HOME50音表シネマTOP




【映画メモ】  で始まる映画



世界中がアイ・ラヴ・ユー

1996年  アメリカ  102分
監督 ウッディ・アレン
出演
アラン・アルダ、ウディ・アレン、ゴールディ・ホーン
ドリュー・バリモア、エドワード・ノートン、ティム・ロス
ジュリア・ロバーツ、ナタリー・ポートマン

  ストーリー
 ウディ・アレンが長年の夢であったミュージカルに初めて挑戦し、ふだんは歌声を披露することの少ない演技派俳優たちが、吹き替え なしで歌と踊りを熱演している。
 DJはニューヨークのアッパー・イーストに住むリッチな弁護士一家の娘だ。家族は実母のステフィ(ゴールディ・ホーン)、継父ボブ(アラン・アルダ)、義姉スカイラー(ドリュー・バリモア)、それに双子の妹レインとローラ。
 DJはパリで暮らす実父ジョー(ウディ・アレン)とバカンスをべネチアで過ごしていたが、素敵なゴンドラ漕ぎと恋をする。一方、ジョーは同じホテルに泊まる人妻ヴォン(ジュリア・ロバーツ)に一目惚れ。
 秋、ステフィの誕生日に、社会運動家の彼女の嘆願運動で仮釈放されたチンピラ、チャーリー(ティム・ロス)が招待される。彼の猛烈アタックでスカイラーは恋に落ち、ホールデン(エドワード・ノートン)との婚約を破棄する始末。ニューヨークの四季とともに、家族それぞれの恋の顛末が綴られる。

  一口感想
 映画冒頭、エドワード・ノートンが歌を歌って登場したのにまず仰天。しかも珍妙なるへなへなダンスまで披露、ちょっと恥ずかし そうなのがご愛嬌だ。これでもうすっかり嬉しくなってしまう。

 そのあとも続々、ドリュー・バリモア、ティム・ロス、ジュリア・ロバーツと、ミュージカルに縁のなさそうなスターたちが歌や踊りを披露し、この映画以外ではもう、絶対耳にしたり眼にすることはないだろうなぁ、と思ってしまうシーンの連続だ。
 仮出所中のチンピラ・ギャング、ティム・ロスのとぼけた愛の歌なんかもう永久保存版にしたいほど。さすがに声を張り上げて朗々と歌う人はいないけど、囁くような、呟くような歌声は、演技派ぞろいだけに味がある。

 そして、夜の河岸でウディ・アレンとデュエットしつつ踊るゴールディ・ホーンのなんて素敵なこと! 優雅に宙に浮いたりして、 しなやかな身のこなしは、ひょっとして彼女、ほんとにダンスが出来るの〜?
 もちろん、プロのダンサーたちの踊りも要所要所にちゃんと用意されている。病院の狭い廊下を巧みに使った振り付けや、幽霊たちが ♪今を楽しもう、手遅れにならぬうちに〜、と陽気に歌い踊るシーン、シネマテーク・パーティのワンカット長回しのダンスシーンの 見事さはさすがプロ!  ハローウィンの子供たちのバナナの踊りも思わず拍手してしまった。

 ストーリーの核になるのは、ゴールディ・ホーンをはさんで現夫のアラン・アルダと元夫のウディ・アレンの中年トリオだ。アレンは例の ごとく、恋人に振られては元妻のところに愚痴をこぼしに来る情けない男。
 ホーンを前にして「男は老けないから、君の息子でも通用 する」と口走ってアラン・アルダが吹き出す場面は、あれはもう絶対演技じゃないと思うな。ほんっとに笑っちゃってたもの。

 ホーンとアレンがセーヌ河岸で「ボブ(現夫)を心から愛してるけど、笑いを届けてくれたのはあなたよ」「僕たち、夫婦というより、 いい友達だね」と語り合うシーンにしみじみ。娘たちの恋模様で右往左往しても、人生の味わいはしっかり中年組にあり、を感じさせてくれた。
  【◎△×】7

▲「上に戻る」





世代

1954年  ポーランド  88分
監督 アンジェイ・ワイダ
出演
タデウシュ・ウォムニッキ、ウルスラ・モジンスカ
タデウシュ・ヤンチャル、ヤヌーシュ・パルシュキェヴィッチ

  ストーリー
 ポーランドの巨匠、アンジェイ・ワイダ監督の長編デビュー作。40年代のドイツ軍占領下のポーランドを舞台に、レジスタンス組織に 加わった若者の姿を描く。まだ少年のロマン・ポランスキー監督がレジスタンス・メンバーの一員として顔を見せている。
 ワルシャワ郊外に母と暮らすスターショ(タデウシュ・ウォムニツキ)は、ドイツの貨物列車から石炭を盗もうとして、仲間を殺され、 自分も傷を負う。中年の工員セクーワ(ヤヌーシュ・パルシュキェヴィッチ)に助けられ、彼の紹介で木工所に職を得る。そこでは ヤーショ(タデウシュ・ヤンチャル)という若者も働いていた。
 夜学校に通い始めたスターショは、レジスタン運動のアジ演説をするドロタ(ウルスラ・モジンスカ)を知り、惹きつけられる。

  一口感想
 『地下水道』 『灰とダイヤモンド』と続く “抵抗三部作” と聞くと、難しい映画じゃないかとつい身構えてしまうが、思いのほか 平易で瑞々しい青春映画だった。

 大した仕事もない戦時下。冒頭の若者たちは、母親の心配をよそに遊び暮らしている。ように見えて、そのじつ、ドイツ軍の貨物列車 から石炭を盗むのが生業(なりわい)だ。「面白いことをやろう」というゲーム感覚なのが、時代が時代だけに ちょっと意表を衝かれる。
 しかし、ドイツ軍の機銃掃射で仲間の1人はあっけなく殺され、みなちりぢりに逃走し、主人公のスターショも怪我をする。
 その後、木工所の見習い工となった彼は、夜学校に抵抗運動のアジ演説をしに来た美少女ドロタに引かれて組織の一員になる。ナチ支配下の厳しい 現実の中で、スターショの行動はどれもみな、「こんなんで大丈夫?」と見ているこっちが心配になるくらい軽い。

 組織の集まりでは、メンバーは会の誓約を暗誦し、タバコを一口ずつ回し飲みする。チンピラ・グループの固めの儀式みたいでなんだか おかしいが、タバコを与えたり一緒にふかしたりするシーンは映画でよく見かける。相手を一人前と認めたり、たがいの絆を確かめたり、これには男同士の特別の意味合いがあるらしい。
 本作では、青年部のリーダーが女性のドロタで、彼女の主導でタバコが回されるのが面白い。一見、可憐なドロタだけど、リーダー らしい落ち着きがある。彼女の影響で、スターショがだんだん闘士らしくなっていくのが微笑ましかったりする。

 木工所の工員ヤーショには陰影を感じる。余計なことには頭を突っ込まず、組織への誘いも断わり、年老いた父親を抱えてこつこつ 働いている。しかし、スターショに材木盗みの汚名を着せたドイツ兵を、酒場でいきなり射殺するのは彼なのだ。現実的で小心な ヤーショのなかに、コントロールできない何かがある、そんな感じを抱かせる。
 ワルシャワでユダヤ人蜂起が起こり、支援に出かけた仲間の救出にスターショたちが駆けつけた時、ヤーショが突然仲間に加わった のは、そんな力が彼の中で動いたのだろうか。

 執拗なドイツ軍の追跡に遭い、追いつめられた彼が、ビル屋上への出口に鉄格子がはまっているのに気づいた時の絶望は、『地下 水道』の同様の場面に匹敵するほど衝撃的で、深い。
 意を決したように手すりに立ち、ゆっくり落下していくヤーショ。あんなに臆病だった彼の壮絶で悲痛な最期。足の悪い父親はこれから どうして生きていくんだろう。暗澹たる思いが渦巻く。

 初めてドロタと結ばれた朝、花を買いに町に出たスターショは、彼女がナチスに連行されるのを目撃する。ドロタのしっかりした足 取りは、この日が来ることをあらかじめ覚悟していたことを教えてくれる。
 軽いノリで始まった映画、全体の印象はけっして重苦しくはない。それでも見終わった後には、若者たちが戦いの中でいかに生き、 そして死んでいったか、を考えさせられる。次のリーダーとして、新メンバーたちと初めて顔を合わせるスターショ。もはや彼は昔の彼 ではない。
  【◎△×】7

▲「上に戻る」





セブン

1995年  アメリカ  126分
監督 デヴィッド・フィンチャー
出演
ブラッド・ピット、モーガン・フリーマン、グイネス・パルトロウ
ジョン・C・マッギンリー、ケヴィン・スペイシー

  ストーリー
 90年代後半の世紀末的なサイコ・サスペンス・ブームの中心となった作品。凝りに凝ったオープニングは、タイトル・デザイナー、 カイル・クーパーの名を一躍有名にした。
 定年間近のベテラン刑事サマセット(モーガン・フリーマン)は、着任間もない新人刑事ミルズ(ブラッド・ピット)とともに、ある 猟奇的な連続殺人を捜査していた。聖書の7つの大罪(大食・強欲・肉欲・高慢・怠惰・嫉妬・怒り)をなぞるような事件を追ううちに、 ジョン・ドゥ(ケヴィン・スペイシー)という容疑者が浮かぶ。
 しかし、いつしかミルズ自身、犯人の恐るべき犯行プランの中に巻き込まれていた・・・。

  一口感想
 分厚いスクラップ・ブックの超どアップ。犯人と思われる男の指がページをめくる。びっしり書き込まれた神経症的な文字。画面の あちこちに、釘で引っかいたような尖った文字でタイトルやキャスト名が表われる。キキッ、キキッと軋む音まで聞こえそう。神経が ささくれてくる。斬新といえば斬 新、こんなオープニング・タイトルも珍しい。

 変質者による連続殺人を若手とベテランの刑事コンビが担当する。ベテランのほうは定年退職を1週間後にひかえて、長引きそうなこんな事件は御免こうむりたいと思っている。
 一方、他の分署でパトロールと聞き込みばかりさせられ、うんざりしていた若手のほうは、やっと刑事らしいことができると張り切る。
 こうした老若刑事の組み合わせは映画ではそう珍しくないけれど、たいていは2人の掛け合いを楽しみながらストーリーを追うという体裁だ。

 ところが本作はそれらの映画とはまったくムードが違う。始終ビシャビシャと陰鬱な雨が降り、次々に現われる殺人現場はあまりに凄惨でおぞましい。
 刑事たちは目を射すようなライトをまっすぐにスクリーンをみつめる観客に向け、若手刑事ミルズと彼の妻が暮らすアパートは地下鉄が通るたびにガタガタ激しく揺れる。画面全体に、これでもかこれでもか、と不安なイメージがあふれるのだ。

 ハリウッド式ハッピーエンドという言葉があるほど楽天的なアメリカで、これほどに暗い映画が大ヒットしたのが不思議に思える。1995年当時のアメリカは、こんなキリスト教的な世紀末意識がフィットするほど閉塞感に被われていたのだろうか。

 ミルズの妻トレーシーを演じるグイネス・パルトロウのはかない美しさが印象に残った。新天地を求める夫に従ってこの町にやって来た けれど、「ここで子どもは育てたくない」と思う。妊娠したこ とを夫に告げられず、サマセットに相談して、彼のアドバイスに涙を流す繊細な表情が忘れられない。
 こんな風だから、犯人が最後に彼女をターゲットにする無惨さが、いっそう強く刻印される。

 1年も前から周到に準備し、殺人を実行してきた犯人が、なぜここで計画の路線変更をしたのかはっきりしない。それがこの映画の 弱さになっているけれど、それはそれとして、自分をこの世から抹殺したいという願望(“自殺願望” というよりもっと病的な感じが する)を、第三者を巻き込んで達成したやり方は、卑怯で陰湿で、犯人の異常性によく合致している。

 全体としてあまり後味のいい映画ではなけれど、最後まで見せてしまう魅力は持っている。モーガン・フリーマンが扮するサマセット 刑事の分別や落ち着きある行動が、映画のトーンを大きく救っていると思った。
  【◎△×】7

▲「上に戻る」




ぜんぶ、フィデルのせい

2006年  イタリア/フランス  99分
監督 ジュリー・ガヴラス
出演
ニナ・ケルヴェル、ジュリー・ドパルデュー
ステファノ・アコルシ、バンジャマン・フイエ

  ストーリー
 70年代を背景に、共産主義に傾倒する両親を持った少女の葛藤と成長を描く。社会派として知られるコスタ=ガヴラス監督の実娘、 ジュリー・ガヴラスの長編劇映画デビュー作。
 1970年、パリ。名門カトリック女子小学校に通う9歳の少女アンナ(ニナ・ケルヴェル)は、スペイン貴族出身の弁護士の父 フェルナンド(ステファノ・アコルシ)と雑誌記者の母マリー(ジュリー・ドパルデュー)、弟のフランソワ(バンジャマン・フイエ) の4人暮らし。
 豊かで幸せな日々を送っていたが、パパの兄がフランコ独裁政権に対する反政府運動で逮捕され、亡くなったのを機に、パパとママが 共産主義に目覚めてしまい、生活が一変する。突然の環境の変化にアンナの不満は募るばかり・・・。

  一口感想
 タイトルの “フィデル” とはキューバ革命を成し遂げたフィデル・カストロのこと。そのカストロを、「そうよ!フィデルがいけ ないの。ぜんぶフィデルのせい!」とふくれっ面で子供が息巻いてい る・・・。どんな映画かな?と好奇心がそそられた。

 弁護士のパパとジャーナリストのママ、おしゃまな弟と一緒に何不自由なく暮らしていた9歳の女の子、アンナの生活が一変したのは、 スペインから伯母さんといとこが亡命してきてからだ。フランコ独裁政権に反対して政治活動をしていた伯父さんが逮捕され、亡くなった のだ。
 それ以来、市民運動に目覚めたパパとママは、2人してチリに革命支援に出かけ、共産主義にかぶれて帰国する。ハンサムなパパは フィデルみたいにむさくるしい髭まで生やして!

 住まいは庭つきの大きな家から狭いアパートに移り、髭だらけのヘンなおじさんたちが始終出入りするようになる。夜中に目を覚ます と、パパやママがいないこともしばしば。いったいここは誰の家?とアンナは思ってしまう。共産主義ってなに? 団結ってなに?
 1970年代といえば変革のうねりが世界をおおい、日本でも70年安保をめぐって学生運動が盛 り上がった激動の時代だ。そうした時代の動きを子供の目を通して描いている点が新鮮だ。

 元の暮らしにもどるためのアンナの奮闘ぶりが面白い。電気をバチバチ消して回り、シャワーのボイラーの火まで消す節約ぶり。見当 違いで可笑しいんだけど、自分の暮らしを守ろうとする必死さに、胸が痛くもなる。

 そんな中で、アンナは周りで起こっていることを受け止め、自分なりに理解していくんですね。チリでアジェンデが大統領に当選した 時は、パパや集まった大人たちと喜びを共有し、初めてこの狭いアパートを自分の居場所と思えるようになるし、女性問題がテーマの ママの取材を見聞きして、妊娠や中絶という女性だけが負う心身の負担や苦しみ、悲しみをおぼろげに感じ取るようにもなる。

 オーディションで400人の中から選ばれたというニナ・ケルヴェルがチャーミングだ。いつもふく れっ面だけど(その顔もとても可愛い)、パパに構ってもらってキャッキャッとはしゃいだり、作文でAをもらって得意そうにニッと笑う時の愛らしさ。
 パパとママが意見の相違で大喧嘩した時、弟の手を引いてつんのめるように通りを歩くアンナからは、世の中すべての不条理にむかっ 腹を立てた9歳の少女の感情が生きいきと放射されていた。

 終盤、アジェンデの死の報道に悄然とたたずむパパにそっと寄り添うアンナの姿がとても印象的だ。
 そしてラストシーン、自分で転校を決めた普通小学校の子供たちの輪の中に入っていくアンナ。彼女はもう以前の不満だらけの彼女ではない。
 70年代の時代相を描きつつも、子供の成長に焦点を絞ったことで、映画は分かりやすくてキュートな作品になったと思う。
  【◎△×】7

▲「上に戻る」