|
|
12月 |
|
ストーリー イギリス中部の小さな町、ノッティンガム。ちょっと気は弱いけど優しいデック(リス・エヴァンス)は、自動車の修理工場を営んで いる。 恋人シャーリー(シャーリー・ヘンダーソン)と、彼女の娘のマーリーン(フィン・アトキンス)の3人で幸せな家庭を築きたいと、 テレビの公開番組でシャーリーにプロポーズ。ところが、動揺したシャーリーに「イエス」の返事をもらえなかったばかりか、偶然 テレビを見ていた彼女の元夫のジミー(ロバート・カーライル)が、これが最後のチャンスとばかりに舞い戻ってくる。 心乱れるシャーリー。デックは嫉妬心から、ジミーを追ってやって来た強盗3人組に彼の居所を教えてしまう。思わぬ騒ぎとなり、 責任を感じたデックは町を出る決心をするのだが・・・。 身体の大きなリス・エヴァンスが気が弱くて優しい男を演じ、小柄なロバート・カーライルが「キレたら怖そうだな」と思わせる “小粒でピリリと辛い” 山椒男に扮して、その対照がなかなか面白い。 しかし、私が興味を感じたのは、シャーリー・ヘンダーソンが演じるヒロイン、シャーリーの微妙に揺れる女心だった。冒頭の、 テレビの公開番組に出ていたシャーリーの前に、とつぜんデックが登場してプロポーズするシーンが、まずなかなか意味深長だ。
シャーリーはデックを愛しているし、彼と娘の3人の生活にも満足している。すぐにも「イエス」といっていい状況だ。と思うのは第三者の考えで、シャーリーがジミーと離婚したのはたった3年前。彼女の心のなかは、まだいろんなものが整理し きれずに、ごたごたしている。 たとえば、ジミーに対する感情。愛想尽かしだけでなく、未練もまだその尾っぽを残している。“結婚” という形にも、今は不安の ほうが大きい。 シャーリーが晴れ晴れした気持ちでデックと結婚するには、まだまだ時間が必要だ。デックはシャーリーを愛するあまり、 ちょっと焦ってしまったかもしれない。
でも、いくら心準備が出来ていなくても、あんな場でプロポーズされたら、日本人なら「イエス」と答えてしまうだろうなぁ。相手の
人柄は分っているし、傷つけたくない思いが先に立って、自分の迷う気持ちに蓋をしてしまいそう。その辺りが、優柔不断な性格に見えても、外国女性はやっぱりはっきりしてる。 義姉キャロル(キャシー・バーク)の家をおん出されたジミーが転がり込んできてからの、シャーリーの気持ちの変化も興味深い。 とくに、マーリーンの誕生パーティの用意も済み、ジミーが浮かれてギターを弾くふりをするシーン。
ソファに座ったシャーリーに腰から迫るように寄っていく。そのキザなしぐさは若い頃のジミーのかっこよさを彷彿とさせ、少女の
シャーリーはさぞ胸をときめかせただろうなぁと思わせる。ところが、そんな彼を見つめるシャーリーの目は、妙に醒めている。ジミーは昔のままだが、シャーリーはこの3年で確実に 変わったのだ。そのことに彼女自身が気づいたのが、このシーンではないかと思う。 ジミーがもどってすぐの頃こそ揺れたけれど、いつの間にか、デックを基準にしてジミーを見ている自分・・・。映画はこのあと、 デックとジミーの直接対決という山場をちゃんと用意しているけれど、シャーリーの中ではこの時に2人の勝負はついたんじゃないかと 思う。 思わず吹き出すようなコミカルなシーンも多く、ワーキング・クラスの庶民の暮らしが温かい眼差しで描かれた愛すべき作品。とくに、リス・エヴァンスの気弱で優しいデックの踏ん張りは最高だった。 【◎○△×】7 |
|
|
12月 |
|
ストーリー スペイン・マドリードを舞台に、年齢も境遇も違う5人の女性が、それぞれの事情を抱えながら懸命に生きる姿を描いている。 高級靴店の店員、レイレ(ナイワ・ニムリ)は23歳。靴のデザイナーになる夢を持っているが、いつしか自信を失い、恋人クンも 去っていく。クラブのオーナー、アデラ(アントニア・サン・ファン)は49歳。知的障害の娘アニータ(モニカ・セルベラ)の世話を 看護士ホアキンに依頼している。彼に仄かな思慕を寄せるアニータの様子を誤解したアデラは、彼をクビにしてしまう。 マリカルメン(ビッキー・ペニャ)は43歳。夫の死後、義理の子どもたちを育てながら、タクシー運転手として10年間 働きづめだ。高級官僚(ルドルフォ・デ・ソーザ)の妻イサベル(アンヘラ・モリーナ)は45歳。夫との仲は冷え切り、サイズの 合わない靴を買い漁りっては孤独を紛らわせている…。 いくつかのストーリーが一見無関係に語られるうちに、さり気なく交差し合い、ジグソー・パズルのように全体像をなしてくる。その なかで私が「あ、そうだったのか」とまるで謎解きのように思ったのは、ホアキン(エンリケ・アルキデス)とクン(ダニエリ・ リオッティ)の関係だった。 クンがなぜあれほどレイレから気持ちが離れてしまったのかが、私はとても不思議だった。クンは「君は夢を忘れてしまっている」 と、レイレが昔描いた靴のデザインブックを渡して、もう一度夢を思い起こさせようとする。
こんな優しさをレイレに抱き続けるクンが、なぜもう女として彼女を愛せないのだろう、と思ったのだ。なりふりかまわずクンを
追いかけるレイレが痛ましかった。一方、ホアキンは無垢な愛情をアニータに注ぎ続ける。彼女に付き添って町を散歩する時などは、街娼たちにからかわれる ほどに・・・。 怯えるアニータを優しくなだめながら、彼女の大好きな飛行機を見せに空港に連れて行ったりもする。 でも、そこには男女の性愛の匂いはまったくない。アニータの淡い慕情すらも、透明な水のように受け止めるホアキンなのだ。 だから、行方不明になったアニータを探すタクシーの中で、ホアキンが母親アデラに「恋人です」とクンを紹介した時「あっ」と 思った。一遍に謎が解けた感じというか・・・。 それにしても、『オール・アバウト・マイ・マザー』でも感じたことだけど、スペイン映画に登場する
ゲイって本当に優しい。そういえば、『オール・アバウト・マイ・マザー』で、性転換して女性になったゲイを演じて印象的だったアントニア・サン・ ファンが、本作では本物の女性に扮している。 しかも、色もの扱いでなくふつうの女、母親としての役で、演技も表情もごく自然な女らしさだ。 恋をあきらめ、ストイックに生きるクラブのママの哀しみが切々と感じられて、彼女の演技はやはりとても心に残った。 レイレは義母のマリカルメンとリスボンで父の遺灰を海に撒いた後、あらためて靴のデザインの勉強を始める。アデラはクラブを 辞めて、海辺の家で念願の小説を書きながら、娘のアニータとともに過ごす時間を増やす。いろいろあった女たちが、それぞれに平和な 時間をとりもどす。 香り高いコーヒーが疲れを癒してくれるように、この映画のキーワードは心に響く “優しさ” だと、あらためて感じるラストシーンだった。 【◎○△×】7 |
|
|
11月 |
|
ストーリー ベルギーの小さな町ジェナップ。ブランシュ(ソフィー・ミュズール)は幼稚園に勤め、5歳の息子アルチュール(ユリッス・ ドゥスワーフ)はその幼稚園に通っている。 夫ジャンピエール(フランシス・ルノー)が働く地元の工場はリストラの噂が流れ、先行きに不安はあるが、3人の暮らしは穏やかな 平和に包まれていた。 ある日、幼稚園で絵を描いていたアルチュールが、ふとした隙に姿を消してしまう。空を飛ぶ渡り鳥を追って、1人で沼地へ出かけて しまったのだ。大好きな恐竜のおもちゃを手に持って・・・。 やがてアルチュールの死が確認され葬儀も済むが、ブランシュは幼い息子の死を受け入れることができない。次第に心を病み、いつしか彼女に しか見えない彼の幻影と時を過ごすようになる。 ある時、ブランシュは沼のそばで野鳥観察に没頭する孤独な少年フランソワ(アレクシス・デンドンケル)と出会う・・・。 沼地に集まる鳥たちの様子が、まるでドキュメンタリーを見るようだ。オープニングの、カワセミが沼に飛び込み、魚を捕獲する姿を 水中から捕らえた映像など、その大胆さにハッとさせられる。突然に襲いかかる “死” を象徴した、美しくも残酷なシーンだ。 愛する者がある日ふっといなくなり、残された者がその幻影とともに日々を過ごすところは、フランソワ・オゾン監督の『まぼろし』 によく似ている。『まぼろし』のヒロインは夫の遺体と対面することで、その死を認めざるを得なくなる。
しかし、本作のヒロイン、ブランシュはそれでもまだ息子アルチュールの死を受け入れることが出来ない。少ない台詞が、鳥の
鳴き声や風や水の音とあいまって、かえって雄弁に彼女の悲嘆と苦痛を物語る。ブランシュは徐々に心のバランスを崩していくのだが、それが映像と音で象徴的に描かれるのが新鮮だ。 葬儀に集まった人々の上に、ハラハラと落ち葉が舞い始める。これはそのまま次の戸外のシーンに移っていくのだが、室内に舞う 枯葉は、平常感覚を失ったブランシュの心象を現わしているかのようだ。
そして、時々唐突に流れ始める声高のアカペラ。音程の外れたバラバラな歌声が神経を逆なでする。まるでブランシュの心が砕け、
壊れていくようだ。夫のジャン=ピエールは妻を愛しているけれど、彼女の痛みを共有することができない。意外なことに彼女の苦しみを癒したのは、 世間から遊離した孤独な青年フランソワだった。 ブランシュは彼と軽い口づけをした後1人になって、初めて声を上げて慟哭する。“悲しみ” を “悲しみ” として正当に認めて やることで、やっとブランシュの心は解放される。 ラストシーンのスーパーが深い余韻を心に残す。かつてアルチュールの幻影と遊んだ木馬に、ブランシュはコインを入れる。ことこと と揺れる木馬。 ブランシュが立ち去り、明かりが落とされた店内でやがて木馬は止まり、辺りに仄暗い静寂が落ちる。ブランシュの中に静かな “あきらめ” と、悲しみからの “回復” が始まっていることを感じさせるシーンだ。 【◎○△×】7 |
|
|
12月 |
|
ストーリー 「夜も昼も」「ビギン・ザ・ビギン」など数々の名曲を世に送り出した作曲家コール・ポーターの伝記映画。ケーリー・グラント 主演の『夜も昼も』(46) と大きく異なる点は、コールが同性愛者であることをはっきり描いている点だろう。 広大なアパートで、孤独のうちに人生の幕切れを迎えようとしていたコール・ポーター(ケヴィン・クライン)の前に、謎の演出家、 ゲイブ(ジョナサン・プライス)が現われる。彼の導きで、コールは古びた劇場の観客席に座り、ステージで繰り広げられる自分の 人生の軌跡をたどることになる。 1920年代のパリ。コール・ポーター(ケヴィン・クライン)は社交界の花、リンダ(アシュレイ・ジャッド)と出会い、互いに 惹かれあう。彼の稀有な才能を見抜いたリンダは、コールがゲイであることを承知で結婚する。 コール・ポーターといえば「夜も昼も」。というか、私はそれしか知らないのだが、「ビギン・ザ・ビギン」や「トゥルー・ラブ」も 彼の作曲だった。びっくり。こうなると、ほかにも彼の曲とは知らずに耳にしている曲が、いっぱいあるんじゃないかなぁ。 「夜の静けさに」とか「ソー・イン・ラブ」も、タイトルは知らなかったが聞いたことがある。美しさにほれぼれ。コール・ポーター ってすごい才能を持った人だったんだな、とあらためて思った。
コールがゲイであることを承知で妻になったリンダは、そういう彼の才能に惚れこんでいたんだろうと思う。夫婦の機微は余人には
測りがたいが、リンダが亡くなるまで37年を添い遂げるのだから、2人の結びつきは肉体の愛を超えたところにあったのだろう。コールもリンダを深く愛していた。彼のラブ・ソングはほとんどがリンダに捧げて作られている。いずれにしても、コールはリンダに よって大きく才能を開花させられた。2人の出会いは運命的なものだったというほかはない。
本作が一風変わった味わいを持つのは、コールが、彼の半生が舞台で上演されるのを観客となって見る、という構成を取っている
ことだ。場面、場面で登場人物たちの気持ちにぴったり合ったコールの曲が歌われる。歌っているのはどうやらアメリカの一流の エンターテイナーたちばかりらしい。どうりでどの歌も素晴らしい歌唱。たっぷり堪能できる。 コールは舞台に不服をいったりクレームをつけたりするのだが、上演者たちにはコールの声は聞こえず、舞台を意のままにできるのは 謎の演出者だけなのだ。つまり、コールに都合のよい伝記映画にはならない仕組みになっている。こんなところも、ふつうの伝記映画と 違う。
社交的で享楽的で、人にも好かれていたコールが、リンダを失ってからはすっかり老け込んで、気難しくなり、自分の殻にこもって
いく。舞台上のそんな自分の姿を見て、「なんという結末だ」と落ち込むコールに、謎の演出家は出演者総登場による賑やかな
フィナーレを用意する。そしてすべてが終り、コールが一人残され、画面をふたたび寂寥がおおう。コールはだれもいない舞台に上がり、ピアノを弾き出す。 いつの間にか傍らにリンダの姿が・・・。 コールも出会った頃の若さにもどっている。スポットライトを浴びた2人の姿がだんだん遠のいていく。若き日の光芒が深い陰影と なって心に残った。 【◎○△×】7 |
|
|
10月 |
|
ストーリー ジュリアン(ギョーム・カネ)とソフィー(マリオン・コティヤール)は幼なじみだ。ポーランド移民のために仲間はずれになっていた ソフィー(ジョゼフィーヌ・ルバ=ジョリー)と、大好きな母が病の床に伏せっているジュリアン(チボー・ヴェルアーゲ)が、ふとした きっかけで始めたのが “のる?のらない?” ゲーム。 相手が出した条件を絶対にクリアしないと負けになる。それを交互に繰り返すのだ。初めは汚い言葉を使うとか、先生の前でお漏らし するとか他愛のない悪戯だったが、成長するにつれてゲームは次第にエスカレートしていく・・・。 ジュリアンは大好きなママが余命いくばくもないことを子供心に分かっている。‘移民の子’ のソフィーはクラスメートの陰湿な イジメに遭っている。2人が共同戦線を張り、「ゲーム」という暗号で周囲を右往左往させて、つらい状況を乗り越えようとする前半が、 とてもよく分かる。
大人にはとんでもないことでも、子供には子供の理由があるの、一緒にやってくれる同志がいたら素敵だよね、っと私の中の子供心はウズウズする。ジュリアンの母を失う悲しみを受け止めてくれるのはソフィーだけ。葬儀の日、彼女が歌った「バラ色の人生」は、(大人は呆れてしまうけど、)ジュリアンはどれほど慰められたか分からない。 でも、ゲームは大人になっても止められず、そればかりかどんどんエスカレートして、・・・となってからが問題。たとえば、ソフィー がTシャツの上にブラジャーを着け、ズボンの上にパンティを穿(は)いた姿で学校に現われ、面接試験を受けた り校内を歩いたりする。 ブラジャーとパンティで自分の部屋をウロウロするのなら何ということはない。でもねぇ、一応ふつうの服を着ているでしょ、かえって 目を背けたくなるようなところがある。 「のる?のらない?」と聞かれれば「のった」と答えるよりほかに道はない。どんな過激なことでも「のった!」。こうなるともう 2人にとってゲームは麻薬と同じ。逃げられない。 ソフィーは「私たちの問題点は、好きという言葉が信じられないこと」いう。「どこからがゲームで、どこからが本気か全然分から ない」と。「そうよ、まさにそう」と、ソフィの背中をトンと叩きたくなる。だって、そういうソフィーの言葉って、とても悲しい。そう 自覚した時点でほんとは止めるべきだ
ったのよね。この時ならまだ引き返せたはずだもの。でも2人はそうしない。ジュリアンは4年ぶりに再会したソフィーにさんざん気を持たせ、プロポーズとしか思えない言葉を口にする けど、これもゲームなのだ。ここまで人の気持ちを弄(もてあそ)んでいいのかなぁ。なんだか後味が悪い。 ソフィーも負けてはいない。ジュリアンの結婚式に痛烈な仕返しをする。 さらに10年が経ち、2人がそれぞれ違う相手と結婚しても、ゲームはさらに過激さを増すばかり。 長い長い回り道をして2人は “愛” にたどり着くけど、周囲はほんとにいい迷惑。初めはおたがいを支えあっていたゲームが、いつの 間にか「やられたらやり返せ」になっている。同じゲームでも違う方向に展開させられなかったかな。相手が幸せになるように仕掛け して、でも最後はやっぱり「あなた(君)が好き」みたいな・・・。 【◎○△×】6 |
|
|
12月 |
|
ストーリー 東欧の小国・クラコウジアからニューヨークに来たビクター・ナボルスキー(トム・ハンクス)は、入国ゲートで職員に呼び止め られる。クーデターが起こって祖国がなくなり、パスポートが無効になってしまったのだ。帰国も入国も出来なくなったビクターは、 乗り継ぎターミナルで生活することを余儀なくされる。 出世を目前にした警備担当官のフランク(スタンリー・トゥッチ)にとって、ビクターの存在は何かにつけて頭痛の種。しかし、 事態が変わるのをひたすら待つしかないビクターは、空港で働く移民たちと仲良くなり、小銭稼ぎの仕事を見つけ、不倫に 悩む客室乗務員のアメリア(キャサリン・ゼタ・ジョーンズ)と恋までする。 彼がはるばるニューヨークまで旅してきた目的は・・・。その秘密は、彼が後生大事に抱えるピーナッツ缶にあった。 トム・ハンクスとスピルバーグの組み合わせは『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』がけっこう面白かったので、楽しみにして 見に行ったのだけれど、少々期待はずれだった。
スタンリー・トゥッチ、キャサリン・ゼタ=ジョーンズと芝居巧者をそろえているし、空港を丸ごと作ってしまったセットは豪華だし、
なにが一体引っかかってるんだろうと考えた。どうも、肝心のトム・ハンクスの演技が私には気になっているらしい。英語がほとんど分からないままにアメリカにやって来て、空港で突然足止めを食ったビクター。ぺらぺらと担当係官はなにやら 説明するばかりで、ちっとも外に出してくれない。その時の彼の戸惑いがさっぱり伝わってこないのだ。田舎(東欧の小国)から大都会 (アメリカ・ニューヨーク)に上京してきた “おのぼりさん” に
しては、堂々とし過ぎているというか・・・。「分からない振りしてるけど、ほんとは全部理解してるんじゃない?」と思いたくなる雰囲気だ。 清掃員の老人が「絶対CIAのスパイだ」と彼を怪しむのは、映画の中の笑いを誘う部分なのだけれど、「そう思うのも無理はない」 と相槌を打ちたくなってしまった。 テレビで、故国でなにかとんでもないことが起こったらしいと知った時の反応は大げさ過ぎるし、空港をパジャマでうろうろするのも、 いかにもあり得ない。ドタバタ喜劇ならギャグになるところだろうけれど・・・。 もっとしっとり落ち着いた作りにしてくれたら、フランク・キャプラ風の人情コメディになったんじゃないかと思うのだが・・・。 【◎○△×】6 |
|
|
11月 |
|
ストーリー 第2次世界大戦下のパリを舞台に、戦争の波に翻弄され飲み込まれる男女3人の姿を描いたラブストーリー。 1933年のイギリス。貧しい大学生ガイ(スチュアート・タウンゼント)は上流階級の美しい娘ギルダ(シャーリーズ・セロン)に 出会い、強く惹かれる。しかし、彼女は単身パリに旅立ってしまう。 3年後、パリで再会したガイとギルダ、そして、政情不安定なスペインから逃れてきたギルダの友人ミア(ペネロペ・クルス)を 加えた3人は一緒に暮らし始める。パトロンを持ち、華やかな生活を享受するギルダは、ナチスの台頭で不穏になっていく世情には 無関心だった。 やがて、ミアは内戦に参加するために帰国し、ガイもイギリス諜報員としてスペインの戦地に赴く。ミアが死に、時が過ぎてガイは パリにもどるが、そこで目にしたのはナチ将校(トーマス・クレッチマン)の愛人となっているギルダの姿だった。 ここで描かれるのは、ガイの視点を通したギルダ像だ。そのせいか、ガイを初め周囲の人のギルダに対する感情はそれなりに伝わって くるが、ギルダ本人はガラスの向こう側にいる人のように、現実感が薄い。
だから、奔放な男性遍歴を繰り返し、不穏な政情には無関心なままに享楽的な生活をしていたギルダが、後半、じつは連合軍側の
スパイとしてナチ将校から情報を引き出していたと分っても、いかにも唐突で「え?」と思ってしまう。彼女が「売国奴」としてパリのレジスタンスに殺される最期が感動的にならないのは、ギルダの人間像がリアルに感じられないから だろう。 映画は、少女のギルダが女占い師に自分の人生を見てもらうシーンで始まる。この時占い師は「34歳のあなたが見える」と不吉な 表情でいう。ギルダの生き方はこの時の占いに影響されていると思うのだが、それが映画の中で少しも生かされていないのだ。
ギルダはバイセクシュアルで、スペインの内乱を逃れてきたミアとは同性愛の関係にあった。つまり、ガイ、ギルダ、ミアの3人は、
ギルダをはさんだ奇妙な三角関係をなしている。しかし、途中から登場したミアは比較的早く退場してしまい、映画の中での役割がもう
1つはっきりしない。再現されたヨーロッパの街並みや風俗には光るものがあるが、人間ドラマがあっさりしすぎて、ストーリーに奥行きが感じられない のが惜しい気がした。 【◎○△×】6 |
|
|
12月 |
|
ストーリー 大統領専用機のなかにゆいいつ常備されているニュース雑誌「ニュー・リパブリック」の人気ジャーナリストが次々に放ったスクープ 記事41。そのうちの27本が、作られたニュースだった。 98年に実際に起きた記事捏造事件を、ピュリッツァー賞受賞作家バズ・ビッシンジャーが「ヴァニティ・フェア」誌に寄稿した 記事をもとに、リアルに再現した社会派ドラマ。 スティーヴン・グラス(ヘイデン・クリステンセン)は25歳。最年少記者の彼は、同僚たちの関心が政治問題に向く中でより身近な 問題に着目。政財界のゴシップを次々とスクープしてスター記者に成長していく。売れっ子記者になってもスティーヴンの控えめな 態度は変わらず、気配りを怠らない人柄の良さで、編集部内の人気者だ。 人望厚かった編集長(ハンク・アザリア)が突然首になり、後任のチャック・レーン(ピーター・サースガード)と編集部員の間に ギクシャクした空気が流れるなかで、ある日、スティーヴンは彼の書いた「ハッカー天国」に疑惑がある、とウェブマガジン記者の アダム・ペネンバーグ(スティーヴ・ザーン)から取材を受ける。 報道出版界の何重にも敷かれたチェック体制をくぐりぬけて、どうやって捏造記事が作れるのか、ちょっと考えると不思議な気が するが、こういうことは時々起こるらしい。パンフレットで鳥越俊太郎氏が、ピュリッツァー賞まで受賞した記事がじつは完全なでっち 上げだったという事件 * を紹介している。 氏によると、思い込みやケアレスミスと違って、完全な捏造はかえってチェックが不可能なのだそうだ。そういえば、グラスも「取材 ノートに書いてある」「ノートを見てくれ」という言葉を始終口にする。ノートの中身に整合性があれば、それ自体が真実かどうかの 証明は難しい、ということらしい。報道記事の意外な弱点だ。
グラスは捏造がばれそうになると、次々に上塗りの嘘を重ねていく。いよいよでっち上げが隠しおおせなくなっても、まだアレコレと言い訳をし、最後には「謝ったのに許してくれない」「自社の 記者なのに守ってくれない」と逆に編集長のチャックを非難する。 彼を見ていると「開き直った厚顔」というよりも、「世間知らずの甘ったれ」という印象だ。 母校の後輩たちにジャーナリストとしての責任を自慢げに説いた彼が、じつは少しもそれを自覚していない。よくあるタイプの “大人 子ども” だ。 同僚に「謝りすぎる」といわれるほどすぐに「ソーリー」という口癖も、裏返せば、彼の甘えや自信のなさの表われだろう。グラスが みなに愛されていたのも、彼のこの未熟さが周囲の大人たちの保護本能をそそったせいかも知れない。 ヘイデン・クリステンセンはハンサム過ぎる感じもあるが、眼鏡をかけ、風采の上がらない青年を好演している。
出色なのは、ジャーナリストとしての厳しい自覚のもとに、編集部内の冷たい視線のなかで真相究明に乗り出す編集長のチャックに
扮したピーター・サースガードだ。派手さはないが、静かな気迫でどんどん存在感を増していく。 初めは彼を白眼視していた編集部員や記者たちが、全員の署名入りの謝罪記事を書き、拍手でチャックを迎えるシーンにはいささか 感動した。 過ちであることがはっきりすれば、きちんと公にそれを認めて謝罪する。それはジャーナリズムに関わるものの基本姿勢だと 思うが、それを導き出したのが、編集長としてのチャックの厳しい責任感だったと思う。 グラスの内面に深く入り込まなかったことや、おもに編集部内の人間模様を中心にストーリーを展開させているために、やや小ぶりの印象はあるが、その分、かえって緊張感が持続し、スリリングな映画になっていた。 【◎○△×】7 |