画には、グリムの有名な童話、「赤ずきん」「ヘンデルとグレーテル」「白雪姫」「眠れる森の美女」などが出てくるが、本筋に
はほとんどからんでいないのも惜しいと思う。赤ずきんが暗い森の中を、赤いフードとマントでひらひら歩いていく映像は、不気味かつ幻想的だし、グレーテルのスカーフが身を よじってふわりふわりと誘うように飛ぶシーンもこわ美しい。 このあと赤ずきんを襲う狼が変身して魔物になったり、グレーテル兄妹が迷い込むお菓子の家から、恐ろしい老婆が現われて美女 (=“塔の魔女”)に変身したりするのかと、つい期待してしまう場面だが、「鏡よ鏡よ、世界で一番美しいのはだーれ」にしても、 眠る美女への接吻にしても、どれもちょこっとさわりを見せるだけなのだ。 本来のグリム童話はかなり残酷な話が多いというし、そういう “大人のための残酷童話” 的な解釈で、本格的にストーリーにからめて ほしかった。映像はけっこうおどろどろしくて雰囲気はあるだけに、中途半端な作りがとても残念だ。 【◎○△×】5 |
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11月 |
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ストーリー 16世紀のヴェニス。正業に就くことが許されないユダヤ人は、ゲットーに隔離され金貸し業を営んでいた。放蕩生活で財産を使い 果たしたバッサーニオ(ジョセフ・ファインズ)は、美しい女相続人のポーシャ(リン・コリンズ)に求婚するため、年上の親友アント ーニオ(ジェレミー・アイアンズ)
に借金を申し込む。アントーニオの全財産は世界中に散らばる貿易船に投資されていた。彼は自分が保証人となることでユダヤ人シャイロック(アル・ パチーノ)から借金することを、バッサーニオに提案する。 2人が訪れると、シャイロックは3000ダカットもの大金を無利子で貸すという。しかしそれには、3ヶ月以内に返済できなければ アントーニオの肉を1ポンドもらうという条件が付いていた。 バッサーニオはたじろぐが、アントーニオは承諾する。その金で支度を整えたバッサーニオは見事ポーシャの愛を獲得するが、一方、 アントーニオのもとに届いたのは、彼の積み荷船がすべて難破したという知らせだった。 シェイクスピアの戯曲のなかでは、この「ヴェニスの商人」はこれまでほとんど映画化されなかったそうだ。ユダヤ人への露骨な差別が 描かれているのが理由の1つだが、シェイクスピアの時代はそれが一般的なユダヤ人観だったらしい。映画の冒頭でその様子がいくつかの 短いショットで端的に説明される。分かりやすい導入の仕方といっていいだろう。 原作では、バッサーニオとポーシャの恋騒動がメインの喜劇で、シャイロックは脇役に過ぎないのだそうだが、何しろ人肉を担保にした 法廷劇が有名すぎて、どうしてもシャイロック中心の戯曲
という気がしてしまう。本作はその意味では、一般に受け入れられているイメージに近い映画化と言えるだろう。もっとも、彼を単なる極悪非道の高利貸し ではなく、悲劇の主人公として描いているところが新しいといえるかもしれない。 シャイロックが裁判で要求するのは “法の正義” だ。バッサーニオが提示した2倍の金には目もくれない。この辺り、強欲な高利 貸しというイメージとはずいぶん違う。 彼が “法による公正な裁き” に固執するのは、法の庇護から外された当時のユダヤ人が、いかに日ごろ苦汁を舐めさせられていたか を表わしているのだろう。担保として人肉を要求するところなど、彼の怨念の深さが感じられる。 この裁判場面で私が一番印象深かったのは、シャイロックの非情ぶりよりも、キリスト教徒の狡猾さだった。ことさらシャイロックに 「慈悲をかけよ」と繰り返して彼の人非人ぶりを際立たせたり、「故意にキリスト教徒を殺そうとした」として最後は彼の全財産を没収 したりする。 原作では、踏んだり蹴ったりのシャイロックが笑いの対象になる滑稽場面なのだろうが、私は哀
れさのほうが先に立ってしまう。シャイロックは一人娘、財産のすべてを失っただけでなく、人肉というおぞましい要求のために同胞のユダヤ人たちからさえも、 そっぽを向かれる。眼前でシナゴーグ(ユダヤ教の礼拝堂)の扉を閉められて、雨の中に佇む彼の姿は本当に惨めだ。 彼の悲劇に比べると、バッサーニオや仲間のグラシアーノ(クリス・マーシャル)の恋愛騒動はいかにも軽くて、映画のバランスとして は少々収まりが悪い。原作はこちらがメインだったとしても、もっと大胆に翻案して、シャイロックの苦悩にじっくり焦点を当てた ストーリーにしてもよかったんじゃないかと思う。とくに終盤の結婚指輪をめぐってポーシャと侍女のネリッサ(ヘザー・ゴールデン ハーシュ)が夫のバッサーニオとグラシアーノをからかう場面は蛇足という感じがした。 アル・パチーノは怨念、憎悪、悲哀、惨めさ、シャイロックのすべてを体現した演技が素晴らしい。ジェレミー・アイアンズも、 バッサーニオには無私の友情を示しながら、ユダヤ人へは高慢な軽蔑を露わにするアントーニオの矛盾した人間性を巧みに表現していた。 ベネチアの運河や街並みが中世を再現して見応え十分だった。 【◎○△×】7 |
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10月 |
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ストーリー 『アンダーグラウンド』『黒猫・白猫』のエミール・クストリッツァ監督が、ボスニア紛争中にセルビア人の男性に起きた実話を ヒントに映画化。偶然にめぐりあった、敵と味方に別れた男女のラブストーリーを切なくもコミカルに描いている。 1992年春。鉄道建設のため国境近くのボスニアの村に越してきたルカ(スラヴコ・スティマチ)は、元オペラ歌手の妻ヤドランカ (ヴェスナ・トリヴァリッチ)と、サッカー選手を志す息子ミロシュ(ヴク・コスティッチ)とともに、平穏に暮らしている。 ある日、ミロシュが軍に召集される。その壮行会の夜、妻は男と駆け落ちし、内戦まで勃発してしまう。やがてミロシュが捕虜に なったとの報せが届き、ルカは気が気でない。 数日後、ムスリム人看護婦サバーハ(ナターシャ・ソラック)が村の住人につかまり、ミロシュとの人質交換にするために、ルカが 預かることになるのだが・・・。 『黒猫・白猫』(98)のけたたましさに眩暈を起しそうになった私としては、本作はかなりおとなしめの印象。しかし、明るいバイタ リティは相変わらず。 主人公ルカで面白いのは、旅立つミロシュを送る時はいかにも悲しげなのに、妻のヤドレンカが男と駆け落ちしたのを知らされても、 ちっとも動揺しないところ。いやに伸び伸び一人暮らしを始め
る。オペラ歌手だったヤドレンカはしょっちゅうソプラノの頭に響く声で歌いだすし、都会に帰りたいと文句ばかり並べるし、ミロシュを 溺愛してすごい過干渉だし、すぐパニックを起すし・・・、上げたらキリがない。 一緒に暮らしてる時はせっせと尽くしていたルカだけど、本音はやっぱり「あ〜ぁ」と思ってたのかしらん。いなくなっていかにも せいせいした顔なのが可笑しい。 ここに現われるサバーハは愛らしくてグラマーで気働きもよく健気で、もう言うことなし。ルカがすぐ手を出さないところもなかなか よろしい。 もどってきた女房殿は自分の行状は棚に上げて亭主とその恋人をとっちめる。サバーハも日ごろの可憐さをかなぐり捨てて猛反撃。 あとはもう、くんずほぐれつの取っ組み合いだ。緊迫した内戦下のドラマのはずがラブ・コメディの様相になる辺り、クストリッツァ監督 らしい魅力に溢れている。
息子と交換されることになったサバーハに最後の別れをと思って追いかけたら、橋の向こうから現われた息子は、てっきり自分を迎え
に来てくれたと思い、父親をしっかり抱きしめる。息子に応えながらも目はサバーハを追う。ほんとうは悲痛な場面のはずなのに、つい笑いそうになる。 ルカが鉄道自殺を図ろうとするラストは、“失恋ロバ” でムリヤリ奇跡を起こした感じがしないではないが、全編に溢れるおもちゃ箱 をひっくり返したような賑やかさとバイタリティはクストリッツァ監督作品そのもの。長めの映画を最後まで一気に見せる。 映画の中に「戦争というものは、近づく足音は遠くから聞こえるけど、始まる時はいつも突然」という科白がでてくる。これは人災・ 天災を問わず、災害というものの核心をすごくよく衝いている言葉だと思う。 だれもよもや自分のところに降りかかるとは思わない。ルカは、テレビがボスニアで内戦が勃発したと報じても信じようとせず、息子の ミロシュに招集礼状がきても、まだ、単なる兵役で訓練期間が終われば帰ってくると思おうとする。 人間ってそうしたものだと思う。足音は確実に近づいているのに認めない、気づかないフリをする。ルカのなかに自分の姿を見るよう で、とても共感を覚えた。 【◎○△×】7 |
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12月 |
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ストーリー 怪奇作家、江戸川乱歩の耽美的な世界を映像化したショート・オムニバス。 荒野をさまよう男が、朦朧とした意識でたどり着く悪夢の渕を描く【火星の運河】。連続変死事件の現場に残された和鏡の謎を追う 明智小五郎は、やがて鏡作り職人・透に出会う・・・【鏡地獄】。戦争の負傷で両手両足を失い、胴体だけになった男とその妻の異様な 愛の世界。そんな2人を屋根裏から覗き見る青年がいた・・・【芋虫】。女優・芙蓉の運転手をする柾木は、ある日、ついに彼女に思いを 打ち明ける。恋焦がれる女優を殺害した運転手の異常な執着を描く【蟲】。 4パート全てに浅野忠信が出演し、映画全体を通す芯の役割を果たしている。 4つの短編から成り立っているが、どの話もどういうわけか「キーーーーン」と耳の奥で響く効果音が多用され、それにまず参って しまった。たしかに乱歩の異様な世界を現出させる音だとは思うが、中の1編くらいならともかく、どれもとなるとちょっときつい。 時々頭が痛くなって、耳を塞ぐこともあったほどだ。 話としては2つ目の【鏡地獄】がまあまあ乱歩の耽美的なエロティシズムが出ていたかと思う。部屋のあちこちに鏡が張ってあって、 1つの映像が絶えずいろんな角度で重なり合う。ある種不思議な感覚になるが、平面的で深みはない。主人公の鏡職人の青年が取り 憑かれる鏡の妖しい魅力
を出すには、もう一工夫あってもよかったのではないかと思う。たとえば、合わせ鏡は像を無限の繰り返しで映すので、そんな効果を使えば、一度入り込んだら出てこれない底なし井戸のような鏡の 魔力が出せたのではないかと思うのだが。職人を演じた成宮寛貴の、爬虫類を思わせる美形ぶりが印象的。 【芋虫】がどう映画化されているのかという興味で本作を見たのだが、これはちょっと失望だった。戦争の負傷で四肢を失い胴体だけに なる、というのは原作を読んだ時、あまりにグロテスクで恐ろしかった。しかし、それがそのままゴロンと放り出されたように画面に 映しだされるとは思わなかった。 “グロテスク” さは視覚的なものではなく、あくまで想像のなかで形成されるものであってほしい。たとえば、部屋の衣桁に掛けられ た布で視覚が半分さえぎられるとか、半分開いた襖の向こうに男の姿が見える、とかいうように。男がまとっているのが襤褸にしか 見えないのも、私の好みと違う。男の悲劇をことさら汚い衣服で視覚的に強調することはない、と思うのだ。 【◎○△×】4 |
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10月 |
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ストーリー オスカー・ワイルドの戯曲「ウィンダミア卿夫人の扇」を、1930年代のイタリアに舞台を移しての映画化。年齢の離れた2人の 女性が、アンティークの美しい扇をめぐって繰り広げる愛と絆の物語。 南イタリアの美しい避暑地、アマルフィ。ニューヨーク社交界の華、ロバート(マーク・アンバース)とメグ(スカーレット・ヨハン ソン)の若きカップルは、この地でバカンスを楽しんでいる。そこに数々の恋愛とスキャンダルをたくましく生き抜いてきたアーリン 夫人(ヘレン・ハント)が現われる。 やがてロバートとアーリンが密会しているという噂が流れ始める。傷つき、混乱するメグ。心の隙をつくように、プレイボーイで 鳴らすダーリントン卿(スティーヴン・キャンベル=モア)がメグに愛を迫るのだった・・・。 主役の2人の女優は適役だったのかなぁ・・・。かなり疑問を感じる。アーリン夫人に扮したヘレン・ハントは、男遍歴を重ねてきた 女にしては、今1つセクシーさが足りない。第一、社交界のうるさ雀たちが目引き袖引きして噂するような、悪女の匂いがほとんど しない。清潔すぎるのだ。 たとえば、エレン・バーキン辺りなら、ちょっと崩れた感じと、そんな生活を続けざるを得ない悲し
みが、もう少し漂ってきたかもしれない。メグを演じるスカーレット・ヨハンソンはおぼこな感じはあるものの、垢抜けない田舎娘風。夫ロバートや女たらしのダーリントン卿 が熱愛するほど魅力があるようには見えない。『真珠の耳飾りの少女』(03)で見せた輝きが、本作ではぜんぜん出ていないのが残念だ。 ロバートはいつ、どのようにして、アーリン夫人の秘密を知ったのだろう。2人は初めて骨董屋で出会い、逢引きを重ねるようになる。 と見せておいて、じつは彼は夫人の正体を知っていて妻から遠ざけようとしていただけだった、と唐突に種明かしされるのが、いささか 感興を削ぐ。前後のつながりが悪いのだ。 割りに早い時点で夫人の正体は明かされるのだから、別に、思わせぶりな伏せ方をする必要はなかったのではなかろうか。観客は初め からすべてを知っており、いわば “神の目” で、社交界
の夫人連が心ない噂話をしたり、傷ついたメグがダーリング卿の誘惑に揺れる
のを眺める、という流れでもよかったんじゃないかと思う。ヘレン・ハントの本領は、むしろアーリン夫人がじつは “いい人” (原題 “Good Woman”)であると分かってから発揮 される。メグに秘密を打ち明けようとして危うく思いとどまるシーンの、微妙な表情の変化はさすが。1000ドルの小切手をロバート に返して車に乗り込む姿にも、潔い清々しさがある。 トム・ウィルキンソンが演じるタピィとのエピソードも魅力的だ。メグのために彼の求婚をみすみすふいにするのがアーリン夫人の 女気(おんなぎ)なら、騒ぎの真相を敏感に察知して、彼女への愛を貫くのはタピィの男気 (おとこぎ)だ。酸いも甘いも噛み分けた中年男女のロマンスは心地よい後味を残す。 【◎○△×】6 |