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今月見た新作映画 2001年

1月〜3月



3月
あの頃ペニー・レインと

2000年  アメリカ  123分
監督 キャメロン・クロウ
出演
ビリー・クラダップ、フランシス・マクドーマンド、ケイト・ハドソン
パトリック・フュジット、ジェイソン・リー、フィリップ・シーモア・ホフマン

  ストーリー
 1973年のサンディエゴ。15歳のウィリアム(パトリック・フュジット)は大学教授の母(フランシス・マクドーマンド)と 暮らしている。4年前、姉は厳格な母と衝突して家を出ていた。ウィリアムは姉が残していったアルバムを聴いて、ロックに目覚める。
 伝説的なロック・ライター、バングス(フィリップ・シーモア・ホフマン)のアドバイスを受けながら、ウィリアムは弱冠15歳に してプロの道を歩み始める。
 ローリングストーン誌の原稿依頼を受けたウィリアムは、ブレイク寸前のバンド “スティルウォーター” のツアー取材をすることに なる。楽屋でよく見かけた美少女ペニー(ケイト・ハドソン)も同行していた。ウィリアムは仄かな恋心を抱くが、彼女はバンド・ リーダーのラッセル(ビリー・クラダップ)に夢中だった。
 ローリング・ストーン誌の人気ライターだった監督・脚本のキャメロン・クロウの自伝的映画。アカデミー脚本賞を獲得している。

  一口感想
 公開当時、外出のついでに見ようと思っていたら、朝刊に小さくアカデミー脚本賞を本作が受賞したと出ていて、この映画を見ようと 思う気持にいっそう弾みがついた覚えがある。脚本がしっかりしているかどうかでその作品の質が決まる、映画で一番大切なのは俳優 でも監督でもなく、脚本だ、と私は思っているので。

 この映画は、監督自身が15才の時に、ブレーク寸前のロックバンドのツアーにローリングストーン誌の契約記者として同行した 体験がもとになっている。
 50年代終わりからから60年代にかけて、私の青春時代の真っ盛り、日本の若者の間に吹き荒れたロカビリー旋風もその後に訪れた ビートルズの熱狂も、当時の私はあまり心を動かされる こともなく、醒めた眼で眺めていた。それなのに確実にロックのリズムは身体に 刻み込まれたらしい。今でも一番好きなのはロックだ。
 舞台となっている60年代ぎりぎりから70年代初めにかけては、私はすでに青春時代を通り過ぎ、次男も生まれていた頃だ。 それでも、全編に絶えず流れるロックのリズムに身体を委ねていると、身内に快い陶酔が生まれ、若かった頃に戻っていくような気分に なる。

 15才の少年がロックの世界に飛び込み、キラキラと輝くような好奇心で新しい刺激を吸収していく。グルーピーの年上の少女への 淡い想い。人気ロッカーとの友情。心配しつつ彼を見守る母。そして彼を指導する伝説のロック・ライター・・・。
 ロッカーたちをめぐるドラッグも女も、ドロドロしたものは描かれず、綺麗にまとめられているけれど、15歳の少年の目に映った ものはそれでいい。青春の思い出はいつも美しくあってほしいのだ。
 ペニー・レイン役のケイト・ハドソンが、全身からきらきらオーラが出ていてチャーミングだ。
 「私たちはグルーピーじゃない。音楽に霊感を与えるバンド・エイドだ」と自負するけれど、所詮は “まぼろし” を愛しているに 過ぎない。その現実に気づいた時の苦い悲しみ。彼女の顔に陽炎のように素早く表われては消えていく繊細な表情の変化が印象に残った。
 一本芯の通ったウィリアムの “鉄壁” の母親を演じたフランシス・マクドーマン、ウィリアムにプロの音楽ジャーナリストとしての 心構えを教えるロックライターに扮したフィリップ・シーモア・ホフマン、ともに素晴らしかった。
  【◎△×】7

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3月
グリーン・デスティニー

2000年  アメリカ/中国  119分
監督 アン・リー
出演
チョウ・ユンファ、ミシェル・ヨー、チャン・ツィイー
チャン・チェン、チェン・ペイペイ、ラン・シャン

  ストーリー
 太古のパワーに満ちた秘剣“碧銘剣”(グリーン・デスティニー)をめぐる伝奇アクション。剣の達人リー・ムーバイ(チョウ・ユン ファ)は北京に赴く女弟子ユー・シューリン(ミシェル・ヨー)に、碧銘剣をティエ氏に届けるよう頼む。リ−は師匠の仇“碧眼狐”を 長い間探し求めていたのだが、時は流れ、剣を置く決意をしたのだった。ユーはティエ氏(ラン・シャン)の屋敷でユィ長官の娘イェン (チャン・ツィイー)に出会う。
 その夜、碧銘剣が何者かに盗まれる。イェンに疑いを抱いたユーは彼女の屋敷を訪ねる。家庭教師(チェン・ペイペイ)はユーに敵意 を示すが、ユーとイェンは打ち解けあい、2人は義姉妹の契りを交わす。イェンは間もなく名門ゴウ家に嫁ぐことになっていたが、彼女 には砂漠で愛を誓い合った盗賊の若き頭目ロー(チャン・チェン)という恋人がいた。

  一口感想
 公開時ちょっと油断してたらたった1週間で終わって見損なっていた。アメリカで大ヒット、凱旋ロードショーをするというので、 今度こそ見逃すまいと出掛けた映画だった。
 で感想だが、意外に面白かった。碧銘剣(グリーン・デスティニー)と呼ばれる名剣をめぐっての中国の時代アクション。出てくる 武術の達人が、チョウ・ユンファ扮するリー・ム−バイを除けば、みんな女性なのにまずびっくり。これが揃いも揃って強いのなん のって。
 とくにチャン・ツィイー。『初恋のきた道』ではあんなに可憐で愛らしくて、三つ編みのお下げを揺らしていたのに・・・。 キッと一途な思いを秘めた表情の愛らしさは変わらないが、同じ人と思えぬほど強い。撮影に備えて相当に武術の訓練をしたんだろうな。
 個人的にはミシェル・ヨー扮するユー・シューリンが好き。彼女の身動きは一朝一夕のもではない武術の年輪を感じさせる。元々が そういう素養を持った人なのかな? それでいて、成熟した大人の女性の翳りも漂わせて、雰囲気のある女優だな思う。こういうタイプ の女性に私は惹かれる。
 (その後知ったのだが、彼女は香港のアクション女優の第一人者とか。道理で動きが本格的なはず。さらにその後見た『トゥモロー・ ネバー・ダイ』で、ピアース・ブロスナンを相手に堂々のアクションを披露し、じつにかっこよかった。)
 格闘シーンでは、イェンが旅の料理店でむくつけき大男たちを相手に大暴れする場面が、「水滸伝」とか「三国志」を連想させて、 面白かった。それから、リー・ム−バイとイェンの竹林での対決。これはもう、しなる竹の上に乗って揺れながら落ちもしないのだから、 笑うしかない。まるでもう、無重力の世界。それでもひたすらワクワクしてしまうのだ。
 実らぬ2つの恋も絡めてちゃんと壷を押さえてる辺りはさすがのアン・リー監督。『アイス・ストーム』や『ある晴れた日に』と まったくタイプに違う映画だけど、伸び伸び楽しそうに撮っている。単純なアクション、でも「自由に生きたい!」という心からの 叫びがストレートに伝わってくる映画だった。
  【◎△×】7

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1月
13デイズ

2000年  アメリカ  145分
監督 ロジャー・ドナルドソン
出演
ケヴィン・コスナー、ブルース・グリーンウッド、スティーヴン・カルプ
ディラン・ベイカー、ヘンリー・ストロジャー

  ストーリー
 1959年、キューバにカストロの革命政府が成立したことに端を発し、世界を核戦争寸前にまで追い詰めた“キューバ危機”。世界 がもっとも核戦争に近づいたキューバのミサイル危機を、ケネディ政権がいかにして回避したかを描く13日間の緊迫のドラマ。
 1962年、アメリカ軍偵察機が、キューバに建設中のソ連の核ミサイルを発見する。アメリカからわずか140kmしか離れて いないキューバに、アメリカを射程内におく弾道ミサイルが配備されたことにアメリカ政府は震撼する。即時侵攻か、空爆か、海上封鎖 か・・・。対応を間違えてミサイルが発射されれば、米ソの核戦争は避けられない。大統領は重大な決断を迫られる。
 大統領特別補佐官ケネス・オドネル(ケヴィン・コスナー)が生前残したインタビューや、ケネディ大統領(ブルース・グリーン ウッド)の回想録などをもとに脚色されている。

  一口感想
 1962年といえば、私は19歳。そういえば、アメリカがキューバを海上封鎖したというニュースは聞いたっけ、と暢気なことを 思いながら映画を見て、こんなに危ない瀬戸際外交が繰り広げられていたのか、まかり間違えば、アメリカの核の傘にずっぽり隠れて いる日本も危なかったなぁ、と今更ながらにびっくり。歴史というのは、そのさなか、リアルタイムに生きている人間の認識なんて、 案外こんなものかもしれないなぁ、と思ったりした。
 相手国からの情報や申し出が真実なのか罠なのか、そのせめぎ合いの葛藤が非常にスリリングで面白い。ソ連内部でも同様のことが もっと熾烈に行われていたことだろう。そして、同じ事件がまったく別の様相を呈していたかもしれない。このキューバ危機をソ連側 から描いたらどんな風になるのだろう。興味がある。
 ただ、たった13日間の出来事とはいえ、劇場公開時をふくめて2回見て、まだよくストーリーが飲み込めない。政治はもともと複雑 怪奇なものだし、まして軍事・外交が絡んだ歴史的大事件だ。しょうがないかも知れないが、もう少し分かりやすく纏められなかった ものかと思った。
  【◎△×】7

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3月
サイレンス

1998年  イラン/フランス/タジキスタン  76分
監督 モフセン・マフマルバフ
出演
タハミネ・ノルマトワ、ナデレー・アブデラーイェワ
ゴルビビ・ジアドラーイェワ、ケハム・ガッセム、アラズ・M・モハマドリ

  ストーリー
 タジキスタンの田舎町。母親(ゴルビビ・ジアドラーイェワ)と2人暮らしの10歳の少年コルシッド(タハミネ・ノルマトワ)は、 バスに乗って親方(ケハム・ガッセム)のところまで通い、楽器の調律の仕事をしている。目が見えない彼を、工房でお茶係りをして いるナデレー(ナデレー・アブデラーイェワ)が、毎日バス停まで送り迎えしてくれる。
 家は貧乏で、家賃を払う月末まであと5日しかない。大家には払えない時は家を追い出すと言われている。それなのに、コルシッドは バスで聞いた音楽を追いかけ、何度も遅刻をしたために、仕事をクビになってしまう。
 コルシッドを演じたタハミネ・ノルマトワはじつは女の子で、彼女の演技はベネチア国際映画祭を初め、各国で絶賛された。

  一口感想
 コルシッドの顔のクローズアップが多用されるせいか、周りの状況がよく分からない。それだけに、そこに流れるさまざまな音、三連 譜を刻む戸を叩く音、蜂の羽音、物を売る女たちの声、市場のざわめき、鋳物を鍛え弦楽器をかき鳴らす音、水の流れ・・・、に耳が 研ぎ澄まされる。「あー、 これがコルシッドのいる世界だ・・・」と思う。
 初めはストーリーを追って見ていたせいか、戸惑いが大きかったが、コルシッドの内なる世界に広がる「音」の豊かさに気づいてから、 ぐんぐん映画に引き込まれた。
 わずか10歳の少年の肩に一家の生計がかかっている。考えればずいぶん苛酷な状況だが、この映画は監督のイメージが音と映像で 綴られ、ストーリーそのものはそんなに重要ではないという気がする。
 バスの中で、小学校に通う少女たちとコルシッドが、詩の一節を暗唱するシーンがある。「過去を思い煩わず、未来を悲観しない」 「今を大切に。時間を大切に」というような内容だ。これがこの映画のテーマなのだと思う。
 コルシッドは音に引かれる心のままに生きている。彼が馬の仕草を真似て、水辺をしぶきを上 げて走る姿がとても美しいと思った。

 マフマルバフ監督の前作『ギャベ』は清冽な映像が印象的だったが、本作でも同様に「色」が素晴らしい。登場する女性たちがベール をかぶっていないのは、タジキスタンで撮影されたためという。彼女たちのまとう民族衣装が美しい。
 とくに工房で働く少女、ナデレーが泉に水を汲みにいくシーン。少女の赤い衣装、黄色い木曳れ日、そしてナデレーが泉のほとりで するオシャレ。赤いさくらんぼを耳飾りにし、赤や紫の花びらを摘んで爪飾りにする。その手を頬に当てる。
 さくらんぼの耳飾りと花びらの爪、そしてぷっくりした少女の唇。何度も表れるこのショットが息を飲むほど瑞々しく、官能的だ。
  【◎△×】7

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1月
サン・ピエールの生命(いのち)


1999年  フランス  112分
監督 パトリス・ルコント
出演
ジュリエット・ビノシュ、ダニエル・オートゥイユ
エミール・クストリッツァ、ミシェル・デュショーソワ、カトリーヌ・ラスコー

  ストーリー
 『仕立て屋の恋』『髪結いの亭主』のパトリス・ルコントが実話をもとに映画化した。
 1849年、フランス領カナダのサン・ピエール島である夜、殺人事件が起こる。島に流れついた漁師のニール(エミール・ クストリッツァ)が酔った勢いで盗みに入り、気づいた住人を殺してしまったのだ。
 彼は死刑を宣告されるが、島にはギロチンも死刑執行人もいない。島の総督(ミシェル・デュショーソワ)がフランス本国に要請した ギロチンが届くまで、ニールは島に駐屯する軍隊長ジャン(ダニエル・オートゥイユ)が預かることになる。
 ジャンの妻ポーリーヌ(ジュリエット・ビノシュ)は、彼に花作りを手伝わせる一方で、無学な彼に読み書きを教えたり、外出に 同行させたりする。二ールは次第に島の人々と親交を深め、やがて未亡人マルヴィラン(カトリーヌ・ラスコー)と愛し合うように なる。
 ギロチンが島に到着する。しかし死刑執行に対して島民たちの反発は強まっていた。

  一口感想
 漁師ニールは遭難し、漂流の末、この島にたどり着いた。そして、酔った勢いでさしたる理由もなく島民の1人を殺してしまう。 しかし、彼は残酷な人間でもなんでもなく、ただ人の「死」に無頓着な無知な男であるだけなのだ。
 だから、島民の家を男たちみんなで引っ張って、引っ越しのために移動させている最中に引き綱が切れると、身体を張って家の暴走を 食い止める。自分の命にさえ無頓着なのだ。
 彼が島民たちとの接触を通し人間的に成長するのは、ポリーヌの導きが大きい。彼は “愛”や、それに伴う “責任 ”というものを 初めて自覚するようになる。
 自分を処刑するギロチンを運んできた船を曳航する仕事をし、その報酬を結婚したばかりの妻に残そうとする。ポリーヌに脱走を 勧められても、「だれも困らせたくない」といって独房に戻ってくる。
 無自覚に犯した殺人の意味を、ニールは彼なりに自覚し、その罪を見事に全うして死んでいったように見える。

 狭い閉鎖的な島の支配層社会で、ポリーヌのニールに対する行動は当然のごとく口さがない興味の的になるのだが、夫のジャンは 敢然と身を挺して妻を守る。そのためにジャンは島の支配層の反発を買い、最後は総督が「反逆罪」で告発し、ジャンは本国パリに 送還され、銃殺される。
 命を賭した無上の愛。彼の妻に対する愛の深さはただごとではない。彼は妻ポリーヌがニールに献身的に尽くすのを見て、嫉妬は 抱かなかったのだろうか、とも思うが、2人の間には世俗の関係を超えたものがあると、直感的に承知していたのかなぁとも思う。
 運命的に1人の女を愛し、そのすべてを信じ、受け入れる。そういうことがこの世の中にはある のだなぁと、私はただ思うだけだ。

 ジャンとニールはそれぞれに魅力ある人物として説得力を持って迫ってくる。しかし、その間に要として立つポリーヌの人物像が、 私には最後までもう1つクリアには見えてこない。
 彼女がニールに字を教えるシーンがある。声を出しながらたどたどしく字をたどるニールの指に、ポリーヌの指が微かに触れる。 2人の関係が男女のものに変わりうる最もスリリングな瞬間だ。しかし、2人の指はそのままさり気なく離れていく。
 もし、それまでに2人の間に恋愛に近い感情があったとしても、この時を境に2人の関係は母の子に対する愛情と、子の母に対する 崇敬に変わっていったように思える。それはそれで、とてもよく分かる。しかし、もともとの彼女のニールに対する関心と博愛的な 行動の源は、いったい何なのだろう。ジャンの死後、窓辺に佇むポリーヌの姿を見つめながら、その疑問が私を最後まで離さなかった。
  【◎△×】7

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3月
ジュリアン

1999年  アメリカ  94分
監督 ハーモニー・コリン
出演
ユエン・ブレンナー、クロエ・セヴィニー、ヴェルナー・ヘルツォーク
エヴァン・ニューマン、ジョイス・コリン、クリシー・コビラク

  ストーリー
 盲学校の教師をしているジュリアン(ユエン・ブレンナー)は、妊娠中の未婚の姉(クロエ・セヴィニー)、レスラーを夢見る弟 (エヴァン・ニューマン)、エキセントリックな父(ヴェルナー・ヘルツォーク)、猫を盲愛する祖母(ジョイス・コリン)と暮らして いる。母は彼の幼い頃亡くなった。ひそかにナチス崇拝ごっこに耽っていたジュリアンは、徐々に精神分裂症を患うようになる。
 ある日、ジュリアンは姉のパール、アイス・スケートの選手を夢見る盲目の少女クリシー(クリシー・コビラク)とリンクに遊びに いくが、そこで事故が起こる。

  一口感想
 なんと表現したらいいか分からないが、ずいぶん奇妙な映画だと思う。ハンディカメラを使った映像は、不安定に揺れて、時々船酔い を起しそうになる。ざらついた粒子の粗い画像にも、気持ちが落ち着かなくなる。まるでジュリアンの内側に入って、彼の視点で外界を 見ているような気分だ。
 しかし不思議なのは、精神を病んだジュリアンが見る世界が必ずしも荒廃していないことだ。少女がスケートリンクでくるくる回り ながら滑るシーンの美しさ。青い服が斜めに揺れて、透明感が画面をおおう。まるでジュリアンの内面の優しさが表われているようだ。

 ジュリアンの家族は、父をはじめエキセントリックな人ばかりだ。家族の精神を破壊することに喜びを見ているような病的な父、使役 馬のごとく父の命令のままにレスリングに励む弟、猫を溺愛する祖母。そんな中で、姉のパールが陽だまりのような温かさをかもし出す。
 ジュリアンがパールと電話で “母親ごっこ” をする場面が印象的だ。6歳の時に亡くなった母を無心に恋うジュリアン。パールは 電話の向こうで優しい母に成りすます。2人とも遊びと分かっていて、母と息子になる。温かくて切なくて、この場面が私はとても 好きだ。

 パールは未婚で子どもを出産する。父親は不明だが、私は娘を “淫乱女” と罵る彼女の父ではないかと思う。死産した赤子を、 ジュリアンが「自分の子どもだ」と言ってアパートに抱いて帰るのは、父と姉の事情を彼なりに察知した表われのような気がするのだ。
 病者の生きる現実を、病者の視点で描いた映画は、人によっては嫌悪を感じるかもしれない。しかし、私は無力なジュリアンの優しさ になんども胸が痛くなった。

 自閉的で少々とっつきが悪いが、なぜか心に引っかかる映画だ。もう少しストーリーにまとまりがあれば・・・。でもこの監督には、 それはあまり重要ではないのかも知れない。
  【◎△×】6

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3月
小説家を見つけたら

2000年  アメリカ  136分
監督 ガス・ヴァン・サント
出演
ショーン・コネリー、ロブ・ブラウン、F・マーリー・エイブラハム
アンナ・パキン、バスタ・ライムス、マット・デイモン

  ストーリー
 ニューヨークのブロンクスに住むジャマール(ロブ・ブラウン)は、プロのバスケットボール選手を夢見る16歳の高校生だ。
 ある日、仲間にそそのかされて忍び込んだ謎の老人の部屋に、愛用のリュックを忘れて来てしまう。リュックは戻ってくるが、その 中に隠していたノートには、赤字で老人のコメントがびっしり書き込まれていた。じつはジャマールはひそかに文学に情熱を抱いており、 ノートに創作をメモしてしたのだ。
 老人は40年前にピュリツァー賞に輝いた処女作だけを残して文壇から消えた幻の大家、ウィリアム・フォレスター(ショーン・ コネリー)だった。やがて2人の間には師弟関係のような友情が生まれ、ジャマールはフォレスターの指導で才能を開花させていく が・・・。

  一口感想
 私にとっては久しぶりのショーン・コネリー。たった一作の名作を残して隠世してしまった “幻の大家” が彼の役だ。これは「ライ 麦畑でつかまえて」のサリンジャーでもモデルにしているんだろう か。
 前半の彼は「偏屈で気難しい老人」という設定だが、これはさすがのコネリーをもってしても、あんまり「らしく」ない。もっとも 少年の目に映る老人像なんて、じっさいとは関係なく、おおむねこうしたものかも知れない。
 少年に文才を認め、文章の書き方を手ほどきする辺りから、コネリーならではの味になる。暖かくかつ厳しく、悠揚迫らぬ指導者だ。 若い者におもねらず、突き放したようでいて、目配りは温かい。

 窓拭き以外は外の空気を吸ったことはない、という老作家が、40年ぶりに外出する場面がある。ジャマールの発案で、サッカーの 試合を見に出かけることになったのだ。
 観衆の人波に飲まれて迷子になったフォレスターは、観客席の隅でうずくまっているところをジャマールに探しだされる。閉じられた 文学の世界から、開かれた実社会に出た時、少年が老作家の保護者となったのだ。
 2人の関係が指導する者とされる者、というように固定化しておらず、相互的なものとして描かれているのが面白い。作家の人間的な 弱みが露呈され、その分、“伝説の作家” が近しい存在になった気分になる。

 もう1つ面白かったのは、仇役ともいえるクロフォード教授だ。彼を演ずるF・マーリー・エイブラムは、そこそこ才能はあるけど 大才能の前にあえなく挫折、その傷を心の奥に押し隠しながら、怨念を燃やし続ける、という役柄が妙にぴったりくる人だ。
 『アマデウス』(84)で彼が演じていたサリエリなどは、まさにそういう役だった。クロフォード教授はジャマールの文才にいち早く 気づき、かつてフォレスターに対してそうだったように、その才能にどす黒い嫉妬の炎を燃やす。天才の芽を摘み取ろうと策略をめぐらす 彼の存在が、映画をぴりっと引き締めている。

 ジャマールを演ずる黒人少年は演技初体験なんだそうだ。それにしてはコネリーやエイブラムのような名優相手に一向臆するところが ない。若い人のもの怖じしない良さってこういうところにあるんだなぁ。
 老作家が自転車で夜の町を走るシーンは、長い間閉ざしていた心を開いた開放感が溢れていて心に残る。新し味はないけど、暖かくて 爽やかな映画だった。
  【◎△×】7

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2月
ハート・オブ・ウーマン

2000年  アメリカ  127分
監督 ナンシー・メイヤー
出演
メル・ギブソン、ヘレン・ハント、マリサ・トメイ、アラン・アルダ
アシュレー・ジョンソン、ヴァレリー・ペリン、ベット・ミドラー

  ストーリー
 バツイチのニック(メル・ギブソン)はシカゴの広告代理店のクリエイティブ・ディレクター。男性向け商品の宣伝で数々のヒットを 飛ばしてきたが、昇進確実と思われていたポストを、ライバル会社からヘッドハンティングされてきたやり手の女性ダーシー(ヘレン・ ハント)に奪われてしまう。
 大ショックのニック。ところが、ちょっとした感電事故がもとで、周りの女性の考えていることが、ぜんぶ声となって聞こえるように なったのだ・・・。

  一口感想
 外部から引き抜かれたやり手の女性にポストを奪われる設定は『ディスクロージャー』(94)によく似ているが、本作はライバルの はずの主人公2人が恋に落ちて、めでたしめでたしのライト・コメディ。雰囲気は大いに違う。

 女性の気持ちなんて考えたこともないニックが、女性用商品の宣伝で四苦八苦しているうちに、ひょんなことから女性が心の中で考えて いる声が聞こえるようになる。
 四方から押し寄せる女性の声にノイローゼ状態のニックが、カウンセラー(ベット・ミドラー)から「最強の武器を手に入れたのと 同じ」とアドバイスされて、「そうかぁ」とはたと気づくところがおかし い。ものは考えようというわけだ。
 しかし、女性の考えてることを「知る」のと、その心(=真意)を「理解する」のは違う。ニックは初めは、「女ってこんなことを 思っていたのかぁ。ふむふむ」とばかりに、そのまま宣伝として表現して、大いに女性スタッフの顰蹙(ひんしゅ く)を買う。
 彼の無神経ぶりには笑ってしまうけど、大方の男性ってきっとこんな風なんだろうなぁ。この辺り、女性監督らしいきめ細かさだ。見る からにマッチョなメル・ギブソン、演じながら「女心はむずかしいね」なんて思っていたかも。

 自己チュウだったニックが、女心を理解するようになって人間的に成長する。同時に、ダーシーに啓蒙され宣伝マンとしても巾が広く なる。と、一見女性の優秀さを謳った内容だが、メルのいたずら坊やっぽいユーモアに助けられ、そう嫌味ではない。濃い目のメルと 爽やか系のヘレン・ハントの組み合わせがいい。
 ニックが年頃の娘アレックス(アシュレー・ジョンソン)とボーイフレンドとの交際にはらはらするくだりが面白い。プレイボーイ ほど自分の娘にはうるさいそうだが、まさにその典型だ。ここでも娘の内心の声が、ニックをどぎまぎ辟易させて笑いを誘う。ホテルへ の誘いを断わった、と泣きじゃくる娘に、「それでいいんだ。いい子だ」と思わず力が入るところなんて、「お父さんだなぁ」と微笑 ましくなった。

 ただ、コーヒー・ショップの店員(マリサ・トメイ)や自殺願望の資料配り係など、話がやや拡散気味。ダーシーと娘のアレックスの 2つに絞ったほうがよかったかも。
 それにしても、マリサ・トメイにベット・ミドラー、『レニー・ブルース』(74)でアカデミー賞候補になったヴァレリー・ペリン など、ちょい役の脇役陣の豪華さにびっくり。
  【◎△×】6

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1月
初恋のきた道

2000年  アメリカ/中国  89分
監督 チャン・イーモウ
出演
チャン・ツィイー、スン・ホンレイ、チョン・ハオ、チャオ・ユエリン
リー・ピン、チャン・クイファ、ソン・ウェンチョン、リウ・チー

  ストーリー
 都会で働いているルオ・ユーシェン(スン・ホンレイ)が、父の訃報で久しぶりに故郷の村へ帰ってくる。嘆き悲しみながら古い しきたり通りに葬式をあげたいと頑なに主張する母(チャオ・ユエリン)を見て、ユーシェンは昔聞いた両親の馴れ初めに思いを馳せる。
 18歳の村の娘チャオ・ディ(チャン・ツィイー)は、町から教師として赴任してきた20歳のルオ・チャンユー(チョン・ハオ)に 一目惚れする。
 村人の校舎建築を手伝うチャンユーのために、真心こめた弁当を作るディ。2人の心が通じ合ったある日、チャンユーは「文革」の ために町へ呼び戻される。雪の降りしきる冬の道で、チャンユーの帰りをひたすら待つディ・・・。
父 の葬儀が行われる現在の部分を沈み込むようなモノクロームで、初々しい恋が綴られる過去は鮮やかなカラーで表現されている。 ベルリン国際映画祭で銀熊賞を受賞。

  一口感想
 チャン・ツィイーの可憐さが圧倒的だ。チャンユーが子供たちと一緒に丘の道を行くのを、遠くから見守るだけで幸せ。まして目が 会い、会釈でもされたら、もう天にも昇る心地。家に戻るディの後ろ姿が弾んで、喜びが溢れ出る。黄色と橙色に黄葉した秋の林、 燃えあがる秋の野が美しい。
 映画のなかでチャン・ツィイーはよく走る。手はあまり降らず、肩をちょっと揺するような独特の走り方。両肩で三つ編みのおさげが はねるように揺れる。チャン・ツィイーの愛くるしさが爆発する。
 学校を建てる男たちのために、村の女たちは昼食を用意する。誰がどの弁当を取るのかは分からない。先生として尊敬されている チャンユーが最初に取ると聞いたディは、選ばれやすいように机の一番端にどんぶりを置く。
 下から仰ぐように写されたどんぶりのアップが面白い。空を背景にでんと据えられたどんぶり。チャンユーに取ってほしい。どきどき して見つめているディの思いがそのまま伝わってくるようだ。

 一人住まいのチャンユーは、村人の家を順繰りに回って食事の世話を受ける。ディはキノコ餃子が好きというチャンユーのために、 いそいそとキノコを刻む。
 中国風の丸い大きなまな板でとんとんキノコを刻むシーンを予告編で見た私は、あまりにおいしそうで、てっきり料理映画と勘違い してこの映画を見にいったほどだった。ディの思いはいつもチャンユーのために作る料理に籠められる。
 割れたどんぶりをディの母が巡回の修理屋に頼んできれいに繕うシーンが心に残る。娘の恋を戒めながらも、その思いをちゃんと 察している盲目の母。そして、丁寧に留め金で押さえられ修理されたどんぶり。昔はだれにでもあった人も物もひとしなみに大切にする 心根が表れていて、懐かしい気持ちにさせられる。
 さしたる障害もなく成就する初恋をこんなに正面きって描いた映画ってそうないような気がする。考えると気恥ずかしい気分も するが、あまりに率直で、かえって胸が熱くなる。

 この映画は現代の部分をモノクロ映像で描き、過去のカラー部分をサンドイッチする形になっている。ディの一途さは過去のカラー 部分で十分に描かれているので、現代部分はもっとあっさり仕上げてもよかったんじゃなかろうか。老いてなお亡夫への思いを 主張されると、ちょっと辟易する感じもある。
 ここは雪の中を進む葬列のシーンと、息子のユーシェンが都会に帰る前に、父が手作りした教科書を村の子供たちに朗読するシーンで 納めたほうが、余韻が残ったような気がする。
 戸棚の奥にしまわれていたあのどんぶりをユーシェンが見つける場面があったら、思いはなお深くなったかも知れない。
  【◎△×】7

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1月
耳に残るは君の歌声

2000年  イギリス/フランス  97分
監督 サリー・ポッター
出演
クリスティーナ・リッチ、ケイト・ブランシェット、ジョン・タトゥーロ
ジョニー・デップ、ハリー・ディーン・スタントン、オレグ・ヤンコフスキー
クローディア・ランダー=デューク

  ストーリー
 1927年、ロシアの寒村に暮らすユダヤの少女フィゲレ(クローディア・ランダー=デューク)は父(オレグ・ヤンコフスキー)・ 祖母と共に貧しいながらも幸せに暮らしていた。しかし、父が新天地で成功して家族を呼び寄せるため、アメリカに旅立った直後、村は 暴徒に襲われ、焼き払われる。
 フィゲレはロンドンにたどり着き、スーザンという名を与えられて、成長する。
 1930年代のパリ、スージー(クリスティーナ・リッチ)はロシア出身のダンサー、ローラ(ケイト・ブランシェット)と知り合う。 ローラは美貌を武器にイタリア人のオペラ歌手ダンテ(ジョン・タトゥーロ)に近づき、その縁で2人はオペラ団のコーラス・ガールと して働くことになる。そこには白馬を扱うジプシーの青年チェーザー(ジョニー・デップ)がいた。1940年6月、パリはあっけなく ドイツ軍に占領される。

  一口感想
 ラストがあっさりしすぎて物足りないのを除けば、ほんとうにいい映画だと思う。2回見て、2回と もそう思う。
 冒頭の、少女フィゲレと父親が林の中で遊ぶシーンが素晴らしい。ロシアの小村の寒々しい景色。でも、ここに暮らす人たちの心は ほっかりして幸せなのが、フィゲレの笑顔でとてもよく分かる。家族が一緒に暮らせるなら、厳しい風土も貧しさも、少女にとっては ちっとも苦しいことでない。
 フィゲレに扮する少女がなんて愛らしいことか。父親が異国でこの娘を片時も忘れなかっただろうと、容易に想像できる。
 このオープニングが強く心に刻まれるせいか、その後スージーと呼ばれるようになった少女の放浪の旅が、父の消息を求めてである ことが素直に納得できる。

 舞台がパリに移って、主要登場人物4人が顔を合わせる。クリスティーナ・リッチ、ケイト・ブランシェット、ジョン・タトゥーロ、 ジョニー・デップ。その競演は見事の一言。
 なかでも私は成り上がりのオペラ歌手を演じたジョン・タトゥーロに引かれた。“カメレオン俳優” という言葉が俳優への最大級の 賛辞とするなら、彼にこそ進呈したい。
 本作では、最底辺から己の才能一つで這い上がった自信と尊大、オペラ歌手として頂点を極めながらも、卑しい育ちにへばりついた 性根、拠り所は自分の声だけという心許なさなど、ダンテという男の複雑な性格を陰影濃く演じている。
 スージーの親友になるダンサー、ローラに扮したケイト・ブランシェットのケバイ変身ぶりにも驚嘆。『ヘヴン』や『シャーロット・ グレイ』の透明感が嘘のようだ。しかし、派手な外見の裏には、故 国を離れて異郷の地を漂う女の切なさが透けて見える。計算づくのように見えながら心根は温かい、一筋縄でいかない女なのだ。 ジョニー・デップ、クリスティーナ・リッチも印象深く、4人の演技合戦を見ているだけでも楽しい。

 考えてみれば、スージーはユダヤ人、チェーザーはジプシー、ダンテはイタリア人、ローラはロシア人、と4人はパリでは異邦人だ。 スージーが下宿している宿の女主人はポーランド人で、パリを占領したナチスに連行されていくシーンもあった。
 本作は、パリの下層に暮らす異邦人が、第二次世界大戦下で運命に翻弄される様子を描いた映画と言うことも出来る。テーマ曲として 繰り返し歌われるビゼーの「真珠取り」が切々として、ほんとうに美しい。
 終盤、スージーがアメリカに渡ってからが駆け足なのが残念。97分というのは長い映画ではないので、2時間になっても構わない から、父と再会するまでをもう少し丁寧に描いてほしかった。
  【◎△×】7

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3月
楽園をください

1999年  アメリカ  138分
監督 アン・リー
出演
トビー・マグワイア、スキート・ウールリッチ、ジェフリー・ライト
ジュエル、サイモン・ベイカー、ジョナサン・リス=メイヤーズ
ジム・カヴィーゼル、トム・ウィルキンソン

  ストーリー
 1861年、アメリカ・カンザスとミズーリ州境。南北戦争の勃発で、幼なじみのジェイク(トビー・マグワイア)とジャック・ブル (スキート・ウールリッチ)は故郷を離れ、南側のゲリラ隊に加わる。
 ブラック・ジョン(ジム・カヴィーゼル)率いるゲリラ隊には、冷静なジョージ(サイモン・ベイカー)、彼の元奴隷で、寄り添う ように彼を守る黒人兵ホルト(ジェフリー・ライト)、非情に敵を殺すピット(ジョナサン・リース・マイヤーズ)らがいた。
 冬の到来でゲリラは分散して身を隠すことになり、ジェイクらはラフィエットのエヴァンス牧場を訪れ、裏山にアジトを作る。 ジャック・ブルは彼らに食事を届ける若い未亡人スー・リー(ジュエル)と恋に落ちるが、春になり、北軍の襲撃を受けて死亡する。
 スー・リーを安全なブラウン農場に預け、キャンプ地に戻ったジェイクとホルトを待ち受けていたのは、“ローレンスの大虐殺” と 呼ばれる悪名高い闘いだった。

  一口感想
 この映画を見るまで、アメリカ南北戦争で正規軍以外のゲリラ戦が激しく戦われたことを、私はまったく知らなかった。映画の舞台に なったミズーリ州は、南北戦争の中心地からはずいぶん離れた場所のようだが、それでも戦争と無縁ではいられない。
 主人公ジェイクは北軍シンパが多いドイツ系移民の息子なのだが、南部育ちであることに忠実であろうと南軍ゲリラに身を投じる。 しかしこのために、本来北軍派の父親は、昔からの友人で今は北軍ゲリラになっている青年に殺されてしまう。ジェイクの親友、ジャック ・ブルの父も北軍シンパに殺される。
 同じ土地で親子、隣人が南北両派に分れ、反目し、殺し合ったのだ。ユーゴスラビアの内戦では民族紛争が勃発し、それまで隣人同士と して付き合っていたクロアチア人とセルビア人が銃を向け合った。戦争とはつくづく複雑で、かつ残酷なものだと思う。

 台湾出身のアン・リー監督は、戦争の狂気に巻き込まれた若者たちの姿を慈しむように描いている。印象的だったのは、黒人兵士ホルト がジェイクに「ジョージは親友だと思っていたが、彼が死んだ時、初めて自由を感じた」と漏らす場面。
 ジェイクが驚いて「彼は君に自由を与えたんじゃなかったのか」というと、ホルトは「人間が他の人間に自由を与えるなんて」という。 与える側は自覚しないが、それ自体がすでに差別の存在を 表している。“与えられた自由” のなかで、ホルトはさらに呻吟していたことを思い、深い言葉だと思った。

 ジェイクとホルトの別れはしみじみとしたいいシーンだ。ホルトは売られた母親を捜しにテキサスに旅立つ。見送るジェイクは、死んだ ジャック・ブルの恋人スー・リーと彼の忘れ形見をわが妻子として、新しい生活を築こうとしている。それぞれの旅立ちを前に、明るさが ほのかに射しこむ画面から、2人の友情が静かに伝わってきて胸を打つ。

 嬉しかったのは、ジム・カヴィーゼルがゲリラのリーダーという地味な役どころながらいい味をだしていたことと、ジョナサン・ リス=マイヤーズがサディスティックな若者の異様な雰囲気を出して、存在感を示していたこと。『ベルベット・ゴールドマイン』(98) ではまだ線が細く、ユアン・マクレガーに喰われてしまっていただけに、彼の成長は驚きだった。
  【◎△×】7

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