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4月 |
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ストーリー 車谷長吉の直木賞受賞作「赤目四十八瀧心中未遂」の映画化。世捨て人のような青年・生島与一(大西 滝次郎)が流れ着いたのは 尼崎、通称<アマ>と呼ばれる一帯の古いアパートだった。そこで生島は焼き鳥屋の女主人・勢子(大楠 道代)の世話で、臓物をさば いて串にさす仕事を始める。アパートには刺青の彫り師・彫眉(内田 裕也)、その愛人・綾(寺島 しのぶ)、刑務所帰りの綾の兄 (大楽 源太)、売春婦たちなど得体の知れない男女が住み、彼らの立てる物音が部屋の薄い壁を通して聞こえてくる。 生島は窓の開かない蒸し暑い部屋で、来る日も来る日も臓物を串にさす。時に勢子や彫眉に奇妙な仕事を頼まれ、不安や恐怖を感じる生島。そんなある日、彼の部屋に綾が現われ、2人は激しく結ばれる。そして、「この世の外へ」行きたいという綾の言葉に誘われて、生島は綾とともに 赤目四十八滝へ向うのだった。 なんとも不思議な映画だ。主人公の生島が流れ着いた古い木賃アパートはまるで一種の魔界のようだ。奇妙な住人たちが住み着き、 得体の知れない人物が出入りする。生島に与えられたのが動物の臓物を串に刺す仕事。よく考えれば焼き鳥屋で食べる串だ。何という ことはない筈なのに、すでにおどろおどろしい気分になる。 臓物を運んでくる若者の敵意をむき出しにした眼。刺青の彫り師・彫眉、その愛人の綾、刑務所から出たばかりの綾の兄、同じ アパートで客を取る娼婦たち、そしてたびたび生島の様子を見に来る勢子・・・みな異形の者のただならぬ雰囲気を持っている。 生島は電話ボックスを利用しての金の受け渡しや拳銃運びなど、彼らの用をさせられるけれど、彼らとは交わらぬ世界に生きている。ただおど おどと外側から彼らを見ているだけだ。彼らの世界が生々しくリアルな匂いを放つのに対し、生島の住む世界は希薄で浮き上がっている。 2つの世界をつなぐのが綾だ。綾は異形の者の世界から逃げたいと思っている。この世に生きづらさを感じている生島は、彼女と赤目 四十八瀧へ死出の旅に出るが、結局はそれも果たせない。帰る途中、綾は「明日(兄の借金のかたに)博多にいく」といってフイと電車 を降りてしまう、蠢惑的な蝶が指からスイと逃げ去るように。 魔界から現世にもどった生島はこれからどう生きるのだろう。 夢から覚めたあとのように奇妙な後味が残った。 勢子役の大楠道代、彫り師の内田裕也、綾役の寺島しのぶ、みな強烈すぎるほどの存在感。そんな彼らに囲まれた生島役の大西滝次郎 は、新人ゆえか演技が硬いが、その生真面目な硬さが “魔界”を怖れながらも離れきれない生島にぴったりはまって、かえって新鮮に 感じられる。 日本映画には珍しい感覚の映画で面白かったが、難をいえば少々長い。あと30分ほど短く出来ないものだろうか。 【◎○△×】7 |
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4月 |
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ストーリー 第二次世界大戦下の1940年、戦火を逃れてパリから脱出する人々の中に、戦争で夫を亡くし、13歳の息子フィリップ(グレゴ ワール・ルプランス=ランゲ)と7歳の娘カティ(クレメンス・メイエ)を連れたオディール(エマニュエル・ベアール)がいた。 ドイツ空軍機の容赦ない攻撃に避難民が次々倒れていく。オディール親子は偶然近くにいた見知らぬ若者イヴァン(ギャスパー・ウリ エル)に助けられ、森の奥の空き家にたどり着く。 家の持ち主・ユダヤ人音楽家は戦争を避けて避難したらしい。近くの村もすでにもぬけの殻、人々の姿はなかった。突然現われた得体の知れない17歳の若者にオディールは警戒心を解かなかったが、フィリップと カティはすぐに親しみ、兄のように慕い始める。こうしてオディール親子とイヴァンの奇妙な共同生活が始まった。 戦火を逃れてパリを脱出する一般市民たちすら攻撃の対象にするドイツ軍の飛行機。この冒頭シーンに胸の痛む思いをさせられるが、 戦争を示すシーンといえばここだけ、映画の大部分は森の奥の時間が止まったような一軒家で繰り広げられる。 突然現われてオディール一家を助け出し、森の家に導くイヴァンは不思議な青年だ。彼が水槽
で水浴びする姿はまるで敏捷な若い獣のようだ。彼は文字を知らない。
“文字”が文明を表わすことを思えば、これはとても意味が深い。映画の終わり近くにイヴァンは感化院からの脱走者と分かるが、生い
立ちも身元も謎のままだ。
罠を仕かけてウサギや鳥や魚を採り、若い父親のように一家を養い出す。オディールたちは、まるで突如文明
の世界から寓話の世界に彼に拉致されたかのようだ。<オディールは偶然ここを通りかかった兵士の1人に、「ここに来て以来、生きている気がしな い」と言う。一見のどかで牧歌的な生活だが、そこには現実の「生」の息吹がないのだと思う。 オディールはこれらの兵士たちから戦争が終ったことを知らされる。自分が属し、そこで生活していた社会のリアルな情報が、初めてもたら されたのだ。
イヴァンが兵士たちを殺そうと斧をもって2階に忍び入るシーンは、この映画の中でもっとも恐ろしい場面だ。イヴァンが
彼らを殺せば、オディールたちは再び時間の停止した寓話の世界に閉じ込められ、現実社会へは生還出来なくなるだろう。彼の得体の
知れなさが、突然不気味な影を負って迫ってくる瞬間だ。しかし、結局イヴァンは彼らの前に姿を現わすことなく森の奥へ消える。兵士たちは敏感にイヴァンに対して異質なものの匂いを嗅ぎつけ、 彼に会いたがるけれど、結局は会うことができずに立ち去っていく。 しかしこれは偶然ではないと思う。イヴァンは現実社会 の存在ではないから、兵士たちには彼を見ることは出来なかったのだ。オディールと子供たちが彼を見ることが出来たのは、彼女たち がイヴァンの世界に片足を踏み入れていたからなのだと私は思う。 イヴァンは農場跡で捕らえ られた後、独房で自殺する。彼がオディールに語った「脱走後捕らえられて自殺した唯一の友」とは、イヴァン自身のことだったのだ。 現実社会に引きもどされたら、イヴァンは窒息するしかない。生還したオディールたちの“命”と引き換えに、彼は“死”に落ち込む しかなかったのだと思う。イヴァンの少年と青年の狭間の不思議な魅力を全身から発散した新人キャスパー・ウリエルが印象的だった。 【◎○△×】8 |
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5月 |
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ストーリー 教会で結婚式の予行練習中に襲われ、友人や夫を殺された暗殺組織の元メンバー、ザ・ブライド(ユマ・サーマン)が、4年間の 昏睡から奇跡的に目覚め、組織のボス、ビル(デヴィッド・キャラダイン)への復讐を誓う『キル・ビル』の完結編。もともと1本の 映画として撮影され、編集段階で2本に分けられたという。すでに2人を倒し、本作ではビルの弟バド(マイケル・マドセン)、 エル・ドライバー(ダリル・ハンナ)、そして最後にビルと対決する。 テキサスのトレーラーハウスには、今や酒に浸るだけの生活に落ちぶれたバドいる。ザ・ブライドは闇夜に紛れて急襲するが、 あえなく返り討ちに合い、地中深く埋められてしまう。その時ブライドの脳裏に甦ったのは、中国拳法の達人パイ・メイ(ゴードン・ リュウ)のもとでの壮絶な修行の記憶だった。 「1」を見ないままにこの「2」を見たので、話が分るかなと思っていたが、その懸念はあっさり消し飛んだ。ザ・ブライドが復讐の 旅に出るきっかけとなった事件が冒頭に描かれるからだ。しかも、その場面が少しハレーション気味のモノクロ映像で、ひどく美しい。 タランティーノ監督、やるなぁという印象。 日本の尺八を思わせる音色の横笛を吹く男、ビルも渋くて、すごくかっこいい。彼がザ・ブライドを愛していること、その執着がこの事件の発端になったことがとてもよく了解できた。
ザ・ブライドも本当はビルを愛している
ようだ。しかし、妊娠したことで、殺し屋と母親であることが両立しなくなる。事情はビルも同じで、子供への愛と殺し屋が両立しない。
そこで、ザ・ブライドとビルはやっぱり最後は対決せざるを得なくなる。「ザ・ラブ・ストーリー」というサブ・タイトル通り、男女・
親子の愛が絡み、意外に切ない愛の物語だった。アクション場面は予想と違って少なかったが、なんといっても女殺し屋エルとザ・ブライドとの闘いがすごい迫力。扮するダリル・ ハンナがユマ・サーマンを食っちゃうほどのかっこよさだ。バドに毒蛇を噛みつかせた後、彼が絶命するまで蛇の毒についてメモを見 ながら薀蓄(うんちく)を傾けるシーンなんて、滅多にないほどクールで残酷、かつスタイリッシュだった。 ザ・ブライドが土中に埋められた時はどうなるのかと思ったけれど、パイ・メイのもとでの厳しい訓練が効いて無事棺桶から脱出する。 こんなところに漫画チックな遊び心が出ていて楽しい。 終わり近くにザ・ブライドが幼い娘と「子連れ狼」をテレビで見るシーンが出て くるけれど、この調子でいけば「子連れ女殺し屋」ザ・ブライドが誕生するかもしれないなぁ、中古CD店の店員しながら子供を育てる より、そのほうがザ・ブライドらしいんじゃないかな、なんて思った。 【◎○△×】7 |
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5月 |
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ストーリー ベストセラーとなった「盲導犬クイールの一生」の映画化。クイールはお腹にブチのあるラブラドール・レトリバーの子犬だ。1歳 までをパピーウォーカーと呼ばれるボランティアの仁井夫妻(香川 照之・寺島 しのぶ)に育てられ、その後、盲導犬訓練センターで 訓練士・多和田(椎名 桔平)のトレーニングを受ける。 やがて盲導犬としてひとり立ちしたクイールは視覚障害者・渡辺(小林 薫)のパートナーとなる。犬に慣れない頑固者の渡辺は、町に出てもクイールに任せずに自己流の歩き方をして、フォロー観察をしていた 多和田に厳しい注意を受けたりする。しかし、徐々に渡辺とクイールの心は通いだし、2人はかけがえのないパートナーとなっていく。 そんなある日、突然渡辺が倒れる。 比較的淡々としたタッチで盲導犬の一生をたどる。その抑制的な演出に好感を持った。犬好きには、子犬が無心に庭を走り回る様子を 見るだけで、成犬となってからは犬の本能に逆らって盲導犬としての仕事をこなす姿を見るだけで、もう涙腺がゆるんでくる。だから、 いかにも「感動的でしょう」といわんばかりの演出はかえって困ってしまうのだ。
盲導犬のドキュメンタリーなどではお目にかからないエピソードがいくつか登場し、興味深かった。1つは飼い主が職場で試しに同僚
の視覚障害者にクイールを貸すシーン。クイールはなぜ主人が来ないのか不思議でならない。途中で同僚を置いて、飼い主のところに
もどってきてしまう。便利だからと、車や自転車のように借りたり貸したりは出来ないのだ、飼い主との関係は他の人に換えの利くもの
ではない、盲導犬は「道具」ではなく人間の「パートナー」なのだ、とあらためて感じた場面だった。もう1つは、犬小屋の戸が開いていたためにクイールが脱走してしまうシーン。ハーネスを付けると「さー、お仕事」という感じで 顔つきまで変るクイールだが、ハーネスを外すとただの犬にもどるんだなぁ、と我が家のわんこも以前時々脱走したことを思い出して おかしかった。と同時に、厳しい自己抑制を外して犬らしい行動を取ることもあるんだ、とほっとする思いだった。 「お手」の芸1つ満足にできない我が家の飼い犬を見ていると、盲導犬の一生は本当に苛酷なものだと思う。老後はほんとうに幸せに 過ごしてほしい。クイールが1歳まで育てられたパピーウォーカーのもとで晩年を過ごすラストは、ここだけお涙ちょうだい調になって やや閉口したが、やはり涙が滲んでしまった。クイールを演じた犬たちに拍手したい。変に擬人化された演技でなく、いかにも自然な犬らしい表情・振る舞いのなかに豊かな感情が 感じられて、素晴らしかった。 【◎○△×】7 |
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4月 |
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ストーリー 西冷戦構造の象徴だった“ベルリンの壁”の崩壊と東西ドイツの統一という、激変の波をかぶった東ドイツの人々の姿をコメディ・ タッチで描いたホーム・ドラマ。 アレックス(ダニエル・ブリュール)の母クリステイアーネ(カトリーン・ザース)は、父が10年前西側に亡命して以来、それまで にもまして国家への忠誠心を強めていた。建国40周年を祝う夜、反社会主義デモに参加したアレックスが警察と衝突し、逮捕される のを目撃したクリスティアーネはショックで心臓発作を起こし、昏睡状態に陥ってしまう。その間にベルリンの壁は崩壊し、東西ドイツ は統一して、東ドイツは事実上消滅した。 8ケ月後にクリスティーネは奇跡的に目覚める。精神的ショックは致命的と医者から告げられたアレックスは、母に再びショックを 与えないため、世の中が何も変っていないフリをしようとする。テレビが見たいという母のために、映画を作るのが夢という友人デニス (フロリアン・ルーカス)と偽のニュース・ビデオを製作し、旧東ドイツの官営放送のごとく再生して見せるのだが・・・。 ベルリン国際映画祭で最優秀ヨーロッパ映画賞を受賞。本国ドイツで記録的大ヒットとなった。 “ベルリンの壁”が崩れた時は本当に驚いた。こんなに簡単に崩れ去るものだったのか・・・。本当はそう簡単ではなかったと思う けれど、少なくとも当時私にはそう感じられた。この壁を巡って起きたさまざまな悲劇は一体なんだったんだろう、と事の良し悪しでは なく、シンプルにそんな感慨に捕らわれた。そして、あっという間に西側の資本主義経済の中に飲み込まれて、東ドイツは消えて しまった。当事者の旧東ドイツの人たちは一体どんな風にこの事態を迎えたのだろう。この映画はそれをホーム・コメディという形で とても分かり易く見せてくれる。 アレックスら若い人たちはたちまち新体制に順応する。とくにアレックスの姉アリアーネ(マリア・シモン)が資本主義の象徴とも いうべきハンバーガー・ショップで、マニュアル通りの決まり文句でハンバーガーを売る様子は印象的だ。 しかし、母親のクリスティアーネはアレックスの涙ぐましい努力のお蔭で、体制の変化を知らずにいる。ある時、ふと思い ついて彼女はアパートから街路へ出てみる。このシーンが映画全体の中で私は一番興味深かった。町はどこなく様子が違う。活気があり、色彩 が華やかだ。引っ越しなのか、若者が荷物を運んでいる。ドンと置かれたフロア・スタンドの派手なピンクのカサに驚くクリスティアー ネ。そして、若者が西ドイツの町から来たと知り、呆然とする。空を見上げると、レーニン像がいとも無造作にバルーンから吊り下げ られ、空中を運ばれていく。 部屋に戻ったクリスティアーネは、この後もアレックスとデニスの作った偽放送を見続けるけれど、賢い彼女のこと、本当はもう真相 を察していたんじゃなかろうか。しかし、受け入れるには時間がかかる。そのための時間稼ぎに、彼女は息子に騙されるフリを続けた んじゃないのだろうか。 クリスティアーネを演じたカトリーン・ザースは、旧東ドイツで屈指の人気女優だったそうだ。彼女はどんな 思いでこの役を演じたのだろう。 “ベルリンの壁”崩壊は1989年11月7日、あれからもう17年が経つ。時の早さに驚いてしまう。旧東ドイツの「今」を描いた 映画を見たいと思った。 【◎○△×】7 |
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4月 |
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ストーリー 南北戦争を背景にひたすらな愛を貫く男女の姿を描いた壮大なラブ・ストーリー。原作者チャールズ・フレイジャーが、480キロの 道のりを歩いて帰ったという南軍兵士・大々叔父の話をもとに書いた同名の処女小説の映画化。レニー・ゼルウィガーが本作で念願のアカデミー 助演女優賞を獲得した。 南北戦争末期の1864年。重傷を負って病院に収容された南軍兵士インマン(ジュード・ロウ)は、故郷コールドマウンテンで彼を 待つ恋人エイダ(ニコール・キッドマン)のもとへの帰るために、死罪を覚悟で脱走する。従軍して3年、たった一度のくちづけを 交わしたエイダの面影が、戦場で戦うインマンの支えだった。 一方、父(ドナルド・サザーランド)の急死という悲運に見舞われ、お嬢様育ちで何も出来ないエイダは途方に暮れていた。そこに隣人サリー(キャシー・ベイカー)の紹介で流れ者ルビー(レニー・ゼルウィ ガー)が現われ、彼女に逞しく生きる知恵を与える。 ただ一度のくちづけを信じてエイダのもとへ長い道のりを辿るインマン。彼の姿を通して描かれるのは、戦争という大いなる“矛盾” の愚かさだ。インマンは従軍した時、南軍の“大義”に何の疑問も抱いていなかった。しかし彼は戦いの中で、戦争には“大義”など ない、あるのはただ殺し合いだけだ、ということを知る。 彼はエイダのもとに帰るために脱走する。しかしそのために南軍と、南軍の兵士であることから北軍に追われ、賞金狙いの義勇軍にも狙われる。“殺すこと”を放棄したために、彼は敵からも味方からも“殺される” 立場になってしまったのだ。
同じ矛盾は冒頭の戦争シーンにも表われている。北軍が南軍陣地の地下に長大なトンネルを掘って仕掛けた爆弾は、爆発と同時に
400mにもわたる広大な穴を作った。押し寄せた北軍兵士は蟻地獄のようなその穴に落ち込み、南軍に狙い撃ちされる。南軍を陥れ
ようとした仕掛けが逆に北軍兵士の罠になったのだ。戦争はどんな風に展開しようが、どんな大義を掲げようが、結局は単なる殺し合いに過ぎない。そんなことを痛切に感じさせられる。戦争の愚かさがしっかりと描かれることで、この映画は単なるラブ・ストーリーを 超えて、壮大な骨格とスケールを持つ映画となった。 インマンとエイダの純愛は現実にはあり得ないような美しさだ。それだけに、苦難の道のりを経て再会し、一夜の契りだけで突然に 訪れるインマンの死は悲しい。白い雪に倒れたインマンの黒いシルエット、傍らの黒いカラス・・・、静謐で、そして残酷な映像だ。 かつてエイダがこれと同じ幻を井戸の水面に見たのを思い出したりした。それだけに、ラストの穏やかな農場生活のシーンにホッとする 思いだった。 エイダとルビーの友情や、赤子を抱えた若い未亡人(ナタリー・ポートマンの好演が光る)など心に残るエピソードが多く、 2時間半があっという間だった。 【◎○△×】7 |
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6月 |
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ストーリー ピュリッツアー賞作家フィリップ・ロスのベストセラー『ヒューマン・ステイン』の映画化。 1998年、アメリカ・マサチューセッツ州。名門大学の教授コールマン・シルク(アンソニー・ホプキンス)は、講義中なに気なく 発した一言が黒人差別として非難され、辞職に追い込まれる。妻はそのショックから急逝し、失意の日々を送るコールマンは、隠遁生活 を送る作家ネイサン(ゲイリー・シーニーズ)を訪ね、自分のことを小説にしてくれと依頼する。こうして2人の交流が始まる。 ある日、ネイサンは「恋人がいる」とコールマンから打ち明けられる。彼女の名はフォーニア(ニコール・キッドマン)。2人の子を 火事で亡くし、ベトナム帰りの夫(エド・ハリス)の暴力を逃れ、郵便局の掃除婦や牧場の手伝いをして暮らしている女だった。彼女 との恋を通して、コールマンがひた隠しにしてきた終生の秘密が徐々に明らかになっていく・・・。 アンソニー・ホプキンス、ニコール・キッドマン、エド・ハリスと当代きっての演技派を集めた映画の割に、見終わって伝わってくる ものが薄かった。 ホプキンスが扮するコールマンは、名門アテナ大学の学部長として数々の大学改革の実績を持つやり手の教授だ。どこから見ても白人 にしか見えないコールマンだが、じつは彼は黒人だった。じっさいこういうことはあるらしい。パンフの解説のよると、名うての批評家 兼書評家だったアナトール・ブロヤードが亡くなった時、葬儀で初めて彼がアフリカ系であることが分かり、90年のニューヨーク文学界を 驚かせたという。親しい友人はおろか実の子たちさえ彼を白人と信じて疑わず、正体を知っていたのは白人の妻だけだったそうだ。
黒人に対する差別が厳として存在する現実を思えば、コールマンが正体を隠し、白人としての人生を歩む選択したのは仕方ないことだ
と思う。けれど、それには父や母、兄妹ら家族の存在を自分の人生から抹殺し、本来の自分を否定し、いわば偽りの人生を生きることを
意味する。あだやおろそかな決心で出来ることではない、血を吐く思いの葛藤があったはずだ。しかし、ホプキンスからはかつて経たで
あろうそれらの苦悩の片鱗は窺えず、老いらくの恋に浮かれる男の姿しか見えない。キッドマン扮するフォーニアは、これでもかといわんばかりのトラウマのオン・パレード。その押しつけがましさが少々鼻につく。 彼女はなぜコールマンという父親の年齢に近い初老の男を恋の相手に選んだのだろう。彼との関係は、かつて義父に犯された忌まわしい過去を 彼女の中に甦らせはしなかっただろうか。元夫のレスターはなぜストーカーのように別れた妻に付きまとうのか。過失とはいえ2人の子 が死ぬ原因を作ったフォーニアへの憎しみと断ち切れぬ未練が、いまだに彼を苛み続けていることの証なのか。 登場人物は、コールマンが親交を持つ作家ネイサンもふくめ、みなそれぞれにトラウマを持っている。しかし、それがドラマを 膨らませる方向につながっていかず、バラバラに散らばったガラスの破片のようだ。重厚な色調の映像は魅力的だ。しかし、それだけ では胸を打つ哀切さが伝わってこないのも事実だ。 【◎○△×】6 |
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6月 |
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ストーリー 世界最大最古の歴史叙事詩、ホメロスの「イリアス」を映画化した歴史スペクタクル。古代ギリシャに起こったトロイ戦争を壮大な スケールで描いている。 紀元前12世紀。長年敵対していたギリシャ連合と和平を結ぶために、小アジアの強国トロイから弟王子パリス(オーランド・ ブルーム)がスパルタにやって来る。その宴の席で、パリスはスパルタ王メネラウス(ブレンダン・グリーソン)の妻へレン(ダイアン ・クルーガー)を一目見て、激しい恋に落ちる。 ヘレンを奪って帰国したパリスに激怒した王は、兄アガメムノン(ブランアン・コックス)を始め全ギリシャに挙兵を求め、何千もの船団を率いてヘレン奪還に乗り出す。知将オデュッセウス(ショーン・ビーン)、 猛将アキレス(ブラッド・ピット)らを抱えるギリシャに対し、トロイは老王プリアモス王(ピーター・オトゥール)のもと、太陽神 アポロを守護神とする兄王子ヘクトル(エリック・バナ)を中心に迎撃の備えを固める。 映画化に際して原作をどこまで忠実に追うかは、なかなか難しい問題だ。この映画では、ホメロスの「イリアス」にあるヘラ、アテネ、 アフロディテの3女神たちが美を競う場面がばっさりとカットされている。 美青年パリスが判定者に選ばれ、3女神たちはそれぞれに、もし自分を選ぶなら、“権力”(ヘラ)、“知恵”(アテネ)、“世界一 の美女”(アプロディテ)を与えるという条件を出し、パリスはアプロディテを選ぶ。つまりパリスは初めから女に弱いヘロヘロ男と 言えなくもない。 (ちなみに子供の頃読んだ本の記憶では、パリスは羊飼いの美少年と思っていたが、もしかしたら王子が野で遊んでいただけだった のか?) パリスとヘレンが互いに一目見た瞬間、灼熱の恋に身を焦がしたのは、神々の悪戯から生まれた人間の意志を超えた運命で、「2人 にはどうしようもなかった」ということになる。
この神々の部分を、私は簡単でいいから冒頭に入れたほうがよかったんじゃないかと思う。というのは、2人の恋があまりにお手軽な
印象で、「こんな2人のために10年にもわたる大戦争が起きたのかぁ」と、その後の大スペクタクルにどうしても気持ちが乗っていか
ないからだ。神々のちょっとした遊び心に翻弄されて、人間たちは男女・家族・国家への愛、名誉、権力をかけて闘わざるを得なかった、というの なら、勝者・敗者にかかわりなく、悲劇性が生まれた気がするが・・・。すべて人間レベルで展開させたために、スケールの割りに物語 が薄手になってしまった。 しかし、スペクタクルものは物語があるていど大雑把になるのはしょうがないかなぁとも思う。 本作はブラッド・ピッドのアキレスと エリック・バナのへクトルがなかなか魅力的に造形されていて、それなりに楽しめた。とくに2人の一騎打ちの迫力は相当のもの。 ブラッド・ピットの、横から入る“猿(ましら)剣法”(と勝手に名づけた。そういえば、時々「あれ、ブラピ って案外サル顔・・・」と思った私です。)は迫力があった。 ピーター・オトゥールの、威厳と慈愛に満ちたトロイの王もよかった。しかし、木馬をパリスの反対にもかかわらず城内に引き入れて しまう辺りに、王の老いが現われているなぁ。もしも、反対したのがヘクトルだったらどうだったんだろう・・・。 【◎○△×】6 |
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6月 |
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ストーリー インテリア・デザイナーのジョンウォン(パク・シニャン)は、最終電車の中で眠っている幼い姉妹を目撃する。翌日、ニュースで 姉妹が母親によって毒殺されていたことを知ったジョンウォンは、それ以来、4人がけの食卓に姉妹が座っている姿を見るようになる。 偶然知り合った女性ヨン(チョン・ジヒョン)にも姉妹の姿が見えるという。母親が呪術師だというヨンは、過去を見通す不思議な力が あった。7歳以前の記憶がないジョンウォンは、ヨンの助けを借りて、失われた記憶を取りもどそうとするが…。 「ストーリー」に書いたジョンウォンの事情とは別に、ヨンには嗜眠症という病気があり、過去を見通してやった友人が、その過去に ショックを受けてヨンの赤ん坊を殺すという事件が起こり、現在裁判中だ。愛児の事件がきっかけで、夫と別居中という事情もある。 過去の隠蔽された記憶、殺された少女たちが現われる幻覚、嗜眠症、呪術師の血の不安、幼児殺しの真相、と話が欲張りすぎ。どれに 焦点を合わせて怖がればいいのか分からないうちに、終ってしまった感じだった。ストーリーが、ヨンとジョンウォンの2本立てに 割れてしまったのが原因だと思う。
7歳以前の記憶がなく、たまたま地下鉄で見かけた2人の少女の死体が幻覚となって現われることに苦しむジョンウォンが、透視能力
を持つヨンの導きで徐々に隠された過去にもどっていく、というサイコ・ホラーにするか、ヨンの愛児を殺したのはほんとうはだれか、と
いうサイコ・ミステリーを法廷ドラマで膨らませるか、どちらかにしたほうがよかったんじゃなかろうか。個人的には、ジョンウォンの夢に現われる古びた四つ辻の黄昏れ色の奇妙な佇まい、迫るトラック、下水の蓋から突き出た子供の 指、などホラー的な雰囲気にはかなり魅了される。それが、後半ヨンの手助けであっさり過去の記憶が甦って謎でもなんでもなくなる。 ちょっともったいない。 同様に、ヨンが映画の終わり近くで、別居している夫に「ほんとうは私を疑っているんでしょ」と言う場面が チラッと出てきたり、犯人として逮捕された友人が心神喪失で無罪になった直後、自殺してしまったり、嗜眠症は倒れている間は意識は あるが体が動かない、というヨンの説明とか、これらの思わせぶりなシーンや設定がストーリーにほとんど生かされていない。 勝手な想像だけど、もともとはジョンウォンを中心にしたストーリーだったのが、『猟奇的な彼女』でブレークしたチョン・ジヒョン を脇に回すわけに行かなくなって、主役2人、みたいに話が割れてしまったのではなかろうか。 それなら、いっそ主役は彼女1人に 絞って、他人の過去が見えてしまい、しかも透視した人が次々不幸になっていく、そういう自分の血に怯えるヨンの心に分け入って、 愛児の死の真相に迫って行く、という映画にしてもよかったかもしれない。 【◎○△×】6 |
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5月 |
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ストーリー アレック・ギネス主演のイギリス映画『マダムと泥棒』のコーエン兄弟がリメークした。いつもは脚本を担当するイーサンが監督に 名を連ねている。 ミシシッピ川のほとりに住むマンソン未亡人(イルマ・P・ホール)は敬虔なクリスチャンだ。ある日、彼女のもとに 洗練された身のこなしの紳士(トム・ハンクス)が訪ねてくる。彼は教会音楽の研究家と名乗り、練習する場所を探しているという。 男はじつは“教授”の異名を取る天才的な大泥棒だった。彼は巧みな弁舌で未亡人から地下室を借り受けると、新聞広告で集めた4人と ともに、ミシシッピ川に浮かぶ船上カジノからの現金強奪計画に着手する。練習と偽って地下室にこもり、クラシックのテープを流して演奏を装い ながら、カジノに向ってトンネルを掘り始めたのだ。 強盗団が新聞広告で集まったにわか集団という設定に無理があるなぁと思った。彼らが最後までバラバラで、計画を遂行し成功させる までの高揚感がない。だから、せっかく現金を手に入れながら、思いがけない出来事で彼らが1人また1人と消えていくプロセスにも、 さほどの感慨が湧いてこないのだ。第一、教授を除けば筋骨たくましいいかにも汗臭い連中で、とうていクラシックの演奏家には見え ない。これで未亡人が楽士と思うことがそもそも不思議になる。
もとの『マダムと泥棒』がどうなのか知らないが、ここは『オーケストラの少女』のように全員失業楽士で、馴れぬ強盗仕事がまんま
と成功してしまう、というほうが面白かったんじゃなかろうか。未亡人が地下室を覗く時にかぎって彼らが澄まし顔で本当に演奏して
いる。そういう場面を時々挿入すれば、喜劇的な味わいはもっと濃くなったと思う。しかしこの映画の一番の難点は、登場人物に1人として魅力的な人物がいないことだ。強盗団のメンバーはそれぞれに得意技や持ち場 の役割を持っているのだが、それがほとんど生かされていない。1人1人の個性がはっきりしないし、演じている俳優にも魅力がない ので、映画館を出て1、2歩歩くともうだれがだれやら忘れてしまうほどだ。未亡人もどこかとぼけた味のチャーミングなおばあちゃん であってほしかった。 予告編で見たトム・ハンクスの教授はいかにも胡散臭く、それに引かれて見に行ったのだが、明らかに彼は他の登場人物たちから 浮いている。というか、映画全体が彼の雰囲気に合っていたら、もっと小洒落た喜劇になっていたんじゃないかという気がする。盛り上がりが なくて、コーエン兄弟の作品にしてはあまり面白くなかった。 【◎○△×】6 |
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5月 |
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ストーリー 『ヴァージン・スーサイズ』で鮮烈なデビューを飾ったソフィア・コッポラ監督の第2作。監督自身の東京での経験をもとに異国に いる孤独や不安感を描いている。アカデミー脚本賞を受賞。 ウィスキーのコマーシャル撮影のため日本を訪れたアメリカ人俳優のボブ(ビル・マーレイ)は、かつての人気もすでに峠を越え、妻 との間もしっくりしていない。到着した東京のホテルでは日本人スタッフの手厚い出迎えを受けるが、言葉が通じないために意思の疎通 もままならず、時差ボケと緊張で眠れない。 一方、カメラマンの夫ジョン(ジョバンニ・リビシ)に同行してやって来たシャーロット (スカーレット・ヨハンソン)は、多忙な夫を仕事に送り出すと、一人孤独な時を過ごしていた。同じホテルに滞在する2人はバーや プールで顔を会わせ、次第に言葉を交わすようになる。そして一緒に街に出かけたりするうちに、いつしか互いの孤独や疎外感を感じ 取り、心を通わせるようになる。 女性に方向音痴が多いと聞くが、私もすこぶる付きの方向音痴だ。知らない土地に行くと何とはなしの不安を覚える。そのくせ旅が 好きだ、それもまだ行ったことのない土地への・・・。 で、この2つをどう両立させるのかというと、旅はいつもだれかと一緒だ。学生時代は友達が計画を立てているのを知ると、それに 一枚加えてもらう。行き先はどこでも構わない、どこかに行ければそれでいい。だから私の旅は行き先もよく知らないままに、だれかの 後にくっついて行くというパターンだ。結婚してからは、旅の同行者はもっぱら夫だ。 普段はこれでいいが、現役時代、仕事で1人で旅行しなければならないことが時々あった。1泊か2泊の小旅行。日本という同じ国 の中のこと、地域や町による空気の違いはあっても、言葉は同じ、文化も変らない。それなのに、列車や飛行機のなかの心細さ、駅や 空港に降りた時の途方に暮れた思い。前後左右を人々が行き交う。彼らにとって私は何ものでもない、存在しないのと同じ透明人間だ。 そんな異邦人にも似た思いが胸に湧き、旅情というには切ない、何ともいえぬ孤独を感じたものだった。
本作を見ているうちに、そこに漂う気配が、旅先で私の味わう思いにとても似ていることに気づいた。ホテルに用意された寝巻きを 着て、ぽつねんとベッドに腰掛けるビル・マーレイ、窓際に座って大きなガラス越しに東京の街を見下ろすヨハンセン。彼らの姿からは、 今味わっているだろう心許なさや孤独感が仄々(そくそく)と伝わってくる。 欧米などの観客には舞台が日本であることの物珍しさがあるかも知れないが、ここで描かれる「旅の孤独」、旅先での「誰でもない自分」の不安感などは、国を超えて 普遍的な感覚ではないかと思う。だからこそ、ボブとシャーロットは親子ほども違う年齢を超えて、響きあうものを感じたのだろう。 2人の関係は恋愛というよりは、旅先でふと心が通った異性の友人という感じだ。それが、これまで数多く作られた「旅情+恋愛」 映画と一線を画した新鮮さを、この映画に与えていると思った。かつて育った東京の街が、外国人の目を通して描かれるせいか、初めて 見るような漂流感と猥雑さを持っているのが、ちょっと不思議な気分だった。 【◎○△×】7 |