| 【映画メモ】 し で始まる映画 |
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ストーリー 白昼、スペインの空港の滑走路近くで目を覚ましたクレア(エレン・バーキン)は、腹部についた多量の血に、「自分は誰かを殺した のではないか」という恐怖に駆られる。自分がなぜここにいるかも分からない。タクシーで近くの村アンヘルスに向かいながら、 これまでのことを必死に思い出すクレア。 スカイダイバーの彼女は、夫デル(マーティン・シーン)のプロデュースする危険なショーに挑もうとしていた。そこに、かつての恋人で 綱渡りの師でもあったオーグスティン(ガブリエル・バーン)から手紙が届く。クレアはショーの前日までに戻ると書き置きを残して、この 地にやって来たのだった・・・。 《シエスタ》 とは、イタリアやスペインなどで行われる昼食後の2時間ほどの午睡のことだ。ずっと以前、偶然見たこの映画の、午後のまどろみのような不思議な感覚が、ずっと鉤(かぎ)のように私の心に引っかかり、もう1度見たいと思っていた。 物語は、空港の滑走路近くの草はらでクレアの意識が戻るところから始まる。 クレアは、ここがどこなのか、なぜ自分がここにいるのか分からない。じつは私はバスの中で眠り込み、似たような感じを体験した ことがある。気づかずに違う路線のバスに乗っただけなのだ
が、夕暮れの人影のない町に降りて周りを見渡した時の奇妙な感覚は
忘れられない。まだ夢の続きにいるのではないかと思ったものだ。クレアの場合はそれだけではない。自分に怪我はないにも関わらず、ドレスに大量の血がついている。いったい、何があった のか・・・。 映画は、クレアが町や村を次々にまわり、徐々に記憶を甦らせてゆく様子を辿る。しかし、それでも夢のなかにいる感じは去らない。 たとえば、何というホテルに泊まっているのかと質問されて、返事に困ったクレアが「白いホテルだった」というと、煌々と明かりのともったホテルがマジックのように出現する場面。そこでは絵の個展が開かれており、クレアは画家とその義妹の奇妙な男女に出会う。 あるいは、クレアの乗ったタクシーの運転手。クレアのいく先々に現われ、執拗に関係を迫る。男は交通事故を起こし、血まみれの 事故被害者の前でクレアを犯す。 これらは果たして現実なのだろうか・・・。 今回気づいたことがある。それは、映画の中で繰り返し挿入される、クレアが飛行機からダイブし、落下していくシーンのことだ。 このシーンが出てくるたびに、「今、クレアは落ちている!」という強烈な感覚に襲われる。クレアは本当はスペインには行かず、あの まま夫デルのプロデュースする落下ショーをしたんじゃないのだろうか。そして、かつての恋人オーガスティンが危惧したように、着地に失敗し死んで しまったのではないのだろうか。 クレアが最初にタクシーでたどり着いた町で、舗道に落ちている新聞を拾うシーンがある。そこには大きくクレアの写真が載っていた。 クレアは顔を背け、すぐ新聞を捨ててしまう。あれは、彼女の死亡を伝える記事だったのではなかろうか。 人はよく死の直前に、全人生を走馬灯のように見るという。同様に、ショーの失敗を予感したクレアは、落下し続けながら、スペインに オーガスティンを訪ねて、果たせなかった愛を完成させる夢想をしたのではなかろうか。それが、この不思議な映画の語ることなのでは ないのか・・・。 クレアはいつも走っている。血のように赤いドレスが、ヒラヒラとひらめいて風のように過ぎる。オーガスティンを求める切なさが、 彼女の鼓動となって高まる。気だるいシエスタの昼下がり。マイルス・デイヴィスの物憂いペットがいつまでも耳に残る。 【◎○△×】7 |
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ストーリー 茨城県下妻に住む竜ヶ崎桃子(深田 恭子)は、ロリータ系ファッションが命の女子高生。毎週末は田んぼだらけの下妻から、片道 2時間半をかけて、東京・代官山のロリータファッション・ブランドに通う。 服代を稼ぐため、桃子は、父親(宮迫 博之)がかつて手を出し失敗した有名ブランドの偽物が家に山積みになっているのに目をつけ、 その個人販売を始めた。ある日桃子の前に、そんな偽物を買いたいと、特攻服の原チャリ爆走娘・イチゴ(土屋 アンナ)が現われた。 マイペース少女の桃子と、熱いヤンキー魂のイチゴの間に奇妙が友情が生まれる・・・。 少女にカリスマ的人気を誇る作家・嶽本野ばらの同名小説を映画化した青春コメディ。 「下妻」が地名とは思わなかった。アダルトっぽいおちゃらけ映画かなにかと思っていたのだ。そのノーチェック映画が去年(04年) の映画賞を大いに賑わせた。それ以来どんな映画だろうとずっと興味があったが、見てガーンと1発食らった感じ。ここまでぶっ飛ん だら、もう脱帽、ほんとに面白かった。 なんといっても光るのは、新人賞を総なめした土屋アンナ。ちょっと低めのハスキーな声、肩を揺すって歩くヤンキー歩き、ぺっぺっと やたらに吐く唾、顔が分からないほどの厚化粧、すべてが可愛い。無理してつっぱってるのが透けて見えるからだろう。いじめられっ子 だった真面目中学生時代のメガネをかけた顔と、現在の落差が大きいのもいい。
“貴族の森” という喫茶店で、桃子が一生懸命話してる時に、鼻の下にストロー挿んで「ほらほら」と見せる行儀悪さや、売れっ子
モデルになってからの、両足を広げて突っ立ってるポスターの仏頂面に笑わせられる。“一角獣の龍二”(阿部 サダヲ)なんて妙な男に失恋して、思わず泣き出すところなんてほんとに可憐。 主役・桃子を演じた深田恭子も悪くないが、土屋アンナの存在がとにかく突出している。 イチゴは今や懐かしいレトロなヤンキー、ぶっ飛び具合もオーソドックスで、私の世代にでも理解可能だが、桃子のほうは見ていて ちょっと不思議な気持ちになる。クラスで浮いていても平気、友達なんて邪魔臭いだけ。刺繍の才能を持っているのに、それを生かして 認められよう、とかまったく思わない。 彼女が通いつめるブランド店 “Baby” の社長(岡田 義徳)に仕事を依頼されても、「人の着る服を作るより、自分が着るほうが 好き」という具合。彼女の刺繍の腕に気づいた祖母(樹木 希林)に「好きな道を進め」なんて励まされても、桃子にして見れば余計な お世話。
イチゴは桃子を「群れずに1人でいられる」「自立している」「すごい」と尊敬するが、それだって桃子にしたら勘違いもいいとこ
なのだ。生き甲斐だの努力だのは無関係、好きかどうかだけで生きていく。こういうのが今どきの「脱力系」なのかなぁ。超クールに見えるけど、フリフリドレスのためには、毎週片道2時間半かけて下妻から東京まで通うんだから、すごい情熱だとも いえる。こういう女の子って取り付く島がなくて、いざ目の前に現われたら困るだろうなぁ。桃子はいつしかイチゴに友情を感じ始める から、2人の間にはとりあえず通じるチャンネルがあった訳だけれど、宇宙人みたいな不思議さがある。 桃子の父親と母親と演じた宮迫博之と篠原涼子のずっこけた好演が光る。下妻の住民たちの田舎っぽさも笑いを誘う。下ネタが多いが、 下品にならぬぎりぎりをキチンと抑えているところがいい。CGやアニメを巧みに合成した画面も遊び心がいっぱいだ。こういうタイプの 映画に8点つけるとは自分でも意外だが、それくらいツボにはまった楽しさだった。 【◎○△×】8 |
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ストーリー 「本の雑誌」で2000年度の年間第一位となった佐藤正午の同名小説の映画化で、竹下昌男監督の長編デビュー作。お笑い グループ “ネプチューン” の原田泰造が主演している。 三谷(原田 泰造)には半年の付き合いの恋人みはる(笛木 優子)がいる。出張前夜、飲めない酒で酔っ払い、初めてみはるの アパートに泊まるが、みはるは「5分で戻ってくる」と彼のためにコンビニへ林檎を買いに行ったまま、忽然と姿を消す。 出張から戻り、何日経ってもみはると連絡が取れないことで、三谷はようやくことの重大さに気づく。必死で彼女の行方を探す三谷を 見守るのは、同僚の鈴乃木早苗(牧瀬里穂)だった。 日常にぽっかり開いた陥穽に落ち込んだように、ふっと何の前触れもなく、身近な人がいなくなったら、残された者はどう理解したら いいのだろう。おそらく三谷と同様、何が起こったのかを知りたいと切望するだろう。三谷が当夜のことを思い起こし、彼女の足取りを 辿るプロセスはとても自然だし、よく理解できる。 しかし、当夜みはるの上に降りかかった出来ごとにはちょっと首を傾げる。滅多に起こりそうにないことが次々と芋づる式に起こる からだ。この不自然さがストーリーを底の浅いものにしてしまったと思う。 みはるはいわば成りゆきで失踪した形になっているのだが、それは彼女の三谷に対するいい訳に過ぎないだろう。長く疎遠だった父を 訪ね、その後はひっそりと身を隠して陶芸家の道を歩んでいたことを思うと、みはるは自分の生きる道をずっと模索していたのではないか と思う。 日常から離脱できるきっかけをつかめずにいたのだが、偶然の椿事を機会に自分の意志で失踪したのだろう。彼女が三谷に連絡を取ろう としなかったことにもそれが表われている。
三谷は狂言回しで、この映画は、早苗とみはるという2人の女性の対照的な生きかたを描いたものだったのか、と見終わって思う。早苗は自分の求めるものがはっきりと見えている。三田への愛のために、仕事に対する能力を惜しげなく投げ打って家庭に入った。 家庭に入るという一見保守的な生きかたも、自分の選択という強い意志で行っている。 一方、みはるは日常に埋没した暮らしの中で、なにか違う、と思いながら、それが何なのかが分からない。今風に言えば、“自分 探し” に迷っている。彼女には、愛よりも、自分の生きかたをつかむことが大きな課題なのだ。みはるも早苗も、形は違うが、自分の 意志と責任で生きようとする点で、とても現代な女性だと思う。 しかしそれにしては、みはるはあまりに輪郭がぼやけている。そもそも三谷をどう思っていたのかがさっぱり分からないのだ。必死で 彼女の足取りを探す三谷が、ストーリーが進むほど、空回りの道化に見えてくるのはまずいんじゃなかろうか。みはるが最初から最後まで 霧の中にいるようにぼんやりしているのが、この映画を弱くしていると思う。 原田泰造の演技とも思えない自然さが非常に好印象。期待したほどストーリーに深みがないのが残念だが、それを補ってあまり ある健闘ぶりだ。牧瀬里穂の落ち着いた存在感も光る。 【◎○△×】7 |
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ストーリー ナチス占領下のパリを舞台に、演劇の灯を守ろうとする女優と夫である演出家、相手役の男優の愛の葛藤を描く。 美貌の花形女優マリオン(カトリーヌ・ドヌーブ)は、南米に亡命したユダヤ人の夫ルカ(ハインツ・ベンネント)の留守を守って 劇場を経営している。しかしルカは逃亡したと見せかけて、劇場の地下室に潜伏し、通風孔を通して舞台稽古の様子を聞き、深夜に 訪れるマリオンに演出の指示を出していた。 新作『消えた女』は俳優のジャン=ルー(ジャン・ポワレ)が演出することになり、相手役には新人のベルナール(ジェラール・ ドパルデュー)が起用される。ナチの御用評論家ダクシア(ジャン=ルイ・リシャール)は演出がユダヤ的だと批判するが、『消えた女』 は好評を博する。マリオンは稽古をしながら、いつしかベルナールに惹かれていた。 ベルナールは同性愛の中年女性アルレット(アンドレア・フェレオル)に見当違いのモーションをかけ、ルカに「妻は君に夢中だ」と いわれると急にその気になってマリオンにアプローチしたりする。 マリオンはといえば、彼を劇団に採用した日、部屋のカーテンの隙間から彼が帰るところを覗いたりするけれど、あとは特に関心の ある様子は示さない。ルカはどうして妻がベルナールを愛しているなんて思ったんだろう。戸惑うのはベルナールだけではない。 それでも、ベルナールが劇団を去る日、2人は結ばれるのだから、やっぱりマリオンは彼を愛し
ていたことになるのだろうか。一方、ルカとマリオンの関係はなかなか魅力的だ。深夜、地下室で夫のために食事を整える妻、亡命や上演する演目について語り 合う2人、時には夫婦の営みもさり気なく行われる。 濃密な空間が2人を包み、マリオンの心にベルナールが這いこむ隙などとうていありそうに思えない。はっきり言って、この三角 関係はどう考えても説得力に欠ける。 ルカに扮するハインツ・ベンネントが魅力的だ。痩せた初老の男で、初めは艶やかな女盛りのドヌーヴにはつり合わないと思った のだが、見ているうちにどんどん印象が変わっていく。 鋭い風貌、時にみせる粋な身のこなし。彼がどれほどカリスマ的な演出家であるか、彼に見出されたマリオンがどれほど彼に夢中になり、 女優として成長してきたかが、ありありと見えてくる。 ルカは亡命に失敗したのはなく、もともとあまりその気がなかったのではなかろうか。通風孔を通して聞こえてくる舞台稽古の様子を 聞き、克明にメモを取り、マリオンを通して演出の指示をする。彼は亡命よりも、舞台の空気に触れ続けることを選んだのだと思う。 ベルナールが地下室を見て「人間が住む場所じゃない」というと、ルカは「私が住んでいる」と答える。国外脱出の機会をうかがって 身を潜めるというよりは、腰をすえて演劇に関わり続けようとする気概が感じられる。 しかし、舞台となるモンマルトル劇場が存亡の危機に陥るわけでもなく、ナチス統制下にある時代背景の描き方もぬるい。マリオンを めぐる夫と新進男優の三角関係は、当事者たちの心の動きが曖昧だ。全体に輪郭のはっきりしない映画という印象を受けた。 【◎○△×】7 |
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ストーリー 崔洋一監督の劇場映画デビュー作。京都の警察官不祥事にヒントを得て、ロック・シンガーの内田裕也が自ら企画し、脚本・主演を 務めている。 団地の十階に住む中年男(内田 裕也)は、交番勤務のさえない警官だ。愛想をつかした妻のTOSHIE(吉行 和子)は、娘の RIE(小泉 今日子)を引き取って離婚している。娘は原宿のロックンロール族に熱を上げ、時々男に金をせびりに来る。 男の気晴らしは行きつけのスナックの女(中村 れい子)との味気ない情事と、サラ金から借金して購入したパソコンのゲームだ。 パソコン代金や妻への離婚慰謝料、サラ金への返済に追われた男は、一攫千金を狙って競艇に手を出し、さらに借金地獄に深入りして いく。 次第に追い詰められて、とうとう男は制服姿のまま郵便局へ押し入った。 内田裕也は全編ほとんど出ずっぱりだが、演技なのか地なのか、仏頂面がじつにはまっている。世の中なんにも面白いことがない、と いうのを絵に描いたような顔だ。この顔一つで佐藤慶に勝る印象を残すのだから大したものだ。
根はそれなり真面目だけど、まるでいいことがないお巡りさん、なんて裕也にはいかにもミス・キャスト。そんな彼が神妙な顔で昇進
試験の答案を書き込んだり、パソコンゲームなんかやっているのを見ると、「似合わないことしてるなぁ」と落ち着かない気分になる。男は、別れた女房や娘に散々なことを言われても、何も言い返せず黙り込む。サラ金からの脅迫めいた電話が交番にまでかかって くるのだが、それにも一々おとなしく弁解する。「おかしい。そんなはずない」とまたまた落ち着かなくなる。 内田裕也っていつ暴発するか分からない拳銃みたいな感じがする男だ。「やばいなぁ」とハラハラした気分がどんどん高まる。それが 狙い目、映画の緊張がずっと
持続されるのだから、うまいこと考えた配役だなぁと思う。“男”がパソコンを10階のマンションの部屋から放り出し、衝動的に郵便局へ押し込み、頭に血が上ったように暴れまわる一連の 流れは、もう裕也の独壇場。リアルな迫力はとても演技とは思えない。 せっかく押し入った郵便局にはした金しかなくて、荒れ狂っていた “男” がまとまった金を見つけ、札束をつかんだ時のふっと 脱力した表情なんて、もうほんとうに真に迫っている。 蚊(モスキート)みたいなちっぽけな男の破壊性に引かれる映画だが、彼がやたらに女をレイプするのだけはどうも気になる。 “男” の鬱屈をそういう形で発散させるのは、ストーリーの方向が違う気がするのだ。彼の虚無感は、バーの女との不毛なセックスに だけ集約させたほうがよかったと思う。 【◎○△×】7 |
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ストーリー 下界に降りて来た死神が人間の女性に恋をしてしまうファンタスティック・ラブストーリー。 マンハッタンに住む大富豪ウィリアム・パリッシュ(アンソニー・ホプキンス)のもとに “死神” だと
いう青年が訪れる。パリッシュは死期が近いことを悟るが、まだ少し時間が残されていた。死神(ブラッド・ピット)は “ジョー・
ブラック” と名乗り、パリッシュの案内でしばらく人間の世界を観察することにする。パリッシュの娘スーザン(クレア・フォーラニ)はジョーに引き合わされて驚く。なぜなら、彼はその朝街のカフェで出会った魅力的な 男性その人だったからだ。 じつはジョーは、事故に遭って亡くなったその青年の身体を借りて、この世に現れたのだった。やがて彼はスーザンと恋に落ち、 彼女を自分の世界へ連れ帰ろうとする。だがそれはスーザンの死を意味していた・・・。 ブラッド・ピットが振るいつきたいほど魅力的。彼は好んでアクの強い汚れ役をやるけれど、こういう夢みたいに美しいな男をもっと もっと演じてほしい。格別彼のファンでもない私ですら、本作のブラピには陶然となる。とくに、“ジョー・ブラック” と名乗るように なってから身につける黒スーツの決まっていること! 惚れ惚れした。 彼が扮するのは “死神” だ。もう何百年も生きている。死神でも、長い間変わり映えのしないル
ーチンワークを繰り返していると
飽きてくるものらしい。違うことをしてみたいというのには笑ってしまった。“死神” でもそうなのかぁ、人間と変わらない。『ベルリン 天使の詩』(87)の中年天使は、命に限りのある人間になることで、恋を全うしようとする。ところが本作のジョーは、 いくらスーザンに恋しても、死神を止めることは許されない。天使に比べて、死神のほうが変更不可能の不便(で可哀想)な運命を 生きているようだ。 そんな訳で、いずれ別れが待っていることをジョーは知っている。パリッシュも自分の死の時が近づいているのを知っている。この 映画は、2人の男がそれぞれに別れ(=死)の準備をする物語、ということが出来るかもしれない。 ジョーは死神のままでは知りえなかった “愛” という束の間の美酒を味わった。パリッシュは社会的成功という己の人生の総決算を した。一抹の寂しさと、すべてをやり終えた満足感。 パリッシュの誕生パーティの夜、華やかに打ち上げられる花火を背に、丘の石段を登っていく2
人の後ろ姿のかっこよさったらない。映画としてはあのまま2人が姿を消して終わるのが、一番私の好みに合っている。ハッピーエンドの
結末は、ハリウッドものらしいと言えば言えるが、味わいは薄くなるような気がする。“死神” のブラピは、スーザンが喫茶店で出会った青年とは一変して、透明というかピュアというか、ちょっと不思議な雰囲気を 漂わせる。人間ではない役とはいえ、この辺り、役者とはつくづく上手いものだ。クレア・フォーラニは儚い美しさがあって言うことが ない。こういう本格美男美女の恋物語も時には悪くない。 アンソニー・ホプキンスの悠々と達観した大実業家ぶりも完璧。全体にファンタジックなトーンのなかで、父の愛を求めて懸命に誕生 パーティの準備にいそしむ姉娘アリソン(マーシャ・ゲイ・ハーデン)や、心ならずも舅を裏切ることになってしまう夫のクインス (ジェフリー・タンバー)が「この世」的というか人間臭い。楽しめる映画だった。 【◎○△×】7 |
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ストーリー マージャン屋でバイトする大学生の恒夫(妻夫木 聡)は、ある朝、店のマスターに頼まれた犬の散歩の途中、坂道を走ってくる乳母車 と遭遇する。中を覗くと、そこには包丁を持った少女がいた。それが恒夫とジョゼ(池脇 千鶴)との出会いだった。脚の悪いジョゼは、 祖母(新屋 英子)に乳母車を押してもらって、人通りのない早朝の散歩をしていたのだ。 朝食をご馳走になり、これがきっかけでしばしば2人の家に出かけるようになった恒夫は、次第にジョゼの奇妙な魅力に惹かれていく。 田辺聖子の同名短編小説を映画化。 ジョゼは、包丁を持って乳母車の毛布の陰から目だけ光らせているような女の子だし、祖母は障害者のジョゼを「お前は壊れ物」と いって世間の目からひた隠しにする。殻に籠もった2人の生活は、もし恒夫が現れなかったら、そうとう危ういものになっていたのでは ないかと思う。 恒夫は当世風のまったく普通の大学生だ。ふつうであることの気負いのなさは、締め切った家の窓を開けた時にスーッと風の通るような 開放感を感じさせる。無愛想でつっけんどんなジョゼが、恒夫に心を開いていくのがとても自然に思える。
2人は祖母の死後、一緒に暮らし始めるのだが、2人の気持ちには微妙な温度差がある。ジョゼはこの愛がいつか終わると思っている。
それでもいい、光も音もない深海の魚のようだった自分が、人を愛し愛される体験を今している。その【今】を味わい生きようとする
ジョゼの思いは切ない。彼女は、車椅子を使おうという恒夫に「あんたがおんぶすればいい」と言う。そうして恒夫の背中に顔を埋める。強気に振舞っている けれど、ジョゼのいじらしさが滲み出て、胸に迫ってくる場面だ。 恒夫はジョゼの一風変わった魅力に惹かれながらも、関係が深まるほど、腰が引けていく。重い障害を持つジョゼを生涯抱えていく 自信がないのだ。実家の法事に連れて行くつもりで出発しながら、途中で、弟に「仕事でいけない」と連絡を入れ、「怖気づいたか」と いわれて慌てて携帯を切るところに、そんな恒夫の気持ちが表われている。 実家行きは、途中で、ジョゼの初めて海を見る旅行に変わる。そして、それから数か月後に2人は別れる。この時の旅行で、2人の 中で “恋人ごっこ” の「何か」が達成されてしまったのだと思
う。関係が現実的なものに変わる転換点に来てしまった。そして、恒夫は「逃げた」。経過は省略されているけれど、この一言が十分
語っている。ジョゼは恒夫と過ごした日々で、一皮も二皮も剥けたと思う。自力で車椅子を動かしながら通りを行く彼女の姿にそれが表れている。 家の中も綺麗に整理されている。もう1人でやっていける。いつか今度こそ本当の恋をするだろう。 一方、恒夫はヨリを戻した元の恋人・香苗(上野 樹里)と歩きながら、思わずガードレールを掴んで嗚咽する。“逃げた” 自分の不 甲斐なさ、卑怯さ、ジョゼへのいとおしさが彼の胸を締めつけたのだろう。愛することの責任を彼は学んだ。恒夫も大人になったのだと 思う。 青春の一断面が鮮やかに切り取られた1篇だと思う。妻夫木聡の自然体の演技、池脇千鶴が奇妙な魅力がそれぞれ印象に残った。 【◎○△×】7 |
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ストーリー 1972年、内戦下のカンボジアで消息を絶った日本人カメラマン、一ノ瀬泰造を描いた映画。 内戦の激化するカンボジア、25歳のフリーカメラマン、一ノ瀬泰造(浅野 忠信)は、銃弾の飛び交う戦場を駆け回るうち、民族解放軍 クメール・ルージュの聖域であるアンコールワットを撮影することにとり憑かれる。 高校教師ロックルー(ソン・ダラカチャン)やレストランを営むマダム(ペン・ファン)、ソッタとチャンナの兄弟を初めとする 子供たちとの交友を深めながら、アンコールワットへ潜入するチャンスを待つ泰造だったが、政府軍によって国外退去を命じられて しまう。 カンボジア以上に戦火の激しいベトナムへ移った後、一時帰国した泰造は、アンコールワットへの思いが断ち切れず、再び戦地へ 旅立つのだったが・・・。 泰造がどうしてアンコールワットに惹かれたのかがどうもよく分からない。クメール・ルージュの聖域で、潜入したカメラマンはみな 行方不明になっていると聞かされた泰造が、それならスクープ写真がモノに出来る、ピュリッツァー賞も夢じゃない、という野心を持つ。 ここまではよく分かる。そういうものに突き動かされて、人は大きい仕事をするのだと思うから。 しかしいつの間にか、彼はアンコールワットそのものに取り憑かれてしまったように見える。なぜなのか。いつ、どういうきっかけで、 そうなったのか。そういうことが一切分からない。 本来の彼の目的は、アンコールワットそのものではなく、そこを拠点とするクメール・ルージュを
カメラに収めることだったはずだ。アンコールワットの美に惹かれたのだとするなら、それだけで内戦下のカンボジアに潜入するのは
無謀すぎる。戦火が収まってから行ってもいいはずだ。そもそも、一ノ瀬泰造がなぜフリーカメラマンとして、戦場を選んだのかもよく分からない。彼は時々佐賀の実家にもどってくるのだ が、平和な日本を逃れるようにすぐカンボジアに戻ってしまう。何が彼を戦場に赴かせるのか。 ジャーナリストとして、彼はなにを伝えようとしていたのか。どういう視点でシャッターを切ったのか。映画の中で彼が写した写真を もっと見たかったと思う。それは、彼の思想や信条をもっとも雄弁に伝えてくれただろうと思うから。 泰造がベトナムの生活に溶け込み、現地の人たちに愛されたのはとてもよく分かるが、ジャーナリストとしての彼の姿が少しも見えて こないのが、フラストレーションを高める。 日本の家族は戦場に赴く泰造をどんな思いで見つめていたのだろう。彼の人間像はこんなサイドの視点を盛り込むことでも、もっと 立体的に描けたのではないだろうか。分からないことだらけで、映画の印象はとても希薄なものになってしまった。 浅野忠信のシャッターの切り方は腰が浮いて、とてもプロのカメラマンに見えないのが気になる。しかし、撮影はほとんどインドシナ 半島で行われたというだけあって、現地の人々と泰造の交流がリアルで、生き生きしているのがよかった。 【◎○△×】6 |
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ストーリー 医学界の内側に鋭くメスを入れた山崎豊子原作のベストセラー小説の映画化。 大阪・浪速大学医学部では、もうすぐ定年を迎える東教授(東野 英治郎)の後任として、助教授・財前五郎(田宮 二郎)が候補者に 上げられている。しかし、五郎の傲慢な人柄を嫌う教授は対抗馬を仕立てあげ、教授の座を巡って二つの陣営が激しくぶつかり合う。 財前は義父・財前又一(石山 健二郎)の財力、大阪医師会の組織力に物を言わせて後任選挙に勝つが、患者の死をきっかけに誤診問題 で遺族から訴えられてしまう。 財前は天才的な腕を持つ外科医だが、自らの無謬(むびゅう)性に絶対の自信を持つ倣岸な男だ。人間は本来 過ちを冒すものであり、その自覚がその人を謙虚にもし、研鑽の意思のもとにも
なる。無謬であるということは、言ってみれば、自分を “神” と見なしているのと同じことだ。しかし、これは大きな陥穽になりかねない。財前はまさにその罠に陥り、患者を死に至らせるのだが、この話のすごいのは、それに よって財前が破滅しないところだ。 裁判は、解剖を担当した東都大学・船尾教授(滝沢 修)の巧みな誘導で、財前は人道的見地から反省すべき点はあるが、医療処置に 過ちはなかったという結論になる。 “人道的責任” なんて言われたって、財前の胸のどこにも響かない。医局員や看護婦を従えた教授回診、いわゆる“大名行列”の先頭 に立つ財前の顔は勝者の驕りに満ちている。 田宮二郎が財前五郎がそのまま乗り移ったような熱演。眉間に濃いシワを刻み、射すように鋭い眼光。サイボーグのように冷徹で 無感情な顔だが、内面にどろどろした出世欲が渦巻いているのが分かる。鬼気迫る演技ぶりだ。彼が “悪” の魅力をこれほど表現できる 俳優とは思わなかった。 彼の前では、医者の良心を表わす里見助教授に扮する田村高廣がいかにも弱々しい。
弟子の財前を嫌い、学外から後継者を連れてこようと策謀をめぐらす主任教授・東、娘婿のために金で教授の地位を買い取ろうとなり ふり構わぬ義父・又一。 財前を後押しすることで次の助教授の椅子を狙う医局員長・佃(高原 駿雄)、中立性に固執する融通の利かぬ大河内教授(加藤 嘉)。 東の依頼で弟子の菊川(船越 英二)を推薦する東都大学の船尾教授、どちらに転んでも恩を着せられるように立ち回る野坂教授 (加藤 武)など、財前を取り巻く人間模様も、達者な俳優たちを揃えてすごい見応えだ。なかでも船尾教授を演じた滝沢修は、沼のよう な底知れなさが印象的だ。 骨格の太い社会派テンターテインメントとして、同時に “ピカレスク映画” の魅力も存分に味える映画だった。 【◎○△×】7 |
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ストーリー 仮釈放で出獄した男、脱走犯、元警官の3人の男の友情と、宝石店襲撃の挫折を描くフランス・フィルムノワールの巨匠 ジャン=ピエール・メルヴィル監督作品。 年期が明け仮釈放されたコレイ(アラン・ドロン)は、仲間のリコ(アンドレ・エキアン)に“貸し”を返すよう求めて、かえって 彼につけ狙われるようになる。コレイは古巣のパリに向かうが、彼の車には護送中の列車から脱走したヴォーゲル(ジャン=マリア・ ヴォロンテ)が潜んでいた。 奇妙な出会いに意気投合した2人は、宝石店襲撃を計画し、射撃の名人の元警官ジャンセン(イヴ・モンタン)に声をかける。一方、 ヴォーゲルに逃げられ、執拗に彼を追う刑事マティ(アンドレ・ブールビル)は、ヴォーゲルの友人でヤクザの元締めサンティ (フランソワ・ペリエ)を訪ねる。 検問を抜けたコレイの車が、ぬかるんだ郊外の原っぱに乗り入れ、停車する。冬枯れの荒寥とした景色。ゆっくりとタバコを吸う コレイ。やがて「もう出てもいいぞ」と声をかける。車のトランクがそろそろと開き、ヴォーゲルが顔を覗かせる。 「知っていたのか」「だから一息つかせた」「なぜ助ける」、コレイは黙って仮釈放証明書を見せる、「同類か・・・」、コレイは ぽんとタバコとライターを投げる、あわてて受け止めるヴォーゲル、タバコを吸いつける彼を見て、コレイの表情が微かにゆるむ。
コレイとヴォーゲルが初めて顔を合わせる場面。夫が言うには、このタバコは労働者階級の吸う “ジタン” なのだそうだ。青い箱で 分かるという。いわば下層階級が吸うタバコなのだ。タバコを通して通い合うものを感じるアウトロー2人。男同士の出会いのかっこ よさに痺れる。 イヴ・モンタンが扮するジャンセンの登場も印象的だ。がらんとした殺風景な部屋。ベッドに這い上がるさそりや蛇、カエル、ネズミ の悪夢に脅かされて、彼は目を覚ます。 毛布を身体に巻きつけ、よろよろとテーブルに近づいてタバコを吸いつける。手が震えて、火がつけられない。アル中なのだ。かつては 凄腕の刑事だったというジャンセンの、浮浪者のような惨めな姿。 しかし、コレイと会うためにサンティの店に現われた彼は、スーツにコート、帽子がびしっと決まり、一分の隙もない紳士ぶりだ。 この落差、予想はついていても、やっぱり見事。モンタンが登場すると、若いドロンとヴォロンテの影が薄くなる。それほどの存在感だ。 コレイ、ヴォーゲル、ジャンセンの3人が宝石商を襲う場面は圧巻だ。セリフは一切なし。BGMもなし。3人が動く時、物を運ぶ 時に、微かな音が立つだけ。小さな身ぶりが意思疎通の手段だ。白々した明りの中で、黒マスクの彼らが影もなく動く。沈黙の生み出す 緊張。 ジャンセンが精緻に狙いを定めたたった一発の弾が、防犯装置の鍵を射抜き、警報のライトが次々に消えてゆく。緊張の頂点が奇妙な 達成感に変わる瞬間だ。 宝石を強奪した3人が外に出た直後に警報がけたたましく鳴り、ジャンセンの運転する車が激しいきしみ音を立てて逃走する。静と動の 迫力ある対比に魅せられる。 この映画には、女は実質的に一人も登場しない。男はコレイ、ジャンセンはもちろんのこと、初老のマティ刑事でさえ、猫を相手の 1人暮らしだ。全編をおおう青い色調、ミシェル・ルグランの呟くようなメロディのなかで、男の孤独が色濃く漂う。 そして寡黙な男たちのストイックな友情。 “男のロマン” という手垢のついた言葉すら、彼らを待ち受けるのが “死” である ゆえに、落陽の輝きを帯びる。 フランソワ・ペリエの影の顔役らしい貫禄や、ブールヴィルの執拗にヴォーゲルを追う冷徹な刑事ぶりも印象に残る。 【◎○△×】7 |