|
|
11月 |
|
ストーリー 1930年代のアメリカ、ミシシッピー州の片田舎。エヴェレット(ジョージ・クルーニー)、ビート(ジョン・タトゥーロ)、 デルマー(ティム・ブレイク・ネルソン)の3人の囚人が刑務所から脱走する。エヴェレットが昔隠した120万ドルもの大金がダム 建設で川底に沈んでしまうので、その前に掘り出そうというのだ。 しかしその道中はハプニングの連続だ。悪魔に魂を売ったというギタリストの青年トミー(リス・トーマス・キング)と出会い、成り ゆきで 《ずぶ濡れボーイズ》 の名前で歌手デビューしたり、伝説の銀行強盗“ベビーフェイス”ネルソン(マイケル・バダルーコ)や 片目の聖書セールスマン(ジョン・グッドマン)など、一筋縄でいかない面々との出会いや別れを繰り返していく。 古代ギリシャの詩人・ホメロスの叙事詩「オデュッセイア」のストーリーを、20世紀のアメリカに舞台を移して大胆にアレンジした ユーモラスな冒険譚。 エヴェレット、ビート、デルマーの3人の歌、というか歌う時のパフォーマンスが抜群に楽しい。マイクを前にエヴェレットがソロを 取り、両側からビートとデルマーがまるでにわとりのように首をヒョコヒョコ突き出してコーラスする。歌ののりはいいし、見ている だけで笑い転げてしまう。 3人は脱獄囚だ。世を憚る身だからラジオもろくに聞かない。したがって、自分たちの歌が大ヒッ
トし、とりあえず名乗った 《ずぶ濡れボーイズ》 が人気者になっていることもぜんぜん知らない。3人が映画の後半、エヴェレットの故郷にたどり着き、州知事選の支持者集会に紛れ込んで正体がばれそうになるシーンのおかしさ ったらない。苦肉の策で歌い出したら、会場に詰め掛けていた聴衆はあの 《ずぶ濡れボーイズ》 だというので大騒ぎになる。 なんだか知らないけど受けてるらしい、というので調子に乗った3人は、エヴェレットは付け髭をひょいひょい引っ張ってみせるわ、 ビートとデルマーのにわとりパフォーマンスはますます冴えるわ、会場は拍手喝采するわで、お腹の皮はよじれ放しだ。 ジョージ・クルーニーって、二枚目なのにとぼけていて、クラーク・ゲーブルやケーリー・グラントと共通した魅力がある。特筆なの は、小柄なティム・ブレイク・ネルソン。坊ちゃん刈り風の髪形やズボン釣りのついた作業衣などが、子どもみたいで見ているだけで 可愛い。 パンフによると、この映画はホメロスの『オデュッセイア』をモチーフにしているそうだが、私はぜんぜん気づかなかった。 唯一「あれ?」と思ったのは、川で美女3人がゆるやかな歌を歌いながら
洗濯をするシーン。ユリシーズがトロイ戦争から帰還の途中に出逢うシレーンを連想したからだ。美しい歌声で船乗りたちを誘惑し、船を座礁させてしまう魔女で、救急車などが鳴らすサイレンは彼女たちの名前に由来している。 どたばた喜劇の中で、この場面だけが幻想的で印象に残る。もっともこれも、ちゃんとコーエン兄弟らしいオチが付くのだけれど。 しかし、そういう薀蓄(うんちく)よりは、全編に満ちるナンセンスを単純に楽しむのがいいと思う。 なにしろ始まりは120万ドルの「宝の山」探し、終わりは突然押し寄せてすべてを流してしまう洪水だ。間には現金をばらまく変な 銀行強盗や、悪魔に魂を売ってかわりにギターの名人になった黒人青年や、蛙に変えられた脱獄囚(ピートのことです)や、詐欺師の 聖書セールスマンや、おかしな人間ばかり登場するのだから。 【◎○△×】7 |
|
|
12月 |
|
ストーリー ロシアの文豪ドストエフスキーの『罪と罰』を、現代アメリカに舞台を移して大胆に翻案した青春ドラマ。 カリフォルニア郊外の町。高校生ロザンヌ(モニカ・キーナ)は美人で、アメフト部のスタープレーヤーの恋人を持ち、だれからも 羨ましがられる存在だ。 しかし、家庭は母マギー(エレン・バーキン)と再婚相手の夫フレッド(マイケル・アイアンサイド)との仲が冷え切り、荒んだ 空気が流れている。ある日、マギーが若い黒人クリス(ジェフリー・ライト)と恋仲になり、家を出てしまう。 義父フレッドと2人だけの暮らしになったロザンヌは、ある夜、酔ったフレッドに犯される。ロザンヌは恋人ジミー(ジェームズ・ デベロ)と共謀して彼を殺害するが、容疑者として逮捕されたのは第一発見者のマギーだった。 ことのすべてを見つめていたのは、ロザンヌに思いを寄せる内気な転校生ヴィンセント(ヴィンセント・カーシーザー)だった。 ドストエフスキーの「罪と罰」を翻案しているということだが、どこがそうなんだろう。2回見たけど、私には「罪と罰」との関連は ぜんぜん分からなかった。 「罪と罰」の主人公ラスコーリニコフは、自分のような優れた者が貧しさで苦しんでいるというのに、強欲な老婆が金を持っている なんておかしいと考え、老婆の金は自分が持つことこそ正しい、優者は正当な目的のためなら劣者を殺してもよい、という勝手な理屈で 金貸しの老婆を殺してしまう。 ラスコーリニコフの殺人の動機が哲学的で自己中心的なのに比べれば、本作のロザンヌが義父を殺す動機は、第三者にもそれなりに 理解でき、分かりやすい。しかし、一番の核となる部分が違ってしまっている感じだ。 ラスコーリニコフはその後、理屈だけでは自分の良心をねじ伏せられず、罪の意識に苦しむのだが、ロザンヌは義父を殺したことで 良心の呵責に苦しんだのかどうか、映画を見ている限りはよく分からなかった。 それに逮捕されたのが母親でなかったなら、彼女は果たしてほんとに自首したのかなぁ、ちょっとあやしい気もする。 ヴィンセントは「罪と罰」の(主人公の良心の覚醒を促す)娼婦ソーニャの役回りかと思うけれど、はっきり言って、この映画では まったく意味不明の存在だ。ヴィンセント・カーシーザーが見たくてこの映画を見たのだけれど、可哀想な使われ方だと思う。 この映画はなまじ「罪と罰」などは持ち出さずに、複雑な家庭環境に育った少年少女の恋物語、という形でいったほうが余程すっきり した面白い話になったんじゃないかなぁと思った。 【◎○△×】6 |
|
|
10月 |
|
ストーリー 1922年に作られたドラキュラ映画の古典的傑作といわれる「ノスフェラトゥ」の製作裏話を、主役マックス・シュレックが じつは本物の吸血鬼だったという設定で映画化した、吸血鬼もの異色ホラー。 1921年、ドイツの映画監督フリードリヒ・W・ムルナウ(ジョン・マルコヴィッチ)は、ブラム・ストーカーの怪奇小説 「ドラキュラ」の映画化に執念を燃やしていた。じつは徹底したリアリズムを追うムルナウは、チェコで本物の吸血鬼、マックス・ シュレック(ウィレム・デフォー)を発見していたのだ。 撮影は開始され、シュレックの迫真の演技はなにも知らないスタッフを驚愕させる。 映画が完成するまでは正体を隠し通し、完成の暁には花形女優グレタ(キャサリン・マコーマック)の血を吸わせる約束だったが、 シュレックは撮影初日からムルナウとの約束を破り、カメラマンを襲ってしまう。 ウィレム・デフォーが嬉々として吸血鬼を演じていて(血を吸って舌舐めずりする顔がとってもカワユい)、それだけでも一見の 価値はあった。 ただ、マルコヴィッチ演ずるムルナウの、映画にかける情熱というか狂気というか(これは正直かなり怖い!)を描こうとしたのか、 伝説的ドラキュラ役者のシュレックがじつはほんとに吸血鬼だった、というホラー映画なのか、焦点がよく分らなかった。 サイレント時代の映画撮影の様子は珍しくて、それ自体はかなり面白かったが・・・。 【◎○△×】6 |
|
|
11月 |
|
ストーリー サンフランシスコの広告代理店のエリート社員ネルソン(キアヌ・リーヴス)は、仕事のミスで会社を首になり、恋人にも去られる。 そんな彼の前に、11月のある日、サラ(シャーリーズ・セロン)という風変わりな女性が現われる。「私は問題を抱えた男性を救う力 がある」といって、1ヶ月だけの同居を申し出るのだ、その間は仕事を忘れることを条件に。 戸惑いながらも彼女と暮らし始めたネルソンは、徐々に人間らしい気持ちを取りもどしていく。しかし、サラはある重大な秘密を抱えて いた・・・。 過去に数々の賞に輝いた切れ者の広告マン、というネルソンのワーカホリックぶりは、それなりに説得力はある。漫画チックに誇大化 されているけれど、現代人にはよくあるタイプだから。 分りにくいのが、ヒロインのサラ。偶然出会っただけのネルソンの住まいをその日のうちに見つけ出し、「あなたは問題を抱えてる から、私が助けてあげる」と同居を提案する。う〜〜ん、いくらなんでもこれはかなり苦しい・・・。なにかカルトとか洗脳集団の勧誘 かな、さもなきゃちょっとヤバイ人かな、とだれでも腰が引けるんじゃなかろうか。 そうでないと分っても、毎月同棲相手を変えるというのは・・・。“1ヵ月だけの恋人” というミステリアスなキャッチコピーに 引かれて見たのだけど、私にはかなり「うーーむ」だった。
映画の基本設定が難病ものであるのはいいとして、それと一月ごとに男を変える必然性がうまく結びつかない。綺麗で生きいきした自分 だけを覚えていてほしい、という気持ちは分らなくはないけど、男にしたら「変わった女がいたな」くらいにしか思わないんじゃない かなぁ。 シャズ(ジェイソン・アイザックス)のようにサラを愛する友人たちには病んだ自分を見せてもよくて、一過性の男たちとはいいとこ 取りの関係、というのがなんだかすっきりしない。 本気でサラを愛するようになったネルソンは、11月のカレンダーで部屋を埋めて、毎月がずっと “11月” だとサラにいう。彼が 12のクリスマス・プレゼントを1つ1つ披露する場面は、サラへの愛があふれていてとてもロマンティックだ。ここはサラに宗旨がえ してもらって、彼のプロポーズを受けてほしかったところです。 “愛” というのは、外見がいくら病んで醜くなっても、ともに過ごした時間の温もりが美しい思い出になった残るものだ。初めから 別れが分っている「期間限定の恋人」は、たがいに情が移らなくてラクかもしれないけど、本物になりにくいと思うんだけどねぇ。 2人が出会うことで、サラとネルソンのそれまでの生きかたや価値観が変わるところを見たかったけど、ないものねだりになっちゃう のかな・・・。 【◎○△×】5 |
|
|
11月 |
|
ストーリー 『マトリックス』のプロデューサー、ジョエル・シルヴァーが手掛けたアクション・クライム・ムービー。監督は『60セカンズ』の ドミニク・セナ。 テキサスに住むスタンリー(ヒュー・ジャックマン)は、かつて世界一のハッカーといわれたが、サイバー犯罪取締官ロバーツ(ドン ・チードル)に逮捕されて以来、パソコンに近付くことを禁止されていた。妻とは離婚し、愛する一人娘ホリー(カムリン・グライムズ) とも会うことが出来なくなっていた。 ある日、スタンリーの元にジンジャー(ハル・ベリー)と名乗る謎の美女が現れ、驚くべき犯罪計画を持ちかける。80年代に麻薬 取締局が行った “ソードフィッシュ” 作戦は不正な闇資金95億ドルを生み、そのままプールされている。それを、コンピューター 回線を利用して奪おうというのだ。 計画の首謀者は元モサドのエリート・スパイ、ガブリエル(ジョン・トラボルタ)。スタンリーは強引にその計画に加担させられて しまうのだが・・・。 オープニングの導入は素晴らしい。ガブリエルがカメラに向かって『狼たちの午後』についての持論を展開する。人質を1人も 殺さないなんてリアリティに欠けるというのだ。時々画面が揺れたり不鮮明になり、ハンディ・カメラらしい臨場感が盛り上がる。 カメラが引き、ガブリエルが外に出ると、待機した武装警官が一斉に彼に銃の狙いを定める。一挙に辺りの空気が物々しくなる。 通りを横切り向かいの建物に入ると、そこには身体に爆弾を巻きつけられた人質たち。ここで、彼が本気で人質を殺すつもりである ことがはっきりする。映画好きらしくとくとくと薀蓄を並べるガブリエルの一見人の好い笑顔の奥に、狂気のようなものを感じて、 思わずぞっとするシーンだ。
アメリカを脅かすテロ国家は徹底的にやっつける、やられたら10倍でやり返す、というガブリエルの持論は極端なようだが、案外
アメリカの本音を言っているようでもあり、不気味だ。その後のカーチェイスや銃撃シーンもすごい迫力。それなりに楽しめる映画ではあるが、細かいところの筋立てをもっときちんとしてほしい。例えば、スタンリーがいかに別れた娘を 愛しているとはいえ、猫の鼻先にぶら下げた魚じゃあるまいし、二言目には「娘を取りもどすために」が出てくると、少々うんざり する。 これはジンジャーが彼を仲間に誘い込む時に、一回言うだけでいい。そのほうが、スタンリーが自らに固く禁じていたハッカー仕事に 再び手を染める覚悟の程が、かえって強く迫ってくる。 ジンジャーが何者かということも、設定が雑すぎる気がする。ドアが開いたのに気づかないまま、裸になって着替えるシーンがある。 ガブリエルの愛人と間違われるほどのやり手の女にしては不用心だ。 さらに、いやにあっさりスタンリーにFBI捜査官だと正体を明かし、その後、あれは嘘だった、となる。一体何のためにスタンリー を欺いていたのかが分らない。せっかくハル・ベリーを使いながら、ボンドガール並みに彩りとして登場させているだけみたいだ。 もったいない。 【◎○△×】6 |
|
|
11月 |
|
ストーリー 1920年、ロシアの科学者レオン・テルミンによって発明された世界初の電子楽器 “テルミン”。演奏者が空間で手を動かす だけで、楽器本体に触れることなく音を出す。その音色はSF映画での宇宙人の登場シーンをはじめ、数多くの映画で効果音として 使われ、またこの楽器が進化して “シンセサイザー” が生まれた。 かつて耳にしたことのない不思議な調べは当時のロシアを初め、ヨーロッパ全域、さらにはアメリカで驚嘆と喝采をもって迎えられ、 カーネギーホールでの演奏会は満員の聴衆が会場を埋めた。しかし、38年、博士は研究所から数人の男たちに拉致され、そのまま 消息を絶ってしまう。 久しぶりにテレビで見たら、公開時劇場で見た時よりずっと面白かった。こういうタイプの映画は劇場の大きいスクリーンよりも、 小じんまりとテレビで見るほうが適しているのかもしれない。 テルミン博士ゆかりの人たちがさまざまに彼について語るのだが、興味を感じたのは、彼がテルミンだけでなく、電子チェロとか リズミコン(?)とか、なんだか分けの分らない不思議な楽器をい
ろいろ発明し、実際に使っていたらしいことだ。人間の身体を楽器にして、磁場の中で体を動かしてメロディを作り出す研究もしたらしいが、これは成功しなかったようだ。 ダンサーが「ムキになって博士の研究室に通って頑張ったけどダメだった」と語るのがユーモラスだ。リュック・ベッソン製作の 『ダンサー』(99)にまったく同じ研究をする青年が出てくるが、そのアイディアのもとはテルミン博士にあったんだ。今頃ナットク。 どの人もみないかにも楽しそうに思い出を語る。博士を尊敬し、彼の研究を楽しんでいた様子が窺える。テルミンの名手で博士の愛弟子 クララ・ロックモアが後に、「あの頃は夢の中の時代だった」と述懐するのはさもあろうと思える。 しかし、突然博士は誘拐されて消息不明になってしまう。処刑されたという噂が流れたりもする。実際は、彼は祖国ソ連のKBG 機関で、盗聴器の開発研究をさせられていたらしい。まるでスパイ映画みたいな話だけど、実際に博士に降りかかった出来事なのだ。
彼が自由に国外に出て再びニューヨークを訪れるのは、ソ連解体後、なんと50年も後のことだ。94歳の博士が、かつて住んでいた
ニューヨークの街路をゆっくりと歩んだり、縮んだ背を伸ばして高層ビルを眺めたりするのを見ていると、胸に迫るものがある。しかし
博士自身は、波乱の人生すべてが過去の夢、というような淡々たる表情だ。60年代に大ヒットした、ビーチ・ボーイズの「グッド・バイブレーション」のバックの奇妙な音がテルミンとは知らなかった。 映画のBGMとしてもいろいろに使われていて、いろいろの場面が紹介されている。聞けば「あー、あれがそうなのか」と大抵の人は 思い当たるんじゃなかろうか。 おおむね、恐怖をあおるシーンに効果音として使われているが、私はジェリー・ルイスの『紐育ウロチョロ族』(57)でのコミカルな 使い方が最高に面白かった。ルイスの動きにあわせてテルミンがさまざまな音を出す。まるで2人(?)で会話をしているみたい。 ルイスの奇抜な顔や仕草とあいまって、大いに笑わせられた。 【◎○△×】7 |
|
|
11月 |
|
ストーリー 19世紀後半のキューバ。コーヒー輸出業で成功したルイス・バーガス(アントニオ・バンデラス)は、新聞広告で妻を求め、応募 してきた女性、ジュリアと結婚するために準備を整える。船が到着し、ルイスの前に降り立ったのは、送られてきた写真とはあまりに 違う眩しいほどに美しい女性(アンジェリーナ・ジョリー)だった。愛など信じていなかったルイスは一目で恋に落ち、2人の狂おしい 情熱の日々が始まった。 ある日、ダウンズ(トーマス・ジェーン)と名乗る探偵が現れ、ジュリアの姉の依頼で、本物のジュリアを探していると告げる。 そして符牒を合わせるように、ジュリアは預金を全額引き出し、結婚指輪を置いて忽然と姿を消してしまう。 ミステリー小説の巨匠ウィリアム・アイリッシュの原作「暗闇へのワルツ」を、舞台をキューバに移して映画化。なおトリュフォー監督 が、ジャン=ポール・ベルモンド、カトリーヌ・ドヌーヴ主演、『暗くなるまでこの恋を』(69)で映画化している。 原作は『黒衣の花嫁』(68)のウィリアム・アイリッシュ。アントニオ・バンデラスとアンジェリーナ・ジョリーという濃いカップルが、 暑いキューバでアイリッシュの世界を演じるとどうなるんだろう、という興味で見に行った。 結論を先に言うと、ヒロイン役のアンジェリーナ・ジョリーはミスキャストじゃないかなぁ。ジュリアは男ならだれもが一目見て心を 奪われるような美貌の持ち主、という設定。これはまー額面通りに受け取らなくてもいいと思う。要は、男を狂わせ破滅に追い込むほど の魔性があればいいの
だ。例えば、エマニュエル・ベアール。彼女はかなり妙な顔をした女優だが、身にまとう雰囲気がすごい。蠢惑的で神秘的で(もちろん役柄 にもよるが)、見ているだけでクラクラしてくる。単なるセックス・アピールとも違うのだ。女性フェロモンの怖さみたいな奥深さが ある。 ジョリーにこういうミステリアスな匂いがあればよかったのだが、当たり前すぎるのだ。 ジュリアに付きまとう謎の探偵の描き込みが浅いのも気になった。悲惨な生い立ちから運命的に結びついた “陰の男” の存在、 その男の呪縛から逃れられないジュリアの苦悩、2人の間の愛と憎悪、こういったものがきちんと描かれたら、もう少し陰影が出たん じゃないかと思う。 バンデラスは意外にサマになっていた。ルイスは、妻は貞淑で子どもを産んでくれる女なら誰でもいい、という考えようによっては ずいぶん傲慢で身勝手な男だ。バンデラスの個性とは違う気がしないでもないが、ストーリー上は彼はもっぱらジュリアに純愛を捧げる 役柄で終始するので、これはこれでいいでしょう、というところ。 キューバの雰囲気はとてもよく出ていたと思う。とくに2人が暮らすルイスの豪邸が素晴らしい。湿気のないカラッとした空気がじか に肌に感じられるようで、魅力を感じた。アイリッシュらしい二転三転する展開や、意外な真相など、ストーリーそのものはかなり 面白かった。 【◎○△×】6 |
|
|
11月 |
|
ストーリー 19世紀末のパリ。作家を志してモンマルトルにやってきたクリスチャン(ユアン・マクレガー)は、画家ロートレック(ジョン・ レグイザモ)らの口利きで、華やかな光に彩られた高級ナイトクラブ、“ムーラン・ルージュ”のショーの台本を担当することになる。 そこでクリスチャンは、‘輝くダイアモンド’と謳われる歌姫サティーン(ニコール・キッドマン)と出会い、愛し合うようになる。 しかし2人の恋は彼女のパトロン、公爵(リチャード・ロクスボロウ)には決して知られてはならなかった。2人は女優と作家という 関係を装い続けるが、その間に、サティーンの身体を病いが蝕んでいた・・・。 私は長い間ミュージカルが苦手だった。嫌い、というのとは違う。見たいし、好きになりたいんだけど、歌が始まるとなぜか退屈する。 「あー、早く終わって、話、先に進んでくれないかなぁ」なんて思うんだから、ミュージカル鑑賞者としては落第だ。
過去、退屈しないで見れたミュージカルは『ウエスト・サイド物語』(61)と『サウンド・オブ・ミュージック』(65)の2本しか
ない。これだって「マリア」(『ウエスト・サイド物語』で一番人気のラブ・バラード)が始まると、「はやく先に進んでくれないか
なぁ」のムズムズが頭をもたげるのだから念が入っている。そんな私が苦手意識を脱して、その後積極的にミュージカルを見るようになったきっかけが本作だ。 まず驚いたのが、ムーラン・ルージュのギラギラした人工的な空間だ。サティーンの部屋から外階段を上って出る象の背中の屋上や、 ゆっくり回る大きな赤い風車、けばけばしいネオン、全編に華やかでいかがわしいパワーがあふれている。 ストーリーは、サティーンが椿の花びらの散る舞台で喀血して死ぬことから見ても、『椿姫』をモチーフにしているのが分かる。単純 明快な恋物語。しかし、ムーラン・ルージュの猥雑な活気を生かすには、凝ったストーリーはかえって邪魔なのだ。 使っているのが既成曲の寄せ集めというのも気に入った。といっても、知ってるのは「サウンド・オブ・ミュージック」のテーマと、 エルトン・ジョンの「ユア・ソング」の2つだけ。マドンナの「ライク・ア・ヴァージン」は大ヒットしたから名前だけは知ってるけど、 曲そのものは知らない、という具合。
大仰に構えてなくていいから気がラクだ。ユアン・マクレガーは『ベルベット・ゴールドマイン』(98)で歌がうまいのは分かっていたが、ラブ・バラードをこんなに情感 たっぷりに歌えるとは思わなかった。 ニコール・キッドマンもなかなか頑張っている。目の光が強すぎて、表情に潤いが乏しいのは相変わらずだが(『アザーズ』(01)で ひょんと脱皮したような気がするけど、そのきっかけは本作?)、マクレガーに助けられて、まーまーこれならいいでしょう、という ところ。 私が一番好きなのは、眠り病のアルゼンチン人(ジャセック・コマン)がショーのダンサーと歌い踊る「ロクサーヌ」と、クリス チャンが歌うバラードが交錯するシーン。ジャセック・コマンのドスの利いただみ声とマクレガーの意外に澄んだ声が相乗効果をもたら して、公爵に身を任せようとするサティーンを思うクリスチャンの切なさに胸がきゅんとなった。 人工的な毒々しさも、極まれば幻想的な世界に変身するいい見本。楽しめた。 【◎○△×】7 |
|
|
12月 |
|
ストーリー ロサンゼルスで保険調査員をしているレナード(ガイ・ピアース)は、ある日、何者かが押し入って、妻をレイプし殺害する光景を 目撃してしまう。強いショックを受け、レナードは10分以上記憶を保持できない【前向性健忘】という記憶障害に陥る。 犯人を探し出し復讐することを誓った彼は、ポラロイド写真にメモを書き、重要な事柄は自分の体に刺青として残して、犯人の手がかり を追う。 原案は監督の弟、ジョナサン・ノーラン。モノクロとカラーを使い分け、時間軸を解体し逆行していく構成で観客に主人公の記憶障害 を追体験させるなど、新感覚の手法が話題となり、インディペンダント映画としては異例のヒットとなった。 レナードの捜査を手助けする謎の人物、テディ、ナタリーにジョー・パントリアーノ、キャリー=アン・モスが共演している。 【前向性(順行性)健忘】とは、パンフレットによると、「発病時以前の記憶はあるが、それ以降の記憶に障害が残り、新しいことを 覚え込む機能が弱まる症状」で、「人によっては数分前の出来事さえ忘れてしまう。現在、治療法はまだみつかっていない」のだそうだ。 また、タイトルの “メメント” とは「思い出、あるいその品。形見。警告」という意味だという。記憶障害のレナードが、身体中に 刺青として彫り込むキーワードが、彼にとっての “メメント” になるのだろうか。 “記憶”、さらには “意識”ーーこれらについて考える時、私はいつも、茫洋と果てしない海に乗り出すような気持ちになる。 人は決して「事実」を見たり聞いたりしているわけではない。「見たい」と思うものを見、「聞きたい」と思うものを聞いている。 たとえば、目の前にあっても見えていなかったり、逆に、ないものを「見た」と思い込む時がある。無意識のうちに選別しているのだ。 それらが “記憶の貯蔵庫” に保管される時、さらに選別が行われ、見聞・体験は加工される。私たちは過去から連綿と続く記憶の 集積の中で自分というものを確認し、精神の安定を得ているけれど、本当はそれはとてもあやふやなものだ。 ![]() レナードは発病以前の古い記憶は保たれているが、新しい記憶は10分程度しか保てない。全体的な記憶喪失ではないので、自分が 誰であるかは分っているが、何をしたかは思い出せない。妻を殺害し自分の人生を奪った犯人を見つけて復讐する、という目的を持って いるが、それすら忘れそうになる。 自分の行動を人に聞いたとしても、その言葉を信じていいのかどうか分らない。そこで彼は詳細にメモを取り、ポラロイドカメラで 記録し、最重要(と思う)ことは、身体に刺青として彫り込む。 公開時、劇場で見た時は、逆行するストーリーと、並行して挿入されるモノクロ画面(ここではレナードが電話の向こうのだれかに 向かって、“サミー” について語り続ける)という入り組んだ構成に心を奪われて、細かいところまで目を配る余裕がなかった。今回 久しぶりに再見して、いくつかのことに気づき、じつは驚いている。 【◎○△×】8
|
|
|
10月 |
|
ストーリー キューバ出身の亡命作家レイナルド・アレナスが死の直前に綴った自伝をもとに映画化。 極貧であるが大自然のなかで自由だった子ども時代と、作家でホモセクシュアルであるという理由からカストロ政権の弾圧を受け、 亡命を余儀なくされた彼の恐怖と困難とが対照的に描かれている。 1943年、キューバに生まれたアレナス(ハヴィエル・バルデム)は、14歳の時革命に熱狂し感化される。 20歳で作家デビューするが、母国での出版は禁止され、彼はすぐさま追われる身となる。 30歳の時、逮捕され、投獄されたアレナスは、1980年にアメリカへ亡命するのだが・・・。 冒頭の森のシーンに心を奪われた。赤子を抱えて懸命に歩く若い母親の後ろ姿を包むように深い樹林が枝を広げ、その先に空の きらめきが覗く。 母の腕に抱かれた赤子が、無心にそれらを見つめているだろう様子が、画面に映らなくても目に浮ぶ。 若い女は夫から逃れて実家にもどろうとしている。その必死の気配も赤子にはおそらく届いていない。彼は自然の神秘に吸い込まれる ように身を委ねているだけだ。 詩や芸術を紡ぐ心がレイナルド・アレナスの中に生まれたのは、きっとこの時に違いない。 赤子の姿は直接画面に表われないけれど、鬱蒼とした森の気配に魅了されて、私はそんな思いをめぐらせた。
カストロの名は知っていても、キューバの共産主義体制の実際はほとんど知らない私は、『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』
などから明るい国というイメージをキューバに対して抱いている。しかし、ここで描かれているキューバは、カストロ政権によって芸術が厳しく制限されるだけでなく、同性愛者も弾圧の対象になる 国だ。 本当のところ私は同性愛がなぜ処罰の対象になるのかよく分からない。異性愛者がほとんどの社会では、それから外れる者が 「変な人」と見られることはあるにしても。 でも、作家オスカー・ワイルドや詩人ポール・ヴェルレーヌも投獄され、2年間の労役に服している。ナチも同性愛者を逮捕し、 最下位レベルの囚人と位置づけた。 権力者は常に秩序の維持を最大命題にする。そんな彼らには「男と女が結ばれ、子を生み、育てる」という規範から外れる同性愛者は、 秩序を破壊する存在に思えるのだろうか。 アレナスは刑務所の独房で恐怖に慄き、脱走し、最後は同性愛者、精神病患者、犯罪者に対する渡航許可によりアメリカに亡命する。 革命への幻滅と絶望、アメリカでの理想と希望。しかし、すでにエイズに冒されていたアレナスは、アメリカでも真の “魂の自由” を 得ることはなかった。 彼の詩と芸術を求めた苦悩の生涯を、スペイン人俳優のハヴィエル・バルデムが等身大で演じ切り、素晴らしい存在感だった。 ジョニー・デップがゲイと軍人の二役でカメオ出演しているが、ゲイに扮した時の指の先まで神経の行き届いた妖しい美しさは 特筆もの。 【◎○△×】7 |