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【映画メモ】  で始まる映画



仕立て屋の恋

1989年  フランス  80分
監督 パトリス・ルコント
出演
ミシェル・ブラン、サンドリーヌ・ボネール、リュック・テュイリエ
アンドレ・ウィルム、フィリップ・ドルモワ、マシュー・ゲイデュ

  ストーリー
 「メグレ警視」シリーズで知られるジョルジュ・シムノン原作の「イール氏の婚約」を、『髪結いの亭主』のパトリス・ルコント監督 が映画化。日本では『髪結いの亭主』のヒットを受けて公開されたが、製作は本作のほうが早い。
 仕立て屋のイール(ミシェル・ブラン)は友人も恋人もいない孤独な独身の中年男だ。彼の唯一の楽しみは、向かいのアパート に住むアリス(サンドリーヌ・ボネール)という若い女の部屋を覗くこと。そんな彼に女性殺人事件の容疑がかかり、刑事が張り込む ようになる。しかし、彼は真犯人を知っていたのだった。
 几帳面で清潔好きで、人付き合いの下手な男が、美しい女に翻弄されながらも純愛をささげ、最後には彼女をアッと言わせるちょっと 変わったラブストーリー。

  一口感想
 アリスの部屋を向かいのアパートの自室から覗いているイールが、雷光で顔だけガラス窓に浮き上がる場面は本当にショックだった。 アリスでなくてもぎょっとする、あんまり気味悪くて。それなのに、見ているうちにだんだんイールに感情移入している。

 彼の横顔がしょっちゅうアップなるのだけれど、意外に端正で、まつげが長い。その眼の辺りが寂し気だからかなぁ・・・。冴えない 中年男の純情なんて滑稽なだけよ、と茶々の1つも入れたいのに、だんだん彼の恋が無垢なものに思えて、切なくなる。無実の罪で 逮捕されそうになった時、自分を陥れたアリスに愛の告白をするところでは、「かっこいい」と呟いてしまったほどだ。ハンサムで なくても二枚目になれる! そんなキャッチコピーを付けたい気分。

 ラストには、手紙に仕掛けられたささやかなどんでん返しが待っていて、ついにやりとさせられた。映画全体はイールの孤独を表わす ような青い色調。だけど、そこはかとないユーモアが漂い、不思議な後味のラブストーリーだった。
  【◎△×】8

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七年目の浮気

1955年  アメリカ  104分
監督 ビリー・ワイルダー
出演
トム・イーウェル、マリリン・モンロー、イヴリン・キース
ソニー・タフツ、ロバート・ストラウス、オスカー・ホモルカ

  ストーリー
 ブロードウェイで大ヒットした舞台劇を映画化したロマンティック・コメディ。地下鉄の風でモンローのスカートが吹き上げられる シーンが有名。
 出版社の編集者をしている恐妻家のリチャード(トム・イーウェル)は、休暇が取れず、妻子だけを避暑地に送り出した。 そんな折りも折り、同じアパートの上の階に、部屋主のバカンス中の留守番をするために素敵なブロンド美人(マリリン・モンロー)が 越してくる。浮気の虫がムズムズし出したリチャードだが、小心者の彼は妄想ばかりが膨らみ、現実はなかなかうまく運ばない。
 ふとしたきっかけで彼女を自室に招いたリチャードだったが・・・。

  一口感想
 モンローはハリウッドを代表するセックス・シンボルといわれるけれど、彼女自身は自分の放つ悩殺のオーラには少しも気づかず、 無邪気に振舞っているだけ・・・、そんな感じの無垢な魅力がモンローにはある。
 それにしても、こんなに愛らしくてグラマーな女性に目の前をチラチラされたら、男性はリチャードならずともやっぱり妄想を逞しく してしまうだろうなぁ。浮気心を起こしてはそんな自分を反省するリチャードが、いかにも超まじめな小心者らしくて、くすくす笑い ながらも共感してしまった。トム・イーウェルがいい感じ。
モンローは本来の天真爛漫な魅力が全開。彼女の映画の中でも好きな1本だ。

 この映画が作られた当時は、アメリカでもまだ一般家庭用のエアコンはそれほど出回っていなかったそうだ。だからだろう、リチャー ドの部屋にきたブロンド娘が「クーラーがある!」と珍しがったり、冷蔵庫の中に下着を入れて冷やしたり、というエピソードが登場 する。
 55年といえば私が小学校5、6年の頃。ぼつぼつ冷蔵庫がーーそれも、最上段に氷をいれる形式!ーーが出始めていた頃だ。 あちらは冷蔵庫は卒業してクーラーに移ってたのかぁ、とそんなこともなんだか懐かしい気分にさせられた。
  【◎△×】7

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ジャック・サマースビー

1993年  アメリカ  113分
監督 ジョン・アミエル
出演
リチャード・ギア、ジョディ・フォスター、ビル・プルマン
ジェームズ・アール・ジョーンズ、ラニー・フラハーティ

  ストーリー
 1860年代のアメリカ南部、テネシー州ヴァイン・ヒル。南北戦争で南軍の兵士として出征した大地主ジャック・サマースビー (リチャード・ギア)は、その後行方不明になっていたが、6年ぶりに帰郷する。
 かつてのジャックは冷酷な性格で、妻のローレル(ジョディ・フォスター)にも暴力を振るう男だったが、帰郷した彼は別人のよう だった。あまりの変貌ぶりにローレルは初めは戸惑うが、次第に彼を愛し受け入れるようになる。しかし、ジャックの不在中献身的に ローレルを支えた隣人のオーリン(ビル・プルマン)は、彼の正体に疑いを抱く。
 そんな時、かつてジャックが軍隊で起こしたという殺人事件の裁判が開かれる・・・。

  一口感想
 “彼”は本当にジャックなのか。そうでないなら何者か。本作を最初に見た時は、もっぱらこの部分に興味を引かれたせいか、ミステ リーとしては少々味が薄く物足りなかった。ローレルが別人だと気づいていく過程や2人の間に本当の愛が生まれていく様子などがもう 少し丁寧に描かれていたらなぁ、と思ったものだ。
 2度目の今回は、“ジャック” と名乗る男そのものに興味を覚えた。以下、私の想像を勝手に膨らませてのネタバレです。

 “彼” は教養もあるし粗野ではないし、いわゆる‘いいとこの坊ちゃん’だったろうと思う。愛くるしい顔立ち。甘え上手。となれば 先は見えてる。スポイルされて身を持ち崩し、実家を出奔、あとは口先三寸の詐欺師人生だ。でも根っからの悪党じゃないから、ずっと 「これじゃいけない」と思い続 けていたに違いないと思う。
 でも、生きかたを変えるってふつうなかなか出来ることではない、よほど大きなことが起きないかぎりは・・・。

 オープニングで、“彼” が男を石積みのなかに埋葬した後、川で顔を洗うシーンが出てくる。この時、手が血で染まってるんですね。 私は埋葬されたのが本物のジャックで、殺したのはコンクリンの仲間ではなて、“彼” だと思う。コンクリン殺しという無実の罪で死刑 判決を受けたけど、“彼” は別の殺人は犯していたんですね。

 だれも知らなくても、自分だけは知っている。それが “ジャック” となってからの彼の背後に絶えずあった意識じゃないでしょうか。彼がジャックを殺したいきさつは分らない。しかし、とにかく彼は奴隷を解放し、貧しい土地に合う作物を開発し、住民みんなに富を分配し、「こういう人生をこそ生きたかった」という生き方を貫く。
 妻も町の住人もこの頃にはもう、彼はジャックじゃない、って分かってたんじゃないでしょうか。でも構わなかった。彼は “彼” で あり、彼らはその “彼” と信頼の絆で結ばれていたから。

 裁判で自分がジャックでないことを認めれば、死刑は免れたでしょう。でもそれは彼にとって「人間としての死」を意味していたのだと 思う。刑の執行直前というのに、彼はタバコの葉が思いがけず高値で売れたことを知り、ローレルと抱き合って喜ぶ。死を懸けて「真の 自分」であり続けようとし、同時に、それが犯した罪への贖罪でもあったのでしょう。
 絞首台でうろたえたように妻を探し求め「ローレル!」と絶叫する彼、「私はここにいるわ!」と叫び返すローレル、2人の姿に私は 胸が一杯になった。とくに、彼の命を助けるために「ジャックではない」と裁判で主張し続けたローレルが、最後の最後に「ジャック!」 と呼びかけるのが感動的だった。

 ジョディ・フォスターはもちろん、リチャード・ギアが思いの他よかった。でも、ビル・プルマンはちょっと気の毒。あそこまで悪く しなくてもよかったんじゃないかなぁ、オーリンはオーリンなりに懸命にローレルに尽くしたんだもの。
  【◎△×】7

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写楽

1995年  日本
監督 篠田 正浩
出演
真田 広之、フランキー 堺、岩下 志麻、葉月 里緒菜、佐野 史郎
片岡 鶴太郎、坂東 八十助、加藤 治子、新橋 耐子、竹中 直人

  ストーリー
 江戸時代、寛政6年から7年にかけて突如として現われ、およそ140種の役者絵と相撲絵を残して消えた謎の浮世絵師・東洲斎写楽 の素顔に迫る歴史ドラマ。
 寛政の江戸は人口100万を超え、町人文化が絢爛と華開いていた。下っ端役者・斎藤十郎兵衛(真田 広之)は足の甲を 潰してしまい、役者としてやっていけなくなって、大道芸人・おかん(岩下 志麻)の一座に入り、“とんぼ” と呼ばれる芸人になる。
 その一方で、歌舞伎小屋に出入りして書割りを描く手伝いをするようになる。
 その頃、出版本がご禁制に触れ、苦境に陥っていた人気版元 “蔦屋” の主人・重三郎(フランキー 堺)は、新しい絵師を探して起死 回生を図ろうしていた。

  一口感想
 映画の狙いが歌舞伎や浮世絵の世界を中心とした江戸の風俗描写にあるなら、それはかなり成功していると思うが、写楽をめぐる人間 模様は通り一遍の描き方で物足りなかった。

 蔦重がなぜ採算を度外視してまで写楽に打ち込んだのか、とか、歌麿は己に対して強い自負心があっただけに、写楽の才能に凄い嫉妬を 感じたのではないかとか、そういったことがあまりよく分からなかったのだ。芸術と欲のドロドロした絡まり合いがもっと描けていれば、 江戸文化のダイナミックな活力もリアルに伝わって来たのではないかと思うのだが・・・。

 十返舎一九や葛飾北斎、滝沢馬琴など脇の人物もただ登場しているだけという感じ。もったいない。フランキー堺の演ずる蔦重は さすがの存在感だったが、主役の真田広之は意外に印象が薄かった。
  【◎△×】6

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十二夜

1996年  イギリス  134分
監督 トレヴァー・ナン
出演
ヘレナ・ボナム=カーター、イモジェン・スタッブス
トビー・スティーヴンス、ナイジェル・ホーソーン、ベン・キングズレー
  ストーリー
 シェイクスピア喜劇の映画化。主要キャスト、監督トレヴァー・ナンを初めとするスタッフ、ともにイギリス演劇界で活躍するメンバ ーが参加し、格調高い作品となっている。
 セバスチャン(スティーヴン・マッキントッシュ)とヴァイオラ(イモジェン・スタッブス)の双子の兄妹は、乗っていた船が嵐で 難破し、別れ別れになってしまう。イリリアの岸に流れ着いたヴァイオラは、短髪・口ひげで男装し、シザーリオという名で領主オーシ ーノ公爵(トビー・スティーヴンス)に仕えることになる。
 公爵は近隣に住む貴婦人オリヴィア(ヘレナ・ボナム=カーター)に恋していたが、彼女は公爵の使いとしてやって来たシザーリオ (じつはヴァイオラ)に一目惚れしてしまう。
 その頃セバスチャンは、遭難した彼を助けてくれたアントニオとともに、イリリアにやって来る。

  一口感想
 双子のヴァイオラとセバスチャンを周りの人間たちが取り違えて起こる喜劇。双子を演じている俳優の遠目の姿はかなり似ている。 つまりセバスチャン役のスティーヴン・マッキントッシュは、男としては細身で相当華奢な人だ。でも、近くで見れば2人は全然顔が 違う。
 ヴァイオラ役のイモジェン・スタッブスはかなり可愛い顔なので、どんなに髭を付けて変装したつもりでも、とうてい男には見え ない。
 そんなこんなで、2人は取り違えようがない気がするけれど、「そういう約束ごと」になっている、ということなの だろう。つい映画的なリアルさを求めてしまうけれど、日本でも時代劇や舞台は「約束ごと」の上に成り立っている部分が大きいし、 それを言ってはいけないだろう。

 ベン・キングズレーが扮する道化が物語の狂言回し。節目節目で彼の歌う歌が、哀調があってなかなかいい。メインの話と並行して、 中年の執事(ナイジェル・ホーソーン)が女主人のオリヴィアに恋慕していて、それをオリヴィアの叔父や女中がからかうというサブ・ ストーリーがあり、この2つのドタバタが絡み合って、けっこう楽しい映画になっていた。
  【◎△×】7

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趣味の問題

2000年  フランス  90分
監督 ベルナール・ラップ
出演
ジャン=ピエール・ロリ、ベルナール・ジロドー、フロランス・トマサン
シャルル・ベルリング、アルトゥ・ドゥ・パンゲルン

  ストーリー
 美食家として知られるフランス経済界の実力者フレデリック(ベルナール・ジロドー)は、ある日、レストランで働く青年ニコラ (ジャン=ピエール・ロリ)に出会い、その容姿や味に関する感性の鋭さに惹かれる。
 “味見役” として多額の報酬で彼を雇い入れたフレデリックは、自分の好みを徹底的に教え込む。やがてそれは食事にとどまらず、 暴力や女の “味見” にまでエスカレートする。ニコラは、恋人ベアトリス(フロランス・トマサン)の制止にも関わらず、ずるずると フレデリックの要求に応え続けるのだが・・・。
 ブライアン・デ・パルマ、オリバー・ストーン両監督が賞賛したという、フランス映画界の新鋭ベルナール・ラップ監督の異色の サイコ・ミステリー。

  一口感想
 フレデリックとニコラの関係は、まるで泥沼にはまり込んだ男女の腐れ縁のようだと思った。2人は同性愛ではないのだけれど、そう 勘違いしたくなるほど、濃厚な気配が漂う。とくにニコラに対するフレデリックの方に。
 彼は強烈な自己愛の持ち主だ。この言葉のもとになったギリシャ神話のナルキッソスは、水に映った自分(幻影)に恋する。 幻影は手を延ばしても掴めない。水に手が触れた瞬間に波が立ち、映像は崩れ消え去る。
 現代のナルキッソスは、恋の相手(自分自身)を、手で触れ感じることの出来る、確かな存在にしようとする。外見だけでなく、 趣味・嗜好・感性まで自分とまったく同じ人間を作り出そうとするのだ。本当は、それはやっぱり幻想に過ぎないのだけれど・・・。

 彼に引きずられて深みにはまるニコラも面白い。彼はベアトリスを愛してはいるけれど、彼女と結婚しても先が見えている、と思う。 ベアトリスはいはば “現実” の象徴だ。「先が見えている」というのは、まさに “現実” の持つ味気なさを示している。
 ニコラは心の表層部分ではフレデリックの差し出す高給に引かれたのかも知れないが、深層的には “味見役” という妙な仕事の先の、 未知のフレデリックの世界に惹かれたのだと思う。その意味では2人は似たもの同士、たがいに響き合うものを持っていた、という ことになる。
 ベアトリスが彼をたびたび “現実” 世界に引きもどそうとしてもダメだったのは無理もない。

 フレデリックがニコラに足を舐めろと要求するシーンがすごく怖い。ここでニコラが従えば、ニコラはフレデリックの願望通り、彼の 完全なる “分身” となり、2人は狂気に世界に入っていく。ニコラは危うく踏み止まるけれど、絡め取られた蜘蛛の巣から自由になる には、やはり巣の主フレデリックを殺すしかなかったのだろう。
 ラップ監督の『私家版』も地味な展開のなかでじわじわとサスペンスが盛り上がり印象深かったが、本作も奇妙な味わいの残る映画 だった。
  【◎△×】7

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シェルタリング・スカイ

1990年  アメリカ  138分
監督 ベルナルド・ベルトルッチ
出演
デブラ・ウィンガー、ジョン・マルコヴィッチ、キャンベル・スコット
ジル・ベネット、ティモシー・スポール、エリック=ヴュ・アン

  ストーリー
 モロッコ在住のアメリカ人作家ポール・ボウルズの同名小説の映画化。西欧文明から遠く離れたサハラ砂漠で、失われた愛を求めて 絶望的な旅を続けるアメリカ人夫婦の姿を通して、人間の孤独を浮き彫りにしている。音楽は『ラスト・エンペラー』に続いて坂本龍一 が担当。
 終戦後まもない1947年、北アフリカ・タンジールに、ニューヨークから作曲家のポート(ジョン・マルコヴィッチ)と妻のキット (デブラ・ウィンガー)がやって来る。
 旅の同伴者は、ポートの友人で以前からキットに心を寄せているタナー(キャンベル・スコット)と、途中から道連れになった旅行 ライターのライル夫人(ジル・ベネット)、そして中年過ぎて未だに母に依存している息子のエリック(ティモシー・スポール)だ。
 夫との間に生じた溝が埋めようもなく広がっていくのを感じるキットは、ある時ついにタナーと一線を越えてしまう。

  一口感想
 ポートが疫病で急死したあと、キットは糸が切れたようにどこまでもどこまでも漂っていく。どこまで行けば漂流は終わるんだろう、 と見ていて不安になるほどに果てしなく。夫婦の絆は切れかけていたのに、ポートを失ったことはキットの心に大きな空洞を作って しまったようだ。

 漂流の果てに、キットはアラブ隊商の若い首領(エリック=ヴュ・アン)の愛人となる。彼女にあてがわれた部屋の光景が、印象深く 眼裏に残る。厚い土壁には四角い穴が窓のように開けられて、仄かな明るさをもたらしている。涼しく湿った空気が漂う。そこでキット は首領と交わる。2人の性の営みは、言葉も通じず、心の交流があるとも思えないのに、エキゾティックな官能に満ちている。

 一方、砂漠を見下ろす岩山で、キットとポートが交わしたセックスが対照的だ。2人は自転車で砂漠の道を散策し、少年少女のような 瑞々しい親密感を味わいながらそこに辿り着いた。そして抱き合うけれど、愛の手応えを得ることが出来ず、結局途中で止めてしまう。
 鬱陶しく頭上を覆う蒼穹、眼前に広がる荒涼とした景色、それらが2人の営みの虚しさを際立たせているようだった。

 キットを巡る2つのセックスという名の“愛”の形。夫婦の愛って何なんだろう。キットは旅の出発点のタンジールに戻るけれど、 彼女に元の生気が還る日は来るのだろうか。そんなことが映画が終ってもいつまでも頭を去らなかった。
  【◎△×】8

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ジェルミナル

1993年  フランス  160分
監督 クロード・ベリ
出演
ルノー、ジェラール・ドパルデュー、ミュウ=ミュウ
ジュディット・アンリ、ジャン=ロジェ・ミロ、ジャン・カルメ

  ストーリー
 エミール・ゾラ原作の同名小説の映画化。タイトルの “ジェルミナル” とは、フランス革命暦の1つで「芽吹き」という意味。
 不況の嵐が吹き荒れる1880年代、北フランスの炭鉱モンスーに元機械工のエチエンヌ・ランチエ(ルノー)が仕事を求めてやって 来る。彼は抗夫のリーダー、マユ(ジェラール・ドパルデュー)の世話で、炭鉱労働者として働くことになる。
 老父と7人の子供を抱えたマユと妻マウード(ミュウ=ミュウ)は飢えぎりぎりの苦しい生活だった。炭鉱では劣悪な労働条件に加えて 賃金カットが会社から通告され、抗夫の不満は日々高まっていた。そんな中で落盤事故が起こり、ついにモンスー坑はストライキに 突入する。

  一口感想
 もう40年近い昔、仕事の研修で三池炭鉱を見学したことがある。部外者にはそれほど深いところまでは案内しなかったけど、ライト ・キャップを被って、エレベーターで下っていく。ひどく緊張した記憶がある。あの頃、炭鉱はすでに衰退期に入り次々閉山していた けれど、時々起きる落盤事故のニュース映像をみるたびに、自分ももぐった地下の暗く狭い坑道を思い浮かべて、胸が痛くなったことを 思い出す。

 この映画に描かれたような苦しい闘いの時代を経てやっとつかんだ労働者の権利も、今は死語に近くなっている。若い人はこういう 映画を見て、どういう感想を持つのだろう。ストライキは敗北したけれど、ランチエは労働運動の未来に新たな希望や手応えを 感じつつ町を去る、という結末は、今の時代にどういう意味があるのだろう、とふと空しい気分に襲われたりもする。

 それでもジェラール・ドパルデュー、ミュウ=ミュウ、ルノーなどの演技陣はさすがの風格。骨太のどっしりした手応えの残る 映画だった。
  【◎△×】8

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少年時代

1990年  日本  117分
監督 篠田 正浩
出演
藤田 哲也、堀岡 裕二、山崎 勝久、小日向 範威
岩下 志麻、細川 俊之、河原崎 長一郎、三田 和代

  ストーリー
 第二次世界大戦中、東京から富山に疎開して来た少年と、地元の少年たちとの友情と別れを描いたドラマ。井上陽水作詞・作曲の「少年時代」はこの映画のために書き下ろされた。
 昭和19年夏、戦局は悪化の一途をたどり、小学5年生の風間進二(藤田 哲也)は家族と別れ、ひとり富山の伯父の家に縁故疎開することになった。
 進二に最初に近づいて来たのはクラスのリーダー・大原武(堀岡 裕二)だった。馴れぬ田舎の生活に不安を感じていた進二は武に親しみを持つが、なぜか武は学校の級友たちの前では進二に高圧的な態度を取る。
 春になり、長く病欠していた副級長・須藤(小日向 範威)が復学してくる。

  一口感想
 武は田舎のガキ大将という枠に収まらない不思議な魅力を持った少年だ。東京育ちの進二がまとう文化の匂いに敏感に反応し、ひそかな 憧れを持つ。物語をたくさん知っている進二にそれを語らせて、みんなにも聞くように強要するところなんて、無邪気さに笑いが洩れて しまう。
 家庭環境はよく分からないが、幼い弟と漁師の祖父との3人暮らし(両親は出稼ぎ?)。こまごまと弟の世話を焼き、祖父の仕事の 手伝いをする姿からは、学校で級友たちを力でねじ伏せる彼とは違うやさしさが垣間見える。

 一方で、武は自分が身を置く “力” の力学もきっちり把握している。進二が隣町に東京からの駅留めの荷物を受け取りに行ったと 知った時、一散に冬の浜辺を自転車を走らせる。一体何事かと 思ってしまうが、彼は隣り町の悪童たちとトラブルを起していて、進二が 仕返しを受けると分かっていたのだ。
 自分の落とし前は自分がつける。武の中に脈打っているのは、「目を背けない」「逃げない」、そんな男気だ。

 悪童たちをまいた後、進二と武は町の写真館で記念写真を撮る。カメラの前に大真面目に並んで立つ2人に微笑が湧く。
 進二はいずれ東京に帰り、自分とは違う世界の人間になることを、武は分かっているのだと思う。副級長の須藤は、貧しくて進学できない武を、「あれまでの人間よ」と怜悧に言い放つが、武自身それを知っているのだ。すべてが少年時代のひと時の夢、武の “力” の背後にはそんな果敢(はか)なさがある。

 武は須藤との権力争いに負けて、ひどいイジメを受けるようになる。休み時間もみなから離れて一人でいるのを見かねて、進二が「うち に遊びにこない?」と誘うシーンがある。その時の武の返事がじつにかっこよい。「何もいうな。俺は可哀想じゃない。口なんてきく な」。
 あー、そうだったのか!と私は膝を打つ思いだった。なぜ武が黙って須藤のイジメを受け入れ、級友の軽蔑の眼差しに耐えたのか、その 理由が分かった気がしたからだ。

 力で他者を支配した者は、力に敗れた時は力を持つ者の支配を甘受する。それは武にとって当然のルールなのだ。“負けた” という 事実を、少しも卑屈にならず、敢然と受け入れる。武の本当の強さは腕力ではなくて、毅然としたこの心の有り様にあったのだ。
 みなが遊ぶのを遠くから見つめる姿には孤高の潔さがある。その男らしさに打たれた。


 東京に帰る進二を、武は一人、山の線路で見送る。走り去る列車に、直立不動でまっすぐ右腕を掲げる武。車窓から身を乗り出し手を 振る進二。さまざまな出来事がこの瞬間の2人の心の交流の中で一挙に浄化され、懐かしい思い出へと変転する。小さく遠ざかる武の姿に 重なる少年時代への愛惜。清々しい余韻に感動があふれた。
  【◎△×】8

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情婦

1957年  アメリカ  117分
監督 ビリー・ワイルダー
出演
タイロン・パワー、マレーネ・ディートリッヒ、チャールズ・ロートン
エルザ・ランチェスター、トリン・サッチャー、ノーマ・ヴァーデン

  ストーリー
 アガサ・クリスティが自作の短編小説を自ら脚色した戯曲「検察側の証人」の映画化。
 ロンドン郊外で富豪の未亡人が殺され、レナード(タイロン・パワー)という男が容疑者として逮捕される。法曹界の長老ロバーツ卿 (チャールズ・ロートン)が彼の弁護を依頼された。
 犯行時のレナードのアリバイを立証できるのは、彼の妻クリスティーネ(マレーネ・ディートリッヒ)ただ一人。ところがなんと、 クリスティーネは検察側の証人として出廷し、夫が未亡人殺しを告白したと証言する。果たしてクリスティーネの真意は・・・?
 本格ミステリーとして十分に練り上げられたプロット、アッと驚く結末、老練弁護士とお目付け役の看護婦(エルザ・ランチェスター) のユーモラスなやり取りがアクセントを添えて、巨匠ビリー・ワイルダーの職人技が光る。

  一口感想
 私のなかでは『サイコ』と双璧をなすミステリーの傑作だ。妻クリスティーネに対するレナードの熱愛、法曹界の重鎮ロバーツ卿の 事務所に現われたクリスティーネのどこか冷ややかな空気、そうしたさり気なく始まるすべてが、観客をミスディレクトする周到な伏線に なっている。

 公判が始まって、彼女が「検察側の証人」(原題)として出廷し、決定的な証言をする時の驚きと、その後に待ち構えている意外な 展開。何度も見ているのに、いつも初めて見た時と同じ衝撃を覚えてドキドキする。
 エンド・クレジットで「決して結末を口外しないでください」というナレーションが流れることが当時話題になったが、どんでん返 しは1つで終わらない、ということくらいは言っても許されるだろう。二転三転するプロットは、推理小説好きの私には堪えられない。

 ディートリッヒがこの映画出演当時、50代というのに驚いてしまう。もともとこの人老け顔だからかえって年を取らないのかな。 ベルリンのバーで男装で歌うシーンの色っぽいこと。そして夫の無罪判決をガラス戸越しに聞く時の、想いを湛えたはかない風情。 全体にものに動じない冷静な妻の印象が強いだけに、落差の大きさが効果的だ。

 ところで、ロバーツ卿が見知らぬ女からクリスティーネに関する重要な情報を入手する場面だが、最初に見た時の記憶では、卿が助手 の弁護士と一緒に会うのは腰の曲がった老婆で、場所はロンドンの裏通りの薄汚れたアパートの2階、というものだった。
 部屋の様子、老婆の仕草の1つ1つがありありと脳裏に浮ぶほど強烈な印象だったが、だいぶん時を経て見ると、状況がぜんぜん違う。 3度目、4度目と見ても変わらない。こうなるともう、私の 勘違いとしか言いようがない。
 しかし、あまりにリアルで、あのシーンないことがいまだに信じられない。これはこの映画に関する私の超個人的ミステリーだ。 自分でも不思議な気がしている。

 ロバーツ卿に扮したチャールズ・ロートンの悠揚迫らぬ名演ぶりが楽しい。口うるさい看護婦の目をかいくぐってタバコをふかし、 ブランディーを盗み飲み、公判ともなれば、要所要所をぴしりと突いて裁判を有利に導いていく。毒舌さえも愛されるヤンチャな人柄を 魅力たっぷりに演じて見せる。
 聞き分けのない子供を扱うようだった看護婦が、「もう一度法廷に立つんでしょ」とばかりに、散々禁じていた酒とタバコをOKする ラストは、ほんとに粋。2人並んで去って行く後姿を見るたびに、いつも私は悦に入ってしまうのだ。
  ○△×】9

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女王陛下の007

1969年  イギリス  130分
監督 ピーター・ハント
出演
ジョージ・レーゼンビー、ダイアナ・リグ、テリー・サヴァラス
ガブリエル・フェルゼッティ、イルゼ・ステバット、バーナード・リー

  ストーリー
 2代目ジェームズ・ボンド、ジョージ・レーゼンビーが活躍するシリーズ第6作。
 イギリス情報部のM(バーナード・リー)は、所在の知れないスペクターの首領ブロフェルド(テリー・サヴァラス)の居場所を突き 止め、その動静を探るようジェームズ・ボンド(ジョージ・レーゼンビー)に命じる。一方、ボンドはとあるカジノで翳りを秘めた女性 トレーシー(ダイアナ・リグ)と出会い、心奪われる。
 犯罪組織ユニオン・コルスの首領であるトレーシーの父ドラコ(ガブリエル・フェルゼッティ)は、ブロフェルドの情報と交換に娘を 立ち直らせてほしい、とボンドに懇願する。
 ブロフェルドはアルプスでアレルギーの研究所を営んでいたが、そのじつ、細菌を使った恐ろしい人類抹殺計画を企んでいた。スイス に飛んだボンドは、研究所に潜入するのだが・・・。

  一口感想
 レーゼンビーのボンドがたった1作で姿を消したのは分からないでもないと思った。ボンドがなんと「女嫌い」と当の女性たちから 思われたり、心から愛する女性に巡りあって結婚したり、窮地に追い詰められて呆然とベンチに座りこんで、彼女に助けられたり、と ショーン・コネリーのボンド・イメージを追うファンにとっては、本作のボンドはあまりに違いすぎるのだ。
 しかし、だからといって、スパイ・アクションとしての正当な評価までされないのは納得いかないなぁ、とも思う。映画としては なかなかよく出来ている。

 レーゼンビーはスタントを使わず、出来るだけ自分でこなしたそうだ。彼の鋼のような肉体から繰りだされるアクションが素晴らしい。 アルプスの雪山で展開されるスキーやボブスレーの闘いは、滅多にないほどのスピードと迫力だ。ボンド・シリーズに欠かせないQ考案 の新兵器は出てこないが、それだけに肉体を駆使したアクション映画の原点そのもののような作りが、映画の醍醐味に溢れている。

 新婚旅行に出かけるボンドとトレイシーがブロフェルドの車に襲撃され、トレイシーが死んでしまうラスト・シーンも、ボンド映画 らしくない終わり方だけど、私は好きだ。彼女を抱きしめて一人嗚咽するボンド。たしか『ムーンレイカー』で、ロジャー・ムーアの ボンドが妻を思い出して涙ぐむシーンがあった。ちゃんとあとの話に繋がってるんだ! やっぱりこの映画は間違いなくボンド・ シリーズの1本なんだ、と思った。
  【◎△×】7

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白い嵐

1996年  アメリカ  129分
監督 リドリー・スコット
出演
ジェフ・ブリッジス、キャロライン・グッドール、ジョン・サヴェージ
スコット・ウルフ、ライアン・フィリップ、ジェレミー・シスト

  ストーリー
 1960年、訓練航海中に6人の少年の命が失われた海難事故を題材に、少年たちの友情と成長を描いた青春映画。事故の生存者 チャック・ギーグの体験談を基に脚本が書かれ、30分間にも及ぶ船の沈没シーンの映像と音響の迫力は圧巻。
 17歳のチャック(スコット・ウルフ)は独自の教育方針で知られる海洋学校の訓練航海に参加する。12人の少年たちとシェルダン 船長(ジェフ・ブリッジス)、彼の妻で船医のアリス(キャロライン・グッドール)を含む5人のスタッフを乗せた帆船アルバトロス号は 大海原へと出帆する。
 船長の指揮の下、訓練生たちはさまざまな事故やトラブルを切り抜け、次第に仲間意識が育っていく。出発から3ケ月後、目的地の ガラパゴス諸島に到着し、溶岩におおわれた島の高みに立って達成感を覚える。
 しかし、帰途についた彼らに最大の危機が訪れる。“白い嵐” と呼ばれる伝説の暴風雨が襲ってきたのだ・・・。

  一口感想
 ジェフ・ブリッジスの渋いオヤジぶりがいい。『ラストショー』の生意気だけど繊細さも感じさせた少年、『恋のゆくえ/ファビュラ ス・ベイカー・ボーイズ』のちょっと崩れた雰囲気のピアノ弾き、・・・その時々に強い印象を残す彼だけど、本作の気難しいけど、 人生の先達としての厚みを感じさせ る船長は抜群だ。
 生意気ざかりの訓練生たちも、困難にぶつかるたびに泰然と切り抜ける彼を見て、徐々に圧倒的な信頼と敬愛を寄せるようになるのだ。

 本作を見ていて感じたのは、“男らしさ” とはなにか、ということだった。人間としての弱みを持つな。見せるな。ーーこれは開拓 時代から延々と続いてきたマッチョな男性像だ。父親はそうした “男らしさ” のシンボルであり、彼をどう乗り越えるかが少年の課題 だ。
 本作でそれがよく出ているのがフランクと父親との関係だ。
 もう1つ印象的だったのは、海難審判の公聴会で証人に立った少年が、なぜ船長の指示に従わなかったかと問われて「パニックになった」と答えた時、傍聴席にいた父親が腰を浮かせて、「お前に限ってそんなこと があるはずがない」と叫ぶシーンだ。こういうのを見ると、“男らしさ” もなかなかしんどいものだな、と思わされる。

 この時に船長は、「17歳の少年に責任を負わせようとは思わない」と、自ら海運免許を返してしまう。彼の行為が示すのは、男らしさ とは “人間としての責任の取り方” だということだ。イルカに スピア・ガンを撃ちこんだフランクを船から降ろした時、少年たちは「船長も結局は父親と同じだ」と失望するけれど、彼は罰を与えた のではなく、責任を取らせたのだと思う。
 同時に、父親との確執や煩悶を無垢なものにぶつけることの卑劣さも、教えたかったのでしょう。

 ただ、この公聴会で、チャックがひとり熱弁を振るって、他の訓練生をリードする形になっているのが気になった。結局、彼は最後 まで “いい子” の枠から脱しきれなかったのかなぁ。潔く責任を取ろうとする船長、彼を擁護する訓練生たち。・・・これらは自然に 出てきた動きとして描かれないと、最後の船長を囲んでみなが抱き合うシーンの感動も嘘っぽくなってしまう気がするのです。

 嵐で船が翻弄され、転覆するシーンの迫力が凄い。劇場で見た時は、あまりの迫力に自分も溺れそうで怖くなったほどだ。2回目、 3回目となると、ギルが兄の写真を取りに戻ったばかりに脱出しそこなったり、船医のアリスが気を失って船室に閉じ込められてしまう ことが判っているので、辛くて、とても見ていられない。ガラパゴス島での高揚感が素晴らしかっただけに、切なさはひとしおだ。
 船窓をはさんで相手の顔が見えるのに、どうにもしてやれない辛さ、口惜しさ。息が苦しくなって、妻を残して自分だけ浮き上がって いく船長には、涙を抑えきれなかった。
  【◎△×】7

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新・平家物語

1955年  日本  108分
監督 溝口 健二
出演
市川 雷蔵、大矢 市次郎、久我 美子
柳 永二郎、小暮 実千代、林 成年、進藤 英太郎

  ストーリー
 吉川英治の歴史小説を映画化した大河ドラマ。このあと衣笠貞之助監督による第2作『新・平家物語 義仲をめぐる三人の女』、島 耕二監督による第3作『静と義経』が作られた。
 保延3年の夏、京都・今出川の平忠盛(大矢 市次郎)の館は、西海の海賊征伐から凱旋した郎党たちをねぎらう祝宴の金にも困り、 大切な馬さえ売るほどに貧窮していた。そんな頃、忠盛の長男・清盛(市川 雷蔵)は父の使いで藤原時信の屋敷を訪れ、時信の娘・時子 (久我 美子)を見かけて強く惹かれる。
 ある時、清盛は自分が白河上皇(柳 永二郎)の落胤だと聞かされて驚く。母・泰子(小暮 実千代)が祇園の白拍子であった頃、上皇 の寵愛を受け、懐妊後、忠盛の妻として賜ったというのだ。

  一口感想
 セットや衣装の時代考証は流石。でも、藤原一族の貴族政権が歴史の大きなうねりの中で徐々に崩壊し、代わって次第に力を付けた 武士勢力が政治の頂点に昇りつめていった、清盛が生きた時代のダイナミズムが感じられず、話が小さく纏まってしまった気がする。
 清盛は二十歳前後という設定のようだが、それにしても己れの出生の秘密を知った時の反応は少々子供じみている。清盛はもっと豪胆で スケールの大きい人物なんじゃないのかなぁ。私の先入観もあるかも知れないけど、繊細な感じの市川雷蔵は清盛とはちょっと イメージが違う気がした。
  【◎△×】6

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