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7月 |
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ストーリー 知的障害のために7歳の知能しか持っていないサム(ショーン・ペン)は、コーヒーショップで働きながら一人で娘のルーシー (ダコタ・ファニング)を育てている。彼と同じく知的障害を持つ仲間や、近所に住む引きこもりのピアノ教師アニー(ダイアン・ ウィースト)に支えられて幸せに暮らしていたが、ルーシーが7歳になったある日、これ以上の養育は無理だと判断されて、ソーシャル ワーカーによって児童福祉局に引き取られてしまう。 サムは自分が父親としての能力を持っていることを証明するために、敏腕女性弁護士リタ(ミシェル・ファイファー)の無料奉仕で、 裁判に出ることを決意する。 作中にはシ人気アーティストたちによるビートルズ・ナンバーがカバーされ、物語に深みを与えている。 手のアップ。どこかおぼつかないけれど、丁寧に調味料の卓上ビンを並べ、整えていく。 冒頭のこのシーンですぐに映画に引き込まれた。客の注文を取るサム。どんな注文にも「グッド・チョイス(いい好みだね)」と返す。 恐らく教えられた通りに言っているのだろうけれど、ファーストフードの店でマニュアル通りに返される言葉とは明らかにニュアンスが 違う。サムが心からそう思っていっているのが分かるのだ。
「時間だよ」といわれて、あわてて通りに走り出すサム。体が斜めにかしいでいかにも危なかしい。子供が生まれる病院に駆けつけ
ようとしているのだ。これらの短いカットの繋がりで、サムが知的障害を持つこと、そのなかで誠実に生きていることが、見事に見るものに伝わってくる。 サムに扮したショーン・ペンの演技力に一驚。知的障害者の演技が少しも不自然でないのだ。肩の力が抜け、サムのピュアな心のあり ようがそのままスーッと表われている。 私の中では『デッドマン・ウォーキング』の印象や、私生活でもマドンナとの結婚や離婚など、ショーン・ペンはなんとなく暴力的で アクの強いイメージだっただけに、これはまったく驚きだった。
ミシェル・ファイファーが扮する敏腕弁護士リタが印象に残る。有能ではあっても心に余裕がなく、家庭もうまくいかず、競争社会の
中でキリキリ苛立った神経で仕事をしている。そのリタがサムとの交流で徐々に癒されていく。社会的弱者・強者の区別は現実社会では厳然と存在するけれど、サムとリタの関係は、人間の幸せは別のところにあることを教えて いるようだ。 この映画には悪い人が1人も出てこない。サムの養育能力に疑問を投げかける検事(リチャード・シフ)すら、決して冷たい人では ない、ただ第三者として冷静に判断しているだけなのだ。サムのために弁護する向かいのアパートの住人アニーや、知的障害を持つ母親 に育てられたという女医(出番は少ないけれど、メアリー・スティーンバージェンの的確な演技が素晴らしい)、サムと同様知的障害を 持つ友人たち(ダグ・ハッチソンほか)、サムの娘ルーシーを引き取ることになる里親(ローラ・ダーン)、みんないい人ばかりだ。 知的障害者の置かれた環境は、現実にはもっともっと厳しいもの違いない。それにも関わらず、サムとルーシーの幸せな笑顔で終る ラストシーンでは、救われる思いがした。 【◎○△×】7 |
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7月 |
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ストーリー イギリスの名門パブリック・スクールから、ある日4人の男女生徒が忽然と姿を消す。18日後、4人のうちの一人、リズ (ソーラ・バーチ)だけが憔悴しきった姿で発見される。 リズと、いまだ行方不明の3人の高校生たちにいったい何が起こったのか。彼女の精神的ショックを癒すためと、真相解明のために 精神科医フィリッパ(エンベス・デイヴィッツ)がリズのカウンセリングを始める。やがて彼女の語り始めた真相とは・・・。 リズ、マイク(デズモンド・ハリントン)、ジェフ(ローレンス・フォックス)、美少女フランキー(キーラ・ナイトレイ)の 4人は、地理の研修旅行をさぼって週末を楽しく過ごそうと、密閉された防空壕の穴に入り込む。リズにとっては人気者のマイクと 親しくなるチャンスだ。 しかし3日目、蓋の鍵を外しにくるはずだったマーティン(ダニエル・ブロックルバンク)がなぜか姿を現わさない・・・。 リズが犯罪精神科医フィリッパに語る事件のいきさつと、逮捕されたマーティンが語るそれとが異なる上に、マーティンには事件 当時のアリバイがある。 ・・・という滑り出しは、事件の真相がどこにあるのか分からない “藪の中” 的な展開を予想させて、なかなか好調。しかし、 意外にあっさり事件の真相は判明してしまう。
思うに、この映画はミステリー・タッチではあるけれど、高校生くらいの年頃が陥りやすい妄想的でエゴイスティックな愛を描くのが
目的だったのかもしれない。リズは解決の “鍵 ”を握りながら「愛が叶うまでは」の一心で、それを明かさない。その間に穴倉にはパニックがみなぎり、親友が 死に、腐臭が漂う。 地獄の様相を呈するなかで、口を閉ざし続けるリズの「愛の妄執」がすごい。その怖さは十分に出ていると思った。 しかしもっと怖いのは、救出された後のリズのしたたかさだ。彼女にかかっては一見ベテラン風の精神科医フィリッパもひとたまりも ない。リズは真相を少しずつ明かしながら、事件隠蔽の片棒を巧みにフィリッパに担がせていく。 ソーラ・バーチが小憎らしいほどうまい。いかにも高校生らしい、ちょっと稚さの残した頬ぷっくりの顔が、違う場面ではセックスに 飢えた嫌味なませ顔になる。どこにほんとの彼女がいるのか分からない。二重人格的な怖さがある。 事件の真相を知り、呆然とするフィリッパを横目でちらりと見て、薄笑いするバーチの顔でポンと終わってしまうラストは、演出と してもなかなかのものと思った。 【◎○△×】7 |
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8月 |
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ストーリー ニューイングランドの小さな港町で開業医をしているマット(トム・ウィルキンソン)と妻ルース(シシー・スペイセク)のもとに、 大学生の息子フランク(ニック・スタール)が夏期休暇で帰って来る。彼は子どものいる年上の女性ナタリー(マリサ・トメイ)と付き 合っているが、暴力夫リチャード(ウィリアム・メイポーザー)は彼女との離婚の応じようとしない。 ある日、悲劇が起こる。ナタリーの家に押しかけてきたリチャードに、フランクが射殺されてしまったのだ。息子の突然の死に夫婦の 関係は軋み始め、マットはある決意をする・・・。 小さな漁港の町で合唱隊の指導をしているルースは、夏休みで帰省している一人息子フランクが年上で子持ちの女性のナタリーと付き 合っているのが気になる。まだ学業中の身である上に、ナタリーが暴力を振るう夫リチャードとまだ正式に離婚していないからだ。開業医 の夫マットに息子と話し合うように持ちかけても、本気で取り合ってくれない。 そんな中で、フランクがリチャードに撃たれて死亡する。しかし、銃の暴発による事故死と判断されたために、リチャードは裁判まで 保釈となり、ルースは町で彼と出会うこともあって耐え難い苦痛を味わう。やり場のない気持ちを夫婦はたがいにぶつけ合い、激しく 責めあう。 やがて夫のマットはある決意をする。しかし、すべてを済ませて帰宅したマットに、ルースが「終わったの?」と聞くところ見ると、 彼の行動は夫婦の相談の結果だったと分る。ベッドに横たわり 身じろぎしない夫を残し、ルースはふだん通りの声で「コーヒーを 飲む?」と声をかける。 “目には目を” 式の報復の心理は、分りやすいと言えば言える。しかし、愛する者を失った苦し
みや悲しみはそれで解決するのだろうか、という深い疑問が残る。本作を再見して、よく似た2つの映画のことを考えた。 1つはベルギー映画の『息子のまなざし』(02)。職業訓練所の教師をしている主人公は、幼い息子を殺され、その上、少年院を出たばかりの犯人の少年を教える立場に立たされる。映画は、愛する者を理不尽に 奪われた者の心の救済はどこにあるのか、と静謐に問いかける。 もう1つは、イタリア映画の『息子の部屋』(01)。医師である父親は、ある日突然に、友達と海に遊びにいった息子の水死を知ら される。ここでは、残された家族がどのように喪失を受け入れていくのか、そのプロセスが描かれる。 いずれの作品でも、息子を失った傷はあまりに深く、夫婦はともにいることができずに離婚したり、家族がバラバラに崩壊する危機に 直面する。一方、本作のルースとマットは犯人に報復することで夫婦の均衡を取り戻そうとする。ルースの平静な声音は、その試みが 上手くいったかのような印象を与えるが、本当にそうだろうか。彼らは息子を失う以上のあらたな苦悩を抱えてしまったのでは ないだろうか。 痛みをこらえて息子の死を直視しようとするヨーロッパ映画に対し、心の葛藤を直接的な行動で解決しようとするアメリカ映画。分り やすいというか短絡的というか、これがアメリカの精神構造なのだろうか・・・。何事もないかのように白々と明ける町の遠景を映して 映画は終る。あっさりした結末にかえって怖さを感じた。 【◎○△×】7 |
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9月 |
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ストーリー 1997年のノルウェー映画を『メメント』のクリストファー・ノーラン監督がリメイク。 白夜の街、アラスカのナイトミュートで17歳の少女変死体が発見される。翌日、捜査協力のためロス警察のベテラン刑事ウィル・ ドーマー(アル・パチーノ)が相棒のハップ(マーティン・ドノヴァン)とともにやって来る。 顔見知りの犯行と見抜いたウィルは罠を仕掛けて犯人(ロビン・ウィリアムズ)を誘い出すが、追跡中に濃霧の中で見失い、誤って ハップを射殺してしまう。過去に犯した違法捜査を内務監察官に追及されていたウィルは、保身のために必死に誤射の隠蔽工作をする。 警察はハップ殺しを同一犯人の仕業として捜査を開始する。 白夜の続く町で、ウィルは罪の意識と内務調査の不安で不眠症(インソムニア)に陥る。3日目の朝、犯人から「すべてを知っている」 と電話がかかってくる。 この映画の面白みは、ウィル・ドーマーが殺人犯を追い詰めていくプロセスと、彼の同僚射殺が誤射なのか、無意識の殺人なのか、と いう二重構造のサスペンスにあると思うのだが、後者が十分描き切れていない気がした。 ウィルは優秀な警官だが、過去に違法捜査をしたことがある。そのことで、ロスでは内務調査が始まっていて、相棒のハップは 「調査に協力することにした」と言う。そういう中で起こった誤射事件だ。 ウィルは故意にハップを撃ったと思われることを恐れて、事実の隠蔽に必死になる。しかし、ほんとうにこれは事故だったのだろうか。 ウィルは無意識にハップの死を願い、意識のどこかで誤射の可能性を感じつつも引き金を引いたのではないだろうか。
これは、ウィルの自分自身に対する疑惑(不安)であると同時に、観客に対して仕掛けられた謎でもあると思うのだが、映画ではこの
場面はごくシンプルに、ウィルが濃霧の中で動く人影を犯人と見て発砲したしか思えない描き方になっている。だから、なぜウィルが
それを主張せずに隠そうとするのかが、すんなりと入って来ないのだ。過去の事件も、ウィルがうなされる悪夢としてフラッシュバックのように表われるだけなので、どのように違法なのか、なぜウィルが その告発をそれほど恐れるのかが、よく分からない。 ウィルを演ずるアル・パチーノの不健康な顔もよくない。ウィルは白夜のために不眠に陥り、同僚を殺してしまったことでその不眠は 一層加速され、だんだん精神のバランスを崩していくのだが、パチーノは初めから疲れきって茫洋とした表情をしている。白夜で 眠れず、神経がちりちりと苛立って、ウィルが次第に追い詰められていくプロセスが、それほど実感となって伝わってこないのだ。 ロビン・ウィリアムズが扮する殺人犯との駆け引きはそれなりに面白かったが、全体としての映画の緊迫感は今1つだった。 【◎○△×】6 |
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7月 |
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ストーリー リーイン(コン・リー)の息子ジョン・ダー(ガオ・シン)は聴覚に障害を持つ。夫はそれを理由に去った。リーインは息子を普通 小学校に通わせようと懸命に発音や言葉を教えるが、校長(リュ・リーピン)に聾唖学校を勧められ、入学試験は不合格になる。 リーインは入学が許可されるまで自分が言葉と勉強を教えようと覚悟を決め、収入の多い仕事を辞めて、ジョン・ダーが一緒でも出来る 仕事として、新聞配達と家政婦を始める。世間の風は冷たいが、親友のダー・ホー(ユエ・ジウチン)や普通小学校のファン先生(シー ・ジンミン)が支えてくれた。 ある日、ジョン・ダーは普通小学校の子どもたちに耳のことで苛められ、喧嘩をして、大切な補聴器を壊してしまう。やっとの思いで 補聴器を買い直すが、なぜかジョン・ダーは付けるのを拒否するのだった・・・。 ジョン・ダーは生まれつき耳が不自由だ。しかし、補聴器を使えば多少は聞こえるし、知能が劣っているわけでもない。だから母親の リーインは、何とかして普通小学校に入れたいと思う。 障害のためにジョン・ダーは発音や発声がたどたどしい。リーインは入学試験のために、毎朝彼に呼吸の訓練と発音の練習をさせる。 ジョン・ダーも母親の気持ちが乗り移ったように、懸命に練習をする。彼が普通小学校に憧れ、その制服によく似た上着を買ってもらって 喜ぶ様子は、見て
いてとても痛々しい。母親と2人だけの暮らしでも、ジョン・ダーは日々成長する。友達をほしがったり、悪童たちと喧嘩したり、新聞泥棒を追いかけたり、 彼の世界はどんどん広がっていく。リーインは、息子が言うことを聞かなくなった、問題ばかり起こすと思っているが、ある時、彼が 自分の手のひらを超えて成長したことに気づく。 きっかけは、せっかく買い直した高価な補聴器を、彼が頑なに付けるのを拒んだことだ。 ジョン・ダーは、それまで補聴器をつけるのは当たり前だと思っていた。しかし、悪童たちに苛められ、喧嘩をし、補聴器を壊した ことで、初めて、“なぜ自分だけが補聴器をつけるのか” という疑問にぶつかる。自分に対する疑問、これは自我の芽生えの証だ。 怒ってどんどん先を行くリーインに、ジョン・ダーが「ぼくは普通と違うの?」と聞く場面が印象的だ。一瞬、ぎょっとするリーイン。 しかし、息子の真っ直ぐな問いかけに、リーインは勇気づけられる。そして「お前は耳が聞こえないから、その点で普通ではない」と 答える。
親が我が子の障害を受け入れるのは大変だ。だれだって子どもに障害があるなんて思いたくない。あるとしてもほんのちょっとその
部分が劣っているだけ、本当はなんでもないのだと思いたい。リーインが懸命にジョン・ダーを普通小学校に入れようとしたのも、その
ためだ。しかし彼女はこの時初めて、息子の障害をありのままに認め、それを彼に伝えることが出来た。 障害児と普通児を隔てるのではなく、混ざり合って同じ教育を受けるのがよいのか、障害児だけの環境で、その障害に適した教育を 受けるのがよいのか。これは難しい問題だ。一概には言えないが、いずれにしても、“障害を持っている” という現実を受け止めること が出発点になるのだと、映画を見ながら思った。 コン・リーは化粧っ気なしのすっぴん。中国を代表する美人女優でも、垢抜けない母親になり切っての熱演だ。ジョン・ダーを演じた ガオ・シンはじっさいに聴覚障害を持つ少年だという。コン・リー相手の堂々たる演技ぶりに驚いた。 【◎○△×】7 |
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8月 |
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ストーリー SF小説の原典ともいうべきH・G・ウェルズの同名原作を、ウェルズの曾孫サイモン・ウェルズ監督が映画化。 19世紀末のニューヨーク。天才科学者アレクサンダー(ガイ・ピアース)は、プロポーズの夜、目の前で恋人エマ(シエナ・ギロ リー)を強盗に殺されてしまう。4年後、タイムマシンを発明したアレクサンダー、同じ現場にもどってエマを救おうとするが、やはり 彼女を失ってしまう。 過去に答がないなら、とアレクサンダーは2030年へ、さらには80万年後へと旅をする。未来世界は、人類は地上で暮らすイーロ イ族と地下のモーロック族に分かれていた。 タイム・トラベルというと、どうしても宇宙旅行のワープ・シーンのようなイメージを思い浮かべてしまう私だが、本作のタイム マシンは、いかにも科学者が手造りしたという感じでレトロっぽい。そこが気に入った。時間を設定すると、時計の針が猛烈な勢いで 盤上を回りだす。それと一緒に、マシンを光り輝く球体が包み、外の空間の景色がどんどん変化していく。 19世紀末のニューヨークの光景が、高層建築が林立し、やがて廃墟と化し、さらに砂漠となり、氷河に覆われた80万年後の景観に 変わっていく。眼前で展開するめまぐるしい移り変わりに、時
間旅行の感覚がじかに体感できて驚嘆する。テーマパークのイベント館に入ったような感じだ。80万年後の世界は、人間は地上に暮らすイーロイ族と地下に住むモーロック族に分かれ、弱く無気力なイーロイ族は、獰猛なモー ロック族に狩られ、食料にされている。 絶壁に張りつくように作られたイーロイ族の住まいがエキゾチックで美しい。蓑虫のような形で、夜、明かりが灯ると、和紙で出来た ぼんぼりのようになる。部屋の中が竹で出来ているのも幻想的な雰囲気を強める。タイムマシンと同じほどに、私はこの光景に魅了 された。 ただ、ストーリーとしては、アレクサンダーがモーロック族の本拠地に潜入して、拉致されたイーロイ族のマーラ(サマンサ・マンバ) を救う “秘境もの” 冒険活劇の相を呈し、急に興が薄れる。私としては、、過去や未来に移動することによって生じる時間のねじれや ゆがみ、現在との矛盾、それを主人公がどう調整していくのかなど、“時間” そのものを扱った話期待していたからだ。 アレクサンダーは殺された恋人エマを甦らせるために、4年前の現場に戻る。そして、エマに前とは違う行動を取らせるが、やっぱり 彼女は死んでしまう。ここで出てくるのが、「過去は変えられないのか」という命題だ。どんな選択肢を取ろうが結果は決まっているの なら、それは “運命” ということになる。 人の一生は予め宿命的に読み込まれ、人は知らずにそれをなぞっているだけなのか。「答えが過去にないなら未来に」と、安易に未来 世界にいってしまうのでなく、過去の “可変性” と “運命” について追及したら、もっと面白い話になったのではなかろうか。 しかし、かのウェルズの原作がこうなら仕方ないのかな・・・。 【◎○△×】6 |
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9月 |
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ストーリー 薬品営業マンの朝倉健一(堤 真一)は、交通規則を守り、制限速度以上のスピードでは絶対運転しない、「超」のつく真面目人間。 ある日、車で信号待ちをしていると、3人の覆面姿の男たち(大杉 漣、寺島 進、安藤 政信)が乗り込んできて、前の車を追えと 命令する。彼らは銀行強盗に成功したが、仲間の一人・ミッキー(筧 利夫)が裏切って、金を独り占めして逃げ出したのだ。しかし、 健一の運転ではあっという間に振り切られてしまう。 苛立つ3人と健一の奇妙なドライブが始まった。 面白くなりそうな題材だけれど、調子に乗れないまま、健一の運転する車のごとく法定速度で終ってしまった映画、という感じだ。 銀行ギャングの中年男の西、若い誠、そして運転させられている健一、この3人の間を外した会話や、それぞれの表情、間合いの捨て 言葉などはかなり面白い。つい「グフッ」と笑ってしまう。
それに、ギャングたちが自分の道を見つけて1人、また1人と去っていき、最後は健一1人に戻ってしまうところや、強奪した金を
1人占めして逃げたミッキーが、野原の穴に腕を突っ込んで、そのまま抜けなくなってしまうアイデアなども面白い。しかし、それらのエピソードが連動して高まっていくことはなく、バラバラのままで終っている。 とくに、抜けなくなったミッキーの腕をどうするか、で幽霊を持ち出したのははっきりいってマズイ。通りがかりの人に穴を掘って 大きくしてもらうとか、現実的な解決をしようと四苦八苦し、それがことごとく外れてますます事態が深刻になる、といった笑いに 突っ込んでほしかった。 受験の失敗とか病妻とか、ギャングたちの事情を持ち出したのも映画のテンポを落としている。こういったタイプのコメディは、銀行 強盗に走った“理由” なんかいらないと思う。ハチャメチャ1つで押しまくったほうがいい。こういう “湿っぽさ体質” を日本映画は 早く脱しなければいけないんじゃなかろうか。せっかくの題材を消化し切れなかった気がして惜しい。 【◎○△×】6 |
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7月 |
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ストーリー “ノーマンズ・ランド”とは、ボスニア軍とセルビア軍の間にはさまれた無人地帯のこと。 1993年、夜中偵察に出たボスニアの兵士チキ(フランコ・ジュリッチ)は濃霧で道に迷い、“ノーマンズ・ランド”の塹壕に取り 残されてしまう。一方、セルビア兵ニノ(レネ・ビトラヤツ)は老兵とともに“ノーマンズ・ランド”の偵察にやって来て、チキと 鉢合わせする。緊迫した中で、チキは老兵を撃ち殺す。 ところが、死体と思って老兵が下に地雷を仕掛けたボスニア兵ツェラ(フィリプ・ショヴァゴヴィッチ)がまだ生きていた。彼が動く と背中の地雷が爆発する。身動き取れないツェラを前に、チキとニノはこの状況から脱け出すために協力せざるを得なくなる。 ボスニア・セルビア両軍はなすすべがなく、国連防護軍は頼りにならず、事態を察知したマスコミはスクープを求めて群がる。しかし、 仕掛けられたのは撤去不能の新型地雷だった・・・。 アカデミー賞外国語映画賞を始め、カンヌ映画祭脚本賞、ゴールデングローブ賞外国語映画賞などを獲得した各国合作の戦争映画。 中欧の民族紛争は複雑で、今までいくつか映画を見たけれど、正直なところ私にはよく分からない。だから、例えば昨日まで同じ町内 で近所付き合いをしていた人たちが、人種・民族が違うだけで今日は敵味方に分かれてしまう状況がなんとも理不尽に思えて、やりきれ ない思いになることが多い。 しかし、本作はそんな重いテーマを牧歌的なのどかさの中で描いていく。タコツボのような塹壕で出くわして、敵につい自己紹介を してしまう気の好いセルビア兵ニノ。ボスニア兵チキと関係のあった女を偶然ニノも知っていたことから、話が弾んでしまう2人。
救援を求めることにしたものの、服を着ていればどちら側の兵士か分かってしまい、敵側から狙い撃ちされるというので、上半身裸に
なって塹壕から手を振る2人、と随所に笑いがちりばめられて、まるでコメディを見ている気分にさせられる。しかし、打ち解けあったように見えても、ふとした弾みではじかれたように銃を向け合い、一瞬して空気が凍る。やはりここは命を 懸けた戦場なのだと思い知らされる。 背中に地雷を埋められて身動きならないまま一人取り残されるツェラの姿を写して、カメラが引いていくラスト・シーンがショックだ。 全体がコメディっぽいタッチで進んでいただけに、一気に頭から冷水を浴びせられた気分になる。 人間は同じ姿勢で長く寝ていることは出来ない。彼のたどる運命は早晩目に見えている。「なんとかならないのか」という思いが、 苦い汁のように喉元にこみ上げてくる。戦争の残酷さと不条理が、暗い穴の底に横たわりつつ遠ざかるツェラの姿に象徴されて、胸に 食い入るような痛みを感じさせるラストだ。 【◎○△×】8 |
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7月 |
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ストーリー デビュー作『八月のクリスマス』で注目されたホ・ジノ監督が描く切ないラブ・ストーリー。 録音技師サンウ(ユ・ジテ)は父(パク・イヌァン)と痴呆気味の祖母(ペク・ソンヒ)の3人暮らし。時々叔母(シン・シネ)が 家事の手伝いに来る。 ある日、カンヌン(江陵)でラジオのDJ兼プロデューサーをしているウンス(イ・ヨンエ)から、番組で使う自然の音を採集すると いう仕事の依頼を受ける。サンウとウンスは録音のための小旅行をする中でいつしか恋に落ちる・・・。 サンウが録音技師という設定に引かれる。竹林のざわめき、渓流のせせらぎ、草原を渡る風のそよぎ、なかでも山の家で録音する雪の 音・・・。自然が作り出すさまざまな音に耳をすませていると、いつしか心が静かに澄んでくるような気がする。 サンウとウンスの恋は、年上で離婚経験もあるウンスがリードする形で進んでいく。おずおずと、やがて初めての恋に夢中になって いくサンウ。ウンスの住む遠いカンヌンにタクシーを飛ばし、道
端で待つ彼女を抱きしめるサンウには、「会いたくてたまらない」という恋心が眩しいほどに表われている。サンウが「父に紹介したい」といった時、録音機に顔を俯けて返事をしないウンスが印象的だ。彼女はまだ離婚の傷手から立ち直って ないんだな、と感じるからだ。 素直に “愛” を信じるサンウと違って、今のウンスは “愛” と “結婚” をストレートに結びつけることが出来ない。それに1人 で暮らす自由も知ってしまった。 “愛” をめぐって揺れるウンスの女心は複雑だ。それを理解するにはサンウは若すぎる。ウンスが付き合い始める音楽評論家は、何も かも承知の上で気持ちに深入りしてこない大人の男なのではないかと思う。今のウンスにはその方が気が休まるのかもしれない。 折々にさり気なく織り込まれるサンウの家族の描写が効果的な彩りを添える。なかでも痴呆症の祖母の存在が印象深い。 彼女は夫の死が理解できず、今も駅で帰りを待つ。サンウはそのたびに祖母を駅まで迎えにいく。彼女はサンウが流す涙を見て、 「バスと女は去ったら追うもんじゃ
ない」と諭す。事情は分からなくても、孫のつらさは分かるのだ。祖母が亡くなった後、サンウは
彼女の履き物を家のほうに向けて置きなおす。2人の間に通う心のつながりが、こうしたさまざまな場面にふっと顔を覗かせて、胸が温かくなる。 1年ぶりにサンウとウンスが再会するシーンは滅多にないほど切ない。桜並木を歩きながら、ウンスがからめてきた腕をサンウはそっと 外すのだ。彼女のこだわりのなさは、2人の恋がもう過去のものであることを示している。しかし、サンウにとってはそうでない。彼の 仕草には、想いをこらえる切なさが滲む。 それでも彼は少しだけ大人になった。彼が河原で草のそよぎを録音しながら微笑むラストシーンが清々しい。傷ついた心はきっと いつか癒される。サンウはまた新しい恋に出会うだろう。それが若さなのだと思う。 【◎○△×】7 |