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11月 |
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ストーリー 死刑執行を明日に控えた連続殺人犯に新たな証拠が見つかり、深夜にも関わらず判事立会いの許に再審理が行われている。その男は 多重人格。その夜は豪雨に見舞われて、その地域の道路は寸断され、電話・無線も不通となっていた。 身動きの取れない客たちが寂れた モーテルに集まってくる。車に撥ねられ重傷を負った妻と、その夫に息子。撥ねたのは女優を乗せた元警官の運転手(ジョン・キューザック)。他に道路が冠水して先へ行けない娼婦(アマンダ・ピート)に新婚夫婦、そして犯人と彼を護送する刑事(レイ・リオッタ)。 雷鳴が轟くなか、女優の首が乾燥機の中に発見されたのを皮切りに、手錠で浴室に繋いでおいたはずの護送犯が逃亡し、冷凍庫からは見たこともない死体が現われ、管理人や客たちはパニックに襲われる。刑事と元警官 の運転手が懸命に犯人を捜すが、その合間にもモーテルの客は事故死や殺人で次々と死んで行く・・・。 サイコ・サスペンス好きの私には堪えられない一作だった。豪雨の深夜、モーテルで次々起こる殺人事件や事故死。それとはまったく 別の場所で行われている連続殺人犯の再審理。この2つのストーリーがいつどういう風に合流するのだろうか、とずっと思いながら 映画を見ていた。でも、まさかこういう形でリンクするとは思わなかった。
連続殺人犯が多重人格であることから、途中で筋が読めたと
いう人もいるようだが、私は読めなくて幸いだった。ほんとに「あ〜、そういうことだったのか」とドンデン返しを楽しむことが出来た
から。結果が分かって見れば、途中でそれを匂わすいろんな仕掛けがあったことに気づく。そこを意識してもう1回見てみたい気持ちに 駆られる。夜の闇、猛雨、雷、稲妻に閉じ込められたモーテル。道路は寸断され、電話・無線も繋がらない。一種の密室型ミステリー・ サスペンスだが、1つで終らないドンデン返しは十分に怖がらせかつ楽しませてくれた。 【◎○△×】7 |
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10月 |
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ストーリー マオリ族出身の作家ウィティ・イヒマエラの原作を、ニュージーランドの女性監督ニキ・カーロが映画化。 ニュージーランドの海辺の村。クジラに乗ってやってきた勇者パイケアの伝説を受け継ぐマオリ族は、代々、男を族長として村を 守って来た。しかし、族長コロの長男ポロランギ(クリフ・カーティス)は、双子の男女を授かったものの、跡継ぎになるはずの 男児と妻を出産の不幸で亡くしてしまう。 ポロランギは残った娘に勇者パイケアの名を与えるが、孫娘の誕生を歓迎できないコロ(ラウィリ・パラティーン)との確執の末、 娘を残して島を出てしまう。 コロはパイケア(ケイシャ・キャッスル=ヒューズ)を孫として愛するが、伝説の勇者 “ホエール・ライダー” の後継者としては 決して認めようとしなかった。女に生まれたことを悩みつつ12歳に成長したパイケア。村では少年だけが参加を許される後継者 育成の訓練が始まった・・・。 ストーリーに “島民を率いるリーダー選び” というスケールがあまり感じられなかったのが残念だ。これまでにも、族長の家に 女子しか生まれなかったとか、長男が外の世界に憧れて島を出て
しまったとか、「族長の家系の長男」がリーダーになるという伝統が危機にさらされることはあったと思う。さらに本作では、リーダー選びに集められた長男の少年たちが、伝統の重みをぜんぜん感じてない様子が描かれていて、伝統の意味が 急速に失われているのが見て取れる。 こうしたことは族長という一個人よりも、部族全体の問題ではないかと思うのだが、この島ではこれまでどう切り抜けてきたのだろう。映画ではもっぱらコロ1人の裁量でことが進んでいて、1つの家族内の確執という小じんまりした印象になってしまった。 愛情深いけれど頑迷な老人と聡明な孫娘の “家族愛” の物語なのか、途切れそうな伝統が新たなリーダーの誕生で引き継がれる物語 なのか、軸足がブレたような気がする。 終盤、浜辺に打ち上げられたクジラを海に返そうとするシーンが出てくる。村人たちは総出で皮膚が乾かないように海水をかけ続け、 波打ち際までクレーン車で引っぱる。人力を超えたクジラの大きさ(偉大さ)や、島民がクジラと深く結ばれているのが視覚的に伝 わってきて、ひどく印象的だ。 それだけに、クジラに導かれてこの地に辿り着いた勇者が一族の祖先になったという伝説は、もっと生かされてもよかったんじゃない かと思う。たとえば、パイケアがクジラに乗って海に乗り出す
シーンだが、現実の出来事という以上に、“勇者パイケア” に対する思いとしてファンタジックに映像化したら、ダイナミックな
壮大さが出たかもしれない。とまー、いろいろ書いたけれど、私はこの映画がとても好きだ。パイケアを演じるケイシャ・キャッスル=ヒューズがいい。孫としては愛して くれても、跡継ぎとしては決して認めようとしない祖父に受け入れてもらうために、必死で努力する姿がなんともいじらしい。今風の 都会的な美少女でない分、かえって素朴でピュアな感じがする。 祖父役のラウィリ・パラティーン、祖母役のヴィッキー・ホートンはニュージーランドでは知られた役者ということだが、ともに 素晴らしい存在感だった。 【◎○△×】7 |
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11月 |
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ストーリー 70年代を中心に活躍したハリウッドの伝説的プロデューサー、ロバート・エヴァンズが、栄光と挫折そして復活という波乱に満ちた 人生を、自らのナレーションで綴るドキュメンタリー。 1930年、ニューヨークで生まれたロバート・エヴァンズは、俳優志望の子役として出発するが芽が出ず、断念して兄と共同経営した 服飾メーカーで成功する。 ところが皮肉にも、そんな折に仕事で滞在したビバリーヒルズのホテルで、大物女優のノーマ・シアラーに見出される。しかし、数本の 映画に出て役者としての才能に見切りをつけたエヴァンスは、プロデュース業に興味を持ち、パラマウントを買収したばかりのチャーリー ・ブルードーンに招かれて、若くして副社長に納まる。そして数の数のメガ・ヒットを飛ばして、倒産寸前の老舗パラマウントを立て直す のだが・・・。 『ラリー・フリント』(96)のような、実在の人物の半生を描いたドラマとばかり思っていたので、始まってすぐにドキュメンタリーと 分かった時は驚いた。わざわざ劇場に足を運んでいながら、そんなことも確かめてなかったの、と言われそうだが、ポスターに出ている エヴァンスがあまりにハンサムなので、本人の写真だとは夢にも思わなかったのだ。 若い頃は眼の辺りがトム・クルーズ似、何かのはずみでグレゴリー・ペックを彷彿とする。でも顔の輪郭はもっと端麗な卵型。タイロン ・パワーに近いだろうか。現在73歳の彼はマイケル・ケインに似てる。 やたら顔のことばかり書いてしまったが、それくらい綺麗な男なのだ。ほんとうにびっくりした。もともと子役だった彼が当時の大物 女優ノーマ・シアラーに見出されて再デビュー、順風満帆のスタートだったのに大成しなかったのは、才能の問題は勿論あるだろうけど、 美貌過ぎるのも災いした
んじゃないだろうか。彼が自分で「俳優としては3流。ポール・ニューマンにはなれないけれど、トロイ・ドナヒューくらいにはなれたか」と言うのが おかしかった。たしかに青春スターとして一世を風靡したドナヒュー、その後さっぱりだったものね。 これほどの美男が、さして美人と思えないアリ・マッグローにぞっこん惚れ込んで、結局振られるんだから面白いなぁと思う。 (つまり、結婚に持ち込んだんだけど、スティーヴ・マックィーンに寝盗られて離婚。その後星の数ほど浮名を流しつつ再婚しなかった のは、やっぱりアリに未練があったのか・・・。) その後、俳優業に見切りをつけてプロデューサーに転身、あの『ローズマリーの赤ちゃん』をポランスキーの才能をいち早く見込んで 監督させたのがエヴァンスだったとは知らなかった。『ある愛の詩』『ゴッドファーザー』『チャイナタウン』『コットンクラブ』と、 綺羅星のように出てくる映画、みな彼が手がけたものだ。製作者としての才能は一流だったことになる。 頂点を極めたかに見えるエヴァンスだが、ドラッグのおとり捜査に引っかかったり、殺人事件に巻きこまれたり、奈落の底まで落ち込む 人生はまさに波乱万丈、下手な劇映画よりよほど面白い。 普通のドキュメンタリーのように本人を知る人の証言などは一切なし、客観的事実を提示しようという気もまるでない。本人が語る 本人の「真実」だけを描いていく。エヴァンスの話術の巧みさはまるで漫談を聴くよう。虚実取り混ぜたハリウッド的人生を堪能した。 【◎○△×】7 |
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12月 |
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ストーリー 自傷癖のある内気な若い女性が雇い主の弁護士によってマゾ傾向に目覚め、いつしか2人のSMチックな関係が一途な恋に発展して いく、ちょっと変わったラブストーリー。若手映画人の登竜門、サンダンス国際映画祭で大きな話題となり、特別審査員賞を受賞した。 25歳のリー・ホロウェイ(マギー・ギレンホール)は猫背で、貧乏ゆすりと鼻すすりのクセがあるひどく冴えない女の子だ。 引っ込み思案でおまけに自傷癖の持ち主で、就職経験も恋愛経験もない。そんな彼女が自立のために弁護士エドワード・グレイ (ジェームズ・スペイダー)の事務所で秘書として働き出す。 神経質なミスター・グレイは、リーのタイプミスを指摘しては何度もやり直させたり、貧乏ゆすりと鼻すすりを止めさせたりと、 厳しい秘書教育を行うのだった。めげずに受け入れ従っていたリーだが、ある日、タイプミスのお仕置きに猛烈にお尻を叩かれ、かつて ない快感を覚える。 やがて這って廊下を進んだり、手を縛られ口で書類を運んだりと、ミスター・グレイのお仕置きはエスカレートするばかり。ところが、 リーはそれを心待ちにするようになっていた・・・。 ジェームズ・スペイダーってちょっと変わった性癖をもつ人物を演じると、独特の雰囲気を出す。『セックスと嘘とビデオテープ』の 彼がとても好きで、ジェームズ・スペイダーというだけでふらっと見たい気分になる。 この映画で意味白かったのは、スペイダー扮する弁護士ミスター・グレイが、自分のサディスト的性癖をよくないことと思っている フシがあることだ。ミニスカートから覗いたリーの脚に傷跡があることから彼女の自傷癖を見抜き、さらに鋭く彼女のマゾ的傾向を 見破ったのはいいけれど、自分の欲望をエスカレートさせることに躊躇(ためら)いが生じ、結局は彼女を 解雇してしまう。 ところがリーのほうはそんな迷いは一切ない。自分の性的傾向を知ったことで「暗雲晴れた」とばかり、まっしぐらにミスター・ グレイに突き進む。そのあっけらかんとした感じがユーモアさせ漂わせ、SMチック・ストーリーとは思えない明るさを醸し出す。 ミスター・グレイの命令を守って事務所に篭城してしまったリーを、親戚やら友人やら隣人やら・・・が登場してあの手この手で 説得するシーンや、彼女の頑固さに音を上げ、別室に集まってわいわいやってるところなんかは、もうほんとに可笑しかった。 ミスター・グレイのクラシッカルかつミステリアスな事務所がいいムード。キュートでちょっと風変わりなラブストーリーだった。 【◎○△×】7 |
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10月 |
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ストーリー フランスの中部、オーベルニュ地方の1クラスだけの小学校を舞台にしたドキュメンタリー。3歳から12歳までの13人の子供たち と、退職を間近に控えたロペス先生の日常を、詩情溢れる映像で淡々と綴っていく。 ロペス先生はこの学校に赴任してきて20年、年齢の違う子供たちをたった一人で教えている。年少の子供たちを教える午前中は、 年長の子供たちは自習だ。そういうやり方は古風だと先生も自覚しているが、先生は教師の仕事にやり甲斐を感じ、子供たちは先生の 温かい眼差しのなかですくすく成長している。 そして先生最後の夏休み、子供たちを見送る先生の顔はちょっと寂しそう。来年、年長の子供たちが卒業する時、先生も定年を 迎えるのだ。 もっさりと雪をかぶった大樹の群れが風にゆさゆさと枝を揺する。厳冬の雪道をスクールバスが走る。ちょっと物々しい雰囲気で 始まる映画だが、あどけない幼児たちが母親に送られて次々にバスに乗り込んでくる辺りから、急に平和な農村の空気を漂わせ出すから 不思議だ。
クラスには3、4歳の子供たちもいるから、保育所と小学校を併せたような学校なんだろうか。なんせこんなに幼い子供たちだから、
数字1つ覚えるのも大変だ。「7」を勉強する日、周りから他の子がしきりと「ナナ」「ナナ」と教えても、「ナナ」が出てこない。字の勉強は “maman(ママ)” を先生のお手本通りに書く。ジョジョの書いた字は “momon”。先生は「o の字は杖を書かないといけない よ」と教える。 上級生の子供たちは算数が苦手なよう。身体の大きなジュリアンが家で母親にどつかれながら繰り上がりのある掛け算を 勉強するシーンが面白い。「5×6は・・・25・・・」とか言って、母親に「ばか、また殴られたいか」なんて言われてる。 しまいに父親どころか叔父さんまで乗り出して、脇から、ああでもない、こうでもない。これじゃぁ、ジュリアンはこんがらがる ばかりだ。 でもジュリアンは算数は苦手でも、トラクターを操るのはじつにうまい。牛の世話もよくする。いい青年になりそうだな、なんて ほのぼのした気分になる。 ロペス先生は決して熱血先生ではないけれど、穏やかな温かさが子供たちを大きく包み込んでいる。一人一人の子供たちをちゃんと 見ているのが分かる。大上段に振りかぶって何かを言っている訳ではないけれど、子供たちの生き生きした顔が教育の原点は何かと いうことを伝えてくる映画だった。 【◎○△×】7 |
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12月 |
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ストーリー アメリカ・モダン・アートの先駆けとなった抽象画家ジャクソン・ポロックの生涯を描きピュリッツァー賞を受賞した原作を、俳優 エド・ハリスが初監督。彼自身がポロックを演じアカデミー賞にノミネート、共演のマーシャ・ゲイ・ハーデンは助演女優賞を受賞 した。 1941年のニューヨーク、29歳の抽象画家ポロック(エド・ハリス)は創作に励んでいたが、10代の頃からアルコール依存症を 抱え、ピカソの独創的な絵を目にして自分の才能に自信を失っていた。 彼の絵を見て強く惹かれた女流画家リー・クラズナー(マーシャ・ゲイ・ハーデン)は、画商ペギー・グッゲンハイム(エイミー・ マディガン)に彼を紹介し、ポロックは一躍画壇の寵児となる。しかし、すぐに行き詰ったポロックは再び酒に溺れるようになる。 彼と正式に結婚にしたリーは、ロングアイランドの古い農家をアトリエに改装し、彼を創作に集中させようとする。ポロックはここで まったく新しい描画手法を生み出すが、やがて若い女ルース(ジェニファー・コネリー)に心を移し、リーとの間に軋みが生じ始める。 予告編で、ポロックが酔って自転車をこぐ姿にかぶせてトム・ウェイツの歌が流れるシーンがあった。彼のダミ声はいかにも田舎町の 道を自転車でフラフラ行く酔ったポロックの至福を感じさせ
て、このシーンを本編で見たい、と強烈に思った。で、どうだったかというと、ウェイツの歌はエンド・クレジットに被せて1回流れただけ。あ〜・・・。しかし、映画そのものは意外に 面白かった。 私は絵のことはまったく分らないし、ポロックという画家もこの映画で初めて知ったくらいだが、彼は筆先から滴る絵の具をキャンバスに 叩きつけるようにして描いていく。(“ドリップ・ペインティング” という技法らしい。) こうして出来上がった絵は、色彩も幻想的で美しいが、それ以上に、絵の内側からエネルギーが渦を巻いて湧き上がってくる感じだ。躍動感が素晴らしい。 エド・ハリスは撮影に入る10年も前から準備を始め、ポロックの描法を身につけたそうだ。筆運びや体の動かし方などまるでポロック が乗り移ったよう。完成した絵もエドが映画の中で描いたものか、そこだけ元々のポロックの絵を使っているのか、見分けがつかない ほどだ。入魂の役作りといえる。 ポロックは一躍画壇の寵児となり、ライフ誌やラジオのインタビューを受けたり、絵の制作過程を描いたドキュメンタリーを作ること になったりする。つまり、彼の内部はどんどん引きずりだされ、絵はルーチンワークになっていく。 パーティでサインを求められた時の漂うような虚ろな目。あの予告編の場面も、本編で見ると惨めに酒に溺れたポロックがいるだけで、 決して楽しい場面ではなかった。イメージではなく、エネル
ギーそのものを描き、たえずオリジナルであり続ける。そうして何年も描き
続けるのはどれほど苦しいことだろう。絵にしろ音楽にしろ、すぐれた芸術家の映画を見るといつも抱くのは、「とくべつの才能を神から与えられた人は、それに見合う ‘代金’ を 神に支払わないといけないんだな」「凡人でよかったなぁ」なんて不謹慎な感想だ。 『ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ』(98)でも、痛烈に同じことを思ったものだ。妻のリーがどれほどポロックを愛しても、彼の苦悩は彼だけのもの、だれも共有は出来ないのだ。 サブタイトルからリーとの夫婦愛の物語と思っていたが、むしろ画家としてのポロック個人を描いた映画だった。私の予想はことごとく 違っていたけれど、愛人との深夜ドライブで事故死してしまうポロックの生涯、そして彼の絵にとても惹かれた。 【◎○△×】7 |
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11月 |
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ストーリー 斬新な映像とアクション構成で世界に一大ブームを巻き起こした『マトリックス』シリーズの第3弾完結編。最後の拠点・ザイオンを 死守する人間軍と、仮想現実・マトリックスを支配する人工知能軍の最終決戦が繰り広げられる。 昏睡状態に陥っていたネオ(キアヌ・リーヴス)が目覚めると、そこはマトリックスと現実世界の境界だった。ネオが境界をさ迷って いる間にも、人工知能軍センティネルズの大群がザイオンに迫っていた。 トリニティー(キャリー=アン・モス)、モーフィアス(ローレンス・フィッシュバーン)の力で救出されたネオは、一人、敵の中枢部 マシン・シティに乗り込むことを決意する。 第2作『マトリックス リローテッド』を見逃してしまったせいもあって、第1作と映画の雰囲気が全然違っていて、かなり戸惑って しまった。ネオ、トリニティー、モーフィアスの3人があまり出てこな いし、『マトリックス』ではネオを導く指導者としてカリスマ性を 発散していたモーフィアスが、普通の
人のようになっていたのが寂しい。でも新しい話と思って見ればそれなり面白い。なんといっても私が気に入ったのは、敵の人工知能側がザイオンに送り込んでくる攻撃軍団センティネルズだ。形はホタルイカみたい だな、と思ったけれど、もちろんそんな可愛らしいもんじゃない。 とにかく巨大! しかも動きが早い。でっかいドリルがバリバリ壁を 破って突っ込んでくるわ、イカの足みたいな触手がどんどん追っかけてくるわ、魚の大群みたいな攻撃機が飛び回るわ、もう大変。 人間側も昔日本で大流行した超合金ロボットみたいな機械に乗って迎え撃つ。(ひょっとして監督兄弟はあの玩具からこのマシンを思い ついたんじゃないかと私はひそかに勘ぐってます。)戦闘隊長のミフネがド迫力。悲壮な最期を遂げるまで存在感抜群だった。 ストーリーが弱くて全編これ
ばっかりという感じもあるけれど、退屈している暇もない。ーーこれが公開時、劇場で見た時の感想。正直、ストーリーはよく分からなかったのだが、久しぶりに再見して、残念ながらやっぱりよく分からない。 人間世界を脅かす人工知能って本当はいったい何なんだろう、とか、最終的な敵はプログラムから自由になったスミスなんだろうか、とか、じゃこのスミスというのはいったい何者か、とか。 スミスがオラクルやネオに手を突っ込んだら、2人とも真っ黒いビニールみたいのに覆われてスミスに変身して、その後どうなったか があとで考えても思い出せなかったり、とか。まー、いろいろ考え出すと切りがない。 ネオが覚醒した地下鉄の無人駅が “現実と仮想のはざ間” で、ネオはそこに閉じ込められているというのは面白いと思ったのだが、 あっさり処理されたのが残念だった。第1作の、コンピュータ
ーの中の仮想世界が現実世界と交錯する、という発想にショックを受けた
私としては、こういうところこそ丁寧にやってほしい場面だったのだが。戦闘場面も仮想世界というよりは超未来戦争のようでもあり、『マトリックス』の独自性は薄らいだ感じかな・・・。 でも、この映画は斬新かつ目くるめく映像を楽しめれば、それで十分という気もしないではない。戦闘シーンの圧倒的迫力、盲目に なったネオが心の目で見る溢れる光の美しさ、そしてラストはトリニティーとネオの犠牲で世界が救われ、場面は現実世界にもどって くる。ストーリー的にはこれで十分OKなのかも。 【◎○△×】6 |
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12月 |
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ストーリー イギリスの女性作家ドリス・レッシングの原作を基に、舞台をパリの下町に移して映画化。孤独な老女と独身の中年女性の交流を 通して、“人生”や“老い”というものを温かい眼差しで見つめ、描いている。 パリの下町ルトレ通りに住むイザベル(マリオン・エルド)は、小さな広告会社を経営する中年の独身女性。仕事は順調で、年若い 恋人フレッド(ジュリアン・フェレ)との関係も順調だ。 ある日、薬局で「アスピリン」にこだわる老女マド(ドミニク・マルカス)を見かけてから、なぜか彼女のことが気にかかり、足繁く 彼女の住まいを訪ねるようになる。それは風呂もトイレも暖房設備もないひどい部屋だったが、マドは他人が干渉するのを頑なに 拒むのだった。 やがて次第に心を開いたマドは、自分の辛い生い立ちを語ったり、イザベルが世話を焼くのを受け入れるようになる。2人の絆は 深まっていったが、ある日、イザベルはマドが数年前から癌にかかっており、余命数週間と医者から告げられる。 なにも知らないマドは、陽だまりのベンチにイザベルと並んで腰を下ろし、「今が一番幸せ」と呟くのだった。 ザベルを演じているマリオン・エルドは一応女優だそうだけれど、とてもそうは思えないほどただのその辺のおばさんだ。せっかく 母子ほども歳の違う(ように見えるのだ、実際!)恋人もいるのだし、もう少し花のある綺麗な人ならよかったな、とつい贅沢な願いを 持ってしまったが、そのせいかかえって物語が進むうちに、作り物でないリアリティを感じてしまったから不思議だ。 マドに扮している ドミニク・マルカスなどは、まさに演じているというよりマドそのもの。離れて暮らしている母が、年頃・背格好・(気の強いところ などは)性格もマドそっくりで、見ているうちに母がそこにいるような気分になり、とても他人(ひと)事とは 思えなかった。 イザベルは離婚したとはいえ、会社を経営し、別れた夫とは仕事上では今も良好な関係を保ち、恋人もおり、社会的に自立した女性 だ。一方、マドは帽子職人としての腕の確かさだけが誇りで、低賃金に甘んじ、離婚後は子供も夫に取られ、何1つ思い通りにならない 人生を歩んできた。 本来交わるはずのない2人の人生がふとした弾みで交差し、そしてイザベルはマドの晩年を仄かな明るさで彩ったのだ。人生って こうしたことなのかもしれないな、と感慨めいた思いが胸をよぎる。 マドが「今が人生で一番幸せ」と呟き、イザベルが「あなたの幸せが私の喜びなの」と答える。母への思いだけでなく、老境に足を 踏み入れつつある私にとっても、胸に沁みるラスト・シーンだった。 【◎○△×】7 |
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12月 |
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ストーリー 武士道精神をテーマにしたトム・クルーズ主演のハリウッド製時代劇。明治10年(1877年)の西郷隆盛による西南戦争をモデル にしているが、西南戦争そのものを描いている訳ではない。 南北戦争の英雄、ネイサン・オルグレン大尉(トム・クルーズ)は、破格の高給に惹かれて、維新後、西欧近代化を急ぐ明治政府の 招聘で、軍隊の教官としてやってくる。 その頃、勝元盛次(渡辺 謙)は時代の変化に対応できない武士たちの立場を守ろうと、反政府軍を率いて不穏な動きを見せていた。 来日早々、急ごしらえの軍を率いて勝元軍と遭遇したネイサンは、戦いに敗れ、山中の彼らの集落に連れてゆかれる。そこでは武士や 農民たちが規則正しく質素な暮らしを営んでいた。 ネイサンは彼らと生活を共にし、勝元の人格や生き方に触れるうちに、日本に対する見方を変えていく。 欧米の映画に現われる珍妙な日本人に、苦笑しながらも、あきらめ半分「向こうから見れば、ま、こんなものか」とやり過ごしてきた 私にとって、これほどキチンと日本文化を理解し表現しようとする映画に出会えたことは、嬉しい驚きだった。 もちろん、エドワード・ズウィック監督自身、インタビューに答えているように、ここに描かれている “サムライ”、あるい は “武士道” は現実を映したというよりは理想化されたものだし、政府軍と闘う勝元率いる反乱軍が銃砲の装備を持たないのも、実際の 時代状況とは異なっている。 あえてそのように設定したという監督は、かつて存在した “日本人の精神” を描きたかったのだろう。私は今「かつて」と書いた けれど、畏敬の念を籠めて描かれたそれをアメリカ映画で思い起こさせられたのは、複雑な思いでもあるが・・・。
南北戦争の英雄でありながら、インディアン討伐に加担した良心の呵責から酒に溺れるネイサンの姿に、自らの開拓の歴史を “侵略” “先住民虐殺” の視点で見つめようとする、アメリカ自身の変化を感じる。 ネイサンがまったく異なる文化に触れ、その影響下で魂の 浄化を図るプロセスは、理想化された日本文化への面映さを別にしても、よく理解できる気がした。 序盤、霧におおわれた林の中から勝元が率いる一団が兜を揺らせながら現われるシーンにゾクゾクした。勇壮な神秘性。ところが、 同じ武具衣装が後半の近代装備をした政府軍との戦闘では、なんとも古臭く時代錯誤なものに見える。 ここではっきり伝わってくるのは、もはや “サムライ” の時代ではない、ということだ。勝元はそれを知っている。知りつつ、 あえて殉じようとする武士としての美意識と、従う者全員がそれを共有する潔さ。終盤の戦闘シーンが胸を打つのは、こうした悲壮感に よるのだろう。 渡辺謙の「虎」にも負けない鋭い眼光が印象的だ。もっぱら渡辺謙に喰われたという評判のトム・クルーズも、禁欲的な佇まいが サムライそのもので、なかなかのものだと思った。小雪の凛とした美しさと内に湛えた情念、再現された明治初期の町並みや森閑とした 日本家屋の美しさにも魅了される。 ただ、天皇がいやに軽々しく外国人の前に出て来る御前会議の描写は違和感がある。勝元の死にで本編は終わりにして、あとは ネイサンの消息をナレーションで語りつつ、急速に近代化が進む東京の光景をエンドショットにしたら、ずっとすっきりしたのでは ないかと思う。 真田広之が積極的に助言・指導したという殺陣が素晴らしい。村人たちが秋祭りに興じている隙をついて、黒装束の一群が勝元らを 急襲する場面などは、怒涛のようなスピード、精悍で無駄のない動きに圧倒された。 【◎○△×】8 |
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12月 |
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ストーリー 難聴という障害を持つ独身女性が、助手として雇った男の現金強奪計画に足を突っ込み、まんまと成功するまでを描く サスペンスフル・ラブスト-リー。フランス・セザール賞で、主演のドゥヴォスは『アメリ』のオドレイ・トトゥを抑えて主演女優賞を 獲得、ほかに脚本、録音賞を受賞した。 土地開発会社に社長秘書として勤めるカルラ(エマニュエル・ドゥヴォス)は35歳の独身女性。難聴のためにふだんは補聴器を つけて仕事をしている。友人も恋人もなく乾き切った生活のなかで、仕事の業績も同僚に横取りされ、ストレスからある日彼女は 眩暈(めまい)を起こす。 社長の許可で助手を雇うことになるが、応募してきたのは、出所直後で保護観察中のポール(ヴァンサン・カッセル)だった。秘書の 助手としての知識も技術もなく、粗野で危険な匂いを放つポールに、なぜかカルラは興味を持つ。 その頃、ポールの保護司は妻が突然失踪し、密かに思い悩んでいた。 ヴァンサン・カッセルが、ネクタイ締めて、オフィスで真面目な顔してコピー取ってる姿のなんとまー、似合わないこと。その一方、 革ジャン着たり、バーで注文取ったりしてる時のかっこ良さったら
ない。ポールが堅気の仕事には向いてないことは一目瞭然なのに、カルラは自分の助手に雇ってしまう。もうこの時すでにカルラは、堅実だけ ど考えようによっては惨めな今の生活が、ポールという危険な触媒によって変化する期待を無意識のうちに持ってたんじゃないかしら ・・・。 障害を抱えながらもテキパキと仕事を処理し、男っ気もなく、一見地味なカルラだが、内心に秘めたものは意外にしたたからしい。 ポールを使って、自分の業績を横取りした同僚にしっぺ返ししたり、ゴネ逃げをしようとした相手から手荒なやり口で仕事をもぎ取った り、「やるぅ〜」と唸るタフさだ。 ポールは根っから悪党という訳でもなく、保護司のところに顔だけは出そうとする。真面目に生きようという意志を捨て切っていない 辺りの律儀さが、なんともいえず可笑しい。それでもカルラの読唇術を利用してギャングのボスから大金強奪をもくろむ。犯罪に関して 2人の相性はまことにう
まく噛み合っている。後半、話が大金強奪に絞られてからのスピード感とサスペンスは相当のものだ。とくに、ポールがギャングらに捕まって監禁されて しまった時、向いのビルから読唇術でポールの意図を読み取り、ギャングを罠にかけてまんまと大金を手中にしてしまうカルラの大胆さ、 手際の良さは、まさに脱帽もの。悪事は案外ポールより向いてるかも・・・と思いたくなる。 ボスの愛人のフリをして、「あなたは彼の好みじゃない」と怪訝な顔をする彼の妻に「肉欲の海に溺れて・・・」と澄まして言うところ は可笑しかった。奔放な友人が以前カルラに言った言葉だ。よほどインパクトがあったのだろう。「私だってこんな台詞一度は言って みたい〜〜」なんて思ってたのかな。 保護司の妻の失踪が本編とどう関わるのかな、と思っていたが、意外な結末だった。ポールにとって良心のシンボルのような保護司だけ に、このオチは見事。初めはカルラなんか目じゃなかったポールが、いつの間にか彼女に愛を感じ始めるラストも気が効いていた。 【◎○△×】7 |