| 【映画メモ】 さ で始まる映画 |
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ストーリー 放浪者チャーリー(チャールズ・チャップリン)はスリに間違えられてサーカス団の一座に逃げ込み、小道具係りに雇われる。 サーカスの花形マーナ(マーナ・ケネディ)に恋したチャーリーは、彼女が団長(アラン・ガルシア)に苛められるのを庇い、マーナも 彼に信頼を寄せるようになる。 ある日、ハンサムな綱渡りの男レックス(ハリー・クロッカー)が一座に加わる。強力な恋敵の出現にライバル心を燃やしたチャー リーは、綱渡り芸に挑もうとするのだが・・・。 本作は第1回のアカデミー賞で主演男優賞、喜劇監督賞にノミネートされた。 初めから終わりまで息を抜く暇がないほどギャグの満載だ。 お腹がペコペコのチャーリーが、目の前の赤ちゃんが持っている食べ物を失敬する場面、赤ん坊に精一杯の作り笑いをして、隙を 見てはパクッとやる。きょとんとしていた赤ちゃんが、そのうち身を乗り出してチャーリーの口に食べ物を突っ込む。 赤ちゃんをからかっていると、実際こういうことってよくあるだけに(私の場合、鼻の穴に指を突っ込まれた)、もう おかしくてたまらない。
スリに間違われたチャーリーが、見世物小屋の仕掛け人形の真似をして警官の目をごまかしたり(動きのギクシャク具合が巧い!)、 鏡部屋に紛れ込んで、鏡に映った自分と本物の自分の区別がつかなくなったり(たくさんのチャップリンがウロチョロし、追いかけて きた警官も右往左往する。本作の中で一番お気に入りのシーンだ)、チャップリンの真骨頂ってこういう身体を張ったギャグだなぁ、と つくづく感じる。 後半の圧巻は、なんといってもチャーリーがひょんなことからする羽目になる綱渡りだ。スタントは使わず、全部、自前の身体で 演じるチャップリンとはいえ、ここまでやるか、と度肝を抜かれる。 背中に命綱を結びつけて、こっそり金を握らせた小道具係りが楽屋で引っ張る、というギャグで始まるのだが、それでも、眼もくらむ 高所の綱の上で片手で逆立ちしたり、落ちかかってくるりと回転して綱にぶら下がったりと、ドキドキし通しだ。 そのうちに命綱が外れてしまう。そのうえサーカスの猿が何匹も取り付いてチャップリンの服を剥がしにかかる。それでもバランスを 崩さない。もう神業としかいいようがない。サーカスの客も演技を忘れて本気でハラハラしたんじゃなかろうか。こんな場面では、 チャップリンの凄さを心底思い知らされる。 想いを寄せるサーカス娘とハンサムな綱渡り男の仲を取り持った後、結婚式を挙げた2人に一生懸命ライス・シャワーを浴びせる チャーリー。切ないなぁ。妄想の中では綱渡り男を蹴飛ばしてたのにね・・・。 一座が旅立った後、チャーリーはドタ靴ぺたぺた、ステッキくるくるさせて広場を歩み去る。チャップリンの後ろ姿ってどうしてこんな に寂しくて健気なんだろう。チャップリン映画の中でも、とりわけペーソス溢れるエンディングだと思う。 【◎○△×】7 |
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ストーリー エリート・スポーツエージェントが、人生のどん底で愛する人と出会い、本当に大切なものに気づくまでを描いた心温まるサクセス・ ストーリー。ロッドを演じたキューバ・グッディングJr.がアカデミー助演男優賞を受賞した。 全米一のスポーツ・エージェント会社に勤めるジェリー・マグアイア(トム・クルーズ)は大勢のクライアント(契約選手)を抱える 優秀なエージェントだが、初心に戻って、理想主義にあふれる提言書を会社に出し、クビになってしまう。 彼の提言に感動したシングル・マザーの会計係ドロシー(レニー・ゼルウィガー)とともに独立するが、クライアントは同僚ボブ・ シュガーにごっそり持っていかれ、落ち目のアメリカン・フットボール選手ロッド(キューバ・グッディングJr)ただ一人。 恋人エヴリーにも愛想を尽かされる。 スポーツ選手専門のエージェントというと、日本でもプロ野球選手が契約更新に代理人を使うようになって多少耳慣れてきた職業だ。 スポーツはプロでも交渉ごとは苦手というスポーツ選手は多いはずだから、合理的なシステムという気はする。でも、選手の商品価値を 高めることだけが目的になると、人間味が失われる。 大手スポーツ・エージェント会社に勤める主人公ジェリーは、あることをきっかけにそのことに気づく。そして契約選手の数を減ら してでも、選手と心の通った信頼関係を築くべきだと考える。 う〜ん、気持ちは分るけど、利益追求が第一、そのためには一にも二にも効率主義、というアメリカ的発想からすると、これは そうとう難しいだろうな・・・。もっとも、そういう提案書を出しただけでクビというのは、いくらなんでもひどいよね。 おかげで恋人は去り、クライアントはことごとく元同僚に奪われて、ジェリーに残されたのは落ち目のプロ・フットボール選手ロッドと、 彼の提案に感動し、一緒に退社した子持ちのシングルマザー、ドロシーだけ。ここから彼の挑戦が始まるのだが、出演陣がみな適役。 トム・クルーズは “エージェント” といういわば人生の脇役を気負わずに演じて、『レインマン』
(88)に匹敵する好演だ。ドロシー役のレニー・ゼルウィガーがとってもキュート。初めてのデートの夜、2人が玄関の明りのなかでキスをかわすシーンは胸 キュンもののロマンティックさだ。 そしてドロシーの1人息子レイ(ジョナサン・リプニッキ)のすこぶるつきの可愛さ。ママを差し置いて、ジェリーと信頼関係を 作ってしまうのが面白い。 妹を心配するからこそつい小言もいってしまうドロシーの姉ローレル。演じるボニー・ハントって “ふっくら” と “しっかり” の 配分がいい女優だなといつも思う。 本作でアカデミー助演男優賞をもぎ取ったロッド役のキューバ・グッディングJrは、はじけ豆みたいな威勢のよさに初めは閉口した けれど、バックに家族のほのぼの感が見えるようになって、好感度がアップした。ヒーローになってマスコミに囲まれても、ジェリーの ことを忘れない。携帯で奥さんに「愛してるよ!」と怒鳴る姿には笑いながらもグッと来た。 ロッドとの友情、ドロシーとの恋に支えられて、理想を貫いたジェリーが最後に成功を手にするというストーリーは、いかにもアメリカ的だけど、安心して見ていられる心地よさがある。楽しめた。 【◎○△×】7 |
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ストーリー 19世紀末のスウェーデンを舞台に、次女の最期を看取るために故郷に帰って来た姉妹の心の葛藤を通して、人間の本質に迫った ドラマ。鮮烈な赤い映像が印象的な、ベルイマン監督の代表作の1つ。 “お城” と呼ばれる大邸宅に育った三姉妹のうち、次女アグネス(ハリエット・アンデション)は独身のまま家に残って下女の アンナ(カリ・シルヴァン)と暮らしていたが、ある年の秋、子宮ガンでその生涯を終えようとしていた。 姉カリン(イングリッド・チューリン)と妹マリア(リヴ・ウルマン)は臨終を看取るために家に戻ってきたが、それぞれに屈折した 思いを抱いていた。カリンは有能な外交官の夫(ヨールイ・オーリン)と空虚な生活を送っており、マリアはアグネスの主治医(エル ランド・ヨセフソン)との浮気で夫を自殺未遂に追い込んだことがあった。 2人は子供時代の思い出を語り合いながら、たがいの暗い感情をぶつけ合う。 何本か続けて見たベルイマン監督作品のなかでもっとも鮮烈な印象を受けたのが、最後に見た
本作だった。赤を多用した映像、血のつながり故の愛憎、虚飾と偽善、そして最後に訪れる魂の救済・・・。息づまるような1時間半、ひと時も画面から目を離すことができなかった。ベルイマン監督といえば私はすぐ、『処女の泉』をはじめとしたモノクロの明るい陽光、あるいはカラーの北欧の透明な空気を思わせる 色調が思い浮かぶ。それだけに本作に多く表れる「赤」にショックを受けた。 たとえば次女アグネスのベッドを被うブランケットの赤。死期の迫った病人のベッドにこんな赤を使うだろうか、という驚きとともに 私の脳裏をかすめたのは、なんと出産時の出血だった。しかし、生涯独身だったアグネスに出産は縁がない。となれば、ガンを患って いる “子宮” からの出血・・・。 自分のむごい連想に戸惑いながら、私の思いは、「子宮」ー「母と子」ー「アグネスの母」へと漂い流れる。アグネスは美しい母に 憧れ、かつその愛を受けることができなかった。ベッドを被う「赤」は、母の愛を求める悲痛な叫びのようにも思える。 長女カリンが自らの性器をガラスで傷つけ、股間に流す血の「赤」もある。これは夫に対する愛のない行為の拒否であるだけでなく、 これ以上の出産を拒むサインでもあるのだろう。ここでの
「赤」は妻であり母であることの苦痛を鮮烈に喚起させる。さらに、室内の調度や壁の赤、場面転換のフェードアウトに使われる赤。場面がほとんど邸外に出ないこともあって、赤に閉ざされた 空間は場の空気を濃密にし、緊張度を高める。 「赤」がこれほど多様なイメージを持つことが意外だった。さらに私が想起したのは、「赤心」と「真っ赤な嘘」というまったく逆の意味を持つ言葉だった。 「赤心」とは、“嘘・いつわりがないこと” “真ごころ” のことだ。長女カリンは空疎な結婚生活に傷つき、三女マリアに心情の触れ合いを求める。彼女が吐露する本心は恐ろしいほど赤裸々だ(ここにも 「赤」の文字)。 しかし、愛されることにしか自分を見出せないマリアには、応えることができない。カリンと時に気持ちが通い合ったように見えても巧みにすり抜けるマリアは、意外にしたたかなのかもしれない。 別れの時にみせる2人の冷えびえした表情が、姉妹の溝の深さを示している。 母からも姉・妹からも得られなかった愛をアグネスに与えるのが、年若いメイドであることが意味深く思える。豊満な乳房を持った心身 ともに健康な農家の女アンナ。病の苦痛にのたうつアグネ
スを抱きかかえ、胸をはだける。幼児のように乳房に頬を寄せるアグネス。
大らかな母性が聖性にまで高められ、一幅の宗教画を見るようだ。アンナは葬儀が終わり、だれもいなくなった部屋で、アグネスの遺品として譲り受けた日記を開く。そこから画面は、これまでの重い 赤に閉ざされた室内から、広い戸外の空間へと転換する。 午後の柔らかい光に包まれた庭園をゆっくり歩む三姉妹とアンナ。衣装は白。死の間際にアグネスに訪れた幸せな記憶が、この白に象徴されているかのようだ。それを一人静かに受け止めるアンナ。ラストの情景に 感動を覚えた。 【◎○△×】8 |
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ストーリー 奇想天外な着想と画期的メイクアップ技術が人気を呼んだSF映画。チャールトン・ヘストン、キム・ハンターらビッグ・ネームが 出演したことでも話題になった。 ケープ・カナベラルから打ち上げられた宇宙船は、1年6カ月後に地球によく似た惑星に不時着する。船外に脱出したテイラー船長 (チャールトン・ヘストン)と2人の部下は、猿の軍団が原始人のような姿で逃げまどう人間たちを駆る異様な光景を目の当たりにする。 ここは高度な知性と文化を持つ猿が人間を支配する星だったのだ。 猿のジーラ博士(キム・ハンター)は、捕らえられたテイラーの知能が高いことを知り、恋人の考古学者コーネリアス(ロディ・マク ドウォール)とともに、次第に彼の味方になっていく。テイラーは、一緒に捕獲されたノヴァ(リンダ・ハリソン)を連れて脱出を 試みるが・・・。 本作が公開されてからもう40年も経ってるんですね〜。あのラストは当時もそうとう話題になったし、もう知ってて映画を見たよう な気がするけど、それでもあの波打ち際に現われた巨大なシルエットの正体を知った時の驚愕は強烈だった。こうなるともう、前もって知っているとかいないとか、関係ないですね。
何百光年も旅をして宇宙の涯てまで来たはずなのに、結局元に戻っていた、というのは今ならさほど珍しい発想ではないけれど、
どんな分野でも先鞭をつけるのは大変なことだ。これだけでもSFの金字塔といわれるだけの価値はあると思う。猿が高度な知性を持ち、人間は彼らに支配される下等な生物だという、逆転した世界観が衝撃的だった。最近でこそ、地球は人間だけの ものではない、ほかの動植物すべてを含む運命共同体なのだ、という考え方が普通になったけれど、当時は人類が地球生命体の頂点に 君臨するとだれもが疑いなく信じていた時代だ。そこにどんと冷水を浴びせたのだから、大したことだったと思う。 テイラーが猿と同じくらい高度な知性を持ち、言葉も喋れると気づいたジーラが、「彼を研究すれば、猿の進化の過程の解明に役立つ」 と、元老院の最高議長・ザイアス博士(モーリス・エヴァンス)を説得する場面は、辛辣な皮肉に満ちている。 “猿から人間が進化した” というダーウィンの進化論を(厳密には、直線的に猿が人間になったわけではなくて、途中で枝分かれしたということらしいが)、“人間から猿が進化した” とひっくり返した訳だから。 “禁断の地” の洞窟でザイアス博士が語る言葉はきわめて含蓄に富む。久しぶりに見て、この映画の骨格はしっかした人間批判・文明 批評だったんだ、とあらためて感じた。
じつは今回我ながら戸惑ったのは、チャールトン・ヘストンが演じるテイラーに、なんとも言えぬ圧迫感を覚えたことだ。ゴリラによって編成される軍隊が勇猛なのはともかくとして、ジーラや恋人のコーネリアス、甥のホーネリウスのどこかのどかな空気、老獪だ けれど毅然としたザイアス博士らに比べて、テイラーには問答無用の攻撃性や支配性を感じてしまったのだ。 40年前は、私自身、白人の優位性を当然のこととして受け入れていたのだろうか。ちょっと複雑な気分。 アカデミー賞を獲得した猿の特殊メイクは、今の感覚で見てもかなりすごいと思う。単に猿に似ているというのでなく、目にきめ細かな 感情や知性、人柄までも表れるのだ。キム・ハンターが演じたジーラの魅力的なこと。『欲望という名の電車』でアカデミー助演女優賞を 取った名優だけに見事だった。 【◎○△×】7 |
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ストーリー かつて有能な弁護士だったロイヤル・テネンバウム(ジーン・ハックマン)は今は落ちぶれて、22年ぶりに妻エセル(アンジェリカ・ ヒューストン)のもとに帰ってくる。エセルは会計士のヘンリー(ダニー・グローヴァー)にプロポーズされている。 テネンバウム家の3人の子どもたちは、長男チャス(ベン・スティラー)は金融、長女マーゴ(グウィネス・パルトロー)は戯曲、末っ子リッチー(ルーク・ウィルソン)はテニス、とそれぞれ早熟の才能を発揮し、天才児と呼ばれたこともあるが、今は日陰の道を歩んでいる。 ロイヤルは仮病を使って、崩壊した家族をもう一度1つにしようともくろむが・・・。 そこそこ面白いけれど掴まえどころがない、そんな印象の映画だった。“放蕩者の父帰る” というのはホームドラマによくある パターンで、素直に受け入れる子ども、拒否する子どもと家族の反応が分かれるのもよくあるタイプ。この映画のユニークなところは、 子どもたちが全員天才児だったところでしょう。 しかし成人した今、彼らにかつての面影はない。長男チャスは妻を事故で亡くして以来神経過敏症で、いつも息子たちとお揃いの赤いジャージーを着ているし、次男リッチーは船で世界中を放浪し、浴室にとじこもりきりの長女マーゴは感情欠損症(?)、家族や世の中すべてに関心がないよ
うに見える。ただ、そういうことが彼らが天才児だったことにどう関係しているのかがはっきりしない。というか、そうでなくても成り立つ話に なっている。せっかくの設定なのに、そこがなんだか落ち着かない。 もう1つよく分からないのは、ロイヤルがバラバラになった家族をまとめ直そうとするのはいいとして、「末期ガンで6週間後に死ぬ」と いう彼の作戦だ。 これで妻とヨリをもどそうというのなら、まー、分かります。エセルは会計士のヘンリーにプロポーズされているけど、ロイヤルにまるきり未練がないわけでもない。この作戦でぐらりとくる可能性はかなり高い。 でも子どもたちはどうなんでしょう。末っ子のリッチーはともかく、あとの2人はとうてい6週間でどうにかなる代物じゃありません。 その上、ロイヤルのやることといったらチャスの息子を手なずけることくらいなのだ。焦点が定まらないまま話が進むもどかしさが最後まで付いて回る。 エセルを挟んだロイヤルとヘンリーの三角関係はなかなか面白かった。ロイヤルが前から頼まれていた離婚届をエセルに渡す場面の粋な こと。ヘンリーのマンション前に待ち構えたロイヤルは、出てきたエセルに「いい知らせがある」という。離婚届のことだ。 そしてマンションを見上げて「君の家か。立派だ」とヘンリーにいう。男として素直に負けを認める辺り、ロイヤルも捨てたもんじゃ ない。それからエセルに「愛してるよ」「おめでとう」というのだ。 ジーン・ハックマン、アンジェリカ・ヒューストン、ダニー・グローヴァー、錚々たる顔ぶれの恋のさや当ては楽しかった。 【◎○△×】6 |