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1月 |
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ストーリー 1900年、豪華客船の石炭焚きダニー(ガブリエレ・ラヴィア)は、生み捨てられていた赤ん坊を拾い、‘ナインティーンハンド レッド’ と名付けて大切に育てる。船から降りないまま、‘1900’(ティム・ロス)はピアニストとしての才能を開花させ、船内 バンドの人気者として成長する。 バンド仲間のトランペッター、マックス(プルート・テイラー・ヴィンス)との友情を深め、海の声を聞いたという不思議な客(ビル ・ナン)と出会い、そしてある日、‘1900’ は船窓から見た一人の娘(メラニー・ティエリー)に恋をする・・・。 船の上で生まれて、そこから一歩も外に出ることのなかったピアニスト。役所に出生届けもされておらず、法的・社会的には存在して いない人間。ペット吹きのマックスが語る ‘1900’ の生涯は、どこまでが本当で、どこからが作り話なのかも定かでない、不思議 な物語だ。 ‘1900’ が船を下りる決心をした時、彼の陸の暮らしをマックスが思い描いて見せる場面がある。‘1900’ は船で見かけた あの可憐な少女と結婚し、子どもが生まれる。マックスが訪ねていくと、妻は家庭料理を振舞う・・・。こうした話を ‘1900’ は ニコニコしながら聞く。 家庭も家族も知らずに成長した彼には、初めての恋がそのまま具体的な結婚のイメージにはつながらない。でも、そこには ‘190 0’ の知らない幸せの匂いがある。それが彼を微笑させる。
しかし、ここでふと気づくのは、マックスがまるで ‘1900’ に託して、自分の《幸福》への憧れを語っているように見えること
だ。中古楽器店に現れた「現在」のマックスは、無精ひげを散らしたうらぶれた中年男だ。大切にしていたペットすら手放そうとして いる。彼は人生をさすらいの中で過ごした人のように見える。 彼がヴァージニア号に乗ったのは1927年、船から下りたのが1933年。この6年間は、彼にとって人生がもっとも輝いていた時 ではなかったろうか。彼が ‘1900’ のモデルになるピアニストに出会ったのも、この時代だったのかもしれない。 嵐の夜、2人でピアノの前に座り、フロアを滑りながら演奏するシーンは本当に楽しい。あまりに生きいきしていて、ファンタジー めきながらも、マックスがそのピアニストとじっさいに体験したことのようにも思える。 私は、マックスがそのピアニストに自分が生きられなかった側面ーー音楽の天才的な才能、日常に汚染されない無垢な魂ーーそして彼 自身の孤独をも投影して、‘1900’ の物語を紡ぎ出したように思えてならない。 こう考えると、‘1900’ が船を下りられなかったのは、語り手のマックスが下りさせたくなかったから、ということになる。陸は 苦しい現実の待つ世俗、船は理想郷、彼は ‘1900’ を陸にあげて
世俗の汚濁にまみれさせるのでなく、船の中で純粋な魂のままに止めて置きたかったのかも知れない。船が老朽化し、爆破されることを知った時、マックスは内なる ‘1900’ に別れを告げる。それがあの船内捜索の儀式だったのだ ろう。船内に封印したことで、‘1900’ はマックスの心の中で生き続けることになるのだ。 「よい物語があり、それを聞いてくれる人がいる限り、人生は捨てたものじゃない」という ‘1900’ の言葉は、そのままマックス と楽器店の老店主(ピーター・ヴォーン)に当てはまる。光の当たらない侘しい人生も、時おり訪れる慰めが孤独を癒してくれる。 そんなやさしい思いが後味として残る。 『ロブ・ロイ』(95)の悪役で強烈なオーラを放ったティム・ロスが、無垢で孤独で風変わりなピアニストにぴたりなのが意外だった。 録音演奏をする時、丸窓の向こうに現れる少女の横顔が肖像画のように美しい。彼女を見つめる ‘1900’ の表情。心を奪われ、 それが至高の演奏になるのが見事に表われていたと思う。 マックス役のプルート・テイラー・ヴィンスもいい。港や楽器店、店先の舗道のレトロな雰囲気、抒情的なテーマ曲・・・。この映画 を思い起すたびに、懐かしく感傷的な空気にとっぷり浸りたくなる。 【◎○△×】8 |
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2月 |
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ストーリー ベトナム系アメリカ人のトニー・ブイ監督によるサイゴン(ホーチミン市)を舞台にしたオムニバス映画。4つのエピソードが語られる が、完全に独立している分けではなく、それぞれが物語の周辺部で少しずつ関りあう形を取っている。 郊外の屋敷でハスの花摘みの仕事をする少女(グエン・ゴック・ヒエップ)と、雇い主で業病に冒された詩人(チャン・マイン・ クオン)との交流。中年のシクロ運転手(ドン・ズオン)が若い娼婦(ゾーイ・ブイ)に捧げる純愛。ベトナム女性との間に生まれた 娘を捜す元アメリカ兵(ハーヴェイ・カイテル)、小さな木箱の中にガムやライターを詰め、街で売り歩くストリート・キッズの それぞれの物語。 サンダンス映画祭でグランプリと観客賞のダブル受賞を果たした。 4つの物語が並行しつつ、かつ時折交わりながら進んでゆくが、ハーヴェイ・カイテル演ずる元アメリカ兵が、ベトナム女性と間に 設けた娘を探す話が私には一番魅力が薄かった。いかにも作り物めいたストーリーという気がしたのだ。あとの3つは、登場人物が それぞれにとてもチャーミングだ。 早朝の池で摘んだ蓮のつぼみを天秤棒の桶に入れ、町で売る少女キエン・アン。うっすら額に浮かべた汗が清楚で美しい。 業病にかかった雇い主・詩人ダオとの交流は、もっぱらほの暗い灯りの下で、キエン・アンがダオの詩を紙に書き留めていくだけの 静かなものだ。しかし、それだけにかえってダオの悲しみとそれを受け止める少女の優しさが心に沁みてくる。
拾ったガムやライターを首から下げた木箱に入れて売り歩くストリート・キッズのウッディ。彼の物語の舞台はいつも土砂降りの夜の
街だ。偶然出会った幼い少女と食べ物を分け合い、肩を寄せ合って眠りこけ、時には舗道を川のように流れる雨にものを浮かべて遊ぶ。他の少年たちとサッカーに興じることもある。 一見悲惨な暮らしなのだが、奇妙な明るさが漂っている。 そして娼婦ランとシクロ運転手ハイの恋物語。ただ傍にいてランが心からゆっくり眠る姿を見ていたいだけハイの愛を、ランは素直に 受け入れることが出来ない。過去にあまりに多く傷ついたランは、ハイの無償の愛がかえって不安になるのだ。 ラストシーンの火炎樹の並木が息を飲むほどに美しい。白いアオザイを来たランの頭上に、火炎樹の真っ赤な花びらが降るように舞い 落ちる。赤い炎でランが浄化される。そんなイメージが湧いて、心のなかに清冽な川が流れるような思いがする。 これらの物語はどれもファンタジーのような趣きがある。自分が置かれた運命に抗うことなく、といってただ流されるのでもない、 淡々と営まれるそれぞれの「生」。その気負いのなさがこの映画に大きな魅力を与えていると思った。 【◎○△×】7 |
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3月 |
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ストーリー 『ショーシャンクの空に』のフランク・タラボン監督がスティーブン・キング原作の同名小説を映画化。 1935年、大恐慌時代のアメリカ。ジョージア州のコールド・マウンテン刑務所に、少女2人をレイプし殺害した罪で死刑判決を 受けた巨漢の黒人囚コーフィ(マイケル・クラーク・ダンカン)が送られてくる。彼はいかつい外見には似合わぬ物静かな男だった。 その頃、看守主任のポール(トム・ハンクス)は重い尿道炎で苦しんでいたが、ある時、激痛のために舎房内で倒れてしまった彼を、 コーフィは不思議な力で治してしまう。やがてポールや看守仲間たちは、コーフィの無垢な心に気づき、この男が本当に罪を犯したのか と疑問を抱くようになる。 なお“グリーンマイル”とは、処刑室に送られる受刑者が、最後に歩む緑色のリノリウムの廊下の通称である。 たまたま映画が公開される前に原作を読んでいのだが、6分冊のタラタラ長い本で、正直言って途中何度か放り出そうかと思った。 少なくともこの物語に関して言えば、私は映画のほうがずっと
面白かった。何といってもお気に入りは “ミスター・ジングルス”。ラスト近く、彼が小さなタバコ箱の住まいからゆっくり姿を現した時は本当に 感動した。もうすっかり死んだものと思い、彼のことはじつをいうと忘れてしまっていた。まさかあのシーンで再び登場するとは 思ってもいなかったのだ。 その驚きと、「忘れていてごめんね」の気持ち、懐かしさ、すっかり老いた姿への愛おしさがごっちゃになって、胸が一杯になった。
この映画でずっしり心に残ったのは、“超能力者の孤独の苦しみ”ということだった。コーフィはポールに逃亡を進められて、「もう疲れた」と言う。彼は超能力を持っているために、世の悲惨を感じ過ぎるほどに感じて しまう。その悲惨を救うために出来ることを懸命にやって来た。けれども出来ないことが余りに多すぎる。それが彼を苦しめる。 小説の解説では、彼を人類の罪を贖うために死んだキリ
ストになぞらえていたが、たしかにコーフィは“黒いキリスト”といえそうだ。(John Coffey という彼の
名は、Jesus Christ になぞらえているのかも知れない。)しかし、彼が苦しんだのはそれだけでなく、世人と異なる力を持ってしまったゆえの、疎外の悲しみもあったのではなかろうか。 それはそのまま、その力をコーフィから思いがけず受け継いでしまったポールの孤独にも繋がる。家族も友人もみんなとうに亡くなった。 たった一人でこの先どれほど生きなければならないのか。ポールの「神さま、私にとってのグリーンマイルはあまりに長すぎるのです」 という言葉が、ズキンと胸に刺さるようだった。 【◎○△×】7 |
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2月 |
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ストーリー 韓国へ潜入した北朝鮮テロリスト・グループと韓国情報部員の闘いを描き、韓国では “シュリ・シンドローム” といわれる社会 現象まで巻き起こしたスパイ・アクション映画。 韓国の情報部員ユ・ジュンウォン(ハン・ソッキュ)は、一連の暗殺事件の裏に北朝鮮の女スナイパー、イ・バンヒの影を感じ、同僚 イ・ジャンギル(ソン・ガンホ)とともに必死に追跡していた。 彼はアクアショップを経営する恋人イ・ミョンヒョン(キム・ユイジン)との結婚を控えていたが、自分も命を狙われていることを 察知し、彼女をホテルにかくまう。なぜか彼女はいつもと様子が違っていたが、なにが彼女を苦しめているのか彼には分からなかった。 ソウルでは韓国と北朝鮮の両国首脳が列席するサッカー南北交流試合の準備が進んでいたが、ある日、驚異的な破壊力を持つ液体爆弾 CTXが強奪される。ジョンウォンは、パク・ムヨン(チェ・ミンシク)をリーダーとする北朝鮮特殊部隊の仕業であることを突き 止めるが・・・。 公開当時、韓国映画はまだ『太白(テベク)山脈』(94)と『八月のクリスマス』(98)くらいしか見て いなかった私は、迫力に満ちたアクション映画の本作にひどく驚いたものだった。それ以後、目からうろこが落ちるような思いでアジア 映画を積極的に見るようになった、私にとっては思い出深い映
画だ。冒頭、北朝鮮のテロリスト養成の実戦訓練が凄まじい。これだけで、もう心臓が鷲づかみにされたように画面から目が離せなくなる。 謎の女スパイナー、イ・バンヒがいかに凄腕かが否応なく納得させられる。 熱帯魚に仕掛けられた盗聴器でそれほど精密に情報が盗めるもんだろうかとか、驚異の液体爆弾なるものの仕組みが単純すぎや しないかとか(水中にぷかっと赤い玉が浮かんでいるのには笑ってしまった)、首をひねる部分がないではないが、そんなことはどう でもいいほど、ストーリーには熱がこもっている。アクション・シーンの切れのよさは脱帽ものだ。 一方、ジョンウォンとミョンヒョンのラブロマンスも丁寧に作られている。とくに雨に濡れながらキ
スを交わす2人が、ショーウィンドウの大きな水槽越しに見えるシーンが印象的。ミョンヒョンに扮したキム・ユイジンはあんまり美人
じゃないけれど、このシーンの彼女は妙にエロティックだ。青い光をたたえた水の中をヒラヒラと泳ぐ魚たち。小さな泡が絶えずプクプクと下から上へのぼっていく。ゆらゆら揺れる水は美しい けれど、不安定で、2人の恋の末路を暗示しているような気持ちになる。 実際この水槽は、ミョンヒョンがジョンウォンの親友ジャンギルに正体を見破られるシーンでは、銃弾を浴びて粉みじんに砕けて しまうのだ。 『八月のクリスマス』では純朴な青年を演じていたハン・ソッキュが、別人のような精悍さを見せているのにびっくり。北朝鮮の 工作員リーダー、パク・ムヨンに扮したチェ・ミンシクのやつれた色気も印象に残った。 【◎○△×】7 |
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4月 |
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ストーリー NYタイムズに掲載された実話をベースに、「ツイン・ピークス」のデヴィッド・リンチ監督が、長年
不仲だった兄に会うためにトラクターでひとり旅に出る老人の姿を描いている。アメリカ、アイオワ州。娘ローズ(シシー・スペイセク)と2人暮らしの73歳のアルヴィン・ストレイト(リチャード・ファーンズ ワース)のもとに、10年来音信不通の兄、ライル(ハリー・ディーン・スタントン)が心臓発作で倒れたという連絡が入る。 この機会に仲直りしようと、会いに行く決心をするが、彼は運転免許を持っておらず、交通手段といえば時速8キロのトラクターだけ。 兄の住むウィスコンシンは車なら1日で行ける距離だが、トラクターでは6週間はかかる。それでもアルヴィンは560キロの道のりを 旅立つ。 穏やかな田園の道を、賑やかな町の通りを、時速8キロのトラクターで、ひたすら兄の住むウィスコンシンまで長旅をする頑固な老人 アルヴィン。実話に基づいているそうだが、彼の姓が「ストレイト」(=まっすぐ)というのは、偶然にしてもよく出来ている。 彼が途中で出会うさまざまな人たちと語り合うのが、いつもキャンプファイアを焚きながら、というのがいい。木がパチパチとはぜ、 赤い炎が揺れる。じっと見ているだけで、人はいつの間にか心
を開き、寄り添いあう。妊娠していることを誰にもいわずに家出した娘は、「私は家族に嫌われている」という。泣きたいのをグッとこらえたような依怙地な 顔。アルヴィンが「束ねた枝は折れない。それが家族だ」といういうのを聞いて、まるで “毛利の3本の矢” だな、と可笑しくなった。 似たような譬えはアメリカにもあるのかしら。これで娘は家に帰る気になったみたいで、まずは一安心。 サイクリングの若者たちは、「年取っていいことは?」「逆に最悪なことは?」とアルヴィンに尋ねる。良いほうの「経験を積んで、 ほんとと嘘の区別がつくようになる」というのは私でも考えそうだが、悪いほうの「若い頃を覚えていること」というのにはギャフン。 まったくその通り! それが一番つらいとこなのよね。 西部劇の名優ファーンズワースの枯れた表情がなんとも言えぬ味わいだ。兄との葛藤や戦争体験、同居している娘のローズのことなど、 彼の経てきた人生や家族のことも語られるけど、それが前面に押し出されるわけではない。兄ライルとの再会もあっけない程あっさりして いる。そして見上げると一面の星空。抑制の効いた語り口で、穏やかに満たされた気持になる。
リンチ監督の映画は私は本作が初体験だった。その後、『ブルーベルベット』や『マルホランド・ドライブ』などを見て、
作風があまりに違うのにびっくり。というよりも、じつは本作のほうがリンチ監督の作品としては毛色が変わっている、というのは
後からだんだんと知った。ほかの作品の、心理のラビリンスに迷い込んだような複雑に曲がりくねった世界を思うと(それは多分に私好みではあるが)、本作は 驚くほど、タイトル通り、まっすぐで素直な物語だ。 人間はもともと多面的な存在だ。大なり小なり、みなそのバランスを取りながら生きている。キリスト教作家・遠藤周作は、真摯な側面を純文学で、ひょうきんな側面は「狐狸庵」シリーズで表現していた。監督・北野武も、圧倒的暴力を描きつつ、他方で静謐な内面世界を広げてみせる。タレント、ビートたけしであることを捨てないのも、彼の中のバランス感覚のなせる技だろう。 同じようなことを本作のリンチ監督にも感じる。まっすぐな物語をまっすぐに語ることを、時には彼も必要としているのだろう。 【◎○△×】7 |
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4月 |
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ストーリー 時は1799年。ニューヨーク北方の寒村スリーピー・ホロウで‘首なし’連続殺人事件が発生し、ニューヨーク市警のイカボット・ クレーン巡査(ジョニー・デップ)が派遣されてくる。しかし、古くからの因習に囚われた村人たちは、かつてこの村で首を切られた 騎士(クリストファー・ウィオケン)の亡霊の仕業だと信じていた。 科学捜査に賭けるイカボットは、地主の娘カトリーナ(クリスティナ・リッチ)、父親を殺された少年マスバス(マーク・ ピッカーリング)の協力で事件解明に立ち向かうが、全員が血縁関係にあるというこの村では、調べれば調べるほど謎は深まるばかり だった。 監督は『シザー・ハンズ』『エド・ウッド』『マーズ・アタック!』のティム・バートン。 こういう映画のジョニー・デップって、もうほんとに好き。野暮ったい革カバンをぶら下げて、なにかというとすぐ気絶する。頼り ないったらありゃしない。 森の奥の “魔女” が住む小屋を訪れる時は、まだ少年のマスバスを前に立てて、その後ろからこわごわ中に入っていく。カトリーナ、 マスバスの3人で “首なし騎士” の棲み家の “魔の樹” にた
どり着いた時も、なんと小柄で華奢なカトリーナ(太めのクリスティナ
・リッチが見事に変身!)の蔭に隠れて、首だけ横から出している始末。自白偏重の訊問に反対する人権擁護派で、科学捜査の理論は
立派だが、実力が全然伴わないのだ。一方、“首なし騎士” の強いこと強いこと。何しろもう死んでるんだから怖い者ナシだ。馬上で長い剣を振り回す様子は流麗という ほかなく、シャンシャンという音を聞くだけでスーッと首を持っていかれそうな気分になる。 銃で撃たれればむっくり起き上がり、燃える小屋では炎の中からすっくと現われる。いじらしいほどにへこたれない。クリストファー ・ウォーケンはノークレジットで出演し
ているが、じつに生き生きと亡霊男を演じている。臆病なクレイグが最後は疾走する馬車の上で、この無敵の “首なし騎士” と互角の戦いを繰り広げる。カトリーナがまた大した 度胸で、後ろで何が起こっていようと委細かまわず、馬を駆って馬車を走らせる。この3人のコンビネーションがじつに楽しい。 ほとんど全編を覆う、モノクロに近い青灰色の色調が、ゴシック的な雰囲気を醸し出してすごく素敵だ。因習と伝説に閉じ込められた 古いオランダ移民の小村の陰鬱なムードをよく出している。クレイグが幼い頃の怖ろしい記憶を思い起こす場面では、赤やピンクが 禍々しさを感じさせ、事件が解決したあとは村が一変して明るい色調に変わる。色使いが凝っている。 サスペンス・ホラーの要素にユーモアがまぶしてあって、とても楽しい映画だった。 【◎○△×】7 |
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2月 |
| 聖なる嘘つき |
| その名はジェイコブ |
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ストーリー 自らもゲットーや強制収容所を体験したポーランド出身の作家ユーレク・ベッカーの小説をもとに、ハンガリー出身でホロコーストの 生き残りであるピーター・カソヴィッツ監督が映画化したヒューマン・ドラマ。 1944年、ナチス占領下のポーランド。ジェイコブ(ロビン・ウィリアムズ)はユダヤ人居住区ゲットーに住む元パン屋だ。無理 矢理出頭させられたナチスの司令部で、偶然ラジオのニュースを耳にする。それはドイツ戦況の不利を伝えるものだった。 周囲から隔離され、あらゆる情報が遮断されているゲットーで、そのニュースはまたたく間に広まった。ジェイコブがラジオを隠し 持っていると思い込んだ住人たちは、次の吉報がジェイコブから語られるのを待ち望むようになる。 絶望し、死を選ぶ人があとを絶たないゲットーで、希望が人々に生きる意欲をもたらし始めていた。ジェイコブは身の危険を冒して 嘘のニュースを語り続けるのだった。 映画の中に「飢えや寒さは我慢できるが、希望のない生活は耐えられない」という科白がでてく
る。似たようなことが、ナチのアウシュヴィッツ強制収容所から生還したユダヤ人心理学者ヴィクトール・フランクルの著書「夜と霧」の 中にも書かれている。収容所を生き延びたのは希望を失わなかった人たちだった、と。 また別の本で、人を死に追いやる最も有効な方法は、一度希望を与え、しかる後にそれを奪うことだ、と書いてあるのを目にしたこと がある。 将来への展望や希望・夢があるかどうかが、生きる意味となり、人をして人にあらしめる岐れ道になるのだとつくづく思う。
この映画は、1人の男が苦し紛れについた嘘がゲットーの住人に生きる希望を与え、ついに彼らを生き延びさせる物語だ。しかし、ロビン・ウィリアムズがBBC放送を少女リーナに声色を使い分けて演じて見せる場面など、各所に適度なユーモアが まぶされて、決して重苦しい映画ではない。 住人はおそらく薄々はジェイコブの嘘を勘づいていただろうと思う。しかし、嘘でもいいから彼らは希望がほしかった。その希望の もとになるのが “情報” だというのが興味深い。情報は時に希望を与え、また絶望の源にもなる。 ジェイコブは拷問の末、ラジオがあるというのは嘘だったと、ゲットーの人々に告白するよう強要
される。しかし、司令台の上に引き出されたジェイコブは、嘘をつき通して死ぬ。ジェイコブが死を賭けて守ったことで、その嘘は住民の心の中で “真実” に変った。その転換が劇的なクライマックスとなっている。 そして、ゲットーの住人が強制収容所に送られる直前にソ連軍が姿を現わし、彼らを解放する。“真実” はついに “現実” になるのだ。 『シャイン』で収容所の生き残りの父親を演じたアーミン・ミューラー=スタールが、ここではジェイコブの嘘を支えるユダヤ人医者を 演じて、映画に深みを与えていた。 それにしても、日本語タイトルは、なぜ “聖なる” なんていう浅薄な形容語をつけるのだろう。映画自体が安っぽくなってしまう。 原題通り、『嘘つきジェイコブ』でいってほしかった。 【◎○△×】7 |
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3月 |
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ストーリー 『髪結いの亭主』『仕立屋の恋』のパトリス・ルコント監督が綴るミステリアスなラブストーリー。 出会う男に次々と捨てられ、ある夜21才のアデル(ヴァネッサ・パラディ)は橋の上から投身自殺をしようとしていた。そこに 「バカなことをしそうだ」と声をかけてきた中年の男がいた。ナイフ投げの芸人ガボール(ダニエル・オートゥイユ)だ。 新しいドレスと化粧で美しく変身したアデルは、ガボールのナイフ投げの的として、彼と巡業するようになる。男とみれば誰とでも 寝るアデル。彼女に決して手を出そうとしないガボール。ナイフを投げる瞬間の緊張と興奮と陶酔が触れあわないセックスとなり、 2人の間に奇妙な愛を育み始める。 冒頭のモノローグに近いアデルの語りが興味深い。 最初に男と家出:インタビュアー「自由を求めて?」 アデル「男と寝たかったから」。 最初のセックスはうまくいかなかった:インタビュアー「最初はだれでもそう。2人とも若いし」 アデル「トイレが狭かったからよ。 トイレでセックスしたことある?」 インタビュアー「・・・」。
観念的なインタビュアーに対し、アデルの答えは素っ気もないほど現実的。「私はツキのない女」とけろりとした調子で語るアデル
だが、いつの間にか目の下が涙でぐしゃぐしゃになっている。将来の夢を聞かれ、答えに詰まったあげく、「何かが起こること」。 男から男へ漂うだけの、根無し草のようなアデルの心許なさが印象的なプロローグだ。 アデルの身投げをとめたナイフ投げ芸人ガボールも、本当は自殺しようとしてその橋へ向ったのだったらしい。ダニエル・ オートゥイユの人生に疲れた頽廃の匂い。中年にさしかかってなんの希望もなく、ただ生きているのはずいぶん辛いだろうな、と 思わせられる顔だ。 死にたい2人が出会って、運がつき始めるのが面白い。神話では(どこの神話か忘れたが)、男と女が互いを求め、愛し合うのは、 2人はもとは1人の人間で、分かれた半身を求めるからなのだ
そうだ。ガボールとアデルが別れて放浪する間、心の中で会話を交わすシーンでそんな話を思い出した。半身の時は運が失われ、出会って一体になれば運がついてくる。 それでも、肉体的に交われば、2人はただの男と女になり、神話的な結合は失われる。ガボールとアデルの間には “ナイフ投げ” と その “的” という命をゆだねた関係がある。2人はその恐怖に “性” の快感を味わう。それが2人のセックスだ。 線路脇の倉庫で、初めて「自分たちのため」だけのナイフ投げをするシーンが鮮烈だ。アデルの恍惚の表情、それをみつめるガボール の鋭い眼。ここにあるのは、肉体的なセックスでは味わえない究極のエロティシズム。 2人が離れ離れになったあと、ガボールは半身を失ってどんどん落ちぶれる。しかし、アデルは再び出会う運命をいささかも疑って いなかったように見える。橋で身投げしようとしたガボールを、今度はアデルが救う。アデルはもう根無し草ではない。ちょっと変った 愛の物語だった。 【◎○△×】7 |
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3月 |
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ストーリー ロス・アンジェルス郊外の町サン・フェルナンド・バレーを舞台に、人生の苦悩を抱えながら生きる12人の主要登場人物たちが一日 の間に繰り広げる、9つのエピソードが描かれる。ベルリン映画祭金熊賞の栄冠に輝いた。 死を目前に息子との再会を切望するテレビの大物プロデューサー(ジェイソン・ロバーズ)、彼が昔捨てた息子で、女性の口説き方を 説くカリスマ伝道師(トム・クルーズ)、プロデューサーの若い妻(ジュリアン・ムーア)、その看護人(フィリップ・シーモア・ホフ マン)、ガンを宣告されたテレビの人気クイズ番組の司会者(フィリップ・ベイカー・ホール)、父親に深い確執を抱く彼の娘 (メローラ・ウォルターズ)、彼女に一目惚れする警官(ジョン・C・ライリー)、番組で勝ち続ける天才少年(ジェレミー・ブラック マン)、過去の栄光にしがみつくかつての天才少年(ウィリアム・H・メイシー)・・・。 一見なんの繋がりもない彼らが不思議な糸でつながり、最後に一切の苦しみや悲しみを押し流すかのような蛙の大豪雨に見舞われる。 この映画で一番印象に残ったのは、派遣看護士に扮したフィリップ・シーモア・ホフマンだった。『リプリー』では下層階級に属する リプリーを小バカにし鼻にも引っ掛けない男を演じて、なんて傲慢で嫌味なヤツだろうと思ったものだった。 それが一転して、本作ではとても同じ人とは思えないほどに、患者の苦しみをそのまま我がことのように引き受ける無限の優しさを 見せる。大して見せ場がある役でもないのにこんなに印象に残るのだ。地味だけどすごい役者だなぁとつくづく思う。
もう1人は警官を演じたジョン・C・ライリー。この人、けっこういろんな映画でちょこちょこ見る。たいてい目立たない脇役で、
気がついたらそこにいた、という感じの俳優だが、そのさり気なさが好もしい。本作では、自分の好きになった女性がなにかとても酷い傷を心に負っているらしい。それがどんなことなのか想像すらつかないけれど、 彼女をいたわりたい、守りたい。そんな真っ当な優しさを持った警官を好演している。 彼を見ていると、今はズタズタに荒んだ彼女の心だが、きっと彼によって癒されるだろう、と素直に信じることが出来る。 この映画は最悪の状況にいる人たちばかりが登場するけれど、全体を包むトーンは優しい。大量のカエルが空から降って来て道を埋め 尽くすラストシーンは一見グロテスクだが、一挙にカタルシスがもたらされ、後には不思議な静けさの余韻だけが残る。 このラストを見た時、すぐに連想したのは旧約聖書のモーゼの項に描かれる「七つの災厄」だった。しかし、本作のカエルたちは身を 挺して人々の苦しみを浄化したように思える。“災厄”ではなく“天恵”、そんな言葉が胸に浮かんだ。 【◎○△×】7 |