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ストーリー 文化大革命時代の中国の山村を舞台に、2人の若者を通して西洋文学の影響を受け、自我に目覚め、自立の道を歩み出す少女と、彼女を めぐる若者の友情を描いた青春ドラマ。監督はフランスで活動を続けるダイ・シージエ。 1971年、文革の嵐が吹き荒れる中国。18歳のルオ(チュン・コン)と17歳のマー(リィウ・イエ)は、医者を親に持つこと から反革命的とされ、“再教育” のために奥深い山村へ送り込まれる。馴れない労働の日々が続くうち、2人は仕立て屋(ツォン・ チーチュン)の孫娘と知り合う。 可憐なお針子(ジョウ・シュン)に恋した2人は、再教育で来ている別の若者がたくさんの外国小説を隠し持っているのを知り、 盗み出して彼女に読み聞かせる。秘密を共有し、友情が強まる3人。お針子は西洋文学に触れることで次第に “自由” に目覚めていく。 文革の下放政策で地方に下った少年たちの話といっても、『シュウシュウの季節』(98)のような痛ましいシリアスさはない。一人の お針子に寄せる2人の少年の初恋を描いていて、文革批判をふくみつつ、ほろ苦い青春物語となっている。
お針子に扮するジョウ・シュンはせいぜい15、6歳くらいにし
か見えないが、映画撮影時すでに27、8歳とか。そのせいか、川遊びをしながらルオと抱き合うシーンは、瑞々しさの中にドキッとするようなエロティシズムがあるルオとマーが下方された山深い村の暮らしに絶句。つい40年前、中国の僻地はまだこんな状態だったんだろうか。典型的なのが遠い畑までの肥料運びだ。糞尿の入った桶を担いでいかなければならず、石ころだらけの山道で転んで頭からかぶったりする。べつに彼らだけが酷い仕事をさせられているわけではなく、これが村人たちのふだんの暮らしなのだ。 こうして2人は僻地の現状を実地に学んでいくのだが、同時に村人たちも彼らを通して文明や文化を知っていく。(マーが奏でる バイオリンは、モーツアルトの「メヌエット」が毛主席を称える曲ということになっている。文革当時がリアルに感じられて面白い。) おたがいが影響しあうのだが、文革にこうした側面があったことが私には意外だった。 ルオやマーの西洋文学への憧れの激しさには驚かされた。禁じられるからこそ強まる「自由の希求」であり、文革の息苦しさが見える気がする。2人は隠し持っていた外国小説をひそかにお針子に読み聞かせる。そして未知の世界を知った彼女は、ある日、2人の制止を 振り切って、一人
で村を去っていく。話がアチコチするが、彼女の自我の目覚めには、もう1つ、ルオの子を宿し、中絶したことも大きかったのではないかと思う。「自分 が違う人間になったような気がする」というお針子のつぶやき。男は観念でも変化しうるが、女は肉体の痛みを通してそれを知っていく のか、と辛い気持ちになった。こうして2人の初恋に終焉が訪れる。 それから27年が経ち、村が間もなくダムの底に沈むことを知って、マーは再びここを訪れる。これが最後という魂(た ま)祭り。ロウソクを立てた紙の舟が小さな湖一面に浮かべられ、火影が水面(みなも)に揺らめく。岸辺で見守る村人たち。仕立て屋のお爺さんのミシンも、再会に備えてマーがお針子のために買った香水の瓶も、やがて水の中に沈んでいくだろう。 思い出の中の、長椅子に並んで座るお針子とルオ、2人の前でバイオリンを弾くマー、みな水の向うに揺らめいて遠ざかる。すべてが セピア色に覆われるラストシーンが美しい。 【◎○△×】7 |