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6月 |
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ストーリー 『アメリ』のオドレイ・トトゥ主演のロマンティック・サスペンス。共演は『ジェヴォーダンの獣』のサミュエル・ル・ビアン。 画学生のアンジェリク(オドレイ・トトゥ)には、ロイック(サミュエル・ル・ビアン)という素敵な外科医の恋人がいた。2人の恋の 始まりは彼がくれた一輪のバラ。彼には弁護士で妊娠中の妻ラシェル(イザベル・カレ)がいるが、離婚は時間の問題で、アンジェリクは 幸せ一杯だった。 ところが、街角でロイックと妻が仲良く一緒にいるのを見かけてから、アンジェリクの様子がおかしくなる。スクーター事故を起こした り、ガス自殺を図ったり・・・。彼女を愛している医学生のダヴィッド(クレマン・シボニー)がロイックのところに怒鳴り込んだり、 親友エロイーズ(ソフィー・ギルマン)がアンジェリクの相談に乗ったりしているうちに、ロイックの患者が急死する事件が起こり、 こともあろうにロイックが殺人容疑で逮捕される。 冒頭シーンの花屋の花の間からちょこんと顔を覗かせるトトゥの愛らしさ。くりくりした瞳の輝き。乙女の一途な恋の始まりと思わせ るに十分なオープニングだが、なんとなんと、途中からの思いがけない方向に話は展開していく。“恋愛妄想” という、病的な精神状態 に陥った少女の思い込みの怖さ。互いに心から愛し合っている医師夫婦の家庭が、彼女の妄想によって壊されていく。トトゥの目が純真 な輝きを帯びるほど、その裏に張り付いた狂気が逆に透けて見えてきて、どんどん怖さを増していく。 『アメリ』は世界的に大ヒットした映画だけれど、私はあの映画のトトゥがあんまり好きになれなかった。本作でやっと彼女の魅力に 実感として触れることができた気がしてとても嬉しい。 それと『倦怠』(98)のソフィー・ギルマンが、アンジェリックの親友役で出ているのに気づき、びっくり。みんながアンジェリックに 振り回されておかしくなっていく中で、ゆいいつ常識的なバランスを失わない人物として物語の錨の役目を果たしていた。地味だけど重要 な役どころ。でも『倦怠』のイメージが強烈だったので、“ふつう” の人になっちゃった感じが少し残念でもあり。 【◎○△×】7 |
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5月 |
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ストーリー 仕事一筋に真面目に生きてきた一人の男が、定年退職という人生の転機に直面し、孤独と戸惑いの中で第二の人生を歩みだす姿を ユーモラスに描くヒューマン・ドラマ。
アメリカ中西部のネブラスカ州オマハ。この日ウォーレン・シュミット(ジャック・ニコルソン)は長年勤めた保険会社を定年退職した。
妻へレン(ジューン・スキップ)と今は離れて暮らす一人娘ジーニー(ホープ・デイヴィス)との、平凡だが格別不満もない人生を送って
きたシュミットだが、会社を離れてみると手持ち無沙汰の日々に身を持て余す。ある朝、第二の人生をともに歩むはずだった妻ヘレンがあっけなく死んでしまう。ジーニーは婚約者ランドール(ダーモット・マロー ニー)と葬儀に駆けつけるが、シュミットは彼がどうしても娘にふさわしい男に思えない。あんなヤツに娘を取られるのか! おまけに へレンが親友レイ(レン・キャリオー)と浮気していた手紙まで出てきた。 気持ちの持って行き場のないシュミットはキャンピングカーで旅に出るのだが・・・。 映画ってほとんどの場合、オープニング・シーンにその映画のエキスが凝縮している。本作でいえば、何にも飾りのない部屋に初老の男 がぽつんと座り、壁にかかった時計の針と睨めっこしている。秒針が動いて5時ちょうどを指す。男は黙って立ち上がり、コートを腕に ドアの外へ。だれ1人顔も出さず、声も聞こえない。真面目に勤め上げて迎えた定年退職の侘しさに、いたたまれぬ思いになる男性も 多いのではないだろうか。 初老期の人生の黄昏どき、来し方を振り返り、「自分の人生はなんだったのか」という悔恨にも似た思いや腹立たしさを覚えない人は いないだろう。妻子を養い、それなりに会社に貢献し、平凡だけれど自分らしく生きてきた、という自負にふと隙間風が通り、気が つけばどこにも自分の居場
所がない。ウォーレン・シュミットはまさにそんな典型的なサラリーマンの1人だ。退職後、「いつでも来てほしい」という後任者の言葉を真に受けて元の会社を訪ねてみれば、体よくあしらわれた上に、引きついた はずの書類はダンボール箱で捨てられている。 妻はやることなすことにアラが見え、「この女はいったい何者だ」と思ってしまう。(女房族の1人である私としてはギクッとしな がらも内心苦笑。身につまされるんだけど、すごくよく分ると思う部分だった。)一人娘の結婚も、自分1人が蚊帳の外だったと思い知る。 ジャック・ニコルソンの寝起きのぼーっとした顔、薄い髪がぼさぼさに立ち、だらしなくガウンを羽織ってのそのそ歩く姿を見ている と、演技者とはなんと大したものだと感心する。だれにも見せたくない、日ごろの自分そのままを演技として露出してしまうのだから。 第二の人生をともに歩もうと思っていた妻はあっ気なく急死し、死なれてしまえば有難みが身に沁みる。離れて暮らす娘は自分の結婚 準備で忙しく、やもめの父親の世話どころではない。
キャンピングカーの旅で知り合った中年夫婦の妻に「寂しさや喪失感だけでない。あなたの心の底には怒りがある」と見抜かれる場面
はちょっとギクリとする。たぶん彼自身、自覚していなかっただろうから。その夜、車の屋根でろうそくを灯しながら、シュミットは星天の妻に語りかける。「夫としての自分をどう思っていた?」「きっと 失望させただろうね」「すまなかった」と。無関心だった妻の心情に思いを馳せるシュミットに、孤独の深さを感じてしんみりして しまう。 ボランティアで始めたアフリカの少年への手紙を朗読する形でストーリーは進むが、遠い土地の見ず知らずの少年相手にしか本音が 洩らせないシュミットがやるせない。どこにもやり場のない憤懣を娘婿をケチョンパーにけなすことで晴らしたり、娘の結婚準備で相手 の家に出かけ、そこで見当違いな怒りを爆発させたり、一人でバタついてせっかく出来かかった人間関係をぶち壊しにするシュミットに クスクス笑いしながらも、ほろ苦い思いが湧いてくる。 ジャック・ニコルソンはアクの強いキャラクターを演ずると他の追随を許さない、ということになっているが、じつは私はそれに辟易 することが多かった。本作の二コルソンはまったく普通のサラリーマンを演じて、平凡な男に終始する。それが私にはとても新鮮 だった。 【◎○△×】7 |
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4月 |
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ストーリー 『マッチ工場の少女』『浮き雲』などのフィンランドの異才、アキ・カウリスマキ監督作品。 ある夜、ヘルシンキに流れ着き公園のベンチで寝ていた男(マルック・ペルトラ)が暴漢に襲われ、瀕死の重傷を負う。記憶をなくした 男は港のコンテナを改造して住む人々と暮らし始める。彼らの楽しみは金曜日。救世軍のスープが振る舞われるのだ。男はここで救世軍 で働く女性イルマ(カティ・オウティネン)と出会う。 2002年のカンヌ国際映画祭でグランプリ。また、イルマに扮したカウリスマキ作品の常連カティ・オウティネンが主演女優賞を 受賞した。 カウリスマキ作品は初めての人にはなじみにくいかもしれないな、といつも思う。極端なまでに削ぎ落としたセリフ、仕草、無表情で ぶっきらぼう。しかし、それらが徐々になんとも言えぬユーモアを醸し出す。噛めば噛むほどじわじわ旨味が出てくるところはスルメに 似ている。
夜汽車に乗って、中年男が一人、ヘルシンキにたどり着く。公園でひと休みしているところを暴漢に襲われて重傷を負い、過去の記憶を
失ってしまう。“記憶喪失” は、「私たちはどこから来て、どこへ行くのか」という人間存在の根っこにかかわる問題だけに、その半分(=「どこから来たか」)が分らなくなるのは大事(おおごと)だ。ところが男はことさら悩む風もなく、けろりと現状を受け入れる。 名前が分らないから “男” としか言いようがない。そのために、数々の不便や不都合な目に遭っても、とりあえずの名前を名乗ること すらしない。主義・信条からそうしている訳でもないらしい。その脱力ぶりが面白い。 職安では、名前も住所も社会保証番号も分らない “男” は、受付けを拒否される。「過去がない」のは、社会的に存在しない のと同じことなのだ。救世軍のイルマはそんな彼にこざっぱりした服と仕事を与える。しゃれた赤シャツのスーツ姿で倉庫整理をする 男は、飄々としてユーモラス。 コンテナ会社の警備員が脅しのつもりで連れてくる犬は、凶暴という触れ込みなのに見るからにおとなしそう。(“ハンニバル” と いう名前がなんとも言えません。)その上、会った途端に “男” になついてしまう。全編いたるところに漂うこうしたとぼけた味が たまらない。 “男” が出会う律儀な銀行強盗のエピソードがじつに味わい深い。奪った金(といっても、口座が凍結されたためで、元々は自分の 金だ)を “男” に託し、未払いの給料を従業員たちに配るように頼むのだ。きっちり自分の預金した金しか奪わないところが泣かせる。
“男” は怪しまれて警察に拘束されるが、イルマが派遣した老弁護士に解放してもらう。弁護士と刑事とやり取りが笑わせる。弁護士
の上げた判例にグーの音も出ない刑事は、別の判例を上げて「どうだ、まいったか」という顔をする。弁護士、眉一つ動かさずさらに別の
判例を上げる。互いに「過去」の判例を並べるだけで会話が成り立つ可笑しさは、カウリスマキ監督ならではだろう。「過去のない」男が「過去」に 助けられるわけだ。 彼が銀行強盗との約束を果たすのはもちろんだ。 本作はほかのカウリスマキ監督作品にくらべ、色彩が鮮やかで科白も多い。何よりびっくりなのは、主役のマルック・ペルトラと カティ・オウティネンがキスすること。もう若くもなく、美男美女でもない2人が、恋にときめくのが初々しい。 貧しくとも温かな人々とのふれ合いの中で、“男” は「今」「現在」に居場所を見つける、残り半分(=「どこへ行くのか」)が肝心 といわんばかりに。無愛想の底に流れるほのぼのした温かさ。そこにカウリスマキ監督の楽天的な人間讃歌が感じられて心地よい。 【◎○△×】7 |
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4月 |
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ストーリー 実在の天才詐欺師で、現在FBIのアドバイザーとして活躍するフランク・W・アバグネイルの半生を、スティーヴン・スピルバーグ 監督が映画化、小気味よい娯楽作品に仕上げている。 1960年代、高校生のフランク(レオナルド・ディカプリオ)は父親の事業の失敗、続く両親の離婚にショックを受け、家出して しまう。暮らしに困り、偽造小切手の詐欺に手を染めたランクは、やがて舌先三寸で手に入れた制服で航空会社のパイロットに成りすます と、その信用をいいことに、ますます偽造小切手詐欺に精を出す。あっという間に巨額の金を手に入れるフランク。 しかしFBI捜査官カール・ハンラティ(トム・ハンクス)が捜査に乗り出していた。こうしてフランクとカールの知恵を絞った追い かけっこが始まる。 これが実話に基づいているなんてねぇ、と、まずそれにまず驚かされる。フランク・アバグネイルは10歳くらい年長に見せ掛けて いた訳だけど、よほどに老けてるとか、落ち着いてるとかしてたんだろうか。 それでも娼婦と値段の交渉をする時や、人恋しくなってFBI捜査官のカールに電話したり、護送中に脱走して母親に会いに行く ところなどに、年相応の幼さを覗かせて微笑ましい気分になる。ディカプリオがフランクとは逆に実年齢より10歳近く若い役を演じて、 高校生らしさを違和感なく出しているのはさすが。 FBI捜査官というとそれだけで凄腕のシャープな人物像をイメージしてしまうが、カールはけっこう抜けていて始終フランク に出し抜かれる。そんな彼の飄々とした温かい人柄を、トム・ハンクスが肩の力の抜けた演技でうまく表現している。また、最近怪優の 印象の強いクリストファー・ウォーケンが、淡々とした演技で父親を演じていたのが個人的には嬉しかった。 楽しんで見ているうちに、両親の離婚が子どもに与える傷の深さや、家庭を失った子どもの孤独などがじわじわと伝わってくる。 大作というのではないがいい映画だった。 【◎○△×】7 |
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4月 |
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ストーリー 舞台版アカデミー賞といわれるトニー賞を受賞したボブ・フォッシー演出・振り付けのミュージカルを、ブロードウェイで活躍 する振付兼演出家のロブ・マーシャルが監督・振り付けして映画化。作品賞・ゼタ=ジョーンズの助演女優賞など6部門でアカデミー賞 を受賞した。 1920年代、舞台は犯罪さえもスターの道を開く道具に過ぎないショービジネスの街シカゴ。スターを夢見るロキシー(レニー・ ゼルウィガー)は、ショーに売り込むという約束が嘘だったことを知り、裏切った愛人を射殺して刑務所に送られる。そこには憧れの スター、ヴァルマ(キャサリン・ゼタ=ジョーンズ)が浮気をした夫と妹を殺して服役していた。 ロキシーは看守の “ママ” モートン(クイーン・ラティファ)の入れ知恵で悪徳弁護士ビリー(リチャード・ギア)を雇う。百戦 錬磨のビリーは巧みな作戦でマスコミを操作し、ロキシーは一躍ヴェルマを凌ぐ人気者になる。裁判で無罪を勝ち取り、ロキシーは得意 の絶頂にいたが、センセーショナルな事件は次々に起こり、マスコミの興味は潮が引くようにロキシーから去っていった・・・。 重量感たっぷりでとにかくゴージャス! セクシーで、テンポよくて、久々楽しいミュージカルだった。とくに、オープニングの ゼタ=ジョーンズの「オール・ザット・ジャズ」、あれだけでもう完全にノックアウト、彼女があんなに歌と踊りがうまいとは思わな かった。 ミュージカルというと、私はこれまでは大方歌が始まると退屈してくるという困った性分だったが、本作は歌の部分はショー仕立てに なっていて、ストーリーに入れ子のように挿入されている。だから話の流れが阻害されずかえってテンポが増し、しかも豪華なクラブの ショーも同時に楽しんでるみたいで、すごく得した気分だった。 女囚たちのダンス場面がセクシーで強烈だ。なかでも、赤い背景全面が黒い格子で区切られ、その一つ一つでダンサーが踊るシーン。 一斉に動くシルエットがとにかくもう「かっこいい!」の一語。カット割りが早くてすぐ変わってしまうのが勿体ないくらいだった。 クイーン・ラティファ扮する女看守の “ママ” モートンの歌もすごい。パワー、表現力、貫禄、どれ1つ取ってもとうてい日本人には 出せそうもない迫力に圧倒された。 ロキシーの夫エイモスの人の好さや、名より実を取るヴァルマのしたたかさなど、人間の欲望や心の裏を抉り出して、ストーリーも なかなかのもだったが、ヴァルマ役のゼタ=ジョーンズが強烈過ぎて、主役のロキシーに扮したゼルウィガーはちょっと線が細いかなぁ。 それと、モンローがこの役をしたらどんなだったろう、とふと思ったりした。 しかし、リチャード・ギアとゼルウィガーのマリオネット・ダンスのわくわくする楽しさ、ラストの大イルミネーションの前で ロキシーとヴァルマが歌い踊るシーンの華やかさ、と最後の最後まで堪能させてくれる映画だった。 【◎○△×】8 |
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5月 |
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ストーリー “チルソク” は韓国語で「七夕」の意味。佐々部監督が妹の体験をもとに作った、下関と韓国の高校生のスポーツを通じて芽生えた 爽やかな恋を描いた青春ドラマ。 下関の高校生の郁子(水谷 妃里)は走り高跳びの選手だ。毎年7月7日、下関と姉妹都市・釜山との間で行われる親善陸上競技会の 代表として初めて韓国に渡った。そこで、同じく代表として競技会に出ていた安(淳 平)と知り合い、2人は互いに惹かれ合う。 来年の再会を約束して帰国後は文通を始めた2人だったが、郁子の父(山本 譲二)は猛反対。安の両親も戦争中の苦い思い出や、受験 を控えた安を心配して、2人の交際に反対する。それでも2人は思いを貫き、1年後に再会を果たすのだが・・・。 「チルソク」という美しい響きに引かれて見に行ったが、わざわざ劇場まで足を運ぶことはなかったな、とがっかりして帰った覚えが ある。佐々部監督は私には合わないらしい。本作と『半落ち』の2作しか見ていないが、感覚がどうも私とは違う。 “恋” というもっともプライベートな事柄が、初めから最後まで「仲良しグループ」の見守るなかでオープンに展開していくことに首をひねってしまった。とくに、郁子と安が港の見える公園でデートするのを、他の3人が物陰から覗いたり(彼らにしたら見守ってるつもりかもしれないけど)、2人のキスに感動して涙ながらに「なごり雪」を歌いながら出てくるのにはびっくり。 郁子も腹を立てるどころか、みんなと抱き合って泣いたりする。いくら高校生の恋でも、これ
では幼なすぎる。2人の恋にとって日韓の過去の歴史が大きな障害になっている。日本には朝鮮半島に対する差別感や偏見がまだ根強く残っているし、韓国には植民地支配や大戦中の苦い経験から日本に対する怨念や怒りがある。 高校生の清純な恋がテーマだから、そんなに重く扱う ことはないと思うものの、それでも安の科白だけで処理するのは安直すぎないだろうか。 ラストの中年にかかろうとしている郁子と安が思い出の競技会で再会するシーンは、歩み寄る郁子の視線の先に安らしきシルエットが 浮び上がるところで終らせるべきだったんじゃないかなぁ。すべてを見せると余韻は失われてしまうものだと思う。 嫌なことばかり書いてしまったけれど、映画自体はとても誠実に作られていると思った。とくに郁子が、朝夕、バイトの新聞配達をする下関の町が情緒豊かな映像で切り取られて美しい。 水谷妃里のニッと笑った笑顔の清々しさも好もしかった。 【◎○△×】5 |
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6月 |
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ストーリー カリスマ的人気ラッパー、エミネムの半自伝的な青春ドラマ。監督は『L.A.コンフィデンシャル』のカーティス・ハンソン。 1995年のデトロイト。ジミー(エミネム)は無職の母(キム・ベイシンガー)と幼い妹の3人で、貧しいトレーラー・ハウス 暮らしをしている。捨てられまいと若い恋人に縋りつく母との確執、恋人(ブリタニー・マーフィ)とのささいな行き違い、昼間働く プレス工場の退屈な仕事、仲間とのいざこざ・・・。 底辺の暮らしの中で、ジミーは毎週行われるラップバトルの優勝を目指し、ヒップホップ・クラブのステージに向う。それを足がかり にプロとして成功することを夢見て。しかし、初めての挑戦は極度の緊張から一言も発することが出来ず、会場を後にしたのだった ・・・。 場末の小さなステージでラップバトルに勝つことが、本当に成功の足がかりに繋がっていくのかな・・・。こういう世界の事情はよく 分からないけれど、見ていてまったく心許ない気がする。それだけに、そんな小さなチャンスにさえも全身でぶつかっていく若者の熱気 のようなものは、痛いほどに伝わってくる。最底辺の生活から抜け出そうとあがく、行き場のないエネルギーがびんびん胸に突き刺さっ てくるのだ。そのパワーがこの映画の最大の魅力だと思う。 映画で見る限り、ラップバトルって語呂合わせをいかに巧みに使って相手を罵倒し尽くすかの競争みたいに見える。ラップってそう いうものなの?ととても意外な気がしたが、それだけに彼らの抑圧された怒りが沸き返り、言葉となって溢れ出る感じはよく伝わって きた。 主役のエミネムはカリスマ的な人気を誇るトップ・ラッパーだそうだ。たしかに一点を見据えたように動かない瞳には、オーラの ようなものが感じられる。映画は世に出る前のジミーを描いているけれど、今のエミネムの本格的ラップをじっくり聴きたい気がした。 【◎○△×】7 |
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4月 |
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ストーリー 『トリコロール』3部作などの巨匠クシシュトフ・キエシロフスキーの遺稿脚本を、『ラン・ローラ・ラン』のトム・ティクヴァ 監督が映画化した。一組の男女の運命的な愛を、トスカーナの美しく平明な自然を背景に詩情豊かに描いている。 イタリア・トリノ。英語教師のフィリッパ(ケイト・ブランシェット)は、夫の死の原因となった麻薬取引の黒幕を暗殺しようと高層 ビルに時限爆弾を仕掛けるが、何の関係もない市民4人が犠牲となっただけだった。憲兵フィリッポ(ジョヴァンニ・リビージ)は 取調べで通訳を担当するうちにフィリッパに恋してしまい、彼女の脱出を手助けする。 黒幕を殺して復讐を果たしたフィリッパと付き添うフィリッポ。2人は絶望に彩られた逃避行へと入っていく。 ケイト・ブランシェット演ずるフィリッパが、自分が無辜(むこ)の人を4人も殺害してしまったことを知った 時のあの顔。あれほど深い苦痛と悲しみの表情を私はかつて見たことがない。そして、そんな彼女を打ちのめされたように見つめる憲兵の フィリッポ。2人が運命的に出会ったことがよく分る。 映画は神話的で澄明な美しさに満ちている。フィリッパが麻薬取引の黒幕を殺して、フィリッポと逃避行に入るというストーリーは、 じつはそれほど重要ではないんじゃないかと思うほどだ。逃避行に入った時、2人はすでに白いTシャツにジーンズという男女の別の ない同じ服装をしているが、逃避行が進むとさらに2人とも頭を丸め、ますます見分けのつかない外見になる。 2人が平原の道を並んで歩く姿は、まるで姉と弟に分かれた一体の神が、互いの分身に出会ったかのように見える。トスカーナの透明 感のある美しい風景がますますそんな印象を強める。 2人が同じ名前を持ち(“フィリッパ” は、“フィリップ” の女性形)、同じ誕生日であることが、2人が元は一人であったことを 示しているように思える。大樹の下に全裸で立つ2人のシルエット。つと歩み寄って抱き合い一体となる。静謐な美しさに満ちたシーン だ。分身を探し求め、出会った彼らがとうとう元の一体となった。そんな思いが湧いてくる。 映画の冒頭でフィリッポがシュミレーションによるヘリコプターの操作訓練を受けるシーンがある。ヘリには登れる高さの限界がある。 それを超えると危険だ、と教官の声が説明する。ラストシーン、2人の乗ったヘリコプターは高く、高く、高く、真っ直ぐに上昇する。 やがて点になり、蒼空に消え、上昇し続ける音だけが微かに聞こえてくる。 スクリーンに映る雲のかかった薄青の空を眺めながら、2人は天に帰ったのだなぁ、と思った。そういえば、この映画は天空から地上 を見下ろす俯瞰のシーンがよく出てくる。あれは、2人が分身を探す視点だったのかもしれない・・・。冒した罪の償いに死に場所を 求めて彷徨するフィリッパと、彼女に殉じるフィリッポの純愛。少ないセリフと2人の張りつめた表情が、映画を純化し余韻を深める ような気がした。 【◎○△×】8 |
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5月 |
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ストーリー 文藝春秋漫画賞を受賞した西原(さいばら)理恵子の同名コミックを、『どついたるねん』『顔』の阪本順治 監督が映画化した。 一太(いちた)(矢本 悠馬)と二太(にた)(田中 優貴)は母親(鳳 蘭)が家出 して半年、水平島の貧乏な町の片隅でけっこう逞しく生きていた。ある日母親が若い女を連れてもどって来た。2人の姉でかの子 (観月 ありさ)という名だという。 母親はまたすぐいなくなってしまったが、一太と二太は綺麗なお姉ちゃんが出来たので大満足だ。かの子は早速ピンサロで働き始め、 ケーキも買ってくれるし、朝はいい匂いの味噌汁も作ってくれる。 一太はチンピラのコウイチさん(真木 蔵人)に弟子入りし、3人は楽しく暮らしていたが、母親が家を売ってしまったために、立ち 退きを迫られる破目になる。 一太とコウイチ、二太とかの子に話が割れ、うまく融合しないままエピソードが羅列されただけの印象で終ってしまった。二太の視点 をもっと強力にしたら、一本筋が通ったんじゃなかろうか。 それ以上に、西原理恵子の非情でドライな世界がどう映画化されるのか期待していた私には、少々失望の映画。原作をどう解釈するか によるが、「健気に生きる子どもたち」という把え方をしたら、途端にこの映画は違うものになってしまう。そういう大人の感傷とか 同情とか、一切の湿り気を排除した苛烈さが、原作「ぼくんち」の独特の世界を作っている。 原作の、泣くにも泣けないような、真っ黒な “空洞” の目をした子どもたちの顔。ぽっかり開いた菱形の口。非情・不条理を、説明 ・解釈一切なしで非情・不条理なままに突き放す。するとその苛烈さを突き抜けた先に、ブラックで、奇妙な明るさを伴ったユーモアが 漂っている。それが原作の魅力だ。 映画では、母親がちょこちょこ戻って来てかの子と母子の情を通わせる。この母親は徹底して子供を捨てる親でないといけない。 もっといけないのは、かの子と二太を「じつは親子です」にしてしまったこと。これで完全にこの映画は、見かけは現代風だが、中身は 古めかしい三益愛子風「母もの映画」になってしまった。 原作と映画は別物と考えればこれはこれでいいのかもしれないが、私には面白い素材を生かし切れない残念な映画になってしまった。 【◎○△×】6 |
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5月 |
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ストーリー 『月はどっちに出ている』の梁石日(ヤン・ソギル)の直木賞候補にもなった同名小説を映画化。大阪の 在日朝鮮人の集落を舞台に、鉄屑窃盗団の青年たちが精力的に戦後を生きる姿を描いた青春ドラマ。韓国で大阪の完璧なオープンセット を組み、撮影を敢行した。監督は初メガフォンを取る劇団・新宿梁山泊の金守珍(キム・スジン)。 1958年、アジア最大の兵器工場だった大阪造兵廠は、戦後10年以上経っても立入禁止のまま放置されていた。近くを流れる 川岸には朝鮮人集落がある。その住人ヨドギ婆さん(清川 虹子)が工場跡地から鉄屑を掘り出して大金を得たという噂が広まり、集落は 一山当てようと色めき立つ。 兵器の残骸とはいえ国有財産。警察の目を盗んで、集落あげての深夜の鉄屑窃盗が始まる。3年ぶりに集落に戻ってきた金 義夫 (山本 太郎)もその一人。そんな中義夫は、ヤン婆さん(李 麗仙)の姪で朝鮮戦争で孤児となった初子(柳 賢慶)に出会い、互いに 惹かれ合うようになる。 この映画は切ない。沸き立つようにエネルギーが溢れ、荒々しいほどの活気に満ちた画面の底に、在日朝鮮人の悲しみが絶えず流れて いるからだろうか。ことに、義夫と初子の恋が切ない。ラブシーンなどないけれど、ぎりぎりの境遇の中で心が激しくぶつかり合う。 警察の手入れに会い、集落に火が放たれるラスト近く、初子が初めて「愛してる!」と叫ぶ。そして義夫が床下に隠した初子に向って 「ワシもじゃぁ〜〜!」と絶叫するシーンでは、不覚にも涙をこぼしそうになった。 義夫を演じる山本太郎の逞しく鍛えられた身体と、そして何より眼がいい。こんなハングリーでひた向きな眼差しは久しく出会って ない気がして、それだけで映画に引き込まれてしまう。 これまで見た映画の山本太郎の眼は、研ぎ澄まされた刃のように鋭い光を放っていたが、本作ではさらに青臭い男気や明るい愛嬌を 含んで、若者らしくきらきら輝いている。こんなにいろんな表情を見せる眼だったのかと驚いた。 そしてもう一人、凄い眼の持ち主に出会った。義夫の幼なじみ・健一を演じる山田純大。彼が最初に姿を現わすシーンで、車から降り 立ちサングラスを外すと、薄緑に翳った眼がすっと現れる。ゾッとするほど冷酷で、そしてじつに色っぽい。その眼を見た者は、健一の 過ごして来たただならない人生を一瞬のうちに悟らされるのだ。居るだけでサマになる役者だとつくづく思う。 集落の住人を演ずる六平直政、大久保鷹の脇役陣もよく、男たちの魅力が全開した映画だ。音楽を担当した朴保(パク ・ポウ)の歌も、ある時は明るくパワフルに、ある時は悲痛にドラマティックに胸に響いて、忘れがたい。 【◎○△×】8 |
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5月 |
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ストーリー 俳優ジャック・ぺランが製作に当たっている。カメラの位置を鳥たちに揃えるというユニークな手法を取り、中心になる鳥40種 1000羽については卵の頃から一種の胎教を施して、超軽量飛行機のエンジン音に馴れさせるなどした。 こうして、3年の歳月をかけ、100種類以上の渡り鳥たちが世界各地と北極を行き来する姿を克明に追っている。美しい田園や湖、 厳しい雪の山岳、激しい嵐、また銃を向ける人間たちや重油などで汚染された河など、鳥たちの目線による自然が次々展開され、その中 を何千キロと飛び続ける渡り鳥の姿は、ともに天空を飛ぶような感動的な思いを誘う。 羽の一本一本が見え、胸筋の動きも分るほど、鳥たちのすぐ近くにカメラがある。撮影者の乗る飛行機音だけだって、鳥はびっくりして 逃げるだろうに、と不思議でならない。 これは、中心となる約40種1000羽の鳥たちに、スタッフは卵の頃から話しかけたり、超軽量
飛行機のエンジン音を聞かせたり、孵化してからはロレンツの “刷り込み理論” を利用して、人間に馴れさせるトレーニングをしたためなのだそうだ。鳥たちが撮影時に人間や機械音を警戒しないよう、周到な準備が行われたのだ。鳥は自分たちの群れに交じった飛行機を一切気にする ことなく、自然のままに空を飛んでいる。 冒頭とラストに出てくる少年と水鳥の交流や、羽を休めるツルに餌を与える農婦などはおそらくフィクションだろう。こうしたことも含めて 純粋のドキュメンタリーとはいえないかもしれないが、CGを使わない本物の映像は本当に素晴らしく、自分も鳥になって一緒に飛んで いるような気分になる。 総監督は俳優でもあるジャック・ペラン。私は未見だが、彼は顕微鏡のようなカメラを使って昆虫の世界を捕らえたドキュメンタリー、 『ミクロコスモス』(96)を製作しているそうだ。対象と同じ視点にカメラを置くと言う発想は、今回の作品にも共通している。 ヨーロッパ、ユーラシア、アメリカ、アジア・・・、春になると地球上のあちこちから、鳥たちは生まれ故郷である北極を目指して 飛び立つ。数千キロからなかには数万キロにも及ぶ長い飛行の旅
だ。眼下に広がる風景は、これが私たちの住む地球なのかと感嘆したく
なるほど美しい。カメラが捕らえるのはそれだけではない。嵐や雪崩など自然の脅威が彼らを襲う。地上や空中からは天敵が襲来する。なかでも、都会の 川にひと時の休息を求めた鳥たちが、べっとり川面を覆う重油に足を取られ、羽に絡みつかれて、飛び立てなく様子は胸を衝かれる。 しかし、カメラはそうしたことを深追いせず、ひたすら飛び続ける鳥たちの姿を追う。遠く上空を飛ぶ彼らはとても優雅に見えるが、 間近で見ると、首を前へ前へと伸ばし、ばたばたと翼を打ち振りながら必死に飛んでいるのが分る。こうして何千キロという長い旅を 続けるのだ。シンプルに、ただそのことに胸を打たれる。 餌取り・求愛・争いなど飛行以外の生態も紹介され、それぞれが美しく珍しい。撮影に3年、製作費に20億をかけたというダイナ ミックな映像に魅了された。 【◎○△×】7 |