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今月見た新作映画 2005年

7月〜9月



8月

大いなる休暇

2003年  カナダ  110分
監督 ジャン=フランソワ・プリオ
出演
レイモン・ブシャール、デヴィッド・ブータン、ブノワ・ブリエール
ピエール・コラン、リュシー・ロリエ、ブルーノ・ブランシェ

  ストーリー
 カナダ・ケベック州のサントマリ・ラモデルヌ島は、人口125人の小さな島だ。かつては漁業が栄えたが、今は町民のほとんどが 生活保護に頼る暮らしをしている。そこにプラスチック工場進出の話が舞い込む。それには定住する医師がいることが条件。しかし、 この島は長らく無医島になっていた。
 島民は州内すべての医師に誘いの手紙を出すが、返事はなしのつぶて。そこに、折良く青年医師クリストファー(デヴィッド・ ブータン)がやって来て、1ヵ月滞在だけすることになる。彼が定住したくなるように、町長ジェルマン(レイモン・ブシャール)を はじめ、島民あげてのあの手この手のダマシ作戦が繰り広げられる。
 新人監督ジャン=フランソワ・プリオは、離島や過疎化、失業という社会問題を背景にしながらも、ユーモアたっぷりのハートフル・ コメディに仕上げている。サンダンス映画祭で観客賞を受賞。

  一口感想
 邦題の “大いなる休暇” とは、失業中で「毎日が日曜日」状態を指している。一日の労働を終え、家族で夕食の団欒を過ごし、夜は 夫婦の愛を交わす。そして満足の一服。貧しくとも、それが人生の幸せというものだ。
 ところが、サントマリ・ラモデルヌ島は漁業が衰えた今、島民の生活はほとんどが失業手当に頼っており、こんな素朴な人生の幸せ すら味わうことが出来ない。
 仕事がしたい、仕事がほしい。
 身体を使って労働することの素晴らしさをこれほど率直に訴える映画も、最近珍しい気がする。とはいえ、映画自体は全編ばかばか しい笑いに満ちたドタバタだ。

 医者を騙そうというその手口は、盗聴器を仕掛けて電話を盗み聞いたり、医者の通る道に小銭を落として 拾わせたり、釣りに興味があると分かると冷凍の魚を釣り上げさせたり、ピントの外れたことばかり。
 騙される方も騙される方で、おかしいとも思わずに騙され続ける。医者に扮するデヴィッド・ブータンがなかなか魅力的。別に ハンサムではない。無邪気で暢気で、ちょっとセクシー。“代理の医者”(じつは肉屋)が施した応急処置がひどい、この町には医者が 要る、と憤慨したり、盗聴されているとも知らず、都会に暮らす恋人に愛を囁いたり、人の好い青年を生きいきと演じている。

 作戦の陣頭に立って奮闘する町長のジェルマンや参謀のイヴォン(ピエール・コラン)(このコンビがじつにいい味を出している)、 ATMで足りる仕事しかない銀行員のアンリ(ブノワ・ブリエール)、水虫に悩まされている島の青年スティーヴ(ブルーノ・ブラン シェ)、みんな人間らしい温もりを持った人たちばかり。
 原題は “大いなる誘惑”、町を上げてのダマシ作戦を指している。やっていることは「正しく」はないが、登場人物たちが善人ばかり なので、嫌味はない。
 真相を知って怒るクリストファーに、ジェルマンは「生活保護を受け取る時、その分だけ誇りが失われる。金は2週間で消えるけど、 惨めさは1ケ月続く」「小さな島はどこも同じだ」という。この映画の核心はこのセリフに表れている。しかし、あくまでさらっと、 この一言で収めているのがいい。

 無事プラスティック工場が誘致され、仕事を終えた島民は昔のように夫婦の満足を味わったあと、幸せの一服をふかす。その煙が 家々の屋根から立ち昇るラストシーンには、クスリと笑いを誘われた。
  【◎△×】7

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8月

奥さまは魔女

2005年  アメリカ  103分
監督 ノーラ・エフロン
出演
ニコール・キッドマン、ウィル・フェレル、シャーリー・マクレーン
マイケル・ケイン、ジェイソン・シュワルツマン、ヘザー・バーンズ

  ストーリー
 日本では1966年から放映され、大ヒットしたアメリカの人気TVシリーズ「奥さまは魔女」を、ニコール・キッドマン主演で 現代風にリメークした、ファンタジック・ラブコメディ。
 ふつうの恋をしてみたい、と人間界へやってきた魔女イザベル(ニコール・キッドマン)は、街で出会った落ち目の俳優ジャック (ウィル・フェレル)にスカウトされ、テレビドラマ「奥さまは魔女」のサマンサ役に抜擢される。
 じつは近頃ヒット作に恵まれないジャックは、往年の人気ドラマのリメークに復活をかけ、自分を目立たせるために新人女優を起用 することを考えたのだ。そうとは知らないイザベルは、恋の予感に胸をときめかせる。

  一口感想
 リメークといいながら、オリジナルのテレビ・ドラマをそのまま持ってくるのでなく、往年の人気シリーズを復活させるという設定に したのは、いいアイデアだったと思う。しかし、思ったほどに面白くない。オリジナルにあった弾むような楽しさがないのだ。
 一番の原因は、“ダーリン” を演ずる俳優ジャックのキャラクターではないかと思う。冒頭、登場する時の「落ち目の、ドジで気の 好い役者」というのはいい。ところが、それでずーっと通せばよかったのに、途中でだんだん性格が変わり、自己顕示欲の強い嫌味な 男になってきた。

 ドラマそのものはオリジナルと同じでなくていいが、登場人物たちの性格は変えないほうがいいと思う。
  “サマンサ” はちょっとコケティッシュなしっかり者(ニコール・キッドマンは無邪気でキュート過ぎるが、許容範囲のうち)、 サマンサの母親の飛んでるおばあちゃん “エンドーラ” (シャーリー・マクレーンはよく雰囲気を再現している)、天真爛漫 な “クララ” おばさん、お隣の「あぁ〜〜た!」の “グラディス” さん。みんな悪くない。
 陽気で明るくてお人好しの “ダーリン” を演じるジャックだけがイメージが違うのだ。イザベルが魔女であることを告白した時に、 びっくりしたジャックが木の枝で「シッ、シッ」と追い払うのなんて、とくに言語道断だ。「そうじゃないかと思ってたんだよ」と、 2人で箒に乗って夜の空中飛行のデートくらいしてほしい。
 満天の星がキラキラジャジャ〜〜ンと輝いて、夢見心地の2人はつい油断して落っこちて、あらためてロマンティックなキスをする。 「奥さまは魔女」ならそういう展開にならなくっちゃ。
 ジャックに扮するウィル・フェレルのハイでオーバーな演技もちょっと邪魔。アクが強くて、一人浮いている気がする。

 ニコール・キッドマンはこれで四十近いとは驚きだ。彼女、目の光が強すぎて、ほんわかしたラブコメは本来は似合わない女優だと思う けど、無難にこなしているのはさすが。スーパーで買い物をしながら、あちこちに現れるお節介な父親ナイジェル(マイケル・ケイン) と口喧嘩をする場面はとっても楽しい。
  【◎△×】6

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9月

クレールの刺繍

2003年  フランス  88分
監督 エレオノール・フォーシェ
出演
ローラ・ネマルク、アリアンヌ・アスカリッド、トマ・ラロプ
マリー・フェリックス、アルチュール・クーエン、ジャッキー・ベロワイエ

  ストーリー
 下宿暮らしの17歳のクレール(ローラ・ネマルク)は、スーパーで働きながら、好きな刺繍に打ち込んでいる。彼女は実は望まない 妊娠をしてしまい、5ヶ月半を過ぎて、お腹は日に日に目立ち始めていた。親友リュシル(マリー・フェリックス)に打ち明けること しか出来ず、クレールは産婦人科医の薦めで「匿名出産」をすることに決める。これは出産後に赤ちゃんを里子に出す合法的な制度だ。
 妊娠が周囲にバレることを恐れたクレールは、スーパーに病気休暇願いを出し、刺繍職人メリキアン夫人(リアンヌ・アスカリッド) のアトリエを訪ねる。雇ってもらおうと思ったのだ。メリキアン夫人の息子は、リュシルの兄ギョーム(トマ・ラロプ)とバイク事故に 遭い、亡くなったばかりだった。夫人はその悲しみから抜け出ることができずにいた。カンヌ国際映画祭で批評家週間グランプリを 受賞。

  一口感想
 17歳の少女が思いがけず妊娠する。どうしていいか分からないままに日が過ぎ下腹部が目立ってくる。17歳といえば自分自身が 大人になりきれていない年頃だ。身体の中で起きる変化をどう受け止めたらいいのか分からない。
 みんなには「太った」といわれるし、悩みを親友に打ち明けて見てもどうなるものでもない。その間にも日は過ぎていく。そんな 少女の不安や戸惑いがきめ細かに描かれる。

   実家を訪ねたクレールが、母の前で思い切ってがっふり着込んだ上着を脱ぐシーンがある。膨らんだ下腹部が見えるようにしたのだが、 母はなにも気づかない。母親の娘に対する無関心さや、日ごろの疎遠な親子関係がうかがえる場面だ。
 一方、アトリエのメリキアン夫人は初対面の時からクレールの妊娠に気づく。息子を亡くして失意に沈んでいる時でさえ、他人への 細やかな目配りを絶やさない。ちょっと小生意気な感じがするクレールが、夫人を信頼し心を開いていくのが自然なことに思える。

 クレール役のローラ・メマルクは水蜜桃のように瑞々しく、燃えるような赤毛がチャーミングだ。
 メリキアン夫人を演じるアリアンヌ・アスカリッドは、登場時はひどくやつれて老けて見えるのに、すぐに美しく成熟した匂いを 発散しだす。息子の親友ギョームを見つめる目など、ぞくっとするほど色っぽい。母親のような温かさと、観察者のような意地悪さを 見せる時があり、ちょっと不思議な女優だ。ほかにどんな映画に出ているのだろう。見てみたい気がする。

 刺繍というとフランス刺繍やスウェーデン刺繍など、布を一針一針すくっては糸で繊細な模様を縫いこんでいくものしか思い浮かば ない私には、ビーズ刺繍はとても新鮮に感じられる。
 しかし、歴史は古いらしく、古代エジプトの遺跡からすでにビーズを使った刺繍が発掘されていたというから驚く。
 スパンコールやビーズが織りなす形は、糸の刺繍とは趣の違う華やかさがあって眼を奪われる。映画のなかで、もっともっとたくさん の刺繍を見たかった。

 メリキアン夫人はクレールを仕事のパートナーにすることで、悲しみから立ち直っていく。しかし、クレールがなぜ生まれた子どもは 自分で育てようと思うようになったのかが読み取れない。そこにこの映画の弱さを感じる。ギョームとの愛なのか、仕事への自信なのか、 メリキアン夫人との擬似母娘ともいえる信頼関係なのか。
 クレールとメリキアン夫人が2人で大作を仕上げていく過程をじっくり見せることで、自ずとクレールの心の変化(=成長)も読み 取れたのではないかと、残念な気がする。
  【◎△×】6

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9月

四月の雪

2005年  韓国  110分
監督 ホ・ジノ
出演
ペ・ヨンジュン、ソン・イェジン、イム・サンヒョ、キム・クァンイル
チョン・グックァン、リュ・スンス

  ストーリー
 コンサートの照明監督インス(ペ・ヨンジュン)は、妻スジン(イム・サンヒョ)と平穏な結婚生活を送っていたが、ある日、仕事中 に妻の交通事故の知らせが届く。
 彼女が運び込まれた海岸沿いの小さな町、サムチョクの病院に駆けつけると、そこには一人の女性が悲しみに打ちひしがれていた。 ソヨンというその女性(ソン・イェジン)の夫は妻の車の同乗者で、スジンは彼と不倫の関係にあったのだ。
 パートナーの事故と裏切り、二重の衝撃の中で、インスとソヨンは懸命にそれぞれのパートナーを看病する。やがて、同じ境遇にいる 2人の間に愛が芽生えていく・・・。
 韓流ブームの火付け役者、ペ・ヨンジュンの本格ラブ・ストーリーで、監督は『8月のクリスマス』『春の日は過ぎゆく』など、叙情 性豊かな演出に定評のあるホ・ジノ。

  一口感想
 インスとソヨンが互いの立場に戸惑いながら、少しずつ距離を縮めていく前半は、丁寧な描写が好感が持てる。互いに、連れ合いの 不倫相手の伴侶、というなんともいいようのない立場だ。病院で顔を合わせるたびに気まずい思いが2人を襲う。そんな感じがとても よく出ている。
 2人が事故で亡くなった遺族に詫びを言いに行った帰途、国道沿いで車を止めて、立ち尽くすシーンがある。
 違う方向を向きながらも、インスとソヨンが同じ境遇にいることを感じ、同じ痛みを共有したのはこの時だと感じさせる印象的な 場面だ。2人の心の距離がぐんと近づいたのだ。

 2人の間に流れる心のプロセスは丁寧に辿られるが、それぞれの妻あるいは夫への感情が見えてこないのが、この映画のもっとも 弱いところだと思う。
 夫婦が共有した時間や思い出は、一朝にして消えるものではない。心中には怒りや哀しみ、それでもなお愛している苦悩が渦巻い ているはずだ。それがあまり感じられないのだ。
 インスの妻は回復し、ソヨンの夫は亡くなるという、対照的な結末になっているが、それもストーリーには生かされていない。2人が 結局自分たちも同じ不倫の関係に陥ってしまったことの苦しみもほとんど伝わってこない。

 思うにこれは、スター俳優を迎えて、新しい恋の行方を描くほうに気を取られたせいではないだろうか。インスとソヨンが互いに 惹かれあうのはいいとして、一気に不倫の関係まで持っていかず、2人がそれぞれの傷からどう立ち直っていくかをメインにしたほうが よかったんじゃないかと思う。
 ラストは、思いを秘めたまま別の道へ別れてゆく。そのほうがずっと余韻は深まったと思う。
 淡々とした演出が特徴のホ・ジノ監督の持ち味が、不倫愛というドラマティックな設定では、生かし切れなかった感じがする。

 『冬のソナタ』を見たことのない私には “ヨン様” 初体験。浮ついたところのない誠実な演技ぶりはとても感じよかった。だた、 ちょっと優等生的かな・・・。毎週テレビで見る分には邪魔にならずじわじわ良さが滲み出てくるのかもしれないが、一発勝負の映画では 少し印象が薄い。
 ソン・イェジンは顔に手を当てて泣くしぐさがほんとうにいじらしい。演技が柔軟で、将来有望な女優さんじゃないかと思った。
  【◎△×】6

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7月

スター・ウォーズ エピソード3
/シスの復讐


2005年  アメリカ  141分
監督 ジョージ・ルーカス
出演
ユアン・マクレガー、ヘイデン・クリステンセン、ナタリー・ポートマン
イアン・マクディアミッド、サミュエル・L・ジャクソン、クリストファー・リー

  ストーリー
 1977年から始まった『スター・ウォーズ』シリーズの最終作。分離主義者の勢力は拡大し、銀河共和国との戦争は、最終局面を 迎えていた。そんな中で、共和国最高議長パルパティーン(イアン・マクディアミッド)が分離主義者のリーダー、ドゥークー伯爵 (クリストファー・リー)に誘拐される事件が起きる。
 オビ=ワン・ケノービ(ユアン・マクレガー)とアナキン・スカイウォーカー(ヘイデン・クリステンセン)によって無事救出される が、彼こそはシスの暗黒卿ダース・シディアスだった。
 アナキンは、彼の子どもを宿したパドメ(ナタリー・ポートマン)が命を落とす悪夢を見て、不安に駆られる。同時に、ジェダイの 騎士として認めようとしないメイス(サミュエル・L・ジャクソン)ら元老院議員に不満をつのらせていた。パルパティーンはそんな アナキンを策略をめぐらしてダークサイドへ誘い込む。

  一口感想
 「エピソード2」から3年たつ間に、アナキンを演じるクリステンセンはずいぶん演技者としての存在感を増したような気がする。 前作のアナキンは、不満ばかり言ってるヒヨッ子、という感じで、なんとなく頼りなかった。本作の彼は、目に力がある。ジェダイの 騎士としても、時には師のオビ=ワンをしのぐ働きを示す場面さえあって、力は相当上がっていることを感じさせる。

 それだけに、その力が正当に評価されないことへの怒り・恨みが深く沈潜していく様子がありあ りと見えて、「危ないなぁ」という気分になる。せっかくの高い能力の使いかたを誤まるのではないかと。もちろん、彼がダース・ ベイダーという悪の権化に変貌することを承知の上で抱く危惧なんだけど。
 私は『エピソード1』を見ていないのでアナキンの生い立ちは知らないが、彼は大きく自分を包み、認め、励ましてくれる母性的な ものに飢えている感じだ。一方、オビ=ワンの愛し方はいわば父親的だ。慢心を諌め、叱咤することで向上させようとする。
 アナキンを “甘ったれ” とか精神的にひ弱というのは簡単だけど、私には今の若者像にダブって見えて仕方がない。アナキンの愛情 欲求に気づかなかったために、オビ=ワンや元老院議員たちはあたら有為な若者を失ってしまった気がする。
 そういえば、一旦、悪の皇帝に屈してしまうと、いわば思考停止状態になって盲従するところは、オーム真理教事件の若者たちを 彷彿とさせる。アナキンは若者らしい正義感の持ち主だが、純真であるほど、この陥穽に落ち込みやすいのではないかと思った。

 本作は、シリーズの最後を飾るにふさわしく、CG映像は見事の一言に尽きる。ライトセーバーの一騎打ち、広大な宇宙空間を感じ させる戦闘機の闘いなど、SFアクション・ファンタジーとして見応え十分だ。
 しかし私には、すぐれた若い心性が老獪な悪の誘惑に屈した悲劇という印象のほうが強かった。ダース・ベイダーが前三部作の 最後で、息子のルークを殺すことが出来なかったのは、家族の愛を求めるアナキンならば当然のことだったと思った。
 時はさらに進んで、ほぼ30年前に作られた第一作へもどっていく。まさに “バック・トゥ・ザ・フューチャー” だ。密輸船の船長 ハン・ソロが活躍する世界が今となればレトロに思えて、懐かしくなる。十分楽しめたシリーズだった。
  【◎△×】7

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9月

チャーリーとチョコレート工場

2005年  アメリカ/イギリス  115分
監督 ティム・バートン
出演
ジョニー・デップ、フレディー・ハイモア、デヴィッド・ケリー
ノア・テイラー、ヘレナ・ボナム=カーター、ジェームズ・フォックス
ディープ・ロイ、クリストファー・リー

  ストーリー
 ロアルド・ダールの世界的ベストセラー「チョコレート工場の秘密」の2度目の映画化。
 チャーリー(フレディー・ハイモア)は町の片隅のボロ家で、失業中の父(ノア・テイラー)、母(ヘレナ・ボナム=カーター)、 そして2組の祖父母と貧しいけれど幸せに暮らしている。近くにある巨大なチョコレート工場は世界中で爆発的な売り上げを誇るという のに、人が出入りするのをだれも見たことがない、不思議な工場だった。
 ある日、工場の持ち主ウィリー・ウォンカ氏(ジョニー・デップ)が、チョコレートに入っているゴールデン・チケットを当てた 5人の子どもを、工場見学に招待すると発表する。チャーリーは最後の1枚を引き当てて、昔ここで働いたことのあるジョーおじいちゃん (デヴィッド・ケリー)と一緒に工場に出発する。

  一口感想
 物々しい音楽に乗って次々にチョコレートが作られていくオープニングにまずワクワクする。よく見ればただのオートマチックな流れ 作業なのだが、機械の動きが奇妙に漫画チックで、不気味で、おとぎ話の世界に入り込んだみたいなのだ。

 そしてチャーリー一家の住む斜めにひしゃげた家の素晴らしさ! もう、これだけで私の胸は「8点!」と高鳴ってしまう。4人の 老人が向き合って1つの毛布に足をいれ、母親は薄いキャベツのスープを煮込む。西洋の童話に出て来る森の家みたい。
 斜めにかしいだ吹き抜け(というとかっこいいけど)の2階がチャーリーの部屋だ。下手すると落っこちるけど、じかに下のおじい ちゃんおばあちゃんたちと話ができる便利さもある。
 ハンパじゃない貧しさで、不幸を絵に描いたような一家なのに、なぜか家の中は温っかそう。薄いスープすら旨そうにみえる。 両親を演じるヘレナ・ボナム=カーターとノア・テイラーが、痩せて所帯やつれしてるのに、ちっとも不幸そうでないところもいい。

 ところが、肝心のウィリー・ウォンカ一が登場し、チョコレート工場見学が始まったら、途端につまらなくなった。私はチョコレート のおいしさ、楽しさを思い切り満喫できると思っていたのだが、テーマ・パークのイベント館に入ったみたいに、ほんとに ただ “見学” してるだけ。とくに閉口したのは、チョコレートがだんだんまずそうになってゆくこと。これは悲しい。
 一番変なのは、ウィリー・ウォンカ一に扮したジョニー・デップだ。おかっぱ頭はまーいいとして、 死人みたいな青白い顔や、歯を突き出したような奇妙なしゃべり方がなんか気持ち悪い。“悪い子” たちが次々懲らしめられるのも、 原作がそうなら仕方ないけど、お説教くさいなぁ。
 無機質な広い部屋でクルミの殻割りをさせられているリスたちは、可愛いと思う前に可哀想になってしまう。これはアニメかなにかで、 思い切り楽しい映像にしてほしかった。

 シュールでポップな感覚は、いい悪いというより好みの問題なんだけど、私は『ビッグ・フィッシュ』(03)のようなホンワカ した感じのほうが好き。で、このチョコレート工場の部分は6点。もっとも、ディープ・ロイが1人で大奮闘するウンパ・ルンパは 面白かった。
 (この部分は、この映画が好きな人の怒りを買いそう。感想は人それぞれと思って、あんまり気に なさらないでね。)

 ラストに、チャーリーのひしゃげた家がそのままチョコレートの川のほとりに移されて、シュガー・パウダーみたいな白い雪が降り かかるラストがとても気に入ったので、平均7点の評価になった。チャーリーに扮したフレディー・ハイモアがわざとらしさがなくて 感じよかった。
  【◎△×】6

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8月

マザー・テレサ

2003年  イタリア/イギリス  116分
監督 ファブリッツィオ・コスタ
出演
オリヴィア・ハッセー、セバスティアーノ・ソマ、ミハエル・メンドル
ラウラ・モランテ、イングリッド・ルビオ、エミリー・ハミルトン

  ストーリー
 飢えと貧困に苦しむ人々に生涯を捧げ、1979年にノーベル平和賞を受賞したマザー・テレサの半生を描いている。36歳から87 歳までのマザー・テレサを日本に久々登場のオリヴィア・ハッセーが熱演している。
 1946年、インドのカルカッタ。修道院内の女子校で教師をしていたマザー・テレサ(オリヴィア・ハッセー)は、転任先の ダージリンへ向かう途中で、行き倒れの男に出会う。彼のなかにキリストを見たテレサは、自分の居場所は極貧にあえぐ人々の中にある と悟る。
 カルカッタに戻り、院外活動を始めた彼女に、修道会内部や町の有力者、役所の無理解や妨害が立ちふさがる。テレサは従来の修道会 に見切りをつけ、唯一の理解者、エクセム神父(ミハエル・メンドル)に新しい教団の設立を申し出るのだが・・・。

  一口感想
 私は宗教には無縁の人間だけれど、マザー・テレサの生涯を見て、信仰というものについて考えずにはいられなかった。
 映画に描かれる1946年当時のインドは、至るところに行き倒れがいる。路上で、駅頭で、死に掛かっているこれらの人たちに、 だれも注意を向けない。おそらくはあまりにありふれた光景だか らなのだろう。
 私がこの映画で驚いたことの1つに、修道女は当時は許可なく修道院を出ることが出来なかった、というのがある。人の心に救いを もたらすのが宗教の役割、とシンプルに考えている私は、修道院の中にこもってそれが出来るのだろうか、と思ってしまう。
 マザー・テレサも、おそらくダージリンへの転任命令を受けるまでは、ほとんど修道院のなかで過ごして来たのではなかろうか。死に 行く人が路上に放置されたままなのを目の当たりにするのは、彼女にはとてもショックだっただろうと思う。
 一旦は列車に乗りかけたテレサは、戻って、横たわる男の傍らに蹲(うずくま)る。男は「わたしは渇く」と 呟く。これはゴルゴダの丘に向かうキリストが、疲労の極で口にする言葉だ。
 この時のマザー・テレサの衝撃は想像に余りある。優れた宗教者に起こるといわれる神秘体験の一種なのだろうが、彼女はこの時、 男にキリストを見るのだ。

 後に、マザー・テレサは新しい修道会設立の申請をするのだが、その調査にバチカンから派遣されてきたセラーノ神父(セバスティア ーノ・ソマ)に、彼女はこの時のことを話す、「私はキリストに会った」と。こんなことをいうのは狂者か真の信仰者のいずれかしか ない。神父は「自分を選ばれた者と思うのか」と問う。
 テレサの答えは「私は神が手に持つ鉛筆にすぎません」というものだった。「文字を書くのは神ご自身です」と。これはすごい言葉 だと思う。至高の存在を信じ、その絶対者にすべてを委ねる。そこから生じる無私。「これがマザー・テレサなのか」、そう思ったら 胸にドスンと響くものがあった。

 修道会に多額の寄付をした人物が、じつは彼女の名前を利用して詐欺まがいの行為をしていたことが分かった時のテレサも印象的だ。
 押しかけたマスコミに「被害者に金を返すのか」と詰め寄られたテレサは、「返します」と言い切る。セラーノ神父をはじめ、彼女を 支えるスタッフは顔を見合わせる。しかしテレサは構わずスタスタと奥の食堂に入っていくと、そこで食事していた孤児たちを指し、 「ここにあります。さー、持っていってください」というのだ。
 これもすごい。彼女の清廉さや信念の強さが如実に表われている。マスコミ陣は引き下がるしかない。

 次々に立ちふさがる困難に彼女が少しもくじけないのは、神の意思に従っている、これが神の書く文字なのだ、という信念があるから なのだろう。私にはとうてい理解できないことだけれど、“信仰” の不思議さを思わずにおれない。
 オリヴィア・ハッセーは静かな演技に気迫がこもり、まるでマザー・テレサそのもののようだった。
  【◎△×】7

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9月

メゾン・ド・ヒミコ

2005年  日本  131分
監督 犬童 一心
出演
オダギリ ジョー、柴咲 コウ、田中 泯、西島 秀俊、歌澤 寅右衛門
青山 吉良、柳澤 愼一、村上 大樹、高橋 昌也

  ストーリー
 塗装会社の事務員・沙織(柴咲 コウ)は母の葬儀で借金を抱え、細々と一人暮らしをする24歳の女性だ。
 ある雨の日、会社に若く美しい男が訪ねてくる。沙織の父親の “卑弥呼”(田中 泯)が開設した、ゲイのための老人ホーム「メゾン ・ド・ヒミコ」に、週一度働きに来ないかというのだ。岸本春彦(オダギリ ジョー)というその青年は父の愛人で、卑弥呼はガンで 死期が迫っているのだと言う。
 沙織は、母と自分を捨てた父親を激しく憎んでいたが、破格の日当と遺産につられて、老人ホームの手伝いに行くことにする。翌日曜 の朝、沙織はおそるおそるプチ・ホテルを改装した「メゾン・ド・ヒミコ」を訪れる。そこには、個性的な住人ばかりが暮らしていた。

  一口感想
 オダギリジョー目当てで見に行ったのだが、思いがけず心に沁みる映画だった。
 沙織は母を亡くし、父とも絶縁して、たった一人で生きている。彼女は父が家庭を捨てたことが許せない。しかしそれは、父がゲイで あること、つまり父が自分らしく生きることを認めないといっているのと同じだ。
 ならば、父の “卑弥呼” はどうすればよかったのだろう。妻子のためにゲイであることを隠して、偽りの人生を生きるのか、ゲイと しての自分本来の人生をまっとうするのか。
 “卑弥呼” は後者の道を選んだのだが、私は映画を見ながら、スペイン映画『オール・アバウト・マイ・マザー』(99)を思い浮かべて いた。この映画では、息子は父がゲイであることを知る前に事故死してしまう。主人公である母親は、息子の死を伝えに、別れた夫に 会いに行く。そして、夫がその後に作った子どもを引き取って育てる決意をする。
 彼女はこういう形でゲイである夫を受け入れ、さらに命が引きつがれ、孤独が癒されていく。沙織の母も同様に、ゲイとしての夫を 受け入れていたようだ。

 しかし、子どもにとってはどうなのだろう。『オール・アバウト・マイ・マザー』の息子・エステバンは(事故死しなければ)父がゲイで あることとどう向き合ったのだろう。
 沙織が “卑弥呼” に「私に会いたいと思ったことある?」と叫ぶように聞く場面がある。あるいは、ホームの住人・ルビイ(歌澤 寅 右衛門)が脳卒中で倒れ、引き取っていった家族が、あとで彼がゲイであることを知ってどれほど苦しむか、考えたことある、と春彦ら に言う場面。
 しかし、沙織がどう詰問しようが、それしか生きる道がない時に、彼らはなんと答えられようか。春彦は「君には関係ない、出て 行ってくれ」と拒絶するが、“卑弥呼” はただ一言「あなたが、好きよ」という。この場面の切なさは言い表わしようがない。
 自分自身であることが、子どもや家族を傷つける。しかしどうしようもない。ただ、愛があることしか伝えようがないのだ。これは ほんとうに深い孤独だと思う。

 沙織が会社の専務・細川(西島 秀俊)と関係していることを、春彦から「彼がうらやましい」とい われて、顔をくしゃくしゃにして 涙を流す場面も、切なさでは劣らない。お互いに引かれあっていても、春彦は沙織の身体に触りたいところがない。ゲイである壁は 越えられないのだ。
 自分らしく生きること、愛すること、そして死のすべてに孤独がついて回る。『オール・アバウト・マイ・マザー』のような癒しは用意 されていない。それでもこの映画には温かさが満ちている。

 柴咲コウはノーメークのすっぴんで不細工な娘を熱演。口をへの字に曲げ、眉間にきゅっとしわを寄せた顔には、痛みをこらえている 幼女のような面影があって引かれる。オダギリジョーの佇む姿の美しさ、“卑弥呼” に扮した田中泯の父性と母性の混在した不思議な 存在感、いずれも印象的だった。
  【◎△×】7

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7月

ラヴェンダーの咲く庭で

2004年  イギリス  105分
監督 チャールズ・ダンス
出演
ジュディ・デンチ、マギー・スミス、ダニエル・ブリュール
ナターシャ・マケルホーン、ミリアム・マーゴリーズ、デヴィッド・ワーナー

  ストーリー
 1936年、イギリス西部コーンウォール地方。海辺の小さな村で、初老のジャネット(マギー・スミス)とアーシュラ(ジュディ・ デンチ)の姉妹は穏やかな暮らしを営んでいる。ある夏の朝、姉妹は海岸に打ち上げられた若者(ダニエル・ブリュール)を見つける。 彼はアメリカに向かう途中に難破したポーランド人のアンドレアという青年だった。
 英語を話せないアンドレアと、彼を看病する姉妹は次第に心を通わていく。妹のアーシュラは遠い昔に忘れていた少女のような恋心を 彼に抱くようになる。
 一方、村に滞在する女性画家オルガ(ナターシャ・マケルホーン)は、アンドレアが才能あるバイオリ二ストであることを知り、 音楽家である兄に引き合わせようとする。

  一口感想
 年老いた女性の、まだ少年といっていいほどの若者に対する恋。ジュディ・デンチが老境で初めて出会う恋心に戸惑う老女の可愛さを、 抑えた演技でうまく出している。全体をおおう淡いタッチは悪くないが、それがそのまま物足りなさにもなっている。

 姉ジャネットはアンドレアに恋しているわけではないが、静かな暮らしの中に突然現われたハンサムな若者に、いそいそと弾む思いは ある。一方で、いずれ彼はいなくなることも分っている。妹アーシュラの彼への思いを察知して、ハラハラもする。そんな複雑な役回り だ。
 それにしては、ジャネットの描き方は平板だ。オルガが庭先に初めて姿を見せた時から、彼女はアーシュラの「怖い」に呼応して、 「嫌い」と拒否反応を示す。アンドレアを奪っていくと直感しているからだろうか。そうだとしても、ジャネットにはもう少し冷静な 心の距離がほしい。
アンドレアを奪っていくと直感しているからだろうか。そうだとしても、ジャネットにはもう少し冷静な心の距離がほしいところだ。
 オルガからアンドレアに宛てた手紙を隠してしまうのも、ジャネットだ。これがアーシュラなら分かる。老女とはいえ、恋に分別を 見失っていると思えるから。そういうアーシュラをジャネットがたしなめるくらいの違いがほしい。
 ジャネットには、アンドレアをいつまでも自分たちのもとに囲い込んでおくわけにはいかないという、冷静な気持ちもあったはずだし、 覚悟もあったと思う。それがもう少し出ていればと思う。

 アンドレアの彫り込みが浅いのも物足りない。短いショットを積み重ねることで、村人の中に自然に溶け込んでいく様子や、家政婦 ドーカス(ミリアム・マーゴリーズ)との関わりが、もっと生きいきしたものにできたと思うのだが。
 一番違和感が大きいのは、オルガとアンドレアがロンドンに旅立つプロセスだ。鳥が飛び立つように慌しくて、オルガの強引さに 引きずられたようにしか見えない。ここはもう少し時間をかけていい場面だったと思う。
 まず、アンドレアは旅立つ許しを求め、アーシュラはノーという。ジャネットは本心はノーだけど、アーシュラを説得する。オルガの 兄のロンドン滞在の期限切れが近まり、思い余ったアンドレアはとうとう黙って出立してしまう。せめてそれくらいの手順を踏んで ほしかった。

 アンドレアがバイオリンの天才で、ロンドンに行った途端に大ホールでコンサート、というのもちょっと話がうますぎる。 (ほんとうは時間の経過があるのかもしれないが、映画ではよく分からなかった。)老女の恋はあまり生々しくてもいけないし、 サーッと表面をなでるくらいがいいのかもしれないが、その分、見終わった印象も淡々しい。
  【◎△×】6

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7月

リチャード・ニクソン暗殺を企てた男

2004年  アメリカ  107分
監督 ニルス・ミュラー
出演
ショーン・ペン、ナオミ・ワッツ、ドン・チードル、ジャック・トンプソン
マイケル・ウィンコット、ミケルティ・ウィリアムソン

  ストーリー
 1974年、ワシントンで実際に起きた事件を基に、民間機を乗っ取りホワイトハウスに突入してニクソン大統領を暗殺しようと 企てた男の犯行に至るまでの日々を描いている。
 職を転々としていたサム・ビック(ショーン・ペン)は、別居中の妻マリー(ナオミ・ワッツ)と3人の子供との生活を取り戻す ため、家具のセールスマンとして再就職する。しかし不器用なサムはボス(ジャック・トンプソン)が強要する口先だけの営業が 出来ず、成績が伸びないことでストレスを高める。
 ある日、裁判所から一方的な婚姻解消の通知が届く。サムは親友の黒人自動車修理工ボニー(ドン・チードル)と新ビジネスを始め ようとするが融資は却下され、兄(マイケル・ウィンコット)にも絶縁されてしまう。
 サムはしきりにテレビ報道されるウォーターゲート疑惑に目を留める。彼にとってニクソン大統領は嘘つきが成功する現代の象徴 だった・・・。

  一口感想
 サムのダメっぷりがよく言えば丁寧に、悪く言えば延々と描かれ、やりきれない気分になる。それは、彼のダメっぷりがけっして 他人事ではなく、自分の中にもあり、それを拡大して見せつけられるからだろう。
 サムは小心だけれど、誠実な男だ。商売は金儲けと単純に割り切ることができない。自分が儲かるだけでなく、客もそれによって 幸せになる、それが商売というものだと思っている。多分、商売の本来のあり方はそういうものなのだろうと思う。
 しかしそういう “こころざし” は、大抵は現実のなかで少しずつなし崩しにされていく。
 自分の誠実さが通用しないとわかった時、どうするか。ほとんどの人は考え方や生きかたを少しずつ転換させて、現実と折り合いを つけていく。しかし、サムは「社会のシステムが悪い」「政治が悪い」と、社会に責任を転嫁する。こうなれば、あとは被害者意識の かたまりになるだけだ。

 親友のボニーと新しい事業を始めようと、サムが融資の審査面談を受ける場面が象徴的だ。その事業はバスによるタイヤの移動 販売で、ニーズのあるところに出向いて売るだけなく、修理もする。アイデアは悪くない。
 しかし、販売法の説明で彼の理想主義は馬脚を現わす。顧客に利益幅などすべて手の内を明かし、その上で代金を提示するという のだ。商売をしたことのない私でさえ、「これじゃダメだな・・・」と思ってしまう。
 サムは得々としてこの販売法を披露し、審査員のあっけに取られた表情にすら気づかない。彼は正直な男だし、不器用な生きかたには 共感と同情を寄せるけれど、自分を客観的に見つめる視線がないことが気になる。

 しかし、サムを一方的に「おかしな男」と決め付ける気にはなれない。効率一辺倒の競争原理は人の心から潤いややさしさを奪って しまう。成功者として生き残れるのはごくわずかで、大多数の人はこぼれ落ちてしまう。それが現代社会ではないかと思う。曖昧さを 許容しない白か黒かの二分法の社会は、人を息苦しく追い詰める。
 融資決定を待ち焦がれるサムが、知らせが来ないことに腹を立て、郵便受けの脇のゴミ入れを蹴飛ばすシーンがある。そのあとサムは 散らかったゴミを拾う。彼の律儀さが現れていて悲しくなるほどだ。
 サムのような男でも、息がつけて、人間らしく認められる社会がほんとうはいいのだと思う。
 サムのニクソン暗殺という計画はなんとも無様な形で終わりを告げる。大それた計画と現実の卑小さ。アンチ・ヒーローにすらなれ ないみっともなさが、サムの現実を象徴していると思った。サムをリアルな等身大の男として演じたショーン・ペンの演技のすごさに、 あらためて圧倒された。
  【◎△×】7

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