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【映画メモ】  で始まる映画



遠すぎた橋

1977年  イギリス/アメリカ  175分
監督 リチャード・アッテンボロー
出演
ショーン・コネリー、マイケル・ケイン、ジーン・ハックマン
エドワード・フォックス、ダーク・ボガード、アンソニー・ホプキンス
ロバート・レッドフォード、マクシミリアン・シェル

  ストーリー
 第二次世界大戦のノルマンディー上陸作戦から3ケ月後の1944年9月、連合軍が企てたオランダからドイツにかけての5つの 橋を占拠するというマーケット・ガーデン作戦が、すべて失敗に帰するまでを描いた戦争スペクタクル。
 ノルマンディー上陸作戦の予想外の成功に気をよくした連合軍は、12万の大軍でドイツ軍前線を突破し、本国ルール地方に延びる 主要幹線道路上の5つの橋を占拠して、一気にドイツ本土に迫ろうという作戦を立てた。
 しかし、わずか3日間で100キロ進撃するという作戦は、無謀以外の何者でもなかった。
 5つめの橋のあるアルンヘムまで到達したところで作戦は頓挫、連合軍部隊は撤退を余儀なくさせられる。

  一口感想
 2回目の鑑賞だが、間口が広すぎてやや取り留めがない印象は、残念ながら変わらなかった。力点を置くエピソードとサラッと流す エピソードをもっと整理すべきだったんじゃないかなぁ。
 映画の構成要因として、大きく分けて、作戦の実行を指揮する上官将校たち、戦闘に参加する末端の兵士たち、市街戦に巻き込まれる 一般市民たち、ととりあえず3つあるとして、それぞれに核になる人物なりエピソードを作り、その周辺をじっくり描いたほうが全体が 見えやすくなったのではなかろうか。

 前線基地として家を接収された老婦人や、自宅を病院代わりに開放して、傷病兵の世話をする主婦、情報収集に協力するレジスタンスの 少年、瀕死の上官を敵陣を突破して救出する下士官、 アメリカ軍の決死の渡河、橋を死守しようと多くの犠牲者を出しつつ、結局は破れて捕虜になる指揮官、など1つ1つのエピソードには 心惹かれるものが多いのだが、気ぜわしい場面転換でじっくり味わう暇がない。
 作戦の全体像を俯瞰的に描こうとしたのかもしれないが、かえって焦点がボケてしまった印象を受けた。

 空を埋め尽くす空挺部隊のパラシュートがくらげのようにほんとに綺麗。でも、下で待ち受けるドイツ軍の銃撃に対しては逃げも隠れも 出来ず、ふわふわ浮きながら身をのけぞらせる様子はとてもむごい。
 渡河作戦もそう。煙幕を張って、その間に向こう岸に渡ろうと必死で銃の台尻で漕ぐけれど、川の流れは速く、煙も薄れてくる。そう なれば無防備のまま敵の銃撃にさらされる。

 このマーケット・ガーデン作戦で1万7000人の兵員が戦士したという。莫大な費用とオールスター・キャストで、あえて失敗作戦を 描いたアッテンボロー監督の意図はなんだったんだろう、と考えると、静かなる反戦メッセージが見えてくるようにも思える。

 作戦がなぜ失敗に終わったのかがよく分らなかったのが少々心残り。映画では目標の橋の近くに空挺部隊が降下できる場所がないと いうような台詞も出てくるが、そういうことを事前にちゃんと調べずに強行したのだろうか。そうでなくても、もともとが無茶な作戦 だったのだろうか。作戦決定最高機関でだれも反対しなかったのだろうか。
 俳優陣では強靭な厳しさと人間味を併せ持ったマクシミリアン・シェルが印象に残った。
  【◎△×】7

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東京物語

1953年  日本  136分
監督 小津 安二郎
出演
笠 智衆、東山 千栄子、原 節子、杉村 春子、中村 伸郎
山村 聰、三宅 邦子、香川 京子、大坂 志郎、東野英治郎、十朱久雄

  ストーリー
 成人した子供たちの家を訪ねて回る老夫婦の姿を通して、戦後の変わりつつある家族の関係を描き出した小津安二郎監督の代表作の 1つ。
 故郷の尾道から20年ぶりに東京へやって来た周吉(笠 智衆)ととみ(東山 千栄子)の老夫婦は、成人した子供たちを訪ねて回る。 開業医の長男・幸一(山村 聰)、美容院を営む長女の志げ(杉村 春子)は初めのうちこそ歓待するが、暮らしの内情は楽ではなく、 それぞれの生活を守ることが精一杯で、次第に両親の上京を負担に感じるようになる。そんな中で、戦死した次男の嫁・紀子(原 節子) は親身になって2人の面倒を見るのだった。
 やがて2人は尾道に帰るが、間もなくとみが脳溢血で急死してしまう。

  一口感想
 小津作品で初めて心から感情移入して見ることの出来た映画。周吉ととみは子供たちと同居しようと上京してきた訳ではない。息子、 娘、孫たちの顔を見たい、久しぶりに東京の街も歩いてみたい、それだけのことでやってきたのだ。
 10日かそこいらの間こと、幸一や志げは嘘でももうちょっと親身に世話してもよかろうに、とつい思ってしまうけど、考えてみれば この映画が作られた昭和28年頃は、世の中全体がまだうんと貧しかった。幸一も医者といえばずいぶん恵まれているほうと思うが、 畳は日焼けし襖は当て紙だらけ、そんなに楽ではなさそうだ。みんな自分のことで精一杯というのはよく分かる。

 とみの葬式で尾道に集まった子供たちの人間模様が面白い。なかでも長女・志げは泣いたかと思えば、涙の乾かぬ内にもう形見分けの 話。あげく「どうせのことならお父さんが先ならよかった」。
 あんまり正直に本音をさらけ出すので可笑しいくらいだが、それは案外みんなの本音だったりもする。あからさま過ぎるけど、彼女に 悪気がないだけいっそう可笑しく、耳に辛(から)くもある。
 いいとか悪いとかじゃない、親子だ家族だといっても、みなそれぞれの生活・人生があり、それを生きていくしかない。結局人は一人、 そうやって “孤独” を受け入れ、折り合い付けて生きていくしかないのだろう。
 周吉の「一人になると一日が長い」というラスト・シーンの台詞が胸に応えた。
  【◎△×】7

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逃走迷路

1942年  アメリカ  109分
監督 アルフレッド・ヒッチコック
出演
ロバート・カミングス、プリシラ・レイン、ノーマン・ロイド
オットー・クルーガー、アラン・バクスター、クレム・ビヴァンス

  ストーリー
 第二次世界大戦中に作られた一種の国策映画だが、ヒッチコックらしい娯楽映画として仕上っている。
 戦時下のカリフォルニア、飛行機軍需工場で爆発事故が起きた。犯人と疑われ逮捕されたバリー(ロバート・カミングス)は、手錠の まま逃亡する。事故の時工場を飛び出していった男が怪しい。そう考えたバリーはその男フライ(ノーマン・ロイド)を追ううち、敵の 破壊組織に行き着く。

  一口感想
 バリーが逃走する途中で出会う人々がとても魅力的。長距離トラックの運ちゃんとか、サーカス一座の人たちとか。なかでも、森の 一軒家に侘び住まいするマーティン老人に引かれた。
 彼が盲目とは気づかないバリーは、必死に袖口を引っ張って手錠を隠す。それをかすかな音でちゃんと察知してしまう。それでも、 「善人か悪人かは声で分かる」といって、バリーの無実を初め から疑わない。
 雨の音を聞きながらピアノを奏でる。「音が友達」、だから一人暮らしも寂しくないという。人間味があるのに仙人みたいで、とても 素敵だ。

 マーティン老人の姪パトリシア(プリシラ・レイン)が登場してからが、ストーリーがもたもたする感じだ。2人がソーダ・シティに たどり着いて、テロリスト組織の存在を知った辺りからは完全に中だるみ。
 金持ち夫人のパーティや、船の進水式の妨害テロの辺りをもっと整理して、一気にラストの「自由の女神」像のクライマックスに持っていってほしかった。
 しかし、逃走するフライが紛れ込んだ映画館で、上映中の映画の銃撃シーンが現実の銃撃に重なって、映画の台詞がそのままパ ニックを起こした観客にかぶさる場面には、いかにもヒッチコックらしい才気を感じる。
 有名な「自由の女神」像上のシーンもすごい。下からあおったアングル、像上から下を覗いたアングル、どれも斬新な映像でドキッと する。そして、滑り落ちるフライの服の脇がほつれて、裂け目がびびっ、びびっと広がっていくスリル。このシーンは『北北西に進路を 取れ』のラシュモア山のクライマックスよりどきどきした。
【◎△×】6

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トゥルーマン・ショー

1998年  アメリカ  103分
監督 ピーター・ウィアー
出演
ジム・キャリー、エド・ハリス、ローラ・リニー、ノア・エメリッヒ
ナターシャ・マケルホーン、ホランド・テイラー、ブライアン・ディレイト

  ストーリー
 海で囲まれた小さな島の町“シーヘブン”で、保険セールスマンのトゥルーマン(ジム・キャリー)は妻メリル(ローラ・リニー)と ともに、平凡だが平和な日々を過ごしていた。彼には初恋の女性、ローレン(ナターシャ・マケルホーン)に会いにフィジー島へ行くと いうささやかな夢があったが、水恐怖症のため島から出たことがなかった。
 ある時、彼は偶発的な出来事をきっかけに、周りの様子に何ともいえぬ不自然さがあることに気づく。
 じつは彼は生まれた時から、巨大セットのような町で両親を演ずるプロの俳優に育てられ、妻も友人も俳優、通行人はエキストラと いう、虚構の世界で生きていたのだった。彼の生活の一部始終はテレビで全世界に生放送され、高視聴率を得ていた。“シーヘブン”を 形作る巨大ドームの天辺には、この企画のプロデューサー、クリストフ(エド・ハリス)が君臨していた。

  一口感想
 たった一人の男を騙し通すために巨大プロジェクトが組まれ、延々30年間に亘って生放送されるなんて、実際にはあり得ないことだ。 でも、トゥルーマンが真実を知り、作られたドームの世界から外へ出るところが放送されると、人々は途端に興味を失してチャンネルを 切り替える。視聴者のこの残酷さだけは紛れもなく本当だなぁと思う。
 本人が知らない間に、生活の一部始終が24時間切れ目なく、世界中の人々に垂れ流されていること自体、想像上の物語としても相当 残酷だ。この映画は、人々の興味を繋ぐことだけが目的と化した現代メディアの非人間性を、うまく抉り出して見せていると思った。

 トゥルーマンを演じるジム・キャリーがピュアな魅力を発散して、とても素敵だ。
 トゥルーマンは島を脱出するためにヨットで海に乗り出し、無限の空と思っていたものが実はドームの壁に描かれたただの絵だと知る。 彼は壁をこぶしで叩いて泣く。その背中に、純真さの裏に張り付いた彼の孤独を見るようで、切ない気持ちになる。
 でもそのあと、あっさりと明るくトゥルーマンは外の世界に出て行く。呆気ないようだが、これでいいのだと思う。この映画は、 トゥルーマンの住む虚構世界を支配する全能的なプロデュサー、クリストフ(Christof)( “キリスト” Christ と同源の名前)の存在 など、考え出すといろいろ哲学的な問題も含んでいそうだ。だからかえって深入りせず、あっさり終わったほうがいいと思うのだ。
  【◎△×】7

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ときめきに死す

1984年  日本  105分
監督 森田 芳光
出演
沢田 研二、杉浦 直樹、樋口 可南子
日下武史、矢崎滋、岡本真、岸部一徳、宮本信子、加藤治子

  ストーリー
 一人のテロリストが暗殺に失敗するまでを、組織から派遣された男女の奇妙な共同生活を軸に描く。
 元歌舞伎町の医者・大倉(杉浦 直樹)は、ある謎の組織から莫大な報酬で、別荘の管理と一人の男の身の回りの世話、心身のチェック を依頼される。
 やってきた若い男・工藤(沢田 研二)はストイックに自己鍛錬に打ち込む日々を送り、大倉は彼の正体も、ここに現われた目的も 知らされないままに、命令通り彼の世話をするのだった。
 やがて、組織から梢(樋口 可南子)というセクシーな女が送り込まれてくるが、工藤は彼女にまったく興味を示さない。そして、彼に ある指令が下った。

  一口感想
 謎めいたヒットマンは、削げたような頬、鋭い眼光、引き締まった体躯をしていなけらばならない。という私の願望からすると、 ぽっちゃりした沢田研二は明らかにミスキャスト。
 工藤が森林を駆け回るシーンも、光が射す映像は美しいが、沢田研二の動きがシャープでないのでさまにならない。(言いにくいけど、 なんか “こぶたちゃん” が転げ回っているように見える。)
 杉浦直樹の扮する生臭いクズレ医者・大倉が抜群に面白い。彼と工藤の奇妙な共同生活で始まる出だしは快調。このまま、工藤の 帯びた使命は明らかにせずに、謎のまま突っ走ったほうがスマートで不思議な味わいがでたんじゃないかなぁ・・・。
 あれだけ自己鍛錬し、組織もいざという時に備えて温存していたはずのテロリストにしては、工藤の暗殺方法はあまりにお粗末で、 前半で作られたミステリアスな雰囲気が一挙にぶち壊される感じだ。
 コンピューター室で少年がキーボードを叩いて情報を呼び出すシーンは、思わせぶりな割りに意味不明だし、別荘に新しく 送り込まれてくる “コズエ・ヒロミ” なる女の役割もよく分からない。ムードはそれなり面白いが、監督がそれに自己陶酔して 終っちゃった感じだ。
  【◎△×】6

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ドクトル・ジバゴ

1965年  アメリカ/イタリア  194分
監督 デヴィッド・リーン
出演
オマー・シャリフ、ジュリー・クリスティ、ジェラルディン・チャップリン
ロッド・スタイガー、トム・コートネイ、アレック・ギネス

  ストーリー
 ロシアの文豪ボリス・パステルナークの同名小説の映画化。ロシア革命前後の動乱期を背景に、主人公ユーリ・ジバゴの人間として 生きていくことの苦しみを、2人の女性への愛に投影させて描いている。
 19世紀末のロシア。ロシアの名門家庭に生まれながら、幼い頃に両親を失ったジバゴ(オマー・シャリフ)は、成人すると医師と して働くかたわら詩人としても名を成していた。
 育ての親の娘トーニャ(ジェラルディン・チャップリン)との婚約披露の日、近所の仕立屋の娘ラーラ(ジュリー・クリスティ)が 招待客の1人コマロフスキー(ロッド・スタイガー)に発砲するという事件が起きる。彼女は革命に情熱をもやす学生パーシャ(トム・ コートネイ)を愛していたが、母の愛人コマロフスキーと関係が出来、苦しんでいたのだ。
 1914年、第一次世界大戦が勃発すると、ジバゴは従軍医として戦場に向かい、そこで看護婦として働くラーラと再会する・・・。
 原作は1957年に発表され、翌58年にノーベル文学賞を受賞するが、当時のソ連政府はこの小説を反革命的と見なしたため、 パステルナークは賞を辞退せざるを得なかった。
 撮影はロシアの風景に似ている場所を探して世界各地で行われ、結果としてロシアよりロシアらしい風景を現出させている。

  一口感想
 ロシア十月革命を舞台にしたデヴィッド・リーンらしい壮大なラブストーリーで、見るたび「これぞ映画!」という満足感を味わう。 初めはそれぞれ別のものとして描かれるジバゴとラーラの人生が、“革命” という時代のうねりの中で徐々に縒り合わされて、1本の 糸になっていく構成が見事。オマー・シャリフのジバゴ、ジュリー・クリスティのラーラ、ともにぴったりのキャスティングが素晴ら しい。

 しかし2人ばかりでない。ジバゴの妻トーニャ、ラーラの夫パーシャ(後の冷酷な赤軍リーダー、ストレルニコフ)、政財界の実力者 コマロフスキーなど、ありありと眼前に浮き上がるように描き分けられた脇の登場人物たちが、とても魅力がある。なかで私が興味を 覚えたのはロッド・スタイガーが演じたコマロフスキーだ。

 彼は、愛人の娘であるラーラが美しく成長すると手籠めにし、さらには捨ててしまうような酷薄な男だ。旧体制にずっぽり浸かって いても、革命が始まるといち早くその中枢にもぐりこむ。
 そんな彼が、革命後は、危険の迫ったラーラを救おうと奔走する。彼女の遺児を父親代わりに育てたのも、どうやら彼らしい。悪徳の 匂いを放つコマロフスキーだが、彼は彼なりにやはりラーラを愛していたのかと思う。したたかさの裏にひそむ影と弱さのようなものに 引かれる。

 ジバゴの妻トーニャも、上流階級で大事に育てられた娘らしいおっとり人間味があり、チャーミングな女性だ。ベリキノから近くの町に 出かける夫を見送りながら、彼女の顔にふと翳りが揺らめくのが印象に残る。町からの帰路に、ジバゴはパルチザンに拘引、拉致される のだ。一途に夫を愛し信じ続けたトーニャだけに、何とも知れぬ予感が働いたのかもしれない。

 革命後、モスクワの邸宅を接収され、ジバゴが家族とともに隠棲するベリキノの家。春は一面の花に囲まれ、冬は凍った雪が屋根も テラスも覆う。ここに移り住んでからの一家の短くささやかな幸せが印象に強いせいか、広大な原野にぽつんと立つ一軒家の風景が私は 大好きだ。
 しかし、ジバゴとラーラの再会、そして彼女との別れを決意した直後にジバゴはパルチザンに拘束され、家族は離散・・・、と急速に ストーリーは悲劇の色合いを濃くしていく。

 妊娠したまま二度と夫に会うことがなかったトーニャ、ジバゴの子を宿したまま彼と別れ、最後は消息を絶ったラーラ、そしてジバゴ 自身も街頭で心臓の発作で倒れる。映画の初めに、未来に希望を抱いたそれぞれの生活が描かれるだけに、運命に踏み潰され、失われた 彼らの人生が痛ましい。

 背景となる革命も丁寧に描かれていて、“時代” という奔流の前には一個人の運命など抗いがたく押し流され、飲み込まれていくしか ないのだろうか、それでもやっぱり人は生き延びていくし、それが “歴史” というものなのだろう、・・・そんな思いが見るたびに いつも胸に湧く。果てしなく広がる白い雪原の厳粛なまでの美しさが印象的だ。
  ○△×】9

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どつかれてアンダルシア(仮)

1999年  スペイン  100分
監督 アレックス・デ・ラ・イグレシア
出演
サンティアゴ・セグラ、エル・グラン・ワイオミング
アレックス・アングロ、カルラ・ヒラルゴ

  ストーリー
 スペインで国民的な人気を誇るお笑いコンビ、ニノとブルーノが、舞台の裏では激しく憎み合い、悲劇的な最後にいたるまでを描いた コメディ。
 73年、アンダルシアの田舎町。酒場で知り合ったニノ(サンティアゴ・セグラ)とブルーノ(エル・グラン・ワイオミング)は、 ひょんなことから旅芸人の一座に参加し、漫才コンビを組むことになる。ブルーノがニノの頬を手のひらでどついたのが大ウケして、 お笑いコンビ“ニノ&ブルーノ”の人気はうなぎ上り。しかし、それに反比例して2人の仲は悪くなり、楽屋裏では殺意むき出しで衝突 するようになる。そしてついにコンビ解散。
 10年後、さらに大スターへと出世したニノの前に、落ちぶれたブルーノが現われ、コンビ復活を懇願する。しかし、それはブルーノ がニノに仕組んだ罠だった。

  一口感想
 「“仮” とは何だ!“仮” とは」と最初に思った。タイトルの、このちょっと不真面目なスタンスが気に入って映画を見た。 ハチャメチャなずっこけコメディかと思ったら、意外にシビアな内容のブラック・コメディで、それはそれとして、なかなか面白かった。
 ニノとブルーノは日本でいえばいわゆる「どつき漫才」になるのだろうか、片方がもう一方をどつく(頬っぺたを引っ叩く)ことで 人気を博しているコンビだ。が、じつは2人は相手を殺したいほど憎み合っている。
 う〜〜ん、ありそうだなぁ。日本で漫才ブームが起きた頃、私などは “B&B” の洋八があんまり洋七を叩いたり突き飛ばしたりする から、見ていてハラハラしたものだった。あの2人のじっさいの仲がどうだったのか知らないけど、この手の漫才コンビの中には、 ほんとに仲が悪いのがいたかも知れない。
 もっともこの映画のニノとブルーノは病的なほど相手に対する猜疑心を膨らませ、被害妄想に陥り、最後はほんとに舞台の上で殺し 合うのだから、仲が悪いなんて域をキレイに脱している。こういう時のスペイン映画って、行き着くとこまで行かせちゃうハードさや どぎつさがあって、ハリウッド映画とは違う面白さがある。
 ただ、強いていえば、“ニノ&ブルーノ” の舞台場面をもっと出してほしかった。どういうところが可笑しくてそんなに人気が出たのか、 私にはあんまりよく分からなかったから。
  【◎△×】7

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吶喊(とっかん)

1975年  日本  93分
監督 岡本 喜八  <ナレーション>中谷 一郎
出演
伊藤 敏孝、岡田 裕介、高橋 悦史、伊佐山 ひろ子
千波 恵美子、坂本 九、岸田 森、仲代 達矢

  ストーリー
 動乱の幕末を舞台に、戊辰戦争に巻き込まれた若者たちをユーモラスに描いた青春時代劇。
 東北の貧乏農家の倅・千太(伊藤 敏孝)と官軍の密偵見習い・万次郎(岡田 裕介)は、みちのくで戊辰戦争に巻き込まれる。なにか やっていればそのうちいいことがあるだろうという単細胞の千太は、仙台藩の細谷十太夫(高橋 悦史)が組織するゲリラ隊に入る。
 一方、目先の利く万次郎は事態を冷静に見極め、その時々で官軍に付いたりの離れたりしている。対照的な性格の2人に官軍参謀の女・ お糸(伊佐山 ひろ子)が加わって、官軍の軍用金を盗み出すことを企てる。なお “吶喊” とは、突撃する時にあげるトキの声のこと。

  一口感想
 「こんな面白い時代に生まれたんだ。ただ生きたんじゃつまらなか」という万次郎。騒ぎさえ起これば「面白れぇぇ!」と泥だらけの 顔を輝かせる千太。2人の若者の生き生きした生命力にひきずられっ放しの1時間半だった。

 万次郎は官軍の密偵だが、女郎のお糸に「俺だって金に買われた身だ」(=金で動く男だ)というくらいだから、べつに主義・思想が あって官軍に付いているわけではない。時流をクールに把握していて、いずれこの騒ぎも収まって、官軍も幕軍もない時代になる、と ちゃんと分かっている。終始、マイペースの一匹狼だ。

 一方、千太はただもう闇雲に突っ走る。あぶない、とか、ひょっとしたら死んじゃうぞ、とかハナから考えない。こうなると不思議な もので、矢玉のほうが彼を避けていく。千太を演じた伊藤敏孝って『八甲田山』なんかにも出てるらしいけど、どういう俳優なんだろう。 土と太陽とおわいの匂いがする。愛嬌があり、かつ強烈だ。
 仙台藩のゲリラ隊に入り、‘組織’ とか ‘仲間との連帯’ とかいうものを知り、戦いの惨状を目の当たりにして、「面白れぇぇ!」 だけではすまない現実があることを知っていくのが、万次郎とは対照的だ。しかしだからといって、千太の成長といった方向に話が進む わけではない。そういう説教臭さと無縁のエネルギーが本作の魅力だ。

 万次郎は世渡りの打算から、千太は官軍に一矢報いたいという復讐心から、軍用金の強奪をもくろむ後半が面白い。最後まで2人は 2人のままなのだ。もっとも、千太は「ひょっとして万次郎にうまいこと利用されたんじゃないか?」と思ったりするから、その程度 には世の荒波をくぐって利口になったと言えなくもないが。

 仙台の女郎のテル(千波 恵美子)がいい。千太に、男に襲われたら股間を蹴ろと教えられて、「おしょすい(恥ずかしい)」ともじ もじしたり、練習に千太を蹴り上げた後「なじょしたっす(どうしたの)?」と心配したり、なんともいえず素朴で愛らしい。東北 なまりが魅力的。
 落城寸前の鶴ケ城に辿りついた千太が、偶然再会したテルと砲弾飛び交う中でしこしこ励むサマがなんとも明るく開放的。動乱の時代 をタフに生き抜く庶民のエネルギーを、若者の性衝動に乗せて描いた痛快な明治維新外伝だった。
 最初と終わりに出てくる語り部の老婆役の坂本九、人を喰ったとぼけ顔にも笑ってしまった。
  【◎△×】7

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トッツィー

1982年  アメリカ  113分
監督 シドニー・ポラック
出演
ダスティン・ホフマン、ジェシカ・ラング、テリー・ガー
ビル・マーレイ、ダブニー・コールマン、チャールズ・ダーニング

  ストーリー
 ベテラン俳優マイケル・ドーシー(ダスティン・ホフマン)は、口の悪さが災いしてプロデューサーに嫌われ、ちっとも仕事が もらえない。ある時、テレビドラマで病院の婦長役を募集していると知ったマイケルは、ガールフレンドのサンディ(テリー・ガー)が 落ちたオーディションに女装して挑戦、見事合格してしまう。
 ドロシー・マイケルズと名を変えたマイケルは、男勝りなところが受け、あっという間に茶の間の人気“女優”になる。二重生活を 送ることになったマイケルだが、男性からプロポーズされたり、レズビアンに間違えられたりと、私生活は大混乱となる。
 ホフマンの見事な女装が話題となったヒューマン・コメディで、コミカルな中に男女差別への風刺も感じられる。ポラック自身が マイケルのエージェント役で顔を出し、事情を知りながらマイケルを“かわい子ちゃん”(トッツィー)などとからかう茶目っ気を 見せている。

  一口感想
 女装したら完全に女性に見えてしまう男優といえば、ダスティン・ホフマンとロビン・ウィリアムズ。
 ロビン・ウィリアムズは体型からして、どうしても太った中年のおばさんになってしまうが、ダスティン・ホフマンは小柄だし、 惚れる男が出てきても無理ないなぁと思うほどチャーミングだ。気さくで温かくて話が分かって・・・、こういう女友達、私もほしい。

 当時ホフマンは45歳だったそうだが、とうていそうは見えない。30代半ばくらいの感じか。嫌々ながら仕事のために女装して、 それが大受けしたばかりにドラマの共演者ジュリー(ジェシカ・ラング)に恋しても、本当は男だと言えなくなってしまう。
 うっかりキスしそうになって彼女にレスビアンと間違えられたり、男に惚れられて自分がホモのような気分になったり、そんな ドタバタに笑わせられる。
 その一方で、トッツィーが部屋に帰った途端にポーンとハイヒール脱ぐ仕草に、「女ってふだんこんな窮屈なもの履いてるのか・・・」とふと 我が身を振り返ったり、ちっとも止まってくれないタクシーに、トッツィーが野太い声で一声「タクシー!」と呼んだら途端に 止まったり、と男女の差とか違いを考えさせられたりもする。

 本作でアカデミー助演女優賞を獲得したジェシカ・ラングは、「主演女優ダスティン・ホフマンのおかげです」という名言を吐いた そうだ。たしかにダスティン・ホフマンのキャラクターなしではこの映画の楽しさは生まれなかっただろうと思う。
  【◎△×】7

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トパーズ

1969年  アメリカ  125分
監督 アルフレッド・ヒッチコック
出演
フレデリック・スタフォード、ダニー・ロバン、カリン・ドール
ジョン・ヴァーノン、ミシェル・ピッコリ、フィリップ・ノワレ

  ストーリー
 東西冷戦を舞台にしたスパイもの。ソ連のKGB副長官の要職にある人物がアメリカへ亡命し、彼の証言からソ連がキューバに ミサイルを運び込んでいることが発覚する。キューバ危機勃発である。アメリカCIAはフランス情報部に情報の収集を依頼し、 デベロウ(フレデリック・スタフォード)がキューバに潜入することになる。デベロウはキューバ革命の英雄の未亡人であり、ゲリラの 中心人物でもあるホアニタ(カリン・ドール)と愛人関係にあった。
 謎の組織 “トパーズ” をめぐり、舞台はワシントン、キューバ、パリと移り、やがてフランス情報組織内に潜む意外な裏切り者が 判明する。

  一口感想
 ヒッチコックでもこんな駄作を作ることがあるんだなぁ。主役のフレデリック・スタフォードって初めて見たけど、この人が 出てくるだけで映画が二流っぽくなるから、不思議。懐かしきダニー・ロバンもデベロウの妻というだけのつまらない役で、 悲しくなった。
  【◎○×】4

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ドラッグストア・カウボーイ

1989年  アメリカ  100分
監督 ガス・ヴァン・サント
出演
マット・ディロン、ケリー・リンチ、ジェームズ・ル・グロス
ヘザー・グラハム、ウィリアム・S・バロウズ

  ストーリー
 『グッド・ウィル・ハンティング 旅立ち』のガス・ヴァン・サント監督の長編映画デビュー作。
 1971年、オレゴン州ポートランド。ボブ(マット・ディロン)と妻ダイアン(ケリー・リンチ)は、仲間のリック(ジェームズ・ ル・グロス)、彼の恋人ナディーン(ヘザー・グラハム)らとドラッグストアを襲ってはヤクを手に入れる日々を送っていた。
 ある日、最後の大仕事として病院襲撃を企てるが、ナディーンのミスで危うく失敗しそうになる。ボブの怒りが爆発し、これまで うまくやってきた仲間に亀裂が入る。
 そんな中で、ナディーンがヤクを過剰服用して死んでしまう。ショックを受けたボブはドラッグ患者のための サナトリウムに入り、更生を図ろうとする。一方、ダイアンはリックと組んで相変わらずの生活を続けていた。

  一口感想
 ボブと彼の仲間が薬局を襲撃するのは、ドラッグを手に入れたい、ただそれだけのためだ。そのドラッグは多少は金に変えて生活の タシにするのだろうけれど、一番の目的は自分たちが使用することだ。将来のことなんて考えない。その日一日がドラッグで過ごせれば それでいい。それだけなのだ。
 ボブがドラッグにはまるのは、家庭に不満があるとか社会に不満があるとか、そういうことではないらしい。別に生きている意味も ハリもない。気が付いたら生まれていた、だからそのまま生きている、ただそれだけのように見える。今の日本の社会に蔓延している なんとはなしの無気力とか空虚感とかが、映画にそのまま映し出されているようで、見ていて身につまされる。

 ボブは、ナディーンが麻薬の過剰摂取で死んだことでショックを受けて、初めて麻薬から離れようとする。目の前で「死」を見たこと で、初めて自分の「生」を実感したのだろうか。ボブもやっぱりほんとは死ぬのが怖いんだなぁと思う。
 ラストシーンで、ボブはかつて手下にしていたチンピラのデヴィッドに撃たれて、病院に運ばれる。意識が薄れていくボブを見ながら、 このまま死なないでほしいと思った。せっかく「生きる」ことを感じ始めたのに、死んでしまったらもったいない。
 でも一方で、まだ 以前の生活を続けているダイアンやリックのことが脳裏をかすめる。いつまでそんな生活を続けていくんだろう、と・・・。刹那的な 若者たちの「生」を感傷を交えずに淡々と描くタッチに、かえっていろいろな思いを誘われた。
  【◎△×】7

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虎の尾を踏む男達

1945年  日本  59分
監督 黒澤 明
出演
大河内 傅次郎、藤田 進、榎本 健一、森 雅之
志村 喬、河野秋武、小杉 義男、横尾 泥海男、仁科 周芳

  ストーリー
 昭和20年8月、終戦直前に製作されたが、占領軍の検閲により公開禁止となり、1952年になってようやく公開された。謡曲 「安宅」をもとに作られた歌舞伎「勧進帳」をモチーフに、黒澤明監督が自らの脚本によって映画化したもの。
 鎌倉将軍・源頼朝の追っ手を逃れて、山伏に身をやつし奥州に向う義経(仁科 周芳)主従ら7人の一行がいた。彼らは麓の村で雇った 強力(榎本 健一)のお喋りから、これから先の安宅の関で、地頭・富樫左衛門(藤田 進)が一行を待ち構えていることを知る。弁慶 (大河内 傅次郎)は義経に重い笈を負わせ、彼を強力に見せかけて関の通過を図ろうとする。

  一口感想
 黒澤明の初期の作品ということとタイトルに引かれて見た。よく知られた義経の「安宅の関」越えの話。タイトルは、義経一行がまるで “虎の尾を踏む” ような思いで関を越えていった、という意味らしい。じっさい、頼朝の執拗で厳重な警戒を抜けていくのは、当時は 恐怖と緊迫の連続だったに違いない。
 しかし、映画のほうは予定調和的に粛々と進んでいく感じで、黒澤監督ということでドラマティックな展開を予想していた私としては、 意外だった。歌舞伎の舞台をそのままフィルムに収めているよ うな印象だ。映画として鑑賞しようとすると、勝手が違って戸惑う。

 大河内傅次郎は台詞が分らないことで有名な俳優だったが、本作をみてなるほどと思った。口をほとんど動かさず、腹腔内で朗々と 響く。そうとうの訓練が要りそうだ。
 勧進帳を読み上げる時など謡曲のような発声で風格があるが、残念なことに何を言っているのか分らない。昔、東京・水道橋の能楽堂に通った時期があるが、謡本を見ながらの鑑賞だったことを思い出した。
 弁慶と冨樫の問答は音楽が盛り上がり、その後の冨樫の対応を見ても1つの山場のようだが、なにせ言ってることが分らないから、 こちらはただ眺めているしかない。もったいなかった。

 強力・エノケンのひょうきんな演技は楽しめた。こちらは(見たことはないが)浅草軽演劇の舞台をそのまま移したよう。彼の軽快な 動きが入ることで、様式的な「静」の中に「破」が持ち込まれる、という段取りか・・・。一方、その他の俳優たち、藤田進や志村喬、 河野秋武の演技は私たちにはなじみの現代映画のもの。台詞も表情もリアルなのでホッとする。
 ただ、傅次郎、エノケン、彼ら三者の基本の違う演技がうまく噛み合ったかどうかには、いささか疑問を感じた。

 関守・冨樫は義経一行を偽山伏と見破りながらも見逃し、すすき野で休む一行に酒肴を届ける。男同士の心意気が爽やかだ。
 ひと時の安らぎのあと、酒に酔って眠り込んだ強力がふと目覚めると、一行の姿はすでにない。渺々(びょう びょう)たるすすき野に夕暮れの風が吹き、取り残された強力が跳ねるように野を去っていく。無常感が漂い、滅びゆくものの 行く末を暗示するかのようなラストが印象的だった。
  【◎△×】6

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1963年  アメリカ  120分
監督 アルフレッド・ヒッチコック
出演
ティッピ・ヘドレン、ロッド・テイラー、スザンヌ・プレシェット
ジェシカ・タンディ、ヴェロニカ・カートライト

  ストーリー
 忘れ物を届けに弁護士ミッチ(ロッド・テイラー)を追ってサンフランシスコ郊外、ボデガ湾の漁村にやってきたメラニー (ティッピ・ヘドレン)は、湾をボートで彼の家に向かう途中、一羽のかもめに額をつつかれる。
 翌日、庭でミッチの妹キャシーの誕生パーティをしていると、突如かもめの大群が押し寄せ、子供たちに襲いかかった。さらに翌日、 今度はカラスの大群が小学校を襲い、子供たちを避難させようとした女教師アニー(スザンヌ・プレシェット)は突き殺されてしまう。
 この災厄をもたらしたのは外部からやってきたメラニーだという噂が立つ中で、鳥たちは次々に人々の家を襲い、村はパニックに 陥った。

  一口感想
   鳥っていわゆる猛禽に属するものでなくても、よく考えるとかなり怖い。カラスなんか羽を広げるとけっこう大きな鳥だし、 嘴は鋭くて刃物みたいだ。
 鳥たちが家を襲うシーンの扉に体当たりする音やキーキーいう鳴き声、そしてゴツゴツと嘴で突かれて穴が開いていく扉・・・鳥の 姿は見えず音だけなのが想像力を刺激されて、かえって怖い。この少し前に、暖炉から鳥の大群がわーっと凄い勢いで侵入してくる場面 があっただけに、このまま扉に大きな穴が開いたら・・・、と思うと、このシーンが私は一番怖かった。
 小学校の前庭のジャングル・ジムにカラスが増えていくシーンも相当不気味だ。しかし考えると、鳥たちがなぜ急に人間を襲い 出したかは一切説明されていない。一番怖いのはこういう訳の分らなさだと思った。
  【◎△×】8

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泥棒成金

1954年  アメリカ  106分
監督 アルフレッド・ヒッチコック
出演
ケイリー・グラント、グレイス・ケリー、シャルル・ヴァネル
ブリジット・オーベール、ジェシー・ロイス・ランディス

  ストーリー
 ヒッチコックが軽快なタッチで描くコミカルなラブ・サスペンス。
  “猫”の異名を取る宝石泥棒のロビー(ケイリー・グラント)は、今は引退し、リヴィエラで悠々自適の日を送っている。そんな ある日、彼は自分の名前を騙ったニセ“猫”が出没し、宝石を盗んでいることを知る。ロビーは口が似ていることから警察に追われる 羽目になるが、古くからの友達ベルターニ(シャルル・ヴァネル)の協力で逃げ延びる。
 彼は自分の手でニセ“猫”の正体を暴こうと、アメリカ人の富豪の娘フランセス(グレイス・ケリー)に近づく。彼女の所有している 高価な宝石を、ニセ“猫”は必ず狙うに違いないと目星をつけたのだ。

  一口感想
 お洒落でキュートで、まるで砂糖菓子のような映画。グレイス・ケリーは綺麗だし、ケイリー・グラントは茶目っ気いっぱいで可愛い し・・・。でもそれだけ、という感じでもある。
 たとえば “猫”と異名を取ったロビーの華麗な盗みのテクニックをオープニングで披露し、それからストンと、優雅な生活を送る今の ロビーの描写に移るとか、黒装束のニセ “猫”が夜に紛れて出没し、素早くかつしなやかに逃げていく姿を時々挿入するとかしたら、 ストーリーに少しはアクセントが付いたんじゃないかと思うのだが・・・。
 美男美女に風光明媚なリゾート地、とそろい過ぎると、かえって途中で飽きてくる。甘いケーキばかりじゃなく、さっぱりしたフ ルーツやスパイスの効いた辛めのお茶もほしい。そんな気分になる映画だった。
  【◎△×】6

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